仕方ない その日ヒュンケルが訪れたのは、どこか物寂しい小さな村だった。
手狭になった現在の家から移り住む為、新たな土地を見て回っていたが中々条件の良い場所に出会えないでいる。
今は留守番をしている半魔と魔界の獣が不自由なく暮らすには、ある程度人里から離れたい。しかし人間のものである地上はどこも人の住む場所となっており、無人の地は定住出来そうにもない。
であれば人間とはそれなりに距離を置きつつ住み良い土地をと、ヒュンケルはあちこちを見て回っていた。
そんな中たどり着いたこの地は、人間が住まうには良い条件が揃っているにもかかわらず活気がない。
不思議に思いながらヒュンケルが村の中を歩いていると、一人の老人と遭遇した。
「おや、こんな所に旅人さんなんて珍しい」
「移住の地を探していて……この村はずいぶん人が少ないな」
ヒュンケルの言葉に老人はどこか疲れたようにため息を吐く。
「昔から森の物を採って細々と暮らしてきたんですがねぇ、何年か前から妙なスライムが住み着いて襲ってくるもんで、生活が儘ならなくなって若いのはみんな出ていってしまいましたわ」
「スライム……?」
「えぇ、あのか弱い魔物です。 しかし何故かものすごく凶暴な上に牙まで生えているもんで、ワシらにどうすることも出来んわい」
「牙……」
老人が森を見やるのにつられるようにヒュンケルが意識を向けると、遠くから妙な気配が漂っているのを感じた。
「ちょっとそのスライムと話をしてきます」
「は、話ですと!? 無茶じゃ! 前に旅の剣士に退治を依頼したが太刀打ち出来んほどの強さだったんじゃぞ!」
「ならば尚更放置してはいけない」
老人の制止の言葉もヒュンケルには逆効果にしかならず、決意を固め足早に森へと向かっていった。
森の中は異様に静かで、鳥の鳴き声一つ響いていない。
ヒュンケルが感じた気配を辿りながら森深くへと進むと、やがて獣道すらなくなった。
草木をかき分けながら進むと、木々の間に建物が現れた。
ヒュンケルは驚きその建物に近づくと、それはやけに立派な家屋だった。
木と石を組み合わせたしっかりとした作りのそれは、村で見た家よりも頑丈そうな上に大きい。
素人目にもわかるほどに腕の良い大工が作ったと思われるが、家の周りは荒れ果てている。
思わぬ発見にヒュンケルは気配の探索を続けるかこの家を調べるか迷っていると、強い殺気が近づいてくることに気がついた。
距離が縮み相手もこちらの気配に気が付いたのか進む速度が上がった。
ヒュンケルが剣を抜き身構えると、物凄い速さで青い物体が飛びついてきた。
それを剣で防ぐも、予想以上の力にヒュンケルは若干押し負けた。
しかし落ち着いて相手を見れば、聞いた通りのスライムだ。地に足が着いていないならそれ以上の力は込められない。
ヒュンケルが剣を振るえば、スライムは予期したように危なげなく着地する。
改めて対峙をすると、先程の話に違わずスライムには牙が生えていた。
そしてその輝きはヒュンケルにとって、とても見覚えのあるものだった。
「オリハルコン?」
まさかオリハルコンで出来た牙を生やすスライムがいるとは思わず、驚きを隠せなかった。
そんなヒュンケルの衝撃もスライムには関係ないとばかりに猛攻は続く。俊敏な動きに重い攻撃、相当レベルの高いスライムにヒュンケルは防戦一方だ。
「ま、待ってくれ、オレはお前と話をしたいだけなんだ」
間髪入れずに繰り出される攻撃の隙をついて説得を試みるが、スライムには声が届いていないのか攻めが止む気配はない。
「仕方ない」
これでは埒が明かないと判断したヒュンケルは、覚悟を決めると守りを解き交戦へと転じた。
それを感じ取ったスライムの動きもまた激しいものに変わる。
大怪我を負わせずに勝つには強すぎるスライムとは一進一退の攻防が続き、お互いに決定打がない。
そうして何度も剣と牙を打ち合わせていると、先に限界を迎えたのはスライムの方だった。
スタミナを消耗し、動きが止まる。
これなら言葉が届くであろうとヒュンケルが口を開こうとした時、異変は起こった。
スライムの身体に尋常ではない魔力が帯びる。魔力のないヒュンケルにも感じられるほどに莫大な力は、その小さな青い身体に集約されていく。
