七夕らくがき 不意の覚醒に、ラーハルトは追いつかない頭でぼんやりと暗闇を見つめた。
夜明けには遠く、さほど長く眠っていないのかと闇の深さで判断するが、何かが足りない。
腕を緩慢に動かすも、冷えたシーツを撫でるだけだ。
隣で寝ていたはずのヒュンケルがいない。
水でも飲みに行ったのだろうかと家の中の気配を探るも、生き物の気配が感じられなかった。
そこでようやく思考回路が追いついたラーハルトはガバリと起き上がる。
改めてヒュンケルが眠っていたはずの位置のシーツを触ればやはり冷たく、いなくなってからしばらく経っていることに気付いた。
ラーハルトが慌てて衣服を纏い外に出ると、一日中降り続いていた雨はいつの間に止んだのか、雲ひとつない夜空が広がっていた。
月こそ出ていないが眩いほどの星あかりが夜道を照らし、家から続く足跡を映し出している。
雨上がりでぬかるんだ道にくっきりと残る痕跡は一人分、迷いのないそれは自らの意思で歩んだもののようだ。
一刻も早くと全速で追ううちに、ラーハルトはこれがどこに向かっているかおおよその検討がついた。
確信を持って更にスピードをあげれば、目的地にはあっという間に到着する。
家から少し離れた場所にある小高い丘、最近のヒュンケルのお気に入りのスポットだ。
そこに、ヒュンケルはいた。
後ろ姿だけでも分かるほど気の抜けた棒立ちで、ゆるりと星空を見上げている。
「ヒュンケル!」
焦りをぶつけるように呼びかければ、近付く気配に気づいていなかったのかビクリと肩を揺らし、声の主に振り返る。
「ラーハルト……」
ラーハルトに目を留めたヒュンケルは驚いたように目を見開き、そしてその瞳から一粒の雫がこぼれた。
「どうした! 何があった!?」
ラーハルトは慌てて駆け寄り、その涙の跡を拭った。
「いや、何も無い」
零れたのはそれだけで、瞬きで溜まった目尻の涙ごと頬を撫でてやれば、ヒュンケルは甘えたように擦り寄った。
「なんでもないやつが泣くものか」
「本当に、何も無いんだ。 ただ、嬉しかっただけで」
訳が分からない、と首を傾げるラーハルトの手に、ヒュンケルはそっと手を重ねた。
「お前が会いに来てくれた、その事実がどうしようもなく嬉しくて」
「この場所が何か関係あるのか?」
「場所は関係ないが、今日は七夕だから」
「たなばた……」
聞いたことがない単語を小さく復唱すれば、意外そうにヒュンケルが瞬きをする。
そして重ねた手を離すと、星がひしめく空を指さした。
「御伽噺の類いだが、引き裂かれた恋人達が年に一度、逢瀬を許された日が今日なんだ。 それをなぞらえた星があれだ」
ヒュンケルは顔を寄せるので、自然な流れでラーハルトの手は肩に回った。
星屑の川を挟むように一際輝く二つの星が示される。
「なるほど、あの光の川が二人を分つ役割をしているのだな」
「その通りだ、そしてカササギがその川に橋をかけるのが今日という日だそうだ」
事のあらましを聞いてラーハルトは合点がいった。
「またお前は存在もしない恋人達に想いを馳せて感傷に浸っていたという訳か」
頬が触れている距離のせいで顔の向きも変えられず、同じ空を眺めながらラーハルトは呆れたように呟いた。
どこまでも優しいこの恋人は、作り話にも心を砕くようで、それすら好ましいと感じたラーハルトは肩に回した手を更に引き寄せる。
「返す言葉もないな……気持ち良さそうに眠っていたから起こすのも忍びなくて、一人で来たら思ったより寂しかった」
より近くなった距離で吐露されるヒュンケルの言葉は、いつになく素直だ。
「だから、いつもお前と共にあれることを改めて感謝していたら本人が現れて驚いたぞ」
「驚いたのはこっちだ、目が覚めたらお前の気配がしないから何事かと焦った」
「すまん」
ぶつかる頬に更に力をかければ、苦笑混じりの謝罪の言葉があがり、つられてラーハルトも苦笑する。
「すっかり身体も冷えてるではないか、そろそろ帰るぞ」
気を取り直し距離を置き、ラーハルトはヒュンケルに手を差し出す。
ヒュンケルは嬉しそうにその手をとり指を絡ませ、どちらともなく家路へと足を進める。
その帰り道、ヒュンケルは丘へ向かう道に付けられたそれぞれの足跡を見つけ、後ろを振り返った。
そこには、バラバラの歩調で付けられた丘への跡とは違い、同じ歩幅の足跡が綺麗に二つ並んでいる。
その足跡を見つめ、ヒュンケルは満足そうに微笑んだ。