真実と秘密「留三郎、雑渡さんのこと覚えてたんだね」
笑顔で仁王立ちをする伊作に何も言葉を返せず、視線を逸らす。長次が断片的にしか記憶がないと言っていたから、誤魔化せると思っていたのだ。それに本当は雑渡さんにすら明かすつもりはなかった。
(……結果としては良かったけど)
両思い──それも前世の頃からそうであるとわかったのだから、浮かれてしまっても仕方がないだろう。顔も逸らすついでにニヤけそうになる口元を隠すと、顔を逸らした先には小平太がいた。
「留三郎はあの雑渡とかいう人のこと、昔から知ってたのか?」
不思議そうに首を傾げる小平太は、文次郎と同じく前世の記憶が全くない。全くないのに長次と出会った当初真っ先に遊びに誘ったらしいので、こいつらの絆は魂にでも刻まれてるんだろう。
少し現実逃避をしていたが、小平太に机を占領されながらも心配そうに見てくる長次に気付いた。浮かれている場合ではないのだと表情を取り繕おうとしていると、無駄に大きな溜息が聞こえてくる。
「はぁ……だから俺は変な男について行くなって最初から言ってたんだ」
何故この男は記憶がないくせに俺の神経を逆撫でするような態度を取るのか。これも魂に刻まれているとでもいうんだろうか。文次郎へ言い返そうとして席を立つとベシッと額を叩かれ、強制的に席へ戻される。
「いってぇ!?」
「お前を心配しているのだ、馬鹿者」
呆れたようにも怒っているようにも見えるが、仙蔵にそこまで心配される理由がわからない。前世のことを考えれば、仙蔵だって知らない相手ではないだろう。
「いいか留三郎、現代ではお前とあの男の関係性はいわゆる『パパ活』と思われてもおかしくはないのだぞ」
「パ……っ!?」
前世であればほぼ成人という年齢だが、現代ではまだ未成年だ。地位や権力でどうにか出来る時代でもない。むしろ金を持て余してるからこそ子供相手に遊んでいる──いや、俺に金を巻き上げられているなどという不名誉な噂が立つ可能性がある。
「た、確かにそう思われる可能性があったね……留三郎、流石にそれはまずいよ」
「雑渡さんの立場もあるもんな……」
「いや、留三郎が大変なことになるって意味だよ!?」
俺と同じく前世の認識が強すぎたのか、伊作が狼狽えながら訴えるので同意すれば肩を掴んで言われる。大変なことと言われても、別に俺は金をもらってるわけでもなければ不埒なことをされているわけでもない。客観的に見れば大人に何か相談しているとでも思われるんじゃないだろうか。
「んー……でも留三郎はパパ活してるわけじゃないからな」
予想外なことに小平太が一番の理解者となるかもしれない。伊作に肩を掴まれたまま小平太へ視線を向けると、とてもいい笑顔を向けてきた。
「キスされてあれだけ嬉しそうにしてたら、誰もパパ活とは思わないだろ!」
「小平太」
「あっ、これ言っちゃダメだったな」
困ったように長次が名前を呼ぶと小平太は笑いながら「まぁ細かいことは気にするな!」などと言うが、一体何故俺が雑渡さんにキスされたことを知っているのか。まさか見られてたのか。全員が動じていないということは、全員が知っている可能性が────
「く、唇にはされてない!!」
「え? あんなに照れてたからしっかりされたのかと」
「小平太、もうやめてやれ」
動揺のあまり余計なことを言ってしまったし、小平太を止める長次の気まずそうな視線が居た堪れない。
「お前、そんなにあんな胡散臭い男のこと好きだったのか……?」
いつもみたいに馬鹿にしたように言えばいいのに、困惑した顔で言ってくるのはやめろ。確かに好きなことには違いないが、文次郎にわざわざ指摘されたくはない。
「~~~~~~っ帰る!」
「えっ? あっ! ちょっと、留三郎!」
伊作の手を振り払い、鞄を掴んでその場から走り去る。逃げたわけじゃない、戦略的撤退だ。
バタバタと靴を履き替えて正門まで走り、見慣れた車の存在に思わず足を止めると車の後部座席の窓が開き、中に雑渡さんが乗っているのが見えた。
「ざ、雑渡さん!?」
「家まで送るから乗っていきなよ」
まさかこんなところで会えるとは思わず、内心かなり喜んでしまったが仙蔵に言われた『パパ活』が頭をよぎり、ドアに伸ばした手が止まる。しかしいつまでもこうしている方が目立つだろう。どうせ周囲には中に誰が乗っているのかなんて見えていないのだからと思い直し、素早くドアを開けて中へ滑り込む。
「助かるけど、いいのか? 雑渡さん仕事は?」
「ちょっと休憩。私が留三郎と一緒にいたかっただけだから、気にしなくていいよ」
シートベルトを締めると緩やかに動き出した車の内部は運転席と後部座席の間に仕切りがあり、周囲の様子は一切わからない。そんな逃げ場のない場所でさらりとそんなことを言うのだから、赤くなっている自覚のある顔を最大限逸らすことしか出来なかった。
「……もしかして友達に何か言われた?」
「へっ!? な、何で……!?」