なにが起こるのかわからない、しかしそれを止めないととてつもない事が起きるであろうと、磨き抜かれた戦闘センスによりヒュンケルは考えるより先に身体が動いていた。
「海波斬!」
目にもとまらぬ鋭い斬撃は、衝撃のままにスライムを背後の大木に打ち付けた。
その勢いでスライムは昏倒し、魔力は呆気なく霧散する。
なにをしようとしていたのかは分からないが、相当な魔法の使い手でもあるらしいスライムに思いの外緊張していたヒュンケルは、ゆっくりと息を吐きながら納刀した。
そして傷付けてしまった身体を癒すために道具袋の薬草を取り出しながら近づくと、スライムの傍には牙が落ちていた。
目を丸くしてヒュンケルが近づき見ると、それは牙状の武器だった。
「装備品だったのか」
スライム自身に牙が生えていると思っていたヒュンケルは、思いもよらなかった物を手に取り興味深げに眺めた。
オリハルコンで出来た牙は美しく、しかし長年使い込まれていることが伺える。
目覚めた時に装備されてはまた厄介なことになると思い、ヒュンケルは一旦その牙を仕舞うと傷の手当に移った。
あれほどの強さのスライムだ、防御の面も申し分なく思ったよりも傷が浅くヒュンケルはほっとした。
程なくしてスライムが目を覚まし、ヒュンケルの腕の中にいると分かると、覚醒直後とは思えない程の身のこなしで距離を開けた。
「おい、急に動くと傷に触るぞ」
スライムは痛む身体でなおヒュンケルを睨みつける。
「傷付けたのはすまなかった。 しかし、お前を害しに来た訳では無いのだ。 なにか困っているなら力になれないかと思って来たんだ」
満身創痍のスライムにようやく言葉が届いたのか、殺気が少し和らいだ。
「村人を襲うにも何か訳があるんだろう? 良かったら聞かせてくれないか」
真摯なヒュンケルの瞳をしばらく見つめ、やがてスライムは殺気を消すと小さく鳴いた。
その様子にヒュンケルは力を抜き、改めてスライムの傍らに座り込み話を聞く体制をとった。
魔物の言葉でぽつぽつと話すスライムに相槌を打ちながら、妙な気配の正体にパズルのピースが嵌るのを感じた。
スライムの話を要約すると、かつて人間と共に旅をしていたが、いつしか定住を望みこの森に家を建て、一人と一匹で静かに暮らしていた。しかしある日、出かけた人間がいつまでも帰ってこず、今までこの場所を守りながら森の中を探し回っていたらしい。
「……その人間の場所、わかるかもしれない」
ヒュンケルの呟きに、スライムは驚きつつも瞳を輝かせた。
しかし、ヒュンケルの表情は暗い。
「辛いものを見ることになると思うが、覚悟は出来ているか」
硬い声でヒュンケルが尋ねると、少しの間をおいて是の返事が返る。
「では、行こうか」
ヒュンケルは立ち上がり、最初に感じた妙な気配に向けて歩みを進めた。
後ろからポヨポヨと着いてくるスライムはどこか浮き足立っており、これから見るであろう光景を思うとヒュンケルの胸は痛んだ。
それでも進むことは止めず、辿り着いたのは高くそびえる絶壁だった。
その一部に崩落した岩が山を成している。
そこから感じる気配に、ヒュンケルはため息を吐いた。
「探し人は、そこだ」
僅かに震える指で岩を指す。
スライムは不思議がりながら指と岩を見比べ、そして岩の周りを飛び跳ね始めた。
手足のないスライムでは避けるのは難しかろうと、ヒュンケルも岩に近づきその岩達を注意深く避けていった。
そしてその下から現れたのは一つの骸だった。手には枯れ果てた草が握られ、採取中に落石に巻き込まれたことが伺える。
「ピー……」
骸の纏う服で理解したのか、スライムが悲しげに寄り添っている。
ヒュンケルはその青い身体を一撫でし、そっと骸に触れた。
すると骸から黒いモヤが沸き上がり、人の形となった。
「ピキーッ!」
それを見たスライムは、より一層悲しげな悲鳴を上げながらモヤに飛び込んだ。
人型のモヤは抱きとめようと手を広げるが、残酷にもその身体はモヤをすり抜け地に落ちた。
「すまない、今のオレでは触れさせることが出来ないみたいだ」
ヒュンケルは悔しげに呟く。
モヤはスライムの傍にしゃがみ込み撫でる仕草をする。触れられてはいないが、その意図を汲み取りスライムも甘えるようにモヤにすりつく動作をした。
