その祝福は孤独を忘れさせる「誕生日おめでとう、お父さん!」
似顔絵を手渡して、満面の笑みを浮かべる息子の頭を優しく撫でる。それを微笑ましそうな目で見る妻の姿が視界に映った。テーブルにはケーキとご馳走が並び、家族揃ってオレの誕生日を祝ってくれる。もう祝われて嬉しい歳でもないのだが。
「ほら、早く火を消してよ!」
息子が楽しそうにはしゃぐ姿を見ながら、オレは火が灯るロウソクに息を吹きかける。ふっ、とあたりが暗くなり妻と息子の祝福の声が響く。が、電気をつけた次の瞬間、二人の姿は忽然と消えていた。
家中探してもどこにもいない、名前を呼んでも返事は返ってこない。ふとテーブルの上に視線を移すと、冷めきったご馳走がそのままになっている。オレは、この光景に見覚えがあった。
――お祝いの日ぐらい、帰ってきてくれたら良かったのに。
どこからか聞こえてきた冷ややかな妻の言葉が、耳に残って離れなかった。
「……夢か」
夢なんて見たのは何時ぶりだろうか、しかも悪夢ときたものだから寝起きの気分は最悪である。バキバキと身体を鳴らしながらベッドから起き上がると、寝巻きのままベランダに出て一服する。外はまだ少しだけ暗かった。
ゆっくりと煙草の煙を肺に入れるように深く吸い込み、早朝の空気の冷たさを感じながら長く息を吐き出す。夢に出てきた元妻と息子の顔を思い出して、少しため息混じりに呟いた。
「……あんな風に祝ったことも、祝われたこともなかったな」
今更後悔しても遅いのは、百も承知だ。
「あら、今日はご機嫌ナナメかしら?」
「わかってるならいちいち言うんじゃねえよ」
ごめんなさいね、とまったく気持ちのこもっていない謝罪と一緒に茶封筒を差し出される。
受け取って中身を確認すると、一枚の写真と資料が入っており、ざっと内容を確認したKKが顔を顰めた。
「この依頼……怪異が関係していないどころか、便利屋案件じゃねぇか」
「そんなこと言わずに行ってきて頂戴。アナタをご指名なんだから」
KKが納得のいかない顔をしていると、凛子が一言加える。
「あぁ、今日はその依頼以外なにもないわよ。どうしてもやりたくないなら断るし、今日は帰ってもらっていいから」
「……どうせ帰ってもやることなんてねえよ。行ってくる」
大きくため息をついて、KKはアジトを後にする。
扉が閉まる音と階段を降りる音が聞こえてしばらくしたあと、凛子が奥の部屋のほうへ声を掛ける。
「行ったわ、これでアイツはしばらく帰ってこないはず……始めましょう」
「悪いわねえ、こんなことお願いしちゃって……」
「仕方ねぇ、依頼料をもらってるからな。その分はちゃんとやらせてもらうよ」
依頼の内容は『引越しの手伝い』だった。以前この家に住み着いていた悪霊を祓ったことがあり、その時の依頼人がこの年配の女性である。
荷造り中に腰を痛めてしまい、引越しの荷物運びができず途方に暮れていたところ、ふとKKのことを思い出して藁にもすがる思いで連絡してきたそうだ。
「どうしても今日じゃないといけなくてねぇ……大きな家具はほとんど処分しちゃったし、そんなに荷物はないから大丈夫かと思って、引越し業者さんにはお願いをしなかったんだけど……」
「いくらなんでも一人じゃ大変だろ、そういう時はプロに頼るものだぜ?……まぁ、このぐらいの荷物なら大した事はないし、なんだったら引越し先まで運転していくよ」
「ええ?さすがにそこまでしてもらうわけには……と言いたいところなんだけど、やっぱりお願いしてもいいかしら?」
困っている人を放っておけないのは職業病だろうか、いざ依頼先に向かうと腰をさすりながら重いものを運ぶ姿を見て、言葉をかけるより先に手を貸していた。
