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    Shiori_pow

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    Shiori_pow

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    ブラッドリーがほんのり嫉妬するかもしれない話

    【ブラ晶♀】特別な夜 子供じゃないです、と告げた声は、舌足らずで子供みたいだった。だから、精一杯の誘惑は情けなく失敗したと思ったのに。
    「――へえ?」
     不敵に口端を持ち上げたブラッドリーの、ロゼの瞳がぎらついた情欲を灯した。あ、と小さく息を呑むと同時、彼の指先が私のこめかみに触れる。髪をするりと梳きながら、無骨な指先は後頭部へと回っていった。そのまま彼の重みを掛けられて、私の身体はゆっくりとソファへ沈んでいく。私の顔の横に手を突いた彼が、何かを言おうとくちびるをひらく。ああ、私はこの部屋で初めて夜を過ごすのだと、――緊張しながらも期待したのだけれど。

    「《アルシム》」

     聞き慣れた短い呪文が静寂に響いて、かちゃりと空間の扉がひらいた。えっ、と私は固まって、ブラッドリーは一瞬で眼差しを鋭くして咄嗟に銃を取り出す。
     途端に剣呑になった空気のなか、空間の扉から気怠げに登場したミスラは、不機嫌そうな表情で室内を見やる。
    「ブラッドリーの部屋……? あなた、こんなところにいたんですか。探しましたよ」
     一歩、大股で靴先を進めるやいなや、
    「――ぐえっ……!」
     私の寝間着の襟の後ろを掴むと、部屋の扉のほうへと引きずっていこうとする。
    「ミスラ、ミスラ! 襟はやめてください……!」
     私を見下ろしたミスラは襟こそ離してくれたけれど、問答無用で私の腕を掴んだ。そのままブラッドリーを一切無視して扉へ向かうから、
    「おい、兄弟」
     低い声音がミスラを呼び止める。
    「……はあ」
     ミスラが目線だけで振り返れば、かちゃっと銃を構える音がした。
    「人の部屋に無断で立ち入って、ただで済むと思うなよな?」
     にやり、と口の端を上げたブラッドリーの声音はこれ以上ないほどに不機嫌そうだったけれど、ミスラの眼差しも不機嫌さでは負けていない。緑の瞳は、うっとうしそうにブラッドリーを睨めつける。
     一触即発の雰囲気だった。それに泡を食った私は、決死の思いで彼らのあいだに割り込む。
    「だめです、だめです! 喧嘩しないで……!」
     声を張り上げた私は、ミスラに問いかけた。
    「ミ……ミスラは! 眠れなくって私を探していたんですか?」
    「それ以外にないでしょう」
     ミスラは面倒そうに言い捨てる。そんなミスラの目の下のクマは、相変わらず面差しに濃い影を落としている。昨日、彼の入眠を手伝ったけれど、ぐっすり快眠とまではいかなかった。それは、ちゃんと私も知っていたのに。
    「……すみません。ちゃんと、眠れないあなたを気遣うべきでした」
    「はあ。まあ、眠らせてくれるなら何でもいいです」
     気怠げにまばたきをしたミスラは、私の腕を引きながら扉をあける。
    「ほら。行きますよ」
     ミスラに引きずられながら、私は慌ててブラッドリーを振り返った。
    「すみません、ブラッドリー! 今夜はミスラと一緒に寝ます!」
     そう言い置くと同時に、ぱたんと扉が閉まった。
     そんな流れで、その夜はミスラの部屋で過ごすことになったのだけれど。

     ――なったのだけれど。

     うわあああ、と私は青ざめた。カーテン越しの仄かなきらめきに白むミスラの部屋、そのベッドの上で。ミスラの穏やかな寝息を聞きながら、昨夜の自分の言動を思い返す。
     何とかふたりを宥めようと必死だったけれど。ミスラへの気遣いを忘れていた自分への不甲斐なさもあったけれど。
     ――今夜はミスラと一緒に寝ます、は、さすがにまずかったのでは?
     昨夜はブラッドリーと過ごすつもりだった。ブラッドリーも、きっとそのつもりだったはずだ。
     それなのに、土壇場になって他の魔法使いと過ごすと告げた。いや、『過ごす』じゃなくて、『寝る』とまで言ってしまった。
     あまりにも、あまりにも、無神経で軽率で迂闊すぎる。
     自分の有様に愕然として、はああああ、と長いため息を吐いた。すると隣のミスラが身じろぎをして、長い睫毛をふるわせながらゆっくりと瞼をひらいた。
    「……朝ですか?」
    「は、はい。朝です」
     少し上擦った声でそう返せば、ミスラはおもむろに私の髪へ手を伸ばした。
    「……わっ」
     思わず肩を跳ねさせると、私の髪を指先に絡ませてミスラが笑う。どうやら、ぴょんと跳ねた寝癖が気になったようだ。
     あはは、と無邪気に笑うミスラを見て、私は気の抜けた息を吐く。
    「……よく眠れたみたいでよかったです」
    「ええ。まあまあ悪くない気分です」
     機嫌の良い声音が、朝のきらめきへと落っこちた。

