【飯P】ラムネのバッグを見なかった 悟飯の小さな手が差し出すアイスキャンディは、表面が既に溶けはじめている。
「ラムネと、レモンです。どっちがいい?」
「……悟飯、おれに食事は必要ない」
「食事じゃなくて、嗜好品ですよ。風味のついた水です」
棒の先から、溶けたアイスがひとしずく滴って、青々とした芝に染み込む。
悟飯はよくこうして、菓子だの、果物だのを二つ持って訪ねてくる。ピッコロは、水しか要らないと何度も説明しているのだが。
「持って帰れ」
「溶けちゃいますよ」
「だったらお前が二つ食べろ、いつものように」
「一本食べてる間に、溶けちゃいます」
日陰も暑い、夏の午後だった。溶けかけたアイスと、更に突きつける悟飯に根負けするように、仕方なくピッコロはアイスを受け取った。薄黄色のアイスから垂れた水が手を汚し、ピッコロは眉根を寄せる。
「レモンが好き? よかった、僕ほんとうはラムネがよかったんです!」
ピッコロに好きも嫌いもなかったが、悟飯は上機嫌だ。今度はピッコロの手を引いて草の地面へ座らせ、隣に自分も座り込む。
枝葉の影が、静かに地面を塗りつぶしていた。蝉の声はどこか遠く、雲の塊はゆっくりと流れていく。口に入れたアイスの冷たさに毒気を抜かれ、ピッコロは何かを言おうという気もなくなる。
確かにこれは、風味のついた水と呼べるかもしれない。それも、特別に冷たく、ほんの少しだけ身体を冷やしてくれる水だ。水で生きるピッコロにとっては、食べ物に手を伸ばす数少ない理由になりうる味だった。
並んで無言で齧る内、アイスはあっという間になくなる。手の中に残った棒の、かすかな木の香り。
「……これはなんだ?」
「あっ、当たりだ!」
悟飯が目を輝かせ、握っていたアイスのパッケージを広げた。
「すごい、僕、一度も当たったことないです。その当たり棒を送るとね、このラムネのバッグと交換してもらえるんですよ! いいなぁ!」
パッケージには、手提げの小さなバッグの写真があった。水色の透明なビニールに、白と青で気泡の模様が入っている。悟飯は「あたり」と印字された棒と、パッケージのバッグを見比べて、すごいすごいと目を輝かせている。
「お前にやる」
「えっ……いいんですか」
「おれは荷物は持たない、必要ない」
悟飯は立ち上がって、棒を手に喜んでいる。大事そうに当たり棒をためつすがめつする様は、我知らずピッコロの心を和ませた。
神殿の前庭で、悟飯は一人、アイスを齧っている。ハイスクールであったことを話しに来たのに、話すそばからアイスが溶けはじめたのだ。身体はほとんど大人になったのに、なんとも落ち着きがない。
陽射しは強いが、風は心地よい。見るともなしに見ていたピッコロが、ふと思い出して口を開いた。
「……そういえば、あのラムネのバッグ。一度も見なかったな」
アイスの最後の一口を飲み込んで、悟飯は不思議そうに顔を上げた。
「え? だって僕、交換してませんし」
「なんだと? あんなに喜んでいたのに、無駄にしたのか」
「違いますよ」
悟飯は笑って、肩掛けのスクールバッグから長財布を取り出す。布に包まれた何かを摘まみ出し、ピッコロの前でそっと開いた。
「ほら、ちゃんと大事に持ってます」
包まれていたのは随分と色褪せた……「あたり」と印字されたアイスの棒だった。
「ピッコロさんが初めて、僕が持ってきたものを一緒に食べてくれた……記念ですよ。交換なんか、するわけないじゃないですか」
大切そうに当たり棒を眺めて、悟飯は再びそれを財布へ仕舞いこむ。ピッコロは言葉に詰まり、ただ視線を逸らして、そうか、と呟いた。
悟飯は財布をスクールバッグへ戻し、今食べたアイスの棒を眺める。
「僕、未だに一回も当たったことないです。たったの一回で当てたピッコロさん、運がいいですよ」
無邪気に微笑んで、悟飯はスクールバッグを軽く撫でる。
夏の陽射しの下、何年も前の棒きれは、悟飯の荷物の中で沈黙している。ピッコロは答えなかったが、胸の底に甘く蹲る「あたり」が自分にとって一体なにを指すのか、静かに考えていた。