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    物置部屋

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    伊田にまつわる小話三つ カップリング要素はないです
    伊田と未守 一線を引いた話
    伊田と服部 無自覚にかけた呪いの話
    伊田と宮瀬 先に進まざるを得なくなった話 の三つです
    ※加筆修正有

    在りし日の空の色日脚


    「今日の聴取、流石にやりすぎだったんじゃないのか」
    午前の聴取を終え、軽食を頬張る昼休憩。伊田は頼まれていた缶コーヒーを未守に差し出しながら、少し間隔を空けて左隣に腰を下ろした。左手に下がるビニールには、同じく缶コーヒーと切らしていた煙草、そしておにぎり数個が無造作に放り込まれている。対する未守は受け取った缶をすぐには開けず、そのまま床に置いてサンドイッチを食している。内容物はハムチーズに大量のキャベツ。栄養価の観点から言えば僅差で伊田の負けである。
    「悪事を働くことに躊躇いがない人間は、何度だって繰り返す。それも次々と手口を巧妙化させてね。巻き込まれる方はたまったものじゃない」
    パンくず一つこぼさずに昼食を終えた未守は、乾いた口内を潤すためか缶コーヒーを開ける。缶特有の空気音が響く。伊田は、コーヒーを飲み込む彼女の口から先刻まで発せられていた文言の数々を思い返しながら、静かに息を吐いた。
    「野放しになんてさせない」
    伊田は、未守が法の範囲で下される罰が妥当でないと思われる場面において、苦虫を噛み潰すような思いを抱き続けていることは知っていた。けれど、伊田は被害と同じように、加害にも原因が存在すると認識している。だからと言って擁護をする訳ではないが、その原因を抜きにして話を進めることもまた、伊田の理念に反していた。
    間違いを一度も犯さずに生きていける人間など存在しない。それは伊田が、かつて希望を見た義兄との関わりを経て得た、一つの解だった。
    「罪を犯すのは、何も己の利のために開き直った人間だけじゃない。したくもないことをせざるを得ない状況に立たされた人間だって数多くいる。それを単純な善悪の中で推し量っていいのは俺たちじゃない、法だ」
    空になった缶を置く未守を横目に、遅れて伊田も昼食の封を開ける。中身もよく確認しないままだったそれは、どうやら鮭むすびだったらしい。
    「…お前はそう言う人間も、引き返す道はないと思うのか」
    そこで伊田は初めて、未守がこちらを見据えていることに気がついた。その目は正確に伊田を捉え、その上で圧と共に明確な線引きをしている。それなりに付き合いを経てきたつもりだったが、その未守の表情を伊田は今までに一度だって見た記憶がなかった。
    「生憎だけど。理解してもらえるとも、理解してもらおうとも思ってないの」

    伊田が未守の琴線に触れたのは、後にも先にもこの一回だけだった。




    黄昏


    まださほど乗り慣れているわけでもないだろうに、存外落ち着いた運転だといつも思う。
    官庁へ戻る途中、伊田は昼休憩を兼ねて都築沙良の病室を訪れていた。その間の道中付き合わせることになる後輩には、好きなように休憩をとっていいと毎回伝えているが、伊田が駐車場に戻る頃には必ず用を済ませて待っているのが、現在の相棒、服部という男だった。今まさに運転席に座っているのがそうである。
    「人間には、その人だけの人生があって、事情がある。その一つ一つに寄り添うことは現実的に不可能、だから規則が生まれ、法が生まれた。だけど…」
    道中、拘りますねと投げ掛けられた言葉を反芻しながら、伊田はぼんやりとそんなことを呟いた。服部は特に視線を移すこともなく、相槌もないまま伊田のぼやきに耳だけを傾けている。安全運転の鑑だ。
    「自分の手が届く範囲くらいは。そういう人生ってやつに、寄り添うことを諦めたくないからさ」
    間に合わないことだって何度もあった。何度も取り零して、その度に選べなかった最善を思って悔いた。伊田は自分に関与した人間、いわゆる手が届く範囲のものに取り分け誠実であろうとしたために、間に合わなかったものに対する「その後」に、いつだってできる限りの尽力をしてきた。それは服部に対しても同じで、伊田は服部の人生をよく知っているわけではなかったし、人に好かれることそのものをどこか厭うような様子の根源を知ろうと言う意志もなかったが、どこか諦観めいたそれを、単純に放って置けなかったのだ。
    それまで静聴していた服部が、少しだけ破顔したのを伊田は見逃さなかった。服部が浮かべた笑みには、揶揄めいたものは含まれていなかった。
    「正義さんも大概、生きづらい方を選びますよね」
    その言葉の意図は伊田の知るところではなかったが、悪い気分はしなかった。伊田はこの後輩が、存外素直で繊細であることを知っている。ある意味服部の対人関係における明確な一線は、そう言った本質に対する武装であるようにも思えるが、それに口を出すのは伊田の本意ではない。自分は自分なりに誠意を持って付き合っていくだけであり、それが功を奏した結果が、今の関係性であるとも言えるかもしれない。
    目の前の信号は青、この先を曲がればすぐ官庁だ。速度と共にギアを落とし、服部がハンドルをひねる。
    「……お前は、取り零すことを恐れるままでいてくれよ」
    「はい?」
    「こっちの話」
    この後輩が、これから先直面するであろう多くの後悔。どれほど擦り切れようと失われない輝きを、伊田は信じていたいと思う。少しばかり腑に落ちない様子の服部を余所に、伊田はさっさと車を降りた。