――自分の母親と同じくらいの歳であろう女性を見て、少し懐かしく思ってしまったのも、また事実だった。
「息子が生きていたらお願いできたのだけど、仕方ないわねぇ……」
写真立てを手にしながら寂しげに女性が呟く。
――そもそも、この家に取り付いていた悪霊というのはその息子だった。
不慮の事故で亡くなり、地縛霊にはならなかったもののようやく家にたどり着いた頃には亡くなった無念さ故にそのまま悪霊になってしまい、この家に取り憑いてしまった。毎晩家中でラップ音を鳴らし、母親には悪夢を見せ続け困らせる始末。夜もろくに眠れず睡眠不足で困り果てていたところで、KKたちにその悪霊を祓ってほしいと依頼があったのだ。
――悪霊を祓った、というのには少し語弊がある。悪霊になった息子の霊を浄化した、というのが正しい。
まさか家に取り憑いていた悪霊が自分の息子だとは思わず、依頼主は驚いていた。悪霊のことを息子だと伝えたのはKKであり、祓うのではなく浄化すると提案したのもKKだった。結論から言えば浄化は成功し、理性を取り戻した息子の霊は「親不孝で、ごめん」と詫びていたのをKKは覚えている。
――その親不孝という言葉が、しばらく頭から離れなかった。
今こうしている間にも、両親にはKKが死んだことになっているのだから自身も十分親不孝者なのだろう。
「この家ね、息子と住んでいたから離れたくなかったんだけど……土地開発で立ち退かなきゃいけなくてね。親戚の住んでいる田舎に行くことになったの」
「なるほどな……まあ、田舎も悪くないと思うぜ、のんびり過ごせるだろうしな」
荷物をすべて軽トラックに乗せて、エンジンをかける。あとは引越し先に依頼主と荷物を送り届けて、今日の依頼は完了である。
「そんじゃ、車出すぞ」
引越し先についてからは親戚の手伝いもあり、思っていたよりもすんなり引越し作業は終わった。予定よりも早く終わり、戻るついでにレンタルした軽トラックはKKが返しにいくことになり、そのお礼にと依頼主から果物をどっさりもらった。
「よかったら皆さんで食べて!今日は本当にありがとう、助かったわぁ」
「……言っておくが、今回は特例だからな」
「ふふ、わかってるわよぉ。それじゃあ気をつけてね、ケイさん」
オレのことをケイさんって言ったのはおそらく凛子だろうな、と苦笑しながら、エンジンをかけ車を走らせる。
普段なら聞かないのだが、なんとなく何か聞きたくなってFMラジオのチャンネルを合わすと、ラジオ番組が流れてきた。
「11月16日、今日の放送は……」
アジトに到着する頃には日も暮れて夜になっていた。外で煙草を吸って一息ついてから、報告するためにアジトのドアを開く。ドアを開けると、部屋の中は真っ暗だった。
「今日はもう帰ったか……」
預かった書類ともらった果物だけ置いていこうと居間に向かった、その時だった。
突然電気が付けられ、クラッカーの鳴る音と共に聞こえてきたのは――
「KK、誕生日おめでとう!」
凛子、エド、絵梨佳、デイルのアジトのメンバーとそれに伊月兄妹、皆から祝福の言葉を浴びせられた。
「………………あ?」
KKは驚いて、何が起こったと言わんばかりに目を点にさせている。誕生日?誰の?……オレの?と言いたげな表情を向けた。
「あら、今日アナタの誕生日でしょう、忘れてたの?」
『凛子、KKはそういう事はすぐ忘れるタイプだ。自分の誕生日なら尚更そうだろうね』
「えー、KKって誕生日きても嬉しくないの?嬉しいよねー誕生日!」
デイルは満面の笑みを浮かべている。
「KKさん、お誕生日おめでとうございます!」
