あの頃、僕たちはいつも一緒にいた。
教室でも寮でも任務先でも、大抵側にいる。二人きりではないことはあっても離れていることは結構珍しくて、特に一年の頃は一つ上の先輩たちから「お前らほんといつも一緒にいるよな」とよく言われたものだ。
賑やかなことが好きな僕とは違って、七海は静かな空間や時間を好む。それでも、僕らはいつも一緒に過ごしていた。
僕が持ってきたゲームに七海が付き合ってくれることもあれば、七海がおすすめしてくれた本を七海の隣で黙々と読むこともあった。同じ部屋にいるのに全く別々のことをしている時もよくあって、お互いの気配がすぐ側にあることが、当たり前のようになっていたのだと思う。
二年に上がりお互い別の人と任務に行くようになったり単独任務が入るようになると、少しずつ離れている時間が増えていった。
送り出す時は、ただ真っ直ぐに「いってらっしゃい」と声をかけた。余計なことを言ったり顔に出したりして変に心配をかけたくなかったから、自分なりに意識した。
けれど、離れているとどうしても意識してしまう。
二つしか机のない教室の、隣の空席。おぼんが一つだけだと広く感じる、食堂のテーブル。テレビの正面ではなく、少し左寄りに置いてしまう座布団。廊下を歩いていても、廊下の窓から差し込む光がなぜかいつもより眩しく目を刺してくる。
一緒にいる時は気が付かない、日常の中の些細な空白。一年の間、当たり前に、それこそ空気のように側にあったお互いの存在がいないことの空虚感。
だからだろうか。
「おかえり」
僕たちにとって、相手が自分のところへ帰ってきてくれたことを実感するこの言葉は特別だった。
到着ゲートの前で七海を待った。
渋谷の地下にいたはずの僕は、七海が絶命したと同時に空港へと戻っていた。
死んだ者がどのくらい時間を経てここへ来るのかはよく分からない。もしかしたら四十九日が終わってからなのかもしれないけれど、確か宗派によって違うと聞いたことがあるし、そもそも七海が何を信仰していたのかも知らないから、結局僕はただ待つことしかできない。
それでも、十七の夏から過ぎた時間を考えると、そのくらいの日数なんてあっという間だと思った。
到着ゲートの正面に置いてあるベンチに座って、薄っすらと白んでいる向こう側を眺める。
あそこから七海が現れたら、まずなんて声をかけよう。
お疲れさま。すっごく頑張ったね。
この十年余りの七海のことを思うと、労いの言葉をたくさん贈ってあげたい。
会いたかった。ずっと待ってた。
これはそんなにすぐ言うことじゃないよね。僕が勝手に七海のこと待ってただけだし。
急に出てきてごめんね、の方が先かな。七海、びっくりしてたもんね。あの時みたいに、また困らせちゃったよね。
言いたいことはたくさんあって、どんなことをどんな順番で言おうか、なかなか決まらない。
すると、遠くの方に人影がチラついた。それはゆっくりとこちらへ近付いてきて、姿かたちも段々とはっきりしてくる。
「え、」
そして、到着ゲートから現れた人物を目の当たりにした時、僕は自分の目を疑った。
僕よりも少し背の高い、綺麗な金髪を軽く右側に流した、僕と同じ真っ黒な制服姿の男の子。
あの頃の、ずっと一緒にいた頃の姿をした七海だった。
この場所は自分が望む頃の、自分の姿になれる。
けれど、ここへ到着する時はみんな死んだ時の姿のはずだ。少なくともここへ来た時の僕は十七の姿だったし、少し前に来た夏油さんは袈裟を着た大人の姿だった。
「自分で違うことを選んだのに、正直気まずいんだけど」
この場所のことを感覚的に理解した夏油さんは、しばらくの間考え込んでから、少し困ったように笑って僕たちと一緒にいてくれた頃の姿を選んだ。
けれど、七海は。
始めから。
「灰原」
ここから聞いていた、成熟した大人の深みのある低音とは違う、ほんの少しだけ少年の面影を残す声色。あの頃と同じ、柔らかくて、落ち着いていて。たまらなく優しい、僕の名前を呼ぶ声。
「……ななみ」
一緒にいた頃数えきれないくらい呼び、離ればなれになってからも、届かないと分かっているのに何度も口にした大切な名前。それなのに、上手く口が回らない。言いたいことはたくさんあるのに、喉の奥が変に震えて、言葉が出てこない。あの頃の姿をした七海を見ていたいのに、視界が滲んでいく。
この十年余り。変わっていく七海をずっと見ていた。
差が開いていく上背。厚みを増していく身体。元々深かった彫りはさらにはっきりとして、緩やか曲線を描いていた頬もすっきりと引き締まり、華奢なんてイメージはどこにもないくらい首だって太くなった。
見えにくくないの?と何度も聞いた綺麗な金色の髪もだんだんと短くなって、七海の性格らしくきっちりセットなんかして、高そうなスーツもかっこよく着こなすようになって。
いつも一緒だった頃から、少しずつ、けれど確実に。違っていく僕ら。
仕方のないことだと分かっていた。流れる時間の中を進んでいく七海と、止まった時間の中で佇むことしかできない僕。
もうあの頃には戻れないのだと、ここへ来た時に理解したつもりでいた。
それなのに。
滲んだ視界が綺麗な金色と僕と同じ制服の黒でいっぱいになった。
「灰原……」
懐かしい声が耳元で響き、背中へ回った腕にぎゅうっと力がこもる。よく知っている七海の香りが鼻孔を抜けると、僕の腕も同じように七海の背中へ回っていた。
お疲れさま。頑張ったね。ていうか、頑張りすぎ。
でも、七海らしいなって思ったよ。
あと、ほんとにごめんね。置いていっちゃったのに急に出しゃばったりして。いつか七海に会えたらいいなって思って待ってたんだけど、我慢できなくなっちゃった。
だって、あんなにふうに呼ばれたら、行っちゃうに決まってるでしょ?七海そういうとこあるから、ほんとずるいよねぇ。
……ううん、うそ。
僕のこと呼んでくれて、嬉しかった。僕のこと忘れないでくれて、ありがとう。
会いたかった。ずっと、待ってた。
寂しかったよ、七海。
あふれる涙が邪魔をして、何も言葉にすることができない。
それでも。
「ただいま」
微かに滲んだ声でそう言った七海が苦しいくらいに抱きついてきて、なんとかそれに応えようと、僕は懸命に喉を震わせた。
「おかえり、七海」
あの頃で止まってしまった僕と、あの頃へ戻ることを望み続けた七海。
こうして過去に縋りつくことは、もしかするとよくないのかもしれない。
けれど、僕たちは。
「会いたかった」
「僕も会いたかったよ」
「すごく寂しかった」
「僕もすっごく寂しかった」
ほんの少し腕の力を緩めた七海が顔を上げた。
くしゃくしゃに泣く七海は見たことがなくて少し驚いた。でも、きっと自分の顔も同じくらい涙で濡れているのだと思うと、自然と笑みがこぼれてしまった。
「もう、離ればなれになりたくない」
「うん、僕も離ればなれはもうやだ」
──ずっと一緒にいようね。