狐と出会った話 1※パロです。
※強めの幻覚。
【狐と出会った話】
「くそっ、しつけぇな」
KKは走りながら悪態を吐いた。
超常現象や怪異を調べる研究者たちと知り合ったのが運のつきだった。
自分は霊やら妖怪が見える適合者というやつらしい。今までは感じる程度だったのに、何やら実験されてエーテルとかいうもんを扱えるようになった。
お蔭で攻撃できるようになり、対処する術を得たが、ゴーストハントという仕事が増えてしまった。
とりあえず自分を実験体にした研究者はなにやら良からぬことを考えていたらしいから証拠を集めて牢にぶち込んでおいた。警察官として当然のことだ。平和を維持するのも簡単じゃない。
今は研究者、八雲凜子やエド、デイルの元で依頼をこなしている。
東京は人が多い分、穢れだなんだとよくないものが集まり、溜まりやすい。
お蔭で忙しくしている。
今も穢れを払ってさて帰ろうという時に、マレビト共が複数体姿を現した。
狭い場所から広いところへ、逃げながら戦っている最中だ。
しかし数が多い。
走りながら削っているが、中々骨の折れる仕事だ。
だが、逃げ込んだ場所が悪かった。袋小路だ。ビルの間に天狗を召喚してグラップルで逃げようかと思ったが、高さがありすぎて無理だろう。
万事休す。
残りの力で隙を作って逃げるしかないかと覚悟を決めたところで、上から声が聞こえた。
「伏せてください!」
考えるより先に体が動いた。
しゃがんで頭を下げる。
同時に、ドンッと大きな音が聞こえた。次いで、何度か同じような音がする。
視界の隅に、ハイソックスにローファーを履いた足が見えた。
学生か、と思い、顔を上げる。
赤いミニスカートに黒いケープ。女かと思ったが何か違和感がある。
ようやく静かになって、その人物がくるりとKKの方を向いた。
「大丈夫ですか?」
狐面だ。
黒ケープに赤いスカート、狐面。
明らかに怪しい。
極めつけは、声がどう聞いても男性だ。よく見ると、肩幅も広いし、足も筋肉でがっちりしている。
どう見ても成人男性。若いのだろうが成人男性だ。
両手を狐の形にして胸の前で交差させている。これが戦闘体制なのだろうか。
「あぁ?」
思わず疑問形の声が口から漏れた。
ハッとしたように青年は両手を胸の前でぶんぶんと横に振る。
「あ、僕は怪しいものじゃないです!」
「いや、その言い訳は厳しいだろ」
「え、あ、いや……やっぱりそう、ですかね?」
明らかにしゅんと項垂れる。KKと背は変わらないのに、仕草が少し幼げなところある。
なんだか悪いことをした気にさせられた。
「……悪い。助けてもらっといてこれはねぇよな」
「いえ、思わず体が動いちゃって……。無事でよかったです」
悪い奴ではなさそうだ。
「とにかく助かった。礼をいう。あのままだとやられてたからな」
「思わず体が動いちゃって。余計なことかなとは思ったんですが、お役にたててよかったです」
「この力、妖力か?」
「あ、はい。僕は妖狐の一族、女狐族の暁人って言います。貴方は?」
「俺は人間だよ。KKって名乗ってる」
「えぇ でも、力使ってましたよね? 陰陽師、とかそういう人間ってことですか? 今はあまり見かけないっていうけど」
「まぁ、そんなようなもんだ」
「ど、どうしよう……。あ、あの! 僕何も悪いことはしてません!」
「いや、助けてもらったし分かってるよ」
「あ、しかも名乗っちゃった……」
「理由もなく縛るようなことはしねぇよ。名前呼ぶだけなら大丈夫だろ」
KKは懐から煙草を取り出して一本取り出して咥えた。
「あ、どうぞ」
前まらスッと人差し指を突き出される。そこにポッと火が灯った。
「こりゃどうも」
お言葉に甘えて使わせてもらう。
しかし、妖だというのにどこか抜けているというか、緊張感のないやつだ。
「で? 暁人くんはなんでそんな格好してるんだ?」
「あ、これは女狐の正装なんです。僕、この格好じゃないと技が使えなくって」