「ゴメンな、置いてってしまって」
モヤから静かな声が響く。
「ピー……」
「でも、また会えて良かった」
安心したような人間だった者の声に、スライムの瞳からは次々と涙がこぼれ落ちる。
「ありがとうございます、あなたのおかげでまたこの子と会うことが出来ました」
「いや、オレはただそいつを悲しませただけだ」
「そんなことありません、こうでもしなければ、この子はずっと囚われたままでした」
モヤは想いが晴れたのか、どんどんと薄くなっていく。
「これからは、自由に生きてくれ」
名残惜しむようにスライムを撫でながら、ゆっくりとモヤは空へと霧散していった。
その空を見上げ、スライムは大きく一鳴きすると、目の縁に溜まった涙を払うように身体を震わせる。
その姿を見届けながら、ヒュンケルは仕舞っていたオリハルコンの牙の存在を思い出し、取り出すとスライムに差し出した。
「すまない、勝手に預かっていた」
それを見たスライムは少し思案すると、その身体でそっと押し返す。
「これを貰う訳にはいかん。 大切なものだろう?」
「ピキーッ」
「いや、迷惑などかけられていないが」
「ピー!」
「そこまで言うなら……では、ありがたくいただこう。 家族にこれが似合うやつがいるんだが、そいつに渡しても良いだろうか?」
ヒュンケルが問えば、牙が似合う家族というものに興味を抱いたのか、スライムは期待に満ちた目で見つめ返した。
「良かったら、一緒にくるか?」
「ピキー!」
スライムが嬉しそうに飛び跳ねると、ヒュンケルもつられて笑みを浮かべた。
「ではこの骸を供養したら、一緒に帰ろう」
その言葉を聞いたスライムは、最後の別れを告げるように骸に擦り寄り、そしてヒュンケルの胸に飛び込んだ。
「今帰った」
ヒュンケルが声をかけながら玄関の扉を開けると、大きな影が飛びついてきた。
家族であるキラーパンサーに勢いのままに押し倒され、ヒュンケルは受け身をとりながら倒れ込んだ。
「ピキーッ!」
「キャイン!」
ヒュンケルが襲われたと勘違いしたスライムはその巨体に渾身の体当たりをかまし、攻撃を受けた獣は悲鳴をあげながら吹き飛ぶ。
予想外の出来事にヒュンケルが呆然としていると、遅れてラーハルトが家から出てきた。
「おかえりヒュンケル……なんでスライムがキラーパンサーを吹き飛ばしているんだ」
料理中だったであろうラーハルトは身に付けているエプロンで手を拭きながらヒュンケルの身を起こすため手を差し伸べる。
「あのスライムは凄く強いぞ」
手を借りながら起き上がるヒュンケルは自慢げだ。
「また妙なモノを拾ってきおって」
「あいつにオリハルコンで出来た牙を貰ったんだ。 キラーパンサーの事を話したら興味を持たれてな」
話しながら取り出した武器をラーハルトに渡せば、驚きに目を見開かれた。
「これは相当貴重な物だぞ。 なんでスライムがこんなものを」
「かつては人間と共に生活をしていたんだ。 その人間から貰ったものらしいんだが、礼にと渡された」
事のあらましを簡単に説明すると、ラーハルトは深いため息を吐いた。
「お前は本当に厄介事に巻き込まれやすい」
「すまない……」
「しかし、早急に新居を見つけんといよいよこの家も手狭だな」
ラーハルトが呆れたように笑う姿に、ヒュンケルは目を丸くした。
「住むんだろう、あのスライムも」
「いいのか?」
「いいもなにも、そのつもりで連れてきたのではないのか?」
「そうなれば良いと思っていたが、うちにはもうあいつがいるから」
先ほど吹き飛ばされたキラーパンサーを見れば、果敢にも反撃に出ているが軽くあしらわれている。よほどレベル差があるらしい。
「今更一匹や二匹増えたところで変わらん」
「ラーハルト……」
「それに、どうせまた似たような奴を拾ってくるんだろう。 ああいった手合いにやたら懐かれるからなお前は」
ラーハルトが苦笑すれば、ヒュンケルも困ったように笑みを返した。
「そうかもしれないな」
「こういった形で家族が増えるのも、悪いものではないのではないか?」
「大家族になりそうだ」
その言葉にとうとうラーハルトは声をあげて笑った。
「その時は仕方ないさ」
仕方ないで流した発言は、やがて村一つできるまでに発展することを、ラーハルトはまだ知らなかった。