空腹の竜 #1 オズは最近、世にも珍しい珍味の生き物を飼っている。その噂を聞いたとき、ミスラは腹が減っていた。
森の中では面倒なことに自らが狩りをしなくてはならない。竜の姿は強力だが機敏性にかけ、小さな生き物を捕らえることは至難の技だ。罠を仕掛けてもうまくいかず、木の実や果実を干したもの、きのこばかり食べる生活にはちょうど飽きてきたところだった。一族を破門にはされたけれど、向こうの都合など知ったことではない。ミスラはいつでも自由に桜雲街を出入りし、飽きれば出ていくのだ。そろそろ暇つぶしにオズと力比べをしたいとも思っていたため、都合がいい。ぐうぐうと鳴る腹を満たすためにその身を竜の姿に変えたミスラは、意気揚々と城へと飛び立った。
その日はオズが不在だった。城勤めの小龍を捕まえて話を聞けば、他の街との会合に出ているという。青年はフードをかぶっていて顔はよく見えなかったけれど、大した気配は感じない。案内をさせるにはちょうどよかった。
「じゃあ、オズの珍味を食わせてください」
「お、オズの珍味ってなんですか?」
「はあ? あなた、城勤めなのに知らないんですか? 使えないな。オズが最近飼ってるとかいう、生き物ですよ。小さくて、竜の角も、天狗の羽も、狐の尻尾も生えてない変な生き物です」
「……すみません、俺、あんまりよく知らなくて。ええ、っと……まず、あなたのお名前を聞いてもいいですか?」
「ミスラです」
「ミスラ。……ミスラは竜族なのに、お城に住んでいないんですね」
「面倒でしょう。桜のことも、街のことも、妖怪のことも俺はどうでもいいので。だから出ていってやったんですよ。あなたってあの狐よりも世間知らずなんですね」
「晶です。つい最近この街に移り住んできて、落ち着くまではここに間借りさせてもらっているんです」
「ふぅん」
開いた窓から桜の花弁が入り込んでくる。よく見ると青年のフードにも花びらはくっついていて、大桜が気に入っていることは察せられた。
オズは不在で珍味も味わえないならば、城下町へ出て適当に飯を食べて帰ろうか、退屈な時間をどのように消費するか思案していると、晶が近くの襖の戸を開けた。
「昨日食べないで残しておいたおやつがあるんです。少し分けてあげます。珍味は食べさせてあげれないので、お詫びに」
「おやつごときじゃ俺の腹は膨れませんよ」
「竜は本当にたくさん食べるんですね」
小さく肩を揺らして笑う晶が、戸棚の引き戸を開けて中から器を取り出した。被せられていた手拭いを取り攫うと、山盛りに積まれた饅頭が載っている。焦茶の薄皮には鳥の焼き印が押されていた。これは最近街で話題の烏印だ。
「お饅頭は好きですか?」
「嫌いじゃないです」
「じゃあよかった。お茶を入れてくるので、お好きに食べてください」
いなくなった晶を見送ってから、ミスラは畳に腰を落とした。足を投げ出す座り方は口うるさい双子の竜にだらしないとよく咎められたけれど、今ミスラを躾けようとする煩わしいものはない。
晶には力もなさそうだけれど、ミスラに対して怯える素振りも見せない。竜の力を前にひれ伏さない妖怪は、よほどの力自慢か変人ぐらいだ。
「(変なやつ)」
質素な座卓の上に置かれた饅頭から変な匂いはしない。毒物を盛られていることはなさそうだ。一口で頬張ると、餡子の甘みがほどよく鼻に抜けて目を見張った。
「あ、うまい」
なるほど、烏のつくる食事も侮れない。
気分が良くなって手を休めることなく饅頭を味わっていると、そのうち盆を手にした晶が帰ってきた。湯呑みが二つ乗っている。
「嘘……もうほとんどない」
「あなたの分はありませんよ」
「俺は昨日食べているんで、お好きなだけどうぞ。お茶は少しぬるめに入れました」
「どうも」