「お前、男性体だろ」
「あ、女狐族はですね。本来その名の通り女しか生まれないんです。で、霊力のある男性と契ることで子を産んで一族を増やしているんですけど、極稀に僕みたいな男が生まれちゃって……」
「なるほど。一族にとっちゃ変則的な存在って訳か」
「そうです。力も女性よりは弱いし、ある程度大きくなると里を離れて生活しなくちゃいけないんです。僕は耳と尻尾を隠せるくらいの力はあるので今は大学生してますけど」
「あれで力が弱いのか。すごいな」
「母や妹はもっとすごいですよ」
煙を深く吸い込んでから吐き出す。
ゆらりと立ち上るそれは、いつもと違う不思議な色をしていた。
狐火を使ったからか、妖力が混じっているようだ。これなら今日はマレビトに見つからずに帰れるだろう。
「一人で暮らしてんのか?」
「はい。伊月暁人って名前で生活してます」
素直すぎて心配になるな、とKKはジッと暁人を見つめた。
これも騙しの一つかもしれない。油断したところで食われてしまうということも考えられる。
「お兄ちゃん!」
その時、高い声が二人の間に割って入った。
暁人はくるりとそちらを向く。
「あ、麻里」
「お兄ちゃん、ほっとけばいいのに急に走り出すんだから……」
言いながら、近寄ってくる。
だが、KKの姿を見つけた瞬間、麻里と呼ばれた少女は暁人の前に出て臨戦態勢を取った。
「こいつ、人間!」
「あ、うん。人間だったみたい」
「力を使うような人間は碌なもんじゃないんだから! こいつら、私たちを縛って力だけ使われちゃうよ!」
ぶわりと妖力が広がっていく。
「おいおい、待て待て」
「待って、麻里。大丈夫。話が分かる人みたいだから」
暁人が麻里の肩をポンと叩く。
「ね、お願い。こんなところで戦闘してたら誰かに見つかっちゃうかもしれない。そんなことになったらみんなに怒られちゃうだろ」
暁人の言葉に、麻里はKKを睨みながらも力を収めた。まだ警戒は解いていない。
「すみません。今、妹が遊びに来てて……。警戒心強いんです」
「いや、分かってくれたなら別にいい。知らねぇ奴を警戒すんのはいいことだ。お前のこと守ろうとしてんだろ。いい妹じゃねぇか」
携帯灰皿を取り出して煙草を消す。仕事仲間の凜子から渡されたものだ。使わないと怒られる。
長居は無用だ。
威嚇してくる妖狐と対峙し続ける訳にはいかない。
「本当に助かった。ありがとな」
「え? あの……」
「事情がって人に紛れて生活してるやつに封じてやろうなんて思わねぇよ。面倒起こすなよ」
すれ違う時に、暁人の頭をぽんと軽く撫でてやった。
妖に年齢は意味のないものだが、大学生として生活していて、年若い印象だ。どうも若者扱いしてやりたくなる。
じゃぁな、と手を振ってから路地を出た。
こういう仕事をしていると、不思議な出会いも多々ある。今日はそういう日だったらしい。
もう会うことはないだろうと再び騒がしい街に紛れていった。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
人間が歩いていった方を見つめている兄に、麻里は声を掛けた。
ふわりと変化を解いた暁人は、普通の服に戻る。
切れ長の目は、さっきの人間を探しているようだった。
「麻里」
「ん?」
「あの人、いい匂いしたな」
「えぇ」
霊力が高く相性のいい人間を匂いで嗅ぎ分ける女狐族にとって、それは一目惚れと同義だ。
まさかこんなところで兄と相性のいい人と出会うとは。
人生何があるか分からない。
しかも草臥れたスーツを着たおじさん。
兄には幸せになってもらいたい。いつ封じられるか分からない様な力を持っている男はダメだ。おじさんだし。
「き、気のせいじゃない?」
「そう、かな」
「そうだよ。久しぶりの変化で気が高ぶってるんだよ」
「……そうかも」
素直すぎるところのある兄は、あっという間に利用されてしまう。
