総集編を踏まえた七灰.
この中には馴染めないと思っていた。
そもそも、馴染む気なんてはじめから持ち合わせていなかった。
物心がついた頃から、自分の見えている世界が他人と違うことに気がついた時から。
自分の居場所なんてどこにもないと、自分はひとりなのだと、そう思っていたからだ。
入寮の日。
まだ荷解きも終えていないというのに、突然部屋に押しかけてきた人間が何人かいた。
最初は、不躾で不真面目でノリが軽くて、おそらくは自分が想像できない程の能力を持っている先輩たち。
どうやら後輩ができたことが嬉しかったらしい。特に銀髪にサングラスなんてふざけた格好の方は鬱陶しいくらいの先輩ムーブで絡んできて、この人には極力関わらないよう努力しようと強く誓ったものだ。黒髪を結った先輩の方は穏やかに「私も非術師の家系出身だから、分からないことがあれば遠慮なく聞いてね」と優しい言葉をかけてくれ多少安堵したが、その数時間後、銀髪の先輩と喧嘩したとかどうとかで寮の一部を破壊しと聞いて、やはり信用してはいけないと再び心に誓った。
それから、次。
突然部屋に押しかけてきた人間が一人。
正確には、荷解きを終えて、部屋から見える大きな桜の木を窓から少し身体を乗り出してぼんやりと眺めていた時。隣の部屋の窓からヒョコ、と顔を覗かせたまん丸な黒い瞳と目が合った。
「あ! こんにちは!」
ニコリと音が聞こえてきそうな笑顔が浮かんだと思えば、よく通る明るい声が耳に届いてきた。
きみがもうひとりの新入生だよね? さっき先輩たちが来て教えてくれたからあとで挨拶行こうと思ってたんだぁ! 僕らの学年二人なの知ってた? 先輩たちから聞いてビックリしちゃったよ~。やっぱり呪術師って少ないんだね、って、そうだ自己紹介忘れてた!
一応挨拶を返そうかと中途半端に開いていた口を動かす隙もなく、くるくると話し続ける少年をただ見ることしかできない。
ただ、最初の笑顔よりもさらにまぶしい満面の笑みが向けられた時。
「僕、灰原雄! これからよろしくね!」
彼を取り囲むようにして、キラキラとまばゆいものが弾けたのだ。
「荷物片付いた? 晩ごはんはどうするの? よかったら一緒にどうかな?」
勢いに圧倒されたといえばそうかもしれない。だが、首を縦に振ったのも、別にこのあと何もないし、とボソリと口にしたのも誰でもない自分自身だった。
とはいえ、その数分後。
「ごめんドア開けてー!」
という大声を共に、米と炊飯器と大量の白ご飯のお供を両腕に抱えてやって来るとは流石に想像してはいなかったのだか。
鬱陶しくて騒がしくて規格外な先輩たち。
馬鹿みたいに元気で明るくて前向きな、たったひとりの同級生。
この中には、馴染めないと思っていた。
馴染むつもりなんてないと、そう思っていた。
はずなのに。
携帯の画像フォルダの枚数が知らない間に増えていた。
灰原が赤外線で送ってきたもの。
夏油さんがメールに添付してきたもの。
家入さんに頼まれた時のもの。
五条さんが人の携帯を勝手に使った時のもの。
自分の意思で、撮ったもの。
今まで、携帯の画像フォルダに他人の写真があったことはほとんどない。あったとしても両親か遠い外国に住む祖父母くらいだ。
同級生、先輩、先生。それだけでなく、自分も写る写真までフォルダに入っている。しかも、一枚ではなく何枚も。
灰原とふたりだったり、先輩たちに囲まれていたり、プリクラのブース内でぎゅうぎゅう詰めになっていたり。なんならいつ撮られたか分からないソロショットだったり。
別に今までも、家族以外と写真を撮ったことはある。
ただ、それは何かの集合写真だったり何かの行事であったりと、撮ることが前提にある時ばかりだった。
放課後の教室、自習時間の廊下、合同体育中のグラウンド。
任務終わりにファミレスへ寄った時、休日に五人で出掛けた時、夏休みに灰原の家にお呼ばれされた時。
ブレて、ピントが合っていなくて、なんなら誰もカメラの方を向いていないものもある、画質の悪い写真たち。