パパ活と言われたことがバレたのだろうかと思って慌てて雑渡さんを見ると、予想外の反応だったのかほんの少しだけ目を開いてから笑みを浮かべる。
「この前追いかけて来てたからね」
「雑渡さん気付いてたのか!?」
言ってくれたらもう少し取り繕えたのに、と思って睨むと「見せびらかしたかったから利用させてもらった」などと楽しそうに言う。そんなに機嫌良く言われてしまったら文句など言えず、睨んだままでいると雑渡さんは笑みを深めた。
「それに、この顔なら昔より格好いいから」
「はぁ……?」
急に話の繋がりがわからなくなり、間の抜けた声が出る。格好いいとは確かに思うが、それを自分で言うのか。耐えようとしたが、笑みを浮かべてこちらを見たままの雑渡さんを直視出来ず、顔を逸らして咳き込んだ。
「ぐ、げほ……雑渡さん、あんた、じ、自分のこと、格好いいって、思ってんのかよ……!」
「そりゃあ昔留三郎に会った時よりはね」
肩を震わせながら問えば平然と返され、再び咳き込もうとしてうっかり吹き出してしまい、そのまましばらく笑い続けた。
涙が出るほど笑っているのに咎めることなく眺めてくる雑渡さんの、かつては包帯が巻かれて見ることすら叶わなかった左頬へ触れる。
「っはは……はぁ……俺は、ふふ……昔から、格好いいと思ってたよ」
笑いながら言えば雑渡さんの体が不自然に固まる。反応に違和感を覚えると同時に、よく考えるととんでもないことを言っているのではないかと思い至り、慌てて頬から手を離そうとした。しかし雑渡さんに腕を引っ張られ、顔を寄せられる。
「ざ、雑渡さ、ぁ……っ!?」
「……あまり私の理性を過信しないでくれ」
こめかみへキスをして囁く声がまるで懇願しているようで、ぞわりと肌が粟立ち身を捩る。それをどう思ったのか、こめかみから耳、首筋、鎖骨へと、触れる唇の位置が徐々に下がっていく。このままではまずいと思うと同時に、何故今回も唇へはしてくれないのかという不満に近い疑問を抱いてしまう。
ぐいっと肩を押すとあっさり離れていく体に手を伸ばし、腕を引っ張って珍しく驚いた顔をした雑渡さんの唇に自分の唇を押し付けた。
「ん……ッ、こ、これでおしま、んぅッ!?」
雑渡さんがしてくれないのなら、俺からしてしまえばいい。そう思ったものの予想外に恥ずかしく、雑渡さんから離れてもうキスして来ないように言おうとしたが、唇を塞がれてしまった。
「んぁ……ッ、ふ、う……! ……ッ」
すぐに離れるかと思ったのに、ぬるりと入り込んだ舌がろくに動かせていない俺の舌に絡んでくる。そうかと思えば上顎を擽るように動き、舌の縁を撫でながら歯列をなぞっていく。舌先だけで翻弄されて、どうしたらいいのかわからない。クラクラして気持ちいい。もっと、ずっとしてほしい。
「んく……っ、は、ぁ……ッ! はぁッ! けほ……っ!」
混ざり合った唾液を飲み込むと唇が離れ、必死に息を吸いすぎて咳が出た。咳き込みながらも雑渡さんの腕を掴んだままでいると、雑渡さんは肩に頭を押し付けて深く溜息を吐く。
「げほっ、……ざっ、と、さん……?」
「………………留三郎、私の家に来る?」
体を離し、真剣な眼差しを向けて言われた突然の誘いに、呼吸が止まる。俺を家まで送ってくれることはあっても、家の場所を最寄り駅すら教えてくれなかった雑渡さんが自ら誘ってくれたのだ。これを逃したらもう機会がないかもしれない。
「行っていいのか!?」
「………………………………ごめん、流石に良心が痛むからやめておこう」
身を乗り出して確認すると、眩しそうに目を細めた雑渡さんは顔を逸らしてそんなことを言う。何故良心なんて話になるのかと思ったが、直前までしていたことを思い出して急激に体温が上がる。
つまり、雑渡さんはそういうつもりで誘ってきたということだ。
「わ、わかってる! ちゃんとわかってて、行きたいって思ってる!」
「………………うん、留三郎はこれ以上私の理性を試すのやめようね」
まるで駄々をこねる子供を宥めるように頭を撫でながら言われ、本当に伝わっているのかと問いただそうと開きかけた口は指先で塞がれ、雑渡さんは耳へ触れるほど唇を近付けて囁く。
「今度招待するよ。誰にもバレないように、秘密でね」
返事をする前に体が離れ、いつの間にかシートベルトを外されていた。急に自由になったことに戸惑っていると「家の前に着いてるよ」と言われ、車が停まっていることに気付く。
慌てて荷物を抱えてドアにかけた手を一度離し、振り返って雑渡さんに抱きつき、雑渡さんがしてきたように耳元へ唇を寄せて囁いた。
「誘ってくれるの、待ってる」
今日はこれで最後という意味を込めて耳にキスをして体を離し、引き留められる前に外へ出て緩やかに動き出す車を見送る。
家に誘われたのだと知ればパパ活なんて疑惑はなくなるだろうが、秘密だと言われてしまったのだから誰にも言えない。誤解が解けないことは不本意であるはずなのに、誰にも知られない秘密が嬉しくて顔が緩んだまま浮かれた足取りで家へ入った。