今日はたまたま遊びにきていてよかった。
まだあの人間を信用する訳にはいかない。泳がせておいて、油断したところに首輪をつけられる可能背だってある。
お兄ちゃんは私が守る、と麻里は気合を入れ直した。
そんな会話を兄妹がしていることも。
この日から、仕事の度にどこからか援護が入ったりすることも。
その後、援護の正体を暁人だと見破り声を掛けてしまうことも。
そのまま生活に入り込んでくることも。
まだKKは知る由もなかった。
【女狐とは……?】
アジトに程近いところにそれはあった。
雑居ビルの中にある小さな店。扉を開くと、薄暗い店内にバーカウンターとテーブル席が3つ。
「いらっしゃい」
薄く微笑むのはこの店のオーナーだ。基本的に1人で営業している。
女性と言われればそう見えるし、男性だと言われても納得する。そんな中性的な見た目だ。
オーナーは入ってきたKKを見ると、ニィッと口元を大きく歪ませた。
「最近ご無沙汰だったからどうしてるかと思ってたとこだよ。元気かい?」
「あぁ、おかげさんでな」
「それはよかった。ビールでいいんだね?」
「あぁ。あとは適当になんかくれ」
「おや、珍しい。この店にあまり長居しないんじゃなかったかい?」
「まぁな。妖怪のやってる店なんて落ち着かねぇよ」
「違いない」
KKの言葉に、オーナーは声をあげて笑った。
人間の振りが上手いが、正体は化け猫だ。コンビニにいる猫又なんて可愛いものじゃない。人間に化けるのも上手く、この店のオーナーとして人間世界に溶け込んでいる。
曰く、人間たちの悲喜こもごもを観察するにはうってつけの商売で楽しいらしい。
かなり長く生きているようだ。その分、情報通で妖怪や怪異のことを相談している。もちろん有償。対価はきちんと支払わなければならない。
人間が好きとはいえ、妖怪だ。その線引きは重要になってくる。
「で? 今日は何が聞きたいんだい」
「狐のことだ」
「狐ねぇ。いっぱいいるよ、あいつらは。人間世界にも紛れてる。商売上手が多いからね」
「だな。俺が知りてぇのはそいつらじゃない。女狐ってやつだ」
オーナーは少し目を見開いた。
「珍しい。女狐ってのは里に引っ込んでて中々お目にかかれない高位の狐たちだよ。その名の通り、女ばかりの狐でね。他の狐との交流も嫌うんだ」
「へぇ」
「どこで会ったんだい? お前は力が強いから、見初められちゃったかい?」
「いーや。ただ噂で聞いただけだ。ほんとにいるのかって思ってな」
「ふーん、そういうことにしといてやるよ」
楽しそうに目が細められる。
出された冷えたビールを煽ってから、KKは目を反らした。
「そういえば二十年前くらいかねぇ。女狐の長一族の中に男が生まれたって妖怪たちが色めきたってたよ」
「へぇ」
きっとあの日出会った青年のことだろう。妖怪のことだからもっと長く生きているかと思ったが、見た目通りの年齢だったか。
「そりゃ珍しいのか?」
「あぁ、珍しい。女狐は霊力を持った人間の種を貰って子を産むのさ。産まれた子も女。そうして里で生きていく。ただ稀にね、男が産まれるんだ。今回は千年ぶりくらいかねぇ」
「ふーん」
「しかも長の一族。そこらへんは人間じゃなく他の狐や妖怪と契ることが多くてね。白狐の父親と女狐の間に産まれた男だってことでざわついたのさ。本来なら次期長候補だ。なのに、男ときた。男は18くらいで里から出される。女狐は女にしか興味がないからね」
「なんで他のやつらがざわつくんだ」
オーナーは楽しげに眼を三日月形にする。ぎゅっと瞳孔が細くなった。猫の目だ。
「女狐のやつらはすぐ外に出すから知らないんだよ。女狐の男がどうなるか。女狐の中じゃ力は弱いようだが、高位の狐に変わりない。契りたいやつ、食いたいやつはごまんといるのさ」
「……狙われるのか」
