七灰ワンドロワンライ47.『独占欲』.
昔から何かに執着することは少なかった。
好き嫌いもあまりなく何でも食べたし、いろんなことに興味を持つ子供で何でも遊び道具にしていたらしい。こだわりがなかったと言ってもいいのかもしれない。
妹が生まれてからはおやつやおもちゃをよく妹に譲っていた。自分としてもお兄ちゃんとして褒められることが嬉しかったから、苦に思ったこともなかった。
だから、自分の中にこんな感情があるなんて知らなかったのだ。
任務終わり。
「疲れたねー」
最寄駅から高専までの帰り道。
「ああ。でも思っていたより早く終わってよかった」
疲れたねと話しながら七海とふたりで歩く。
「ほんとだね。これなら晩ご飯ちゃんと食べれそう!」
こんな些細な時間が特別好きになったのはいつの頃だったか、よく覚えていない。
「あ、そうだ!せっかくだし晩ご飯一緒に作ろうよ!」
「そうだな。夜は冷え込むらしいし、たくさん野菜を切って鍋なんてどうだ?」
「いいね!僕、冷凍庫にお肉ある!この前買いすぎちゃったやつ冷凍しといたんだ!」
「私の方も鶏ひき肉があるから、つみれでも作ろうか」
「やったぁ!七海のつみれ大好き!」
明日は土曜日で授業はない。ふたりでご飯の準備をして、ふたりでご飯を食べて、ふたりで片付けをして。その後も、七海とふたりで過ごせるのだ。
浮かれる気持ちを隠すこともせず、何鍋にしようか七海へ聞こうとした時。
突然、七海の携帯が着信音を鳴らした。
「……もしもし……はい、ええそうですけど……」
わかりやす過ぎるくらい不満げな顔をして電話に出る。おそらく相手は五条さんなのだろう。
「は? それって拒否権ありま……分かった、分かりましたよ」
どうやら七海の要望は一瞬で却下されたらしい。眉間の皺がどんどんと深くなっていく。
「はい、駅前のいつもの、……」
チッ、と小さな舌打ちをこぼした七海は、携帯を閉じると同時に大きくて長いため息を吐いた。
「五条さんたち?」
「ああ……今からいつものファミレス行くぞ、って。あと五分くらいで着くから来いって……」
ファミレスでご飯に限らず、こうした先輩たちからのお誘いは、高専へ入学してから数え切れないほどあった。一つ下の後輩が非術師のみということもあってか呪術に関してはもちろんのこと、それ以外のいろいろなコトを先輩たちは面倒を見てくれる。
「今日って先輩たちも任務だったよね。なんか呪霊の出現条件に時間経過が必要って言ってたけど、今日中に終わったんだ。流石だねぇ」
「どうせ無茶苦茶なことをして呪霊を無理矢理引っ張り出したんだろう。きっとまた、夜蛾先生の胃が荒れるに違いない」
そう言う七海も何故か胃が痛そうな顔をしている。とはいえ、いつもよくしてくれる先輩たちが無事任務を終えたのは、後輩としては嬉しいことだ。
「まあ、ここで話していても仕方ないな……」
もう一度大きなため息を吐いた七海が渋々といった様子で呟く。
そして、今まで歩いてきた方向へ踵を返そうとした時。
何故か、右手が七海の制服の裾を掴んでいた。
「え?」
「えっ?」
七海と声がシンクロした。自分でも何をしたのか一瞬分からなかったからだ。
「どうした?」
振り返った七海が怪訝そうな顔をする。その時になって、自分の心の中にあった気持ちにようやく目が向いた。
大人数でワイワイするのは昔から好きだった。それが、可愛がってくれている先輩たちなら尚のこと。今日の任務のことも聞いてみたいし、自分たちの任務のことも聞いてもらいたい。ファミレスでいろんなメニューをシェアして、ドリンクバーで遊んだりもして。
きっと、楽しいに違いない。
けれど──。
これまでも七海とふたりで過ごす時間はたくさんあった。教室で、食堂で、休憩所で。移動中も、任務先でも。どちらかの部屋で夜を明かすことも、数回あった。
高専へ入ってから。いや、十六年の人生の中で特定の誰かと過ごした時間は、肉親以外なら七海が一番長い。
それなのに。
たった一人の同級生がかけがえのない恋人へ関係が変わってから、もっと七海と一緒にいたいと思うようになった。
低く落ち着いた声を自分にだけ聞かせてほしい。自分にだけはにかんだ笑顔を見せてほしい。綺麗な翠色の瞳に映すのは自分だけにほしい。
初めて知った、独占欲という感情。
七海をひとりじめしたい。
そんな願望が無意識のうちに行動に出てしまったのだ。
「な、なんでもないよ!先輩たちもうファミレスに向かってるんだよね?待たせちゃ悪いし早く行こっ!」
急激に恥ずかしくなって、慌てて七海の制服の裾から手を離した。だんだんと熱くなっていく頬に気づかれないよう、七海から顔を逸らして駅の方へと足を向ける。だが、歩き出そうとした瞬間、グイッと七海に手を掴まれていた。
「えっ、七海……?」
呆気にとられているうち、ズンズンと歩き出した七海に引っ張られていく。向かう方向は駅ではなく高専だ。
「まってよ、七海。そっちじゃないよ」
七海は一歩先を歩いていて、どんな顔をしているのか分からない。ただ、金色の髪の毛の隙間から見え隠れする耳は、夕陽を浴びているにしては随分と色が濃いように思えた。
「ねえ、七海ってば」
「急に雑用を押し付けられたことにしよう」
「え?」
「あとで夏油さんにメール送っておくから」
「七海、それって、どういう、」
突然、七海が歩みを止めた。
「私は灰原とふたりでいたい」
そう言った七海がゆっくりと振り返る。七海の顔は、思っていた以上に赤く染まっていた。
あんな些細な主張に七海は気づいてくれた。それだけでなく、七海も同じように思ってくれていた。
ぶわっ、と全身の温度が上がる。きっと、頬どころか首筋まで真っ赤になっているに違いない。
それでも、恥ずかしさよりも嬉しさが。嬉しさよりも七海への愛おしさが心の中から湧き上がっていた。
「うんっ!僕も!」
大きく頷いてから、七海の手をしっかりと握り直す。
きっと明日、先輩たちには問い詰められるだろう。
けれど、今はただ。
七海とふたりの時間を思い切り楽しみたいと、高専までの道のりを駆け足で進んだ。