座卓に置かれた茶は程よい温度で淹れられていた。一気に煽って飲み干すと、甘味で乾いた喉ともたれた舌に苦味が広がっていく。
ミスラの正面に座った晶は、律儀に正座をして茶を啜り、なるほど双子やフィガロの好みそうな品行方正さを有している。彼らが知性の高い妖怪を愛でている姿はよく見かけた。
「晶はなんの妖怪なんですか?」
「ひ、秘密です」
「なぜ? 俺が竜だからって隠す必要はありませんよ。あなたがなんであろうと、俺の方が強いのは当たり前のことですから」
「……」
押し黙った晶は俯き、頑なに唇を開こうとしない。晶が何者であれ興味はなかったが、己に従わないことに苛立つ。無理にでも暴いてやろうと腕を掴もうとした瞬間、開いていた窓から突風が吹き込んできた。それはたちまち部屋の中を掻き回し、桜吹雪が舞う。
大桜の仕業だ。舌打ちをこぼして瞼を開けると、晶の顔を隠していたフードが捲れ、その下に秘されていた相貌が顕になっている。
宵闇に似た髪色と瞳が印象的だった。頭部には耳も角もなく、ただ風で乱れた髪が跳ねている。闇色の髪に散らされた桜の花弁がよく映えていた。
耳も角も尻尾も、羽もない妖怪。オズが隠している珍味。
「わ……、」
ミスラは座卓を飛び越えて、晶を押し倒した。背中を強く打ち付けた痩躯が痛みに咽せているが、知ったことか。細い手足を押さえつけて観察する。
フードからは様々な妖怪の匂いがした。邪魔くさいそれを力任せに剥ぎ取り、身一つになった晶の首元に鼻先を埋めた。
「やめて、やめてください!ミスラ……!」
「においがしない。……違うな、桜のにおいがします。あなたが珍味だったんですね」
「珍味珍味って、人のことを食べ物みたいに……!俺は食べれません!」
ミスラから逃れようと暴れる晶の抵抗は脅威にはならず、けれど耳元で騒がれるのも煩わしい。大人しくさせるために首元へ噛みつくと、じわりと滲む血の味が舌を潤した。珍味とは言うが、味は普通だ。
「食うか、食わないかは俺が決めます」
珍味を見つけたとなれば、オズが帰ってくる前に奪い去ってしまおう。狭い室内で竜の姿に変化すると、窮屈で唸り声をあげる。晶を潰さないように前足で掴み、ミスラは小窓を破壊して外へ飛び出た。
饅頭だけでは物足りなかった腹を、この男であれば満たされる予感がしていた。
◆
雫が滴り落ちて頬に跳ねた。
ごつごつした岩肌の地面は寝心地が最悪で、頭や背中がじわりと痛みを訴えている。
「(知らないところ……竜に変化したミスラに連れ去られたところまでは覚えてるけど、少し気を失ってる間にどっか行っちゃったのか姿が見えないな)」
晶が横たわっているのは天井高の洞穴の中だった。かろうじて雨風が凌げる程度の深さの穴は、ただの空洞というには生活感がある。奥にはシダの葉がこんもりと盛り上がった即席のベッドがあり、石で囲われた焼き場の炭には未だ火種が燻っていた。
耳を澄ませると遠くに川の流れる水音も聞こえる。わずかに身を捩って穴の外を覗くと、まっすぐに伸びた竹林が見えた。地面には桜の花びらが散っているところを見ると、桜雲街の近くの山であることには違いない。
晶の手足は見えない紐にでも縛られているのか動かない。芋虫のように体を這わせると、尖った岩が肌を擦った。体の自由がきかないことは晶の不安を駆り立てたけれど、この世界に迷い込んでから幾度となく味わった危険の経験値のおかげか、不思議と肝が据わって落ち着いていられる。
「(逃げ……逃げないと)」
連れ去られる前、ミスラが言っていた物騒なことを思い出す。
オズの捉えた珍味を食べに来た、とかなんとか。にわかに信じがたい話ではあるが、妖怪ではない"人間"という種族の話が風の噂でミスラの耳に入り、何か勘違いをしているに違いない。自身の存在が珍しいものであると自覚はあるけれど、それは決して珍味といったふざけた内容ではなかった。