「まぁそうだね。とはいえ、狐だからね。そう簡単にはやられないさ。同じく高位の妖怪が相手だったら知らんがね。ま、とにかく手に入れたい奴はいっぱいいる。居場所が知れれば争奪戦だよ」
「大変だな。前のやつはどうなったんだ」
「うーん、確か天狗に連れ去られたんじゃなかったかな。食われたのか、それとも添い遂げたのかは知らんよ」
「食ったら妖力が得られるのか?」
「そうなると信じてるやつもいる。存在が希少なやつには色んな噂はつきものだからね。食ったら力が強くなる、女狐族だから男でも孕める、見たものを魅了する、本当かどうかわからない噂ばっかりだ」
「妖怪の世界も大変だな」
「人間ほどじゃぁないさ」
楽しそうに笑っているのを見て、KKは置かれたつまみを口に含んだ。何か知らんが美味い。ここの料理は間違いがなかった。
この化け猫は料理上手だ。
「人間に紛れた狐の中に、ずっと探してるやつも何人かいる。金を持ったやつが多いが、そういうやつは強欲だ。もっともっとと歯止めが効かない。巻き込まれないように気をつけな」
「そりゃご忠告どうも」
「いーえ、これでもあんたのことは気に入ってるんでね。人間の中でもこっちに近いやつはそういない。面白いからね」
「人を娯楽の対象にしてんじゃねぇよ」
金を置いて席をたつ。それと冥貨をごっそり。ついでに仕事で手にいれたガラクタなんかを置いていく。こういうのが好きらしい。
「ごちそうさん。また来るわ」
「あぁ、待ってるよ」
「なぁ」
「なんだい」
「18で出てるはずならもう里から出てるよな。見つかってないのか?」
「あぁ、まだ見つかってない。どういう訳だかね」
礼の代わりに手を振ってから店を出る。
そのままアジトへと足を向けた。
あの兄妹はかなり高位な妖怪だったらしい。妹がたまに遊びにくると言っていた。見つかってないのはそこも関係しているのかもしれない。
巻き込まれるつもりはない。
だが、無関係でもいられない。
あの日、助かったのは事実だ。
あの後、仕事をする度にどこからか援護が入ってくる。姿を見せない、気配もないから触れないようにしていた。
だが、このまま何もなかったような振る舞いは出来ないなと思っていたところだ。
「さぁて、どうするかね」
妖怪だがまだ20歳そこそこの子どもだ。妖怪の概念は知らないが、少なくともKKにとっては庇護する対象の中に含まれる。
面倒事はごめんだが、放っておける訳がない。
KKは渋い表情でタバコに火をつけた。
***
女狐の事情を少し知った次の日。
調査していた穢れは思ったよりひどいもので、マレビトたちが湧き出るお約束の展開となった。
人通りの少ない場所へと誘いこみ、次々と倒していく。
そして、予想通りどこからともなく火の玉が飛んできて、KKの近くにいるマレビトを倒した。
全てを片付けると、路地にある空き地には静寂が訪れる。
もう深夜だ。この辺りは住宅街だから静まり返っていた。
エーテル攻撃やマレビトの声は普通の人には聞こえない。建物にも傷がつかないのも不思議なものだ。
音や熱、冷たさも適合者にしか分からない。
何も見えない人間から見ると、何をしているのか分からないだろう。不審に思われるのも面倒なので、毎回人目を避けるようにしなければならないのも厄介だ。
周りにはやはりなんの気配もない。
「おい、いるんだろ」
声を掛ける。
だが、返事は返ってこない。気配もない。
「いるのは分かってんだ。話してぇだけだから出てきてくれ」
もう一度声を掛けると、建物の影からおずおずと顔を出してきた。
あの時のスカート姿ではない普通の青年の格好だ。シャツにジャケット、ジーンズといかにも大学生といった風貌だった。
綺麗な顔立ちをしている好青年だ。
「あの、すみません」
「なんで謝るんだよ」
「余計なこと、してるのは分かってたんですけど……」
「いや、助かってるよ。ありがとな」
暁人はホッとしたように肩の力を抜いた。
「よく俺のいる場所がわかるな。それもお前の力は?」
