七灰ワンドロワンライ43.『過保護』.
今日もまた、後輩二人のとある光景が夏油の視界に入る。
「午後からの実技の授業、教科書いるみたいだけど持ってきたか?忘れたなら私の一緒に見てくれていいからな」
忘れても今からなら寮に取りに帰っても全然午後の授業に間に合うと思うんだけど。あ、灰原ちゃんと持ってきてたんだ。七海、何とも言えない顔してるなぁ。
「生物の課題、明日までだけど大丈夫か?もし終わってないなら夜時間空いてるから言ってくれ」
あ〜、それさっき七海がいない時に私が流れで答え教えちゃったプリントかも。ごめんね七海、せっかくの灰原との時間奪っちゃって。
「これ食べるか?チョコとバニラ、好きな方選んでくれていいから」
え?七海って呪具の鞄にお菓子入れてるの?しかも二種類?絶対灰原用だよね?結局自分の分、半分あげちゃうんだ。でも灰原の半分こは断らなくてよくない?
昼休みの食堂で、放課後の休憩所で、合同実習の帰り道で。毎日のように、何なら一日に数回、場所も時間も問わず目撃するこの光景。
「灰原。そろそろ見たいって言ってた映画始まる時間じゃないか?」
「あ!ほんとだ!地上波初放送だから絶対最初から見たかったんだよね!ありがと七海っ!」
事あるごとに、七海が灰原の世話を焼く光景だ。
「ほんと、過保護だよねぇ〜」
今日も目の前で繰り広げられた後輩二人の微笑ましいやり取りに、常々抱いていた素直な感想が夏油の口からこぼれた。
夏油の発言に、談話室のソファから立ち上がりかけていた二人が動きを止める。キョトンとしていた表情を先に変えたのは七海の方だった。
「そんなことありません」
眉間の皺を深くした七海が切り捨てるように口を開いた。ただ、主語も目的語もなかったというのに否定の言葉を返したことで、夏油の発言の意味を正しく汲めるくらいには自分の行動を自覚していると言ったようなものだ。夏油がニッコリと含みのある笑みを浮かべると、七海の眉間の皺はさらに深くなる。
すると、ようやく夏油の発言の意味を理解したのか、灰原が「あー!」と声を上げた。
「そうなんですよ!七海は細かいことにすぐ気づいてくれるんです!今日もコンビニ行った時、僕の好きそうな新作のお菓子があるの教えてくれて!」
ニコニコと、どこか誇らし気にも見える笑顔で灰原が熱弁する。それを隣で聞いている七海の眉間にはまだ皺があったが、心なしか頬が赤くなっているように見えるのはおそらく気のせいではない。
「自分があんまり細いこと気にする方じゃないので、いつもすごく助けられてます!」
「別に私は当たり前のことをやっているだけで……」
夏油への切り返しとは打って変わって、七海はモゴモゴと口を動かしている。結局、もう映画が始まる時間だと七海が灰原を引っ張るようにして談話室を後にした。
「微笑ましいねぇ」
後輩二人の入学直後。二人の性格があまりにも正反対であることに、勝手ながら心配していた。正直、七海が過保護すぎるとは思うが、ああして上手く関係を築けているなら先輩の立場としては安心だ。
しかし、数日後。
とある光景を目撃した夏油は、後輩二人の関係性についての見解を少々変えることになった。
週末が明日に迫った昼下がり。午後の授業で急遽必要になった古い文献を普段あまり立ち入らない図書室へ取りに行く道すがら。
校舎からは少し離れている休憩所の側を通った夏油は、ガラス窓の向こうに見慣れた黒髪の後頭部があることに気がついた。
「灰原」
コン、と窓ガラスを軽くノックして名前を呼ぶと、灰原がバッと振り返る。
あ!夏油さん!
続いて、そう窓ガラス越しでも聞こえる声で返事が来るかと思ったが、いつものように大きな口を開きかけた灰原は何か思い出したように慌てた様子で口を噤んだ。
座ったまま少しやりにくそうに窓を開けた灰原が「お疲れ様です」とひそめた声で言う。普段と違った灰原の様子を怪訝に思ったが、灰原の足元へ視線を落とした夏油は全てを理解した。
休憩所の木製ベンチに横向きで寝転がる七海の姿。その頭は灰原の膝の上に乗っていて、灰原の腹へぎゅっと顔を押し付けるようにして眠っていた。
「随分とお疲れみたいだね」
「そうなんです。昨日の任務が長引いたみたいで帰ってきたの三時なんです。午前の授業は休んだら言ったんですけど」
「で、ここで昼寝か」
はい。と答えた灰原は普段の溌剌とした笑顔とは違う、柔らかな微笑みを浮かべている。
「ご飯食べてる時から何回も船漕いでたのに午後も出るって聞かなくて。だから、こっちの休憩所なら静かだし寮に戻るよりも近いからって引っ張ってきたんです」
「なるほどねぇ」
灰原の言う通り、相当疲れているのだろう。声量を落としているとはいえ、頭上で会話が繰り広げられているというのに七海は微動だにしない。いつも灰原の世話を焼いている時とはかけ離れている七海の姿に、夏油の頬も自然と緩んでいく。
「あの」
「ん?なんだい?」
「このこと、他の人には内緒にしてくれませんか?」
夏油がキョトンとすると、はにかんだ灰原はこう続けだ。
「いろいろ言われると七海恥ずかしがっちゃうと思うんで」
「ああ……そうだね。分かった、内緒にしとく」
「ありがとうございますっ」
動けない灰原の代わりに休憩所の窓を閉めた夏油はペコリと頭を下げる灰原