    黎明


    鈍い痛みがぼんやりと薄れていく感覚は、死を予告するものではなく。伊田の意識は、著しく損傷した肉体に反して冴えていた。
    「はは、なんで生きてるんだ…これ…」
    傾斜のついた屋根に打ち付けられた後、路地裏のゴミ捨て場に転がり落ちた。数時間後には回収されていただろう廃棄物をクッションに生き延びるとは、どこまで生き汚いのだろうと伊田は自嘲する。
    どうにか廃棄物の山から這い出た伊田に、ゆっくりと近づく影があった。穏やかな足音は、ついこの前まで聞き慣れていたものだ。
    「……久しぶり」
    「助けが必要ですか?」
    柔和に響いた声の主は、伊田と同じ癖にうねる髪を避けながら、伊田から朝日を遮るようにしてしゃがみこんだ。どうやら後処理の迎えは闇医者ではなく、花好きの使用人に任されたらしい。
    「………。要らないはずだったんだけどな」
    「こちらとしては、無残な遺体に手を差し伸べることにならずに済んでほっとしていますが」
    逃げるために、追わせないために蹴った屋上のコンクリート。かつての後輩と再び対峙したそのビルに非常用の階段がないことは、最初から知っていた。そもそも、今のこの身体では、当時と同じく満足に走ることなど到底出来はしなかった。更に言えば、今後自分が名無しの解決と真相の究明を急ぐ全ての者に、与えられる時間はほとんど残されていないと伊田は理解していた。だからこそ、絶対に後を追えない手段を選ぶ必要があった。
    「ねえ、伊田さん」
    足は幸いにも骨折していなかったらしい、ふらふらと膝を立てた伊田の右腕を肩に回し、少しばかり引きずるようにして立ち上がらせる。差し込む朝日が目に染みた。
    「夜が、明けましたよ」
    本来、拝むはずのなかった夜明け。遠方の漣は足早に駆けた昨日をものともせずに、静かに引いては寄せている。死に場所すら選べなかった伊田を前に、それでも死体よりはましだと笑ったこの男もまた、死に場所を選べずにいた一人である。どちらにせよそう長くはない命、彼らに厄介になるのも程々にするつもりではいるが、伊田は男があの家でこの先どのように日々を過ごすのかを、多少気掛かりにしていた。少しくらい見届けてからでも悪くないかと、しぶとく生き延びてしまった命を顧みて思う。
    「…そうだな」
    思えば、後悔ばかりの人生だった。正解が存在しない世界の中で、悔いはないと胸を張れる事柄など、そう多くはなかったが。せめて、その後悔と共に朝を迎えよう。己が取り零した全てが、迎えることのできなかった今日という日を。
    この命が終わるまで。
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    「今日の聴取、流石にやりすぎだったんじゃないのか」
    午前の聴取を終え、軽食を頬張る昼休憩。伊田は頼まれていた缶コーヒーを未守に差し出しながら、少し間隔を空けて左隣に腰を下ろした。左手に下がるビニールには、同じく缶コーヒーと切らしていた煙草、そしておにぎり数個が無造作に放り込まれている。対する未守は受け取った缶をすぐには開けず、そのまま床に置いてサンドイッチを食している。内容物はハムチーズに大量のキャベツ。栄養価の観点から言えば僅差で伊田の負けである。
    「悪事を働くことに躊躇いがない人間は、何度だって繰り返す。それも次々と手口を巧妙化させてね。巻き込まれる方はたまったものじゃない」
    パンくず一つこぼさずに昼食を終えた未守は、乾いた口内を潤すためか缶コーヒーを開ける。缶特有の空気音が響く。伊田は、コーヒーを飲み込む彼女の口から先刻まで発せられていた文言の数々を思い返しながら、静かに息を吐いた。
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