「どうでしょう。僕は貴方の力の欠片が見えるけど、他の妖怪もそうかはわかりません」
「なるほどな」
「その、貴方の力ってすごく綺麗だから。痕跡を見つけると思わず追ってしまってたんです」
確かにエーテルはキラキラと光って綺麗だ。その残滓も同じようなものなのだろうか。
「そう言われると、この力も悪くねぇと思えるな」
「はいっ、すごく綺麗でかっこいいです!」
「お狐様に褒められるなんて縁起がいいね」
小さく笑うと、暁人もにこっと笑った。
綺麗な顔だが、笑うと少し幼くなる。可愛い、なんて柄にもなく感じてしまった。
それを誤魔化すように、KKは咳払いを一つ。
本題に入ろう。
「毎回、助かってるよ。ただな、このままこっそり助けてもらうっていうのもいい気はしねぇ」
「やっぱり迷惑、ですよね。僕みたいな妖怪が……」
「そうじゃねぇよ。礼も対価もなしに働かせる訳にはいかねぇって話だ。お前、当面は人として生きて行くんだろ?」
「はい。やっぱりどうしても人の中で生活してみたくて」
「なら、バイトってことで仕事を手伝ってくれねぇか?」
しゅんと項垂れていた暁人の頭が、ガバッと上を向いた。
大きく目を見開いて、KKをじっと見てくる。
「い、いいんですか」
「あぁ、とりあえずお試しってことで。お前が嫌ならすぐやめてもいいしな。普通のバイトじゃないから、断ってくれてもいい」
「やります!」
考える暇もなく、と言った具合に暁人は元気よく返事をした。
その勢いに、KKの方が驚く番だった。
「いや、よく考えてからでいい。人として生きてぇなら、このバイトはちょっと違うからな。お前の妖怪としての力や知識も借りなきゃいけねぇ。そういうのが嫌なら……」
「嫌じゃないです。僕が出来ることならなんだってします!」
「いいのか? 人の生活にとけこみたいっていうならおすすめしないぜ」
「僕、溶け込みたいわけじゃないんです。ただ自分の目で色んな世界を見てみたいから、今はここで生活してる。自分に出来ることならなんでもしたい。それだけです」
「そうか」
暁人の真っ直ぐな瞳に頷く以外の選択肢はなかった。
ポケットを探って、用意してあった紙切れを出して暁人に渡した。
「そこが俺たちのアジトだ。下は俺の番号。分からなかったら連絡しろ。昼間なら大抵誰かいるから、時間がある時に来い」
「あ、はい!」
「それと、敬語で話さなくていい。仕事仲間だ。対等でいこうぜ」
「わ、わかった」
「じゃ、よろしくな」
歩き出すKKに、暁人が声を掛ける。
「ん?」
「あ、ありがと。KK」
「こちらこそ、いつもありがとな」
手を軽く振ってから歩き出す。
とりあえずはこれでいい。
数年見つからなかったのだ。何かしら女狐族が守りを固めているのだろう。
面倒事になった時、また考えればいい。
何も知らない振りでいることの方が嫌だった。
手助けしてくれるのなら、傍に置いておいた方がいい。知らないところで面倒なことになるよりはマシだ。
暁人と別れてアジトへ向かう。
階段を登ろうとしたところで、何かの気配を感じた。
「ねぇ」
声がする方を見ると、暁人の妹で麻里と呼ばれていた少女が立っていた。
一目で不機嫌だと分かる表情だ。
「やっぱり来たか」
「分かってたんだ」
「少しは事情が分かったんでね。大方、暁人が俺と接触すれば分かるようにしてたんだろ?」
「……へぇ、ただの人間なのに」
「ただの、かはわからねぇがな」
「確かに。ただの人間ではないみたいね」
傍にある電話ボックスの方へと行って、壁に寄りかかった。胸ポケットを探って煙草を出した。
「それ、やめてよね」
「火はつけねぇよ。鼻、やられるだろ」
「出すだけで嫌な臭いなんだから」
「そりゃ失礼」
しょうがなく煙草を元に戻す。
「で? お前は暁人を守ってるんだろ?」
