ランダルにとって眠りは、ある種お手軽な死の代替品だった。
眠るように死ぬことが人間のトレンドであることは知っていたし、いずれ自分もそうやって死んでみるのも悪くないと考える方法の内の一つだ。
ただ、結局棺桶の蓋を開けに来たルーサーによって毎日朝はもたらされるし、楽しい夢の中の経験も、目を開いた瞬間に昨晩飲んだ水の味ほどに思い出し難いものになってしまって、そうなるともうランダルは「まあいいか」と興味をなくしてしまう。それよりも両隣の棺桶で眠るペットたちに目覚めの挨拶をすることの方が彼にとって重要なルーティンだった。
「おはよう! わたしの愛するペットたち~」
今日も賢く棺桶に納まって眠っているペットたちの頬に無遠慮にキスをして、ついでに少し噛み付いてみたりもする。甘噛みのつもりだったが、鋭い歯がどちらかの皮膚を裂いてしまったみたいで、ほんのり口の中に広がる鉄の味に今日はラッキーな朝だとランダルはニヤニヤと舌なめずりをした。
「こらランダル、女の子の顔に噛み付くんじゃない。血が出ているぞ」
「本当に? よく見せて、わたしが治してあげる」
ルーサーに指摘され、起きがけに突如襲ってきた痛みに訳が分からないといった顔の女の子の頬を両手で包む。うっすらと浮かんだ涙の膜を眺めながら、ランダルはしばしモチモチと手袋越しにその感触を楽しんだ。
人間の女の子のペットはこの家で一番の新入りだった。学校からの帰り道に落ちていたのを、ランダルが見つけて連れ帰ってきたのだ。兄が買ってくれたペットのセバスチャンも嬉しかったしすぐに大好きになったから今後一生口に出すことはないのだけれど、実はランダルが元々欲しかったのはどちらかというと人間のメスだった。人形のように可愛い服を着せて髪を切ったり、一緒に学校へ行ってランチを共にしたり二人きりで授業を抜け出してみたりしてみたかった。
当然兄は「お前に二匹目のペットはまだ早い」と苦言を呈したものの、拾ってきた人間の性別が女性であったことと彼女にランダルに拾われる以前の記憶がないことが”紳士的で真っ当な人間”であるルーサーの首を縦に振らせる要因となった。
そのまま兄のペットにされそうなところを全力で駄々をこねて手に入れた二匹目のペット。「責任をもって最後までしっかり面倒をみるんだよ」と指を立てて念押され「わかってる!」と元気に返事を返した心の裏で、ランダルにはひっそりと考えている素敵な計画があった。
◆
もちろん新入りのペットも学校には連れて行けなかった。人間の女の子としてみたいいくつかのことは学校が舞台の少女漫画から着想を得ていたため、それはもう大変ガッカリして、こっそり鞄に詰めてみようと試みたこともある。しかし嫌だ嫌だと逃げ回るのが可愛くて可哀想で、ランダルは紳士的に諦めざるをえなかった。
今日も今日とて誰からも話しかけてもらえず退屈な学校生活だったので、一日中手袋に付いた小さな血の跡を眺めて過ごした。しばらく手でもみくちゃにしていたら血も止まる程度の小さな傷。兄に薬を塗られて、今頃はすっかりかさぶたになっていることだろう。もうとっくに味の消えた口内をベロリと舐めながら帰路を歩いた。
「ただいま~ いい子にしてた?」
兄へのただいまの挨拶もほどほどに、逸る気持ちで自分の部屋へ向かう。自分の帰りを心待ちにしているだろうペットたちと今日は何をして遊ぼうかと高揚する気持ちで扉を開くと、雑然とした部屋には女の子のペットが一人座り込んでぼうっと人形を見つめているだけだった。
「お、おかえりなさい、ランダル」
「あれ? セバスチャンは?」
「ちょっと前にお手洗いに行って、しばらく帰ってきてない……」
ランダルは「ふーん……」と少し考える様子を見せたが、ついさっき殺人鬼のような形相の猫とすれ違ったことを思い出した。セバスチャンはきっとかくれんぼの最中だろう、後で探しに行ってやらないと。やれやれとまんざらでもない気分でその辺に鞄を放って、今日もおとなしく主人の帰りを待っていた良い子のペットの傍に寄る。その手にある人形が握られているのを見つけると、ランダルは思わず嬉しくなって「あ!」と大きな声を出してしまった。
「あ、ご、ごめんなさい。勝手に触ってしまって」
「ううん、全然。それ、君も気に入ってくれた? わたしのお気に入りなんだ!」
そう言って満面の笑みを向けるランダルに、女の子のペットは驚嘆の表情で手の中の人形を見つめた。足が片方取れてしまって、目玉も一つ失くしている。彼女はその人形に対して可哀想にと哀れに思っていたので、また一つ浮き彫りになったランダルの人間らしからぬ一面に、じわりとした恐ろしさで指先が冷えてゆくのを感じた。
「その、ほら、似てるでしょ? 少し……君に……」
そんな彼女の様子に気づかないまま、もじもじと汗をかきながら続けられた言葉に思わず手から人形を離してしまう。床に落ちた人形は壊れているせいなのかランダルの支配を受けていないのか、ピクリとも動かない。その姿に女の子はそう遠くない未来の自分の姿を重ねずにはいられなかった。
俯いて泣き出してしまった女の子を前にランダルは少し焦って、とりあえず慰めるために抱きしめてみることにした。自分より少し小さくて、少し熱くて、よっぽど柔い。どうして悲しんでいるのかは分からないけど、女の子ってそういうものなのかもと頬を伝う涙を舐めてみる。舌に引っかかる感じがしてよく見てみると、今朝できた傷がかさぶたになっていた。
早く大丈夫にしてあげたいなと、ランダルは思う。
ルーサーは「最後まで面倒をみなさい」と言ったが、大切に死なないように世話をしたって、人間の寿命なんてあっという間だ。人生のほんの少しの時間だけ一緒に過ごして、最後はあっけなく眠るように死なせてやるなんてランダルはまっぴらごめんだった。それなら、少しくらい壊れたって死なないようにしてあげて、自分と一緒のタイミングで一緒の方法で死なせてあげようというのが、女の子がペットになった日、ランダルが密かに思い描いた素敵な計画だった。
あいにく手本はずっと昔からこの家で飼われている。
計画が成功したら、わたしたちはきっといま以上に最高の家族になれる。
ランダルは自分の腕の中で泣き疲れ眠ってしまった女の子を棺桶の中へ寝かせると、おでこと頬におやすみのキスを落とした。
幸せな最後を迎えるまでは、かりそめの死で守られていてね。