七灰ワンドロワンライ48.『戯れる』.
思い返すと、随分と不器用な子どもだった。
誰よりも大好きなくせに、その気持ちを上手く言葉にできなくて。
もっと近くにいたいくせに、自分から行動に移すことがなかなかできなくて。
そのくせ、彼の方から来られると、気恥ずかしさからなんでもないような態度を取る始末。
本当に不器用で面倒な子どもだったと思う。
それが、今となれば。
*
久々に重なった休日の昼下がり。
普段なら午前中に家のことを済ませ、買い物がてら灰原とふたりで外出するところだが、ここ数日は今期一番の寒波が襲来していることもあって、家でのんびり過ごすことになった。
コーヒーを淹れて、貰い物のお菓子も開けて、ふたり一緒にリビングのソファへ身体を預けた。灰原の傍らには、まとめて読もうと思っていたらしい漫画が何冊も重なっている。こちらも任務の移動時間に読むには少々荷物になるハードカバーの単行本を本棚から取ってきた。
ふたりで過ごす時、映画鑑賞やテレビゲームといった一緒に楽しめるものを選ぶことの方が多いが、こうして別々のことを楽しむこともよくある。一緒の空間で、一緒の時間を過ごす。その良さに気付いたのは、ふたりの家を持って、しばらく経ってからのことだ。
ソファの足元にオットマンをくっ付けた灰原はゴロリとうつ伏せになって漫画の単行本を開き始めた。自分も文庫本を読む時はたまに取る体勢だが、分厚いハードカバーには不向きだ。
本に飽きたら、寝室からもう一つのオットマンを持ってきて、同じように灰原の隣へ寝転ぼう。
そんなことを頭の片隅へ残しておきつつ、ひとまずは物語の中へ入り込もうと、しおりの挟まったページを開いた。
どのくらい経っただろう。
サイドテーブルから持ち上げた大きなマグカップの中身がすっかり空になっていることに気がつき、時計を確認した。
読み始めてから一時間半ほど。なかなか集中していたらしく、分厚いハードカバーの残りも随分と薄くなっている。
このまま読み切ってしまおうか。ただ、同じ姿勢を取り続けていたこともあり、少々疲れも出てくる頃合いでもある。
飲み物も無くなったことだし、と開いていたページにしおりを挟んで隣へ声を掛けた。
「コーヒー淹れなおすけど、何か飲むか?」
「んー、大丈夫」
顔を上げた灰原が「ありがと、建人」と小さく笑う。たったそれだけのことに、胸の奥がきゅっ、と甘い音を立てた。
灰原に対してだけ、自分は随分と単純な人間になってしまう。昔はそれを素直に受け入れることも、心の中に生まれた気持ちを表に出すことも、上手くできなかった。
しかし、流石にこの歳になると、自分なりの表現方法を持てるようになったのだ。
「分かった」
灰原へそう返し、空になったカップを持って立ち上がる。だが、キッチンにはカップを置きに寄るだけで、目的地は別の場所だった。
少ししてリビングへと戻ると、一通り読み終わったのか、灰原は最初に読んでいた単行本をパラパラと開いていた。
「読んだのか?」
「うん。週刊で読んでたけどまとめて読むと違う発見があっておもしろかった!って、あれ?それどうしたの?」
満足げな様子の灰原はいろいろと確認するように巻を変えながらページを捲っている。しかし、こちらが抱えていたものをソファの足元へ置くと灰原はパッと顔を上げた。
灰原のオットマンとくっ付けるように置いたのは、寝室に置いているもう一台のオットマン。その上には午前中に洗濯乾燥機に掛けたブランケットも乗っている。
「寝室から持ってきた」
「それは分かってるけどさ」
不思議そうな表情を浮かべる灰原を横目に、カウチ状になったソファへ寝転がる。端に追いやっていたクッションは頭の下に。洗い立てでふわふわのブランケットを大きく広げて、すぐそばにいる灰原ごと身体を覆う。
「えー、なになに?」
ブランケットの中でもぞもぞと灰原の方へにじり寄ると、灰原は小さく笑った。ゆるりと下がった目尻、柔らかな弧を描く唇。向けられる視線は、優しくて、甘い。
「いや、ちょっと休憩と思って」
「ちょっとって感じじゃなさそうだけど」
「気にしなくていいから。雄はゆっくり読んで」
そんなことを口にしながら、手のひらは灰原の腰へやんわりと触れている。もちろんそれは灰原も気がついていて、浮かぶ笑みは一層甘くなった。
単行本を閉じた灰原が身体の向きを横向きに変えた。招かれるように開いた胸元へ擦り寄ると、ぎゅうっと頭ごと抱き締められる。少し息が苦しくなるが、肺を満たす灰原自身の香りに、言葉にできない喜びが込み上げた。
少々回りくどい甘え方だと自覚しているが、若いにも程があるあの頃に比べたら、まあかなりマシになった方だろう。いつまで経っても不器用で面倒なところがある自分をこうして受け入れてくれる灰原には、本当に感謝しかない。
「僕もちょっと休憩」
「じゃあ、一緒に昼寝でもしよう」
「いいねぇ」
別に眠るつもりはなかったが、クスクス笑う灰原から伝わる振動に自然と瞼が重くなっていく。トントン、と背中まで軽く叩かれたら、睡魔に抗うことはもうできそうになかった。