泥が頬を汚すのも構わず、うつ伏せになって這い出ようとした晶に影がさす。
は、として顔を上げた先にいたのは美しい赤毛を太陽の光に反射させたミスラだった。
「ああ、起きましたか。おはようございます」
心臓が跳ねる。どうしよう、食べられるのだろうか、命乞いはどうすればいいのだったか、ぐるぐると頭の中を巡る思考の外で、挨拶を無視することができない体に染みついた習慣が機械的に返事をした。
「お、おはようございます」
「? 何してるんですか?」
ぱちぱちと瞬きをしたミスラから殺意は感じない。いささか毒気を抜かれながら、晶は脱走をどう誤魔化すか頭を悩ませた。明後日の方向を見ながら、脳内ではフィガロが言った「晶は隠し事が下手だよね」という指摘を反芻していた。
「朝の……習慣です……」
「ふぅん。変な習慣ですね。よいしょ」
はなから興味はなかったのか、赤髪の竜が随分あっさりと引き下がったことに片透かしを喰らう。
わずかに身を屈め、晶を跨いで洞穴に入ってきたミスラは、シダの葉の上に腰を落とした。這いつくばったまま体を起こさない晶を不思議そうに眺めたかと思えば、「ああ」と何かを思い出したように声を上げて指を鳴らす。ぱ、と手足についていた縛りが消えた。
「(体が動く……)」
ミスラの意図が理解できない。食べるために連れ去ったにしては、扱いが軽すぎる。何の力も持たない人間如き、簡単に捉えると思っているのか、警戒は解かないまま視線をむけた。
懐からオレンジ色の果実を取り出して貪る姿は野生的で、不思議と様になっている。
見つかってしまった以上勝手に逃げることもできず、かといっておとなしく食べられることもされたくない。今はこうして見逃してくれているけれど、目の前の竜が少しでも気分を変えたら抵抗することもできず巨体に丸呑みにされておしまいだ。晶に残された選択肢は少なかった。
生唾を飲み込み、体を起こして姿勢良く座る。恐る恐る声をかけると、日陰の中でも淡く輝く翡翠の瞳が晶をとらえた。
「あの……俺は、何のために連れてこられたんですか?」
「あなたが……オズの隠していた珍味だと思ったんですけど、あまり、食いごたえがなさそうだったので、やめました」
あっけらかんと言い放つミスラに安堵の息を漏らす。勘違いされたままだとしても気が変わってくれたならば僥倖だ。このまま誤解も解いてしまいたい。
「そ、そうですか……。よかった。そもそも、その、オズの珍味って噂は嘘ですよ。俺は食べ物じゃありません」
「嘘なんですか? まあ、痩せっぽちで肉がついてないから、おかしいとはおもってました」
「痩せ……」
なんとも酷い言われように言葉を失う。とはいえ否定できるだけの材料もなく、ただ苦し紛れに唇を尖らせた。
「どうして、俺が痩せてるなんてわかるんですか」
「脱がせた時に見ました」
「脱がせた」
「はい。全部」
「全部!?」
「うるさ……」
全部とは、どこからどこまでの話だ、と咄嗟に己の着物の合わせ目を掴む。相手は同性とは言え、知らぬ間に好き勝手されて笑顔で受け入れられる程おおらかでは無い。
表情ひとつ変わらないのはミスラだけだ。
頬をこわばらせる晶の体をじっと見つめる視線は、やがて合点がいったように頷いた。
「本当に何もついていないんですね。あ、でもちんこはついてたので男なんだなとは思いました」
「――ッッ!?」
頬が熱くなる。洞窟の中を後退りして、必死に距離をとる。晶は羞恥でどうにかなってしまいそうだった。言いたいことは山ほどあるはずなのに、言葉になって出てこない。頭の中は混乱して目が回りそうだった。
黙り込んだ晶を相手に、ミスラは欠伸をこぼして気だるげに話を続ける。
「珍味じゃないならあなたに用はありません。帰るでもなんでも、好きにしてください」
「な、な……、」
なんて竜だ!