「……私だけじゃない。里のみんなで守ってる。確かに掟だから18歳になったら里から出さなきゃいけない。でも、みんなお兄ちゃんのこと好きだもん」
「狙われるってのを知ってるのか?」
「うん。お父さんの方、白狐族からね。そちらに行くっていう話もあったけど、白狐の別の家系から婚姻の話だされちゃって。お兄ちゃんがそれは嫌だし、一度世界をみたいからって……」
「なるほど。目障りな存在として扱われてる訳じゃねぇのか」
「そんな訳ないじゃない! お兄ちゃんは優しいし、みんなに慕われてた。子ども達の面倒もよく見てて……。それでも里にはいられないの。女狐同士では婚姻出来ないし、男がいつまでもいていい環境じゃない」
「まぁ、そりゃそうだろうな」
どんな世界にもルールがあり、境界がある。それを崩してしまうのは容易なことではない。
「女狐の加護。それを私が定期的に会って、強化してる。だから、しばらくは大丈夫なはず。お兄ちゃんも幼い頃から、気配の消し方や変化の仕方を教えられてるし」
「そうかい。そりゃ安心だな」
「でも、お兄ちゃんが力を使えば気付くやつらもいる。あまり力は使わせないでほしいの」
「へぇ。俺の手伝いをするのはいいのか? てっきり反対しに来てるのかと思ったぜ」
麻里はぎゅっと眉を寄せた。
「私は反対よ! 当たり前でしょ。でも、お兄ちゃんがこっそり貴方のこと追ってるの知ってる。どうしてもほっとけないって。一度決めたら絶対に行動するのがお兄ちゃんなの。私も、お兄ちゃんのやりたいこと、邪魔したくない」
「……そうか」
一度、KKを物凄い形相で睨んでから、ため息を吐き出した。
「……なんでこの人なんだろ」
「あ? なんか言ったか?」
小さく呟いた言葉は、KKの耳には届かなかった。
「なんでもない。とにかく、力はなるべく使わせないで、ちゃんとお兄ちゃんのこと守ってよね! バイト先の責任者として!」
「責任者は俺じゃねぇけど……。まぁ、大人として肝に銘じとくよ」
「あと、連絡先渡して。ここは人間の貴方に合わせてあげる」
「過保護だねぇ」
「事情知ってるなら理解できるでしょ」
「そりゃ、そうだ」
それに次の長になるかもしれない妖怪には逆らわない方がいいだろう。
とんでもない妖怪と知り合いになったものだ。
とりあえず持っていたメモ帳に番号を書き込んだ。
「やだ。通信アプリとかいれてないの?」
「……妖怪も今時はスマホ持ってんのかよ」
「お兄ちゃんのとこ行く時は女子高生してんの。に、人間の世界も面白いし」
こりゃ相当人間の世界を楽しんでいるようだ。
まだ年若いから当然だろう。
「俺が生きてる間には長にはならねぇな、こりゃ」
「何当たり前のこと言ってんの? 私が長になるのなんてまだまだ先だよ。人間よりずっと長生きなんだから」
「だろうな」
生きる時間も、力も何もかも違う。
なのに、これからバケモノ退治を狐と一緒にすることになるとは。
巡り合わせというのは面白い。
麻里はKKの連絡先を書いたメモをギュッと握りしめた手で、ビシッと指差してきた。
「とにかく! お兄ちゃんのこと頼んだからね! ちゃんと見張ってるんだから、変なことしないでよ」
「なんだよ変なことって。大丈夫だよ。妖怪だろうとガキの1人くらい守ってやる」
「ガキ扱いしないでよっ。あんたよりうーんと長生きするんだからね」
「今はまだ10代だろ。ガキで十分だよ。ほら帰れ。いつまでもいられると変な目で見られちまう」
「結界張ってるから大丈夫だし」
「用意周到だな」
「この街でおじさんと一緒にいられるとこ見られたくないもん」
そういうところは女子高生らしい。
KKが苦笑すると、麻里はひらりと踊るようにビルの上へと飛びあがった。
「じゃぁね。また来るから。しっかり見てるよ」
そう言うと、夜空に溶けるように消えていった。
やれやれ、と今度こそ煙草を取り出して口に咥え、火をつける。
思ったよりも騒がしくなりそうだ、と思いながら紫煙を吐き出した。
END