いのちだいじに パプニカ国の城のとある一室、己には分不相応に感じるほど立派な執務室で、ダイは紙面と睨み合いをしていた。
想い人の隣に立つべく学ぶことは多く、しかし人間社会とは隔絶され生きてきたダイにとって勉強は大魔王より手強い相手かもしれない。
うんうんと唸っていると不意にノックの音が響く。
朝ご飯も食べたばかりで、この時間は誰も来ない予定のため不思議に思いながら入室を促すと、丁寧な動作で扉が開いた。そこに立っていたのはラーハルトだ。
「ラーハルト! 急に戻ってきてどうしたんだ!?」
現在ラーハルトはヒュンケルを伴い、世界各地で見受けられる不穏な動きを調査している。
普段であれば定期報告の手紙と共に来訪の予定が綴られているが、なんの連絡もなく現れるとは予想外で、ダイは思わず立ち上がった。
一緒にいるはずのヒュンケルの姿が見えず、口を開こうとするがラーハルトの礼によって遮られた。
「予告もなく来訪した旨お詫び申し上げます。 しかし、火急の知らせではございませんのでご安心ください」
慇懃に述べられるも、まだ付き合いの浅いダイにさえ分かるほど声が固い。
「なんか……怒ってる?」
「いえ、ダイ様に怒りを覚えるなど滅相もない」
「……ヒュンケルと喧嘩でもした?」
「……」
どうやら図星らしい。
平静を装った顔をしているが答えがないのが答えというのか、主人に嘘をつくつもりはないらしい。
その様子にダイは苦笑しながら執務机の向かいにある応接ソファをすすめた。かしこまりながら着席するラーハルトの向かいのソファにダイも腰掛ける。
「ラーハルトがヒュンケルと喧嘩するなんて思ってもいなかった」
「……アイツが悪いんです」
プイ、と拗ねたようにそっぽを向くラーハルトは、どこか子供っぽい。
内心ひっそりと兄のように慕っているダイは、珍しいものを見たというように目を見開くが、どこか戸惑ったようにも見えるその表情は面白みよりも心配が勝る。
「何があったか聞いても?」
「……はい。 後ほど報告書にもまとめる予定ですが、昨日巨大な怪鳥と出くわしまして」
「怪鳥?」
「ええ、人一人丸呑みに出来るほど大きな鳥で、外装は異様に硬く生半可な攻撃では傷付けることすら叶いませんでした」
ダイはその大きさと丸呑みにされる自分を想像してしまい、思わず両腕を撫でた。
「近隣の村を襲っており被害も大きく、話し合いの余地もありませんでしたのでヒュンケルも討伐に同意しました」
事の流れを思い出しているのか、ラーハルトは知らず大きな溜め息を吐いていた。
「まさか、戦闘中に意見が割れたとか?」
長く魔物と暮らしてきたヒュンケルだ、憐れみを覚えても不思議ではない。
「いいえ、奴は一度腹を括れば覆すことはありません」
真っ直ぐに主君を見つめながら答えるラーハルトの瞳は自信に満ち溢れており、深い信頼を寄せている姿がダイには少し羨ましく感じた。
それと同時にそこまで信じている相手と何があって喧嘩になったのか、ますます首を傾げる。
「ご心配に及ばず、怪鳥は問題なく倒しました」
ラーハルトは答えを待つダイの姿に微笑ましさを感しながらも、当時の出来事を思い出し思わず拳を握ってしまう。
「倒すことは問題なかったのですが、その倒し方に問題がございまして」
拳を握る力に比例してラーハルトの顔が険しくなる。
「アイツは! 何を考えているのか自ら怪鳥の口に飛び込んでいったんです!」
だん! と己の膝を叩く姿は全く怒りが引けていないようで、当事者でもないダイですら少し慄いた。
それに気が付いたラーハルトは一つ咳払いをし、失礼致しました、と丁寧に謝り居住まいを正す。
「幸い羽が硬かっただけのようで、内側から破りでることが出来たので大事には至らなかったのですが」
「二人とも無事で良かった」