自分勝手で、奔放で、好き勝手に生きる竜。ミスラのことは世間話程度にオズやフィガロから聞いていたし、その苛烈で自由な性格故に規律を守れない竜として破門にしたと耳にしていたが、想像以上だった。あまりの理不尽さに怒りで体が震えた。
ぐ、と拳を作って、深呼吸をする。冷静になれ、と自分に言い聞かせながらも、ミスラを見る視線は刺々しく荒んでしまう。
唇を引き結んで、晶は立ち上がった。
「じゃあ、俺は帰ります! 失礼しました!」
返事は聞かずに洞穴を飛び出して、晶はがむしゃらに森の中を走った。
「迷子だ……」
ミスラの洞穴をでてすぐ、しばらくは頭に血が昇って気が回らなかったけれど、整備されていない森の中では方向感覚がまるでわからない。そもそも森に土地勘などない晶が迷子になるのは必然だった。
更に困ったことに、空は茜色に染まっていて今にも日が落ちそうな時間になっていた。提灯もなく闇に閉ざされた森を歩くのは自殺行為だ。友人たちからも、夜に活発化する妖怪は気性が荒く好戦的なものもいるから、一人では極力出歩かないようにと言い含められていた。竜と大桜の加護で守られた桜雲街であっても多少治安の悪いところがあるのだから、統治されていない森の中ともなれば危険は常に隣り合わせだ。
考えれば考えるほど、得体の知れない恐怖が足元から這い上がり、晶の心に澱みを作っていく。
「……」
それはやがて大きな波となり、全身を覆った。呼吸が浅くなって頭の中が真っ白になる。
日が落ちると、いよいよ晶はその場から一歩も動けなくなった。今さらミスラの洞穴に戻ろうと思っても、進んできた道がどこかもわからない。
「――、っ、」
パニック状態になって、晶はその場に座り込むしかなかった。闇の帷が落ちると、些細な物音すら恐ろしい魔物の声に聞こえる。
一人になると、己がいかに守られていたのかを実感した。無力で非力な人間であることを恨み、晶の瞳に涙の膜が滲む。
「……だれか、」
誰かに甘えるしかない弱さを自嘲する。
膝を抱えて、誰かの助けを待つだけの自分でいいのか。
「……」
溢れかけた涙を拭って、晶は静かに立ち上がった。夜の森では下手に動く方が危険だ。どこか身を隠せる場所で一夜を明かそう。ミスラの洞穴の近くからは沢の音が聞こえていた。明るくなってから水場に沿って下流へ降っていけば里には辿り着くはずだ。
息を潜めてゆっくりと歩く。一歩踏み出す度に途方もない不安が襲い、何度も立ち止まりかける足を叱咤した。
ふと、闇の奥に一対の光を見た。
提灯のような揺れる光ではない。まんまるの小さな光が二つ、深淵からこちらを覗き込んでいた。
「(妖怪……? ちがう、野生の、動物……!?)」
地を這う唸り声とともに、風が吹いた。それが何かもわからず、ただ、大きな獣が迫ってくる気配だけを肌で感じる。避けることもできず、晶はただ硬直した。ここで終わるのかと、諦観がぼんやりと浮かぶ。
衝撃に備えようと、ぎゅ、と目を瞑った晶の耳に飛び込んできたのは、獣の断末魔だった。
「ああ、まったく、騒がしくて眠れやしません。好きにしろとは言いましたけど、俺の縄張りであんまり勝手なことをしないでもらえますか」
気だるげな色気を纏った声は、聞き覚えのあるものだった。
恐る恐る瞼を持ち上げると、晶の身長を超える大きな熊が、蛇のように体へ巻きついた水に締め上げられているところだった。
鋭い爪は晶の眼前まで伸びていて、剥き出しの牙からは涎が滴り落ちている。
明確に色を濃くした死の香りに腰が抜けて、晶はその場にへたり込んだ。
背後からゆっくりと歩いてきたミスラが、ぐっ、と拳に力を込めると、更に水の締め付けが強まった。熊は苦しそうに一度身悶えすると、やがて動きを止めた。四肢が弛緩し、息を引き取ったことがわかる。
「ミスラ……」
「けど、久しぶりにまともな肉にありつけそうです。――晶、泣いてるんですか?」
