1100円の笑顔をどうぞあなたにあー……最悪。
本日何度目かのため息をつく。
時刻は十九時半、ベンチャー企業勤務にあるまじき早上がり。
トボトボと帰路につく。
せっかくのかわいいダイアナのヒールも、今日は柔い音でしかコンクリートを蹴らない。
星でも見上げてため息をつきたいけれど渋谷の空は超明るいから見えるのは月くらいだ。ギラギラとした照明が眩しい。
早上がりのワケも、ため息のワケも、どちらも同じだ。
今日は散々だった。仕事で大ポカをやらかした。
ベンチャー企業の広報として、新卒で入社してから一年とちょっと。少しずつ裁量を任される案件が増えてきた。活躍したいって熱意だけはあって、それでなんとかこなしてきた。
けど、今日はこなせなかった。
最悪なことをやってしまった。
運用担当している会社のラビッターで、広報用の写真を、大大大大大好きなTRIGGERの龍之介さんの写真をダミーとして使っていたら、そのまま上げちゃったのだ。テスト投稿と思っていたけど、本番アカウントのほうに上げちゃってた。
十五分後に気づいて、慌てて削除したけどとっくに『会社広報』『TRIGGER』でトレンド入りしていた。
メンターは大激怒。社長は興味なさそうに、「そ、消しておいて」とだけ言って反省部屋である会議室を早々と出て行った。滞在時間は一分にも満たなかった。
きっと、芸能事務所とか、肖像権の権利元に謝罪に行くのは彼なのに……。
ーーああ、私、社長にも見捨てられたのかも……
頭の中に最悪のシナリオがぐるぐると巡る。そもそも、私がこの会社に入社を決めたのは彼、社長がいたからだ。彼がめちゃくちゃに私の好みでイケメンで、ハイスペックだったから、私はこの企業に入りたいって心底思ったのだ。
そりゃあ、入社したら、無愛想で人にも興味がなさそうな人だったからビックリしたし、どんなにアプローチしても難しそうなのはわかってるけど!
(いや、最近社長は機嫌良さそうなんだけど……。定時とはいかなくても早く帰るし、ランチも積極的に外に行っている。氷の女王みたいな表情が、最近割とあたたかい)
それでも……せめて。
せめて、がんばってる姿だけはきちんと彼に、証明したかった。
渋谷センター街のガヤガヤとした雰囲気を抜けて、奥渋の静かな通りに入っていく。それでもこの時間から飲んでる人々で居酒屋は賑わっていて、自分の惨めさが浮き彫りになった気分がした。
街は騒がしいのに、心はガッカリで、泣けてしまう。
あーあ、なんで今日ヒールにしちゃったんだろう。足、痛くなってきちゃった。
せめて、ご飯だけ買って帰ろう……。ついでに、今日発売の龍之介さんが表紙のAnAnも……。
そんな気持ちで、近くのコンビニに飛び込んだ。店内が明るくてそれだけで眩しい。
「いらっしゃいませー」
軽やかな入店音と一緒に、溌剌とした声に迎えられた。耳馴染みが良くて、すごく素敵な声。
いくつかのおにぎりとサラダ、そしてラックで今日散々ネットで見た龍之介さんが表紙の雑誌を持ってレジに向かう。
「レジお願いしまーす」
はーい、とレジに入ったのは入店時に声をかけてくれた青年だった。彼はきびきびと動いて、会計をしていく。
「110円ーー」
「820円ーー」
派手な髪色にピアス、そして真っ赤なネイル。すごくチャラい雰囲気だ。
でも一つひとつの商品をバーコードに通す仕草はとても丁寧で好感が持てる。顔立ちも目が大きくて派手だし、八重歯が特徴的だけど、すごく整っている。一言でいうとかわいいワンコ系だ。
そして、先ほどから気になっていたこと。
すごく物憂げで、儚げな笑み……ーーなんかめっっっっちゃ、慰めてあげたくならない!?この笑顔!!
あきらめたような、でもなにかを信じたいような、がんばりたいような、複雑な感情が、彼の顔にはのっていた。
この人も、何かあったのだろうか。今日の私みたいに。
ああ、私でいいなら慰めてあげたいのに……。それで、がんばってと励まして、ラーメンと餃子を奢ってあげたい……。
なぜか、そんな気持ちにさせられてしまう。
気付いたら商品のレジは終わっている。ワンコ系店員はぼんやりしている。
「いくらですか?」
食い気味に聞いてしまった。
「えっ?あっ!1100円です!」
慌てて表情を取り繕って笑顔を作るのが痛ましくて、それでも、もっとがんばってー!と応援したくなった。
二千円を渡すと「ありがとうございましたー!」と、おつりをこれまた丁寧に、さっきの憂いの表情はどこへやら、とびきりの笑顔で渡される。手のひらが男の子そのもので、ドキッとする。
さっきの複雑な笑顔とのギャップにまた惚れ惚れしてしまう。
私はノックアウトされてしまった。
気付いたら、いつの間にかコンビニの外だった。
なにあれ……。
なにあれ……!?
めっっっっちゃくちゃ、かわいい笑顔だった。
(かわいいワンコ系のコンビニ店員……)
外からそっとレジの方を伺うと、彼はちょうど棚の整理と埃とりをしていた。手を伸ばす彼は大きくはないけれど、男の子の体躯をしていて、ドキッとしてしまう。
なんか、すごくすごく癒された。
がんばってる子を見ると、なんで胸が熱くなるんだろう。それで、私もがんばろうって思える。
まるで、アイドルに出会った気分だ。
今日はもう帰って、ゆっくりハーブティーを淹れて、それから、また明日からがんばろう。
私は足取り軽く、ヒールを鳴らした。
ちなみに、私はこのコンビニの常連になったし、TRIGGERの龍之介さんから差し代わったウチの爆イケ社長の写真も話題になりラビッターでめちゃくちゃバズったしフォロワーも増えた。本当に、反省してるんですってば、社長!