「本当に、無事だから良かったもののあんな無茶をしてアイツは……しかも後始末やらなんやらで話す時間がなかったからと言って今朝その話しを振れば今更と面倒くさそうにするわ終わったことだからと話そうとしないわで何を考えているんだ!」
ブツブツと恨み言を吐くラーハルトには同情を覚えるが、少し喧嘩に至る沸点が低すぎやしないかとダイはやや呆れた。
「アイツは命を大事にしなさすぎなんですよ」
不貞腐れた表情に、ダイはラーハルトの怒りの根源が何かわかったような気がしたが、それは二人の問題なので敢えて気付かないフリをした。
「……それは、違うと思うよ」
かつての戦いの中に見た兄弟子を思い描くと、自然と出るのは否定の言葉だ。
思わぬ否定をくらい、ラーハルトは目を丸くして主君を見つめた。
「ヒュンケルは、命を大事にしているから行動に躊躇がないんじゃないかな」
遠いような、それほど時間が経ってもいないような記憶がダイの脳裏に過ぎる。
「前におれたちが魔界の炎に包まれて身動き取れが取れなくなった時、ヒュンケルが炎に向かってグランドクルスを放ったんだけど、あの時も全く迷ってなかったな」
潔すぎるヒュンケルの声を思い出し、ダイは思わず笑ってしまう。
一方、初めて聞く相方の暴挙にラーハルトは更に目を丸くした。
「そういえばオレがまだ空の技ができない時にも、急にヒュンケルの血で目潰しされたっけ」
「はぁっ!?」
あまりの行いに思わず大きな声を上げてしまい、ラーハルトは慌てて口を抑えた。
「もちろん戦いの最中だよ! 話す時間もなかったからああでもしないと切り抜けられなかったし」
ダイも弁解するように慌てるが、ラーハルトから出るのは本日二度目のため息だ。
「アイツは、本当に無茶苦茶だ……」
げんなりしたように額を抑える。
「うん、ヒュンケルにはいつも驚かされるけど、それはおれたちを助けるためで、決して命を蔑ろにしている訳じゃないと思うんだ」
「……」
「それに、もうヒュンケルは無闇に命を捨てることはないと思うよ、約束してるから」
少し意地悪そうな顔で告げるダイを見て、ラーハルトは二人の女性が頭に浮かぶ、どちかだろう。
「……確かに、救うためなら聖母と崇める奴にすら必殺技を打ち込む覚悟のある男ですからね」
「はは、ヒュンケルらしいや……」
その事については知らなかったのか、ダイは苦笑しつつもどこか引き気味である。
釣られてラーハルトも苦笑するが、内心に納得がいったのかどこか晴れやかな表情だ。
「ありがとうございます、ダイ様。 もう一度、アイツと話しをしてみます」
冷静さを取り戻したラーハルトは、深々と頭を下げる。
「うん、今回も勝算があっての作戦だと思うんだ。 ちゃんと話せばお前は分かり合えるよ」
どこか痛みを伴った笑顔は、大事な人達の関係の修復を心から願っている表情だ。
「はい。 この度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
更に頭を下げるラーハルトにダイは慌てて顔を上げるよう促す。
「迷惑じゃないよ! 二人が仲直りできるならおれも嬉しいんだ」
「ダイ様……」
どこまでも優しい主君に感極まったラーハルトだが、善は急げと言わんばかりに、開け放たれたバルコニーへの窓へと向かう。
「それではダイ様、また報告にあがりますので今回はこれにて」
来た時と同じように丁寧な動作で、しかし礼儀をまるで無視し窓からバルコニーに出ると、一刻も早くと、ヒュンケルの元へ向かう光の筋となって消えていった。
その軌跡を目で追いながらダイは、嵐みたいだったな、と呟くが口元は楽しそうに釣り上がっている。
「次の手紙が楽しみだ」
その手紙をスムーズに読めるようになるため、机の紙面の前へと戻っていった。