「な、泣いてな……、ぅ、」
「泣いてますよ」
捕らえた獲物だけを見ていたミスラが振り返り、晶の顔を見ると瞼を瞬かせた。目前にしゃがみこみ、冷たい指先が瞼の下をなぞる。ひやりとした感触は晶にも伝わってきた。それで、ようやく堪えていた涙が頬を伝ってこぼれ落ちていたことに気づいた。
ミスラに対してあれだけ怒っていたというのに、全て忘れて晶は安堵していた。震える指先でミスラの腕に縋り付く。はだけた着付けの着物が更に着崩れたが、ミスラが頓着した様子は見せなかった。
「ありがとう、ございました。おれ、もう、死んじゃうって、おもって……」
「俺が来てなければ、死んでましたからね、実際」
「ぅう……」
「うわ、ちょっと……はあ、めんどくさ……」
一度決壊した涙腺はぐずぐずに溶けてなかなか戻りそうにない。億劫そうにしながらも、ミスラは引っ張った袖で俺の濡れた頬を乱暴に拭った。強く擦られて痛みもあったが、文句はなかった。
気持ちが落ち着く頃には、ミスラも飽きて捕らえた熊の見分をしていた。倒れ伏して動かなくなった熊は死してなお迫力がある。体長は晶どころかミスラよりも大きい。あの大きな熊に襲われていたら、ひとたまりもなかっただろう。不安を堪えるように暗闇の中で足を抱える。
「晶、行きますよ」
「――え」
「良い食材も手に入ったので、家に帰ります」
目の前にはミスラが立っていた。座ったまま見上げようと思うと首が痛くなって、晶も立ち上がる。着物のついた泥は叩いただけでは落ちなかった。
喧嘩別れの気まずさを抱えていたのは晶だけで、きっと、ミスラははなから気に留めてもいなかったのだろう。奔放で自由なミスラの在り方を前にすると、細かなことを気に病んでいては体がもたなくなりそうだ。
「俺も、連れてってくれるんですか」
「少しは役に立ちそうなので。早くしないと置いて行きますよ」
ふ、と息を吐いたミスラの体が揺らぐ。瞬きの後には熊が小さく見えるほどの巨体の優駿な竜の姿があった。
「背中に乗って」
熊を片手で鷲掴みにすると、ミスラは巨体を屈ませて背中に乗るように指示した。鱗に触れると水のように冷たいことに驚く。以前オズの背中にも乗せてもらったことがあるが、人肌に温かかった。個人差があるのだろうか。つるつると滑る鱗に爪を立てるのは憚られて、晶は慎重かつ大胆に背中へ飛び乗った。
「うわ、とと……」
風を巻き上げてミスラの体が夜空に飛び立つ。開けた視界に「わ、」と歓声が漏れた。空に散る星が瞼の裏でチカチカと瞬いて、目が離せなくなる。
「きれい」
「よそ見してないで。落ちますよ」
「すみません。あれ、ミスラがいた洞窟ってこっちでしたっけ」
「あそこは俺の狩場です。住処は別にあります」
なるほど、どうりで生活感はあれど質素な洞穴だったわけだ。納得がいった晶は、返事を伝えるようにミスラの鱗を撫でた。轟々と耳元でがなり立てる風の音は強く、声を張り上げなければ相手に届かないだろう。けれどこの月夜を大声で切り裂くには無粋な気がして、結局晶は密やかに返答した。
「そうだったんですね」
触れた鱗は滑らかで、硬いのかと思えばしなやかな弾力も感じる。あれほど恐ろしかった竜の姿も、今は怖くはなかった。
「……そろそろつきますよ」
言うや否や、ミスラの体がぐんと前のめりになった。振り落とされないようしがみ付く。僅かな浮遊感のあと、ミスラが足を下ろしたのは広い屋敷の庭だった。広々とした縁側に、今は枯れてしまっているが樹木が植えられていた痕跡もある。
晶は滑るようにして竜の背中から降りた。遅れて人型に戻ったミスラは熊の腕を持って引き摺りながら、問いかけてくる。
「ところで、熊って卸せますか?」
「……無理ですね……」
なんだ、やっぱり使えないな。とぼやいたミスラに、果たして、晶は奇妙な懐かしさと愛着を覚え始めていた。