お持ち帰り 夜の酒場に相応しい喧騒は地上も魔界も変わらないのか、と心の中で呟きながらヒュンケルは一人カウンターでグラスを傾けていた。
フードは被っているものの、己が人間であることは周りの魔族の客達も気がついているようで、時折良からぬ視線が投げかけられる。
しかしこの魔界で呑気に酒を飲めるほどの肝の座りっぷりと佇まいから察するに、遊び混じりに手を出して良い相手ではないと判断したのか遠巻きに眺めるだけだ。
そうしてヒュンケル自身も周りの動きに注意をしつつ杯を進めていると、よほど腕に自信があるのか酔っ払ってまともな判断が出来ないのか、ニヤニヤと笑いながら魔族の男が隣に腰掛けた。
「こんな所に人間一人で来るなんて、兄ちゃん正気か?」
挑発したような物言いに、ヒュンケルは静かに視線だけを返す。
その様子が気に入らないのか、男はつまらなそうな表情に変わる。
「はっ、人間なんて初めて見たが、ずいぶんお高くとまってるじゃねーか」
興味を無くしたようにヒュンケルが視線を元に戻せば、男も同様に興味無さそうに元のテーブルに戻っていった。
そうしてヒュンケルがちびちびと酒を飲みながら過ごしていると、何人かに話しかけられたが、どれも同じようなやりとりばかりで興味を引かれるものはない。
2杯目も飲み干してしまうかといった時、一人の来訪者により場の空気が一変した。
外套で頭まで覆われており風貌はわからないが、堂々たる風格と手にしている物々しい槍、肌に感じる威圧感は相当な実力者であると、魔族達は酔いの回った頭でも嫌でも理解させられる。
しんと静まり返った状況を気にも止めず、来訪者の男は酒場をゆっくりと見回すと、不自然に空いているカウンターに目を止め、ゆったりと歩みを進めヒュンケルの隣に腰掛けた。
その男は不躾にヒュンケルの顔を覗くと、視線はそのままに面白がるような笑みを浮かべながら頬杖をついた。
「ほぅ、こんな所に人間か」
今までと同じようにヒュンケルは視線だけを相手に向ける。
「最近は良く人間を見るな」
その言葉についに興味を持ったのか、ヒュンケルは初めて隣に顔を向けた。
「それは、どんな人間だ?」
最初に酒とつまみを注文して以来の開口に、周囲は僅かにどよめいた。
あの人間が反応を示すとは、どんな展開になるのかと注目は二人に集まる。
そんな視線もものともせず、男は彼と同じ酒を、とバーテンに注文していた。
ヒュンケルもそれに応じるように杯の残りを飲み干すと、入れ替わるように新しいグラスがそれぞれの前に置かれた。
「それを聞いてどうする?」
「聞いてから考える」
出された酒を飲みながら、男は挑発するように尋ねるがヒュンケルは眉一つ動かさず返答する。
「それなら教えることは出来ないな」
意地悪そうに返される言葉に、ヒュンケルは出そうになった言葉を飲み込むように酒を飲み下し、音をたててグラスを置いた。
「……人を、探している」
渋々、と言った口で告げれば、それに反応したのは周囲の魔族だった。
誰もが目の前の人間以外見たことがないようで、お互い目配せをしては首を振っている。
「こんな所にまで来て人探しとは」
「それで、お前が会ったという人物は」
「お前よりも遥かに年下の、黒髪の小さい男だ」
周りなど存在していないかのように会話は進められる。
「その少年はどこにいる!?」
初めてヒュンケルが感情を露にした。
男は罠にかかった獲物を見るようにヒュンケルを見つめると、わざとらしい笑みを浮かべた。
「お前は運が良いな、ちょうどこれからそいつに会いに行くところなんだが、一緒に来るか?」
「あぁ、連れて行ってくれ」
話は纏まったと言わんばかりに二人はグラスを空け、代金をカウンターに置くと酒の名残を感じさせない様子で立ち上がった。
男は見せつけるようにヒュンケルの腰に腕を回し、来た時と同じスピードで酒場を後にした。
それを静かに見つめていた客達は充分に時間がたった後、同情的に溜息を吐いた。
「あの人間、思ったより迂闊だったな」
「あんなおっかねぇヤツにお持ち帰りされたんじゃタダじゃすまねぇぞ」
今までのやりとりをつまみにするようにささめきは広がり、やがて酒場はいつもの喧騒を取り戻した。
「この街には手がかりないようだ」
酒場から離れ、周りに誰もいないことを確認するとヒュンケルは残念そうに呟いた。
「さきほどの会話にも引っかかる者はいなかったな」
茶番が台無しだ、と隣の男、ラーハルトは不機嫌そうに溜息を吐く。
「しかしここの住人はまともに取り合ってくれないから、ああでもしないと情報の一つも入らん」
「それはお前が人間だからだろう」
「ラーハルトだってろくに聞き込みも出来ていないんだ、種族は関係ないだろ」
拗ねるように反論すれば、腰に回された手の力が強くなる。
「どちらにせよ、ここはハズレだったということだ」
「では、次の街へ向かうか?」
「いや、せっかくだから手に入れた獲物でもお持ち帰りさせてもらおう」
ラーハルトは不敵な笑みを向けるが、ヒュンケルは意図がわからない様子でキョトンと見つめ返す。
「お持ち帰り、とは?」
その言葉を知らないと思わなかったラーハルトは一瞬面食らった表情を浮かべるが、すぐにイタズラを思いついたような顔に変わる。
「それは、お前が悪い魔族に食べられてしまう、ということだ」
腰を引き寄せ唇同士がぶつかるギリギリで囁く。
驚いて身を固めたヒュンケルだったが、意味を察すると一転し、好戦的に唇を吊り上げ自らその唇を押し付けた。
そして、ゆっくりとラーハルトの肩を押し返し距離をとると、これみよがしに困った表情を見せる。
「それは困ったな。 こんな強そうな魔族から逃れられる気もしないしなぁ」
表情とは裏腹にどこか棒読みの台詞に、ラーハルトは茶番の続きか、と小さく笑うと、改めてヒュンケルの腰に腕を回した。
「なら、おとなしく食われることだな」
連れ込まれるにはあまりにも楽しそうな様子を見せながら、二人は宿屋へと向かっていった。