【hickey】 雨の日が続いて、関東が梅雨入りしたっていう発表があった週の半ば。
モモが久しぶりに僕の家に泊まりに来た。
久しぶりなのは「泊まり」で、ご飯を食べたり映画を観たりはしていたから、本当に久しぶりだな。って感じでもないんだけど、泊るのが久しぶりってだけで何だか少し違う、新鮮な感じがするから不思議だ。
「ただいま。お邪魔しまーす。」
「お帰り、モモ。撮影お疲れ様。」
「ありがとうユキ!おかげで、良い画を撮ってもらえたと思うよ。」
「―そう。」
ほんの少しだけ相槌に間が空いたのを聞き逃さず、モモは目をぱちぱちさせてそれからパッと手を広げた。
「ユキの、おかげだよ。トレーナーさんが出してくれた献立、メチャクチャおいしく作ってくれたから辛くならずに続けられたんだよ!」
明るく爽やかに。まぁ、それはそれで良かったけど。
今度はハッキリ不満を載せてモモを見返してやる。
「へぇ、それだけ?」
「う……えっと、1ヶ月ユキが我慢してくれたおかげで綺麗な肌で撮影できました。ありがとうございました。」
「よろしい。」
ピシッと踵をつけて、気をつけの姿勢でペコっと頭を下げたモモに、わざと威厳を醸して頷いてみせた。
2拍ほど置いて、モモが顔だけをちょっと上げる。
鹿爪らしい顔を作っていた僕と目が合って、同時に吹き出した。
今、話題のアイドルを月に2人ずつ特集した雑誌「Sugao」。
僕らRe:valeもそれぞれ特集を組んでもらえることになっていた。
出演回の編集会議に参加したモモは、ちょうど夕食を一緒に食べる約束をしていた僕の家に帰ってくるなり、とても嬉しそうな声で「ユキ!オレ、身体作りしなくちゃ!」って言った。
特集の題材で、僕がヘアケアについて話したのと同じように、モモはボディメイクについて語ることになったらしい。
しかも、上半身完全に脱いでの撮影。
何年か前の誕生日以来の話だよね。
それから、モモは張り切って食事をボディメイクのための献立に切り替えた。
僕は、それに前向きに協力した。
だって、モモは自炊ができるわけじゃないから、完ぺきな献立で栄養を摂取し続けるためには誰か雇って作ってもらうしかないだろう?
そんな事するくらいなら、僕ができるだけ作るから指定された献立を寄越して。
って言った。
忙しいんだから良いのにってモゴモゴ尻込みするから、半ば強引に奪い取ったよ。
だってそうでもしなかったら1か月以上モモは僕の家に来なくなる。
そんなの耐えられるわけがない。
おかげでモモは知らない誰かの料理じゃなくて、僕の料理で身体を作った。
最高じゃない?
その点、僕は大いに満足していた。
でもこの企画を受けた時に、もうひとつ。
モモは若干言いづらそうに僕にお願いをした。
――僕にとってはそっちの方が問題だった。
「ユキ、撮影終わるまでさ。その、夜は別々に過ごさせて貰いたいんだけど……。」
僕は耳を疑った。
話を切り出された時点でモモの撮影までまだ1か月以上あった。
その間、ずっとモモに触れられないってこと?ベッドの中で。
「身体作りをするんでしょ?セックスだって役に立つと思うけど?大臀筋だって力入れるし、腹直筋だって最長筋だって……」
「もー!なんではっきり言っちゃうのさ!しかもユキ筋トレほとんどしないくせに!」
「耳学問で筋トレしてるよ。」
「物知りユキ、イケメン~。いや、まあ確かに運動ではあると思うんだけど。でも、その……ユキさ、絶対痕つけるじゃん……。」
「………………………………そんなに付けてないよ。」
「めっちゃ間置いても付けてるのは認めちゃうなんて、スーパー正直者!見えない所って言って、結局付けちゃうでしょ~!いや、気をつけたってさ、盛り上がったら絶対なんか痕付くじゃん。」
「付かないでしょ。」
「付く!付いてる!見えづらい所だから知らないと思ってるでしょ!知ってるからね!」
まぁ、ね。ダメって言われた時は、痕を付けないようにって思ってるけど、やっぱりモモが可愛くなったら痕をつけてしまうんだよね。
でも、いつも本当に分かりづらい所にしてるんだけどな。
どうして見つかるんだろう?