そんな、なんでもない日常を切り取った写真が、知らない間に増えていた。
その写真の中の自分は、自分でも知らない楽しそうな顔をしていた。
いつの間にか、この中に馴染んでいた。
ここが、自分の居場所になっていたのだ。
*
その日は遠出の任務だった。
高専の最寄り駅から三度乗り継ぎ、終点からバスに乗り換えてさらに一時間半。始発に乗ってもギリギリ午前中に着くか着かないかの、山間の小さな集落が今日の目的地。
任務内容はなんでもない二級呪霊の討伐任務だが、日付けが変わる前に高専へ帰るなら、バスを降りたらすぐさま現場へ向かわなければならないだろう。
「今のうちにお昼食べとかないとねっ!」
そう張り切って、一度目の乗り継ぎ駅で買った駅弁とおにぎりを三つ目の路線に入って早々に食べ終えた灰原は、五分程前からうつらうつらと船を漕いでいた。そして、年季の入った列車がガタンと大きく揺れたタイミングでこてん、とこちらへもたれ掛かってきた。
普通なら今の衝撃で目を覚ましそうなものだが、朝も早く腹も膨れたこの状況ではこの振動も心地が良かったのだろう。
人の肩を枕にして眠る人物の顔をそっと覗き込む。
肩に当たって少しつぶれた頬、むにゅっと形を変えた厚めの唇。伏せられたまつ毛はいつも溌剌としている目元にうっすらと影を作っていて、いつもキリリと凛々しい眉は前髪の向こうでゆるりと脱力している。
緊張感なんてどこにもない、心底幸せそうな寝顔だ。
この一年と数ヶ月の間で、灰原の寝顔は数えきれない程目にしてきた。今のように電車の中だったり、授業中の教室だったり、寮の自室のベッドの中だったり。
一緒に生活しているのだから、寝顔くらい何も珍しいものではない。ただ、灰原の一番無防備な顔を知っているのは自分で、その反対もまた然りだと思う。
いつの間にか見つけていた、自分の居場所。
その中でも、一番安心するのは灰原の隣だ。
緩みきった寝顔を眺めていると、写真を撮りたいな、なんて考えがふと頭に浮かんだ。
普段なら電車の中で写真を撮るなんてことしない。ただ、読みかけだった文庫本も五分程前に読み終わってしまい、ようやく三度目の乗り継ぎを終え、後は終点までぼんやりしていたらいいこの時間を持て余していたのだ。
一両編成の車両の中には、自分達の他に乗客が数人。通路を挟んだ二人掛けの席は空席で、窓際に座る灰原へ携帯を向けたとしても、訝しく思う人はいないだろう。
灰原が座った方と逆に入れておいてよかったと、小さく安堵しながらズボンのポケットから携帯を取り出した。
すっかり寝入っている灰原は携帯を開く音くらいで起きるわけもない。シャッター音も年季の入った列車の大きな走行音がかき消してくれる。その分少しブレてしまったが、撮り直すほどではないから別にいい。
距離が近すぎて顔の半分くらいしか写っていない、灰原の寝顔。ただ、この距離で灰原の寝顔を見ることができるのは自分だけの特権だと思うと、再びとある考えが頭に浮かんできた。
帰りもこんなふうに灰原が眠ったら、また写真を撮ってやろう。そして、高専へ帰って報告書を書いて一眠りして。明日の朝食の時にでも見せてやるのだ。
灰原はどんな反応をするだろう。
いまさら恥ずかしがりはしないな。「なんで二回も撮ってるのー!」と笑ってくれたら嬉しい。
もし「僕も七海の寝顔撮るからね」と言われたらどうしようか。まあ、誰かに見せないように念を押しておけばいいか。
そんなことを考えているうち自分の頬が緩んでいたことに気がついたが、誰が見ているわけでもないからと少々にやけたまま保存ボタンを押した。
車内スピーカーから次の停車駅名が流れる。終点まではまだ先は長い。
任務の資料は昨日から何度も読み返した。山道のバスでは眠れそうにないから、今のうちに自分も少し眠っておくのが得策かもしれない。それに、よく効いた車内の冷房のおかげか、右側に触れているぬくもりがだんだんと心地良くなってきた。
画像フォルダを開いて、さっき撮った写真をもう一度眺める。
それから、なるべく音を立てないよう携帯を閉じて、ゆっくりと瞼を下ろしていった。