へそ 行方不明の勇者を探して早幾日。
魔族の特徴が強い者が人里を訪れるのはまだ人々へと理解が足りないと判断し、ラーハルトはヒュンケルと共に人無き地を旅していた。
そうしてたどり着いたとある山奥。
登り始めこそ晴天であったが、一時もしないうちに黒々とした雲が辺りを覆い始めた。
「降りそうだな」
ラーハルトが呟きながらヒュンケルを見ると、見たことのないような神妙な顔で雨雲を見つめていた。
「ヒュンケル?」
不思議に思いながら再度声をかけると、ヒュンケルは雨雲からラーハルトに視線を移し、ゆっくりと頷いた。
「どこか凌げる所を探した方がいいな」
聞いていたのか、とラーハルトは若干呆れつつも、今は雨宿り出来る場所を探すのが先決だと言わんばかりに辺りを見回した。
しかし、この辺りで雨宿りをするには少々心もとない。
「……もう少し登った所に山小屋がある。 そこまで急ごう」
どこか言いにくそうに告げるヒュンケルに疑問を覚えつつも、今にも降り出しそうな空模様の手前いつまでも立ち止まる訳にもいかず、導かれるままに歩みを進めた。
移動の間は不自然な程に会話はなく、たどり着いた山小屋は長らく人の手が入っていないのか、辛うじて雨は避けられる程度の風体だった。
その山小屋を見留めた瞬間、僅かにヒュンケルの歩みが止まったが、迷いなくその小屋へと入っていく。
先程から相棒に不自然な行動が見受けられるが、とりあえず雨に降られる前に屋根のある場所にたどり着けた事にラーハルトは胸を撫で下ろした。
ヒュンケルの後に続き小屋に入った瞬間、空からおどろおどろしい音が鳴り響く。
ラーハルトは驚き空を見上げるも、そこには黒い雲が広がるだけだ。
「ラーハルト、もう少し小屋の中に入った方がいい」
不意に手を引かれ、軋む床を鳴らしながら小屋の中心に招かれる。
繋がれた手の持ち主の顔を見れば、酷く複雑そうな表情だ。
「なんださっきから、」
様子がおかしいと指摘しようとしたが、視界を覆うような強い光が目の前を支配し声を失った。そして刹那に鼓膜が震える程の轟きが続く。
「やはり鳴りだしたか。 槍は壁に立てておいた方が良いな」
ヒュンケルは予期していたのか、先程とは打って変わって滑らかな動作でラーハルトから槍を取り上げ、己の剣と共に壁に立てかけるとすぐに元の場所に戻った。
「後は、両手でへそを隠すんだ」
「へそ」
粛々と雷からの避難行動をしていたと思っていたら突然の不可思議な発言に、ラーハルトは気が抜けたようにオウム返しをすることしか出来なかった。
惚けた顔のラーハルトを見つめていたヒュンケルは、小さく息をつくと力なく微笑んだ。
「隠さないと、雷の神にへそを取られてしまうらしい」
なんだその子供だましのような妄言は、とラーハルトは切り捨てようとしたが、ヒュンケルの表情が今にも泣きそうに見え何も言えなかった。
「……子供だましの戯言だと笑われるかと思ったが、お前は優しいな」
ヒュンケルの笑みが明確に自分に向けられたことを感じたラーハルトは、知らず詰めていた息をようやく吐き出せた気がした。
「ここは、昔訪れたことがあるんだ」
再び鳴る轟音にヒュンケルの視線が移る。
「あの時もこんな雲が立ち込めて、この小屋に避難したんだ」
外を見ているようで、その実遠い過去を見つめているヒュンケルの横顔を、ラーハルトは無言で眺める。
「先生は得意気にへそを隠すように言ったが、オレは従わなかったんだ」
「……」
「そうしたら、先生は真面目くさった顔をして、雷が鳴ると急激に気温が下がるから腹を冷やさないようにしないといけないと言い出して」
最初からそう言えばいいのに、と再びラーハルトを見たヒュンケルは、郷愁の入り交じった顔で笑う。
そんなヒュンケルを見ていられなくなったラーハルトは、遠くに行かせないとばかりにヒュンケルを強く抱きすくめた。
「もうオレたちは子どもではないのだ。 そんな迷信地味たものに頼らずともお前を守れる」
守りたいのは寒さか、それとも過去の痛みからか分からなかったが、ラーハルトはその身に隠すようにヒュンケルを包む。
その温もりを享受するようにヒュンケルも腕を回す。
「別に、辛い思い出という訳ではないんだ。 でも、お前に聞いてもらえて良かった」
甘えるように頭を擦り付け、回した腕に力を込める。
「そんなお前が雷に打たれるのは心苦しいから、この小屋がまだあって良かった」
あれはかなり痛いからな、と台詞とは裏腹に幸せそうに呟くヒュンケルに、遂にツッコミを入れたくなったラーハルトだが、突然けたたましい音を立てながら降り始めた大雨に言葉は流されていった。