口々に祝ってくれることがなんだがむず痒かった。ようやく状況を理解して口を開こうとした時、暁人が目の前にやってきた。
「KK、誕生日おめでとう。もう祝われる歳でもないって言いそうだけど、せっかくだからこうしてみんなでお祝いしたいって、僕が提案したんだよ。……嫌だった?」
「いや……嫌では無い、けどよ……」
なんと言えばいいのか、つい言葉を詰まらせてしまう。子供の頃はさておき、大人になってからこんなに盛大に祝われたのは初めてだった。
「良かった!嫌じゃないってことはそういうことだよね、ほらほら!」
暁人に手を引かれて椅子に座られられる。こんなデカいテーブルどこから……と思ったが敢えて聞かないことにした。テーブルにはケーキにご馳走、なんと蕎麦まである。
「依頼お疲れ様、さっき依頼主の方から連絡があったの。本当に助かったから改めて伝えて欲しいってね」
『元とはいえ、君の志はまだ立派な刑事そのもののようだね。一緒に仕事をする仲間として誇りに思うよKK』
「KKって口は悪いけど優しいもんねー?私に戦い方を教えてくれる時も、厳しいなりに優しさも感じたし、私達はそういうところを信頼してるんだよ」
「よせよせよせ、ムズムズする!」
褒め殺しのつもりかと必死に制止するも、止まる気配はなくそのまま続けられる。
「KKさんのおかげで、今私はこうして生きているんです。お兄ちゃんもそう、KKさんがいなかったら今頃両親と同じところに行ってたんですよ」
「……あの夜、KKと出会わなければあの場で地縛霊になってたと思うよ。こうして出会うことも、分かり合うこともなかったんだ。貴方はすごい人なんだよ、KK」
「………………あーーー、くっそ…………」
顔が熱くなってつい手のひらで覆うように隠す、熱くて熱くて仕方がなかった。なんだか目元も熱いような気がする。
「……え?もしかしてKK、泣いてる?」
「うるせぇバカ!わざわざ顔を覗き込むヤツがいるか!」
顔を近づけてきた暁人がにまにまと嬉しそうに笑う。凛子たちは意外なKKが見れた、とご満悦の様子だった。ここまでの反応を見せてくれたのは、今日が初めてだと。
「さあさあ、せっかくのご馳走が冷めちゃうわよ。みんなで食べましょう」
「KK、あとでケーキにロウソク立てるからふーってしてね!いい?」
『デイル、コロッケはもういい。それは持ち帰ってくれ』
張り切って揚げ過ぎたのか、皿にこんもり盛られたコロッケをさらに追加しようとしていたデイルをエドが制止し、デイルはしょんぼりとしていた。
「麻里と絵梨佳ちゃんはジュース、凛子さんたちはビールにしますか?KKは?何飲む?」
賑やかで暖かい、こんな誕生日は初めてだった。自分の息子や妻も、こんなふうにお祝いしてあげればよかったのだと少し後悔が過ぎったが、それはもう過ぎたこと。今頃楽しくやっているだろうと、ここは気持ちを切り替えた。
「……誕生日も、悪くねぇな」
ビールを受け取り、口元に笑みを浮かべて呟いた。
翌朝――。
目を覚まして身体をバキバキと鳴らしながらベッドから起き上がる。ちょうど日の出の時間らしく、外は少しだけ明るかった。
寝巻きのままベランダに出て煙草に火をつける。煙を味わうように長く息を吸い込んで吐き出す。気分は清々しいものだったが二日酔いだろう、頭が少しだけ痛かった。それに
「あー……食いすぎたな、胃もたれしてやがる」
腹をさすりつつ、やはり歳相応の量を食べるべきだったと後悔しつつも、その表情は柔らかいものだった。
「依頼書、書かねぇとなぁ」
十分に煙草を味わって火を消し、室内へと戻る。
――部屋には新調された靴が、大切そうに置かれていた。