     ミスラの部屋を後にした私は、自室に戻って身支度を整えた。そうして食堂へ向かったのちに、ついにその瞬間がやってきた。
     ミチルやリケの隣に腰掛けていた私は、かつん、とその足音が聞こえた瞬間に身を固くした。けれど、
    「おはようございます、ブラッドリーさん」
    「おはようございます、ブラッドリー」
     若い魔法使いの朗らかな挨拶に、「ああ」と、ブラッドリーは普段通りの態度で応じる。
    「お、おはようございます!」
     少し遅れて私も挨拶をすれば、何の含みも感じられない、同じ態度が返ってきた。
     それに拍子抜けをした私は、中途半端に口をひらいたまま目を瞬く。
     ――もしかして、ええと、私の考え過ぎだった?
     そう思い知った途端、ほっとすると同時に、ささやかな羞恥が込み上げてくる。
     昨夜を、特別な夜だと思い込んでいた自分にたいして。
     あなたも同じ気持ちなのだと思い込んでいた自分にたいして。

     この関係に、確かな名前はない。
     私の思いは明らかに見透かされているけれど、それにたいして何らかの返答があることはなかった。
     ただ、ふたりきりの部屋で言葉を交わす夜、ふとした瞬間にあなたが私の髪を梳く。
     無骨な指先が顎を掬えば、私はゆっくりと目を瞑る。
     言葉なんてないまま、そういうことをする関係になった。
     だから、私たちは決して恋人なんかじゃない。

     ――そうだよね、と気持ちを切り替えて、午前中は東の魔法使いの授業を見学した。午後からは書類のチェックをおこなった。ごく普段通りに一日を過ごしたつもりだった。
     けれどにぎやかな夕食を終えて、廊下へ出た途端。
     先に食堂を出たはずのブラッドリーを認めて、私の胸には小さな感傷が飛来した。すれ違う手前で思わず靴先をためらわせるけれど、彼のほうが一歩、距離を詰める。私よりも随分背の高い彼が身を屈めて、私の耳元で。
    「――晶」
     名前を囁くから、私ははっと息を止める。彼は不敵に口端を持ち上げながら、低い声で続けた。
    「来いよ」
     その短い言葉が、私の思考を容赦なく蝕む。羞恥も感傷も何もかもうやむやになって、私は誘われるまま呆然と足を踏み出した。
     青白い月明かりに濡れた廊下を抜けて、薄闇に沈んだ階段を上がって、五階の彼の部屋に足を踏み入れた刹那。
     音を立てて閉まった扉に、私の背中が押し付けられる。
     あ、と思う猶予もなく、扉に腕を突いたブラッドリーに吐息ごとくちびるを奪われた。ぶつけるように合わせたくちびるの角度を変えると、彼は私の顎先に指を引っかけて上を向かせる。そうして容赦なく深められたキスに、私はすぐにいっぱいいっぱいになった。
     は、と掠れた吐息をこぼせば、ブラッドリーが微かに笑う気配がした。私たちを繋ぐ唾液の銀糸を親指で拭うと、彼は眦にキスを落とした。そのまま頬、顎先へとキスを下ろすと、
    「……っ、」
     首筋へくちびるを触れさせる。いつのまにかネクタイが解かれていて、シャツのいちばん上のボタンも外されていた。
     ――わ、わ、わ、わ、
    「ま、待ってくださいブラッドリー!」
     上擦った声で押しとどめれば、ブラッドリーはぴたと動きを止めた。私から顔を上げると、眼差しで私の次の言葉を促した。
     私は襟元を手で押さえながら、何とか言葉を押し出そうとする。けれど沸騰した頭では上手く言葉がまとまらなくて、ええと、その、あの、なんて曖昧な音声しか出てこない。
     しばらく無言で私を見つめた彼は、小さく息を吐くと、私の頬を親指で撫でた。あやすような優しい手つきだった。
    「別に、無理強いするつもりはねえよ」
     鋭い瞳をほんのわずかだけ和らげて、ブラッドリーはそう告げた。その眼差しや言葉は確かな安堵を私にもたらして、私の思考を少し落ち着かせる。
     そっと息を吸う私の視界にシャンデリアの灯りが降る。ブラッドリーが、私から半歩距離を取ったから。
     私は咄嗟に、ブラッドリーのジャケットを掴んだ。
    「あ、あのあの! ……嫌だって、わけじゃないんです」
     頬に上る熱を自覚しながら、私はロゼの瞳を見上げる。
    「ただ、……その。お風呂、入ってないから」
     消え入りそうな声でそう言えば、ロゼに情欲の兆しが覗く。
     数秒、彼は私を見下ろした。うるさいほどに高鳴る自分の心音を聞きながら、彼の目を見つめ返していると、ややあって彼は軽く両手を上げて後退る。
     そうしてどかっとソファに腰掛けると、不服そうな顔で私を見上げて言った。
    「そう長くは待てないぜ?」
     昨日もお預け喰らってんだからな、と顔を顰めながら続けられた言葉を聞き拾って、え、と私は目を見ひらく。
    「……全然、気にしてないんだと思ってました」
     思わずそう呟けば、じろり、と不機嫌そうな眼差しで軽く睨まれる。
    「そんなわけあるかよ。堂々と他の男のほうへ行きやがって」
    「す、すみません……」
    「だが別に、あんたの役目に文句を言うつもりはねえ」
     きっぱりとそう言い切る彼のことが、やっぱり好きだと思った。
     その衝動に突き動かされるままに、好き、を言葉にしようと思った。
     けれど、
    「長くは待てねえ、つったろ?」
     立ち尽くす私を彼が急かすから、今は言葉にできなかった。
     私は乱れた襟元を片手で整えながら、彼の部屋をいったん後にした。
     そうして薄闇のひややかさに火照った頬を晒して、眼差しだけ微かな笑みのかたちにする。
     私が特別だと思った昨夜は、あなたにとっても特別な夜だった。
     今だって、私たちの関係に確かな名前はないけれど。
     でも、きっと、――私たちはちゃんと恋だ。
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