首をひねりながら、これからはいつも行っているより頻繁にジムに通うんだろうし、トレーナーにアドバイスを貰うために、ももは絶対上半身裸になるな。って思った。
ずっと消えないような痕をつける気はないけど、ずっと消えなければいいのにとは思ってるからね。
僕は、僕が欲求に抗えない性格だってことをちゃんと自覚してる。
やっぱ付けちゃうだろうな。
そんな事をぼんやり考えていたら、モモが目の前でパンっと手を打った。
「ね……ユキ、お願い。」
びっくりして目を瞬かせる僕に、モモがぎゅっと目を閉じて、手を合わせている。
真剣にお願いされてしまって、僕は口を結んだ。
モモは仕事にストイックだ。どんな仕事でも手を抜いたりしない。
今回の雑誌の企画だって、先方はモモの意気を買って、仕上がりを期待して、これだけ早く話をしてくれたんだろう。
僕はモモの仕事へ掛ける情熱を知っているし、仕事に向きあう姿勢を尊敬しているし、誰よりも一番応援している。
それに、正直な話、ボディメイクをしたモモの姿を見るのは、僕もとても楽しみだった。
だから、僕はモモの撮影が終わるまで、夜は別々に過ごすことを承諾した。
あれから1ヶ月と少し。
僕は、敢えてモモの身体を見ないようにしてきた。
楽屋での着替えも。
モモはすぐに察して、僕の前では素肌を晒さないようにしてくれていた。
「打ち上げでご飯は食べてきたんでしょ?」
「うん。」
頷いたモモに僕も頷き返す。
僕たちの打ち上げは明日の夜にする予定にしていた。
今日まで1ヶ月、殆ど煩悩を捨てるために休みなしでお互い仕事をしてきた。
そうして、明日は揃って休みをもぎ取った。
「じゃあバスローブ準備してあるから、お風呂入っておいで。僕はもう入ったから。」
「えっ?あ、そ、そっか……。うん。……分かった。」
「――ふふ。」
一緒に入るかもって思ってたんだろうな。
モモがそれくらい焦れて、期待してくれていたのが嬉しくて思わず笑ったら、顔をちょっと赤らめて小さく睨まれた。
可愛いな。
僕だって焦れてるよ。
一緒に入りたいな、って思ってたよ。
多分、一緒に入ったら……いや、脱衣所でもう我慢できなかっただろうな。
でも、僕はこれからモモをじっくり愉しむんだ。
トレーナーにも、おかりんにも、編集者にも、カメラマンにも、ヘアメイク担当の人にも、撮影に関係する全ての人に、僕より先に仕上がったモモの身体を見ることを譲った。
それは、仕事のために作った上半身を、纏った衣装として見る事を譲っただけだ。
僕は、モモの身体として見せてもらうんだ。
モモが1ヶ月前とどれくらい違うモモになったのか。
僕が作った食事を含めて、成果を。
外見だけじゃなくて、全部。
お風呂でのぼせる心配をしながら我慢してきた欲求を満たすだけじゃとても足りない。
だから、ベッドで待っている。
今夜は、そういうつもりだ。
ベッドの上に座ってヘッドボードに背中を預け、文庫を読んでいるとモモが寝室のドアを開けて入ってきた。
「……明るいね。」
いつも待っている時は、文庫を読んでいても読書灯にしていたり、ライトを調節している。
薄暗くても困らないくらい、もう僕もモモも、お互いを知っているからね。
モモは眩しそうな顔をしたけど、すぐに僕の意図を理解して、ちょっと苦笑した。
文庫をヘッドボードに置いて、いつものバスローブから覗く胸元に視線を寄せて、それから僕は口角を上げてみせる。
「見せてよ、モモ。」
「……いいよ。」
モモは素直に頷いてベッドの近くまで寄ると、腰紐に手をかけた。
息ひとつの隙間を空けて、するりと紐を解く。
そして、両肩を滑らせて脱いだバスローブをベッドの足元に落とした。
見事に仕上げられた肢体が現れる。
「……後ろは?」
「ん。」
モモはくるりと反転して、僕に背中を見せた。
「――」
「……ユキ?」
「…うん、凄いな。芸術的な仕上がり。特に三角筋と上腕二頭筋、綺麗だね。」
「えへへ。ありがとう。」
黙ってしまった僕を振り返ったモモの声で、僕は我に返った。
バランスよく鍛えられた全身に見惚れていた。誇張じゃなくて。
モモが仕上げた衣装は、たくさんの人を魅了するだろう。
撮影現場の様子も想像できる。
きっと、この魅力を最大限押し出すためにスタッフはみんな高揚したはずだ。
「メインはバックショット?」
「うん。よく分かったね。」
「ふふ。みんなモモの魅力をよく分かってるな。」
「?」
振り返った格好のままで首を傾げるモモを見ながら、小さく笑ってしまう。
この角度で振り返るモモは、いつものモモの顔なのにどこか大人びて見えて、きっとみんなドキドキするよ。僕も、クラクラする。
「ところでモモ。脱いだのは本当に上だけだよね?」
「そうだよ。上半身だけ。」
「なんで大臀筋までそんなに仕上げてるの?」
「!」
僕が気付かないなんて、思ってないでしょ。モモ。
「――モモ。」
見つめていると、根負けしたモモが視線を逃がすから、僕はモモが痺れる声で追いかけた。
「おいで、モモ。」
案の定、金縛りにあったみたいに固まったモモは、ぎくしゃくしながら再び僕の方を見た。
それから照れた顔で、ちょっと首を傾げる。
「もう、いいの?」
1ヶ月ちょっと。上半身は仕事のために作った身体だ。
だけど、腰から下は、僕のために作ってくれたんだろう?
「抱くよ。」
抱きながら堪能するよ。
これ以外にもこっそり僕のために仕上げたところがないか。
見えにくい所も全部確かめながら。
もう我慢も限界だしね。
モモは頬を染めて、それからいつものように八重歯を見せて笑った。
――ギシ
ベッドを軋ませて乗ってきたモモの腕を引き寄せた。
そして、素直に僕の上にまたがったモモと見つめ合う。
逞しくなったモモの上腕二頭筋を人差し指でツツと撫でて、僕は目を細めた。
合図を受けて顔を寄せてくれたモモの唇を食べる。
明るい部屋で、モモの素顔を――これから。