春よ、いなくなるな通学中、見知った男の後ろ姿を見つけて声をかけた。ガチャ、と音を鳴らす工具の入った鞄を持って振り向いた類はその声が司だと分かって嬉しそうにおはようと返した。
「…司くん、ちょっと失礼するよ」
しばらく司の頭を眺めたと思ったら、類は手を伸ばし、司の金色の髪の毛をさらりと梳く。
その唐突に行われた行為に司の心臓はどくんっと跳ねた。どこかおかしなところがあっただろうか。しかし家から出る前にきちんと寝癖がないか確認したはず。
身嗜みはスターになるには必然だが、それ以上に意中の相手の前で変な姿を見せるまいと朝は気合を入れているのは事実だった。
ドギマギしながら何を言われるかと待っていると、すぐに類は人差し指と親指で摘んだ薄い花びらを司に見せる。
「ん、取れたよ。桜の花びらがついていたんだ」
「そ…そうか。ありがとう」
「もうこんな時期なんだねぇ」
桜。そういえば近くの公園で桜が咲いていたのを思い出す。その下を通った時に乗ってしまったのだろう。そのおかげでこっちは朝から心臓が鳴り止まないのだが。
ふぅ、と1つ息をついて肩を下ろし、類の方をちらりと見るとその指で挟んだ花弁を日に透かしていた。
穏やかな気温が続くこの季節。今日は天気に恵まれてカーディガンも要らないと思うほど暖かい。しかしさっきから春の少しだけ冷たい風が頬をかする。
「そうだ司くん。近くに桜並木があるんだと。今度の週末が満開になるらしくてね」
「ほう。そうなのか。」
「4人で花見、しないかい?」
「…驚いたな」
えむならその提案をするのも分かるがまさか類からそんな提案をされるとは思わなくて、司は一度足を止めた。それと一緒に類も立ち止まり、司の顔をのぞき込む。少し下がった眉を見る限りどうやら司が花見について気に沿わなかったと思ってしまったらしい。
「…花見といってもその桜並木を見にいくだけなんだけれど。練習前の少しの時間を借りて行くのはどうかな」
「オレはいいぞ。たまにはそうやって季節を楽しむのも感性を刺激するいい機会になるからな!!」
「よかった。寧々たちにも連絡しておくね」
類はすぐさまスマホを取り出し、片手で文字を打ち始める。それを横目に類の周りに障害物があれば腕を掴んで引き寄せて、衝突するのを防いだ。歩きスマホをやめろと言った方が早いのだろうが、薄く口角をあげて目を細めた彼の可愛い顔を見て止められるオレはすでに消え去っていた。
タップする手が止まったあたりで俯いていた類に声をかける。
「類、終わったか?」
「うん。今送信したところだよ」
「しかし急だな。お前が花を育ててるのは聞いているが好きなのか?桜」
緑化委員会に所属している類はたまに水やりをしたり、種を植えていたりするところを見ることが多い。確か花は咲いているだけで人を笑顔にさせてくれると語っていた時があったな、なんて思いだして類らしいなと笑った。誰よりも人の笑顔を願っているのはオレも同じなのだが。
「……好きだよ」
「そうかそうか!じゃあ週末が楽しみだな!」
桜はずるい。類に好きだと言って貰えて。軽い嫉妬のような、醜い感情はこの春には似合わなくて司はすぐさま頭から払拭させる。
類が好きだと言えずに何ヶ月経っただろう。いつか、いつかを逃していたらこんなにもの時間が経ってしまった。
けれど告白をして、距離が出来たら。その思いが司の気持ちをとどまらせた。ショーが出来なくなってしまうのは1番避けたいところで。だから今の今まで友達であることを選んだのは逃げと言われるだろうか。1人でに自嘲して教室の前に着いてしまって類に手を振って自分の席につく。
「……桜、か」
桃色の花びらはきっと類に似合うのだろうな。今朝の自分と同じように紫の彼の頭にひらりと舞い落ちる白い花を思い浮かべてにやけてしまう。大層綺麗なんだろうか。
「天馬、顔キモイことなってる」
「なっ!!!キモイとはなんだキモイとは!!!」
クラスメイトは冗談だよと笑っていたが、頬が緩んでいたのは自分でも分かっていた。
「はぁ〜……」
週末、実際に目にして気持ちの悪い表情を浮かべないためにも司は脳内でシュミレーションをするしかない。それゆえに一日授業に身が入らなかったのは言うまでもない。
ーーー
「……ふふ、司くん面白かったなぁ」
司と別れてから類は自分の席にノートを広げて器用に鉛筆をクルクルと回していた。
「楽しみだな」
桜の花がついていたのは本当だったが、春の風に靡く彼の金色が目に焼き付いてしまって、触れてしまっただけ。もし花びらがついていなかったのなら虫がついていたから追っ払ったなんて嘘をついていただろう。そのほうが司のいい反応が伺えそうだ。
「…ふふふ」
それよりも、あの顔は心臓に悪かった。頬を赤らめてすぐに目を逸らして類の手から離れようとする司を見て可愛いなと思ってしまった。ドキドキする胸は司と離れた後も変わらなくて、司と会えるのが待ち遠しい。窓の外からは暖かな日差しが差し込んで類を照らしていた。
「神代またなんかヤベェこと考えてないかあれ」
後に変人ワンツーフィニッシュが奇妙なことを企んでいるらしいと噂されてしまった2人だった。
ーーーーーーー
待ちに待った週末、4人は揃って類の言った桜並木に来ていた。咲き誇った桜を見に来る人も多いのか家族連れもちらほら見えた。
「寧々ちゃん!!桜がぱ〜〜〜って綺麗だよ!!」
「待って、えむ…!早い…」
えむは並木の下をスキップで駆けていくえむを追いかけて寧々がその後ろをついていく。年上の2人はそれを眺めて迷惑をかけないようになとだけ声をかけた。それに返事をするようにえむが大きく手を振ったから大丈夫だろう。多分
「おやおや。お母さんみたいだねえ」
「まあ寧々とえむはそっちで楽しむだろう」
さらに後ろから2人を見守ってのんびりと会話を交わす。司は少し下の目線から類を見上げると桃色の花と一緒に映り込んで橙色の瞳が揺れる。
「…綺麗だな」
「そうだね。この色合いも匂いもステージで再現できたらいいのだけれど」
「ステージって…確かに春らしいショーができそうだな。」
類は上空に顔を向けて自分よりも背の高い木を眺めた。桜よりも類の方が綺麗だなんて言ったら引かれてしまうだろう。いや、そんな言葉で表せられないほど類は美しさを纏っているのだから言葉にするのは惜しい。
言葉を飲み込んで、類の言葉に相槌を打つ。春らしい物語といったら何があるだろうかと思い出そうとした。
「…綺麗だねぇ」
「こんなに満開なものは久しぶりに見たな…家族で花見をした時以来だな」
春風が通りすぎて、花びらが舞う。舞い上がった桜がそこを歩いていた人たちを彩った。
君も桜に負けじと綺麗だよなんてクサイ台詞、月並みな表現で彼の美しさを表現できやしない。類も何かを考えるふりをしてそんな言葉を押さえ込んだ。
好きの蓋文字も言えない臆病者にそんなこと言えないしね。でもいっそこのまま、口を滑らせてしまってもいいのかもしれない。
言葉にできないのがもどかしい。けど、今はその距離が心地いい。
2人は桃色の下で暖かな陽の光に照らされて、四季の美しさを実感して顔を合わせて笑った。
春よ、去ってくれるな。この思いを伝えるまではずっと。
どうか、いつかこの思いがこの桜のように花開くまで見守っていてくれなんて。
「司くん…」
類の口から流れ出た言葉は司の頬を桜の花びらよりも桃色に染めた。この2人を春は祝福するように木漏れ日のスポットライトで照らして微笑んでいた。年下の女の子たちがその様子を見てともにお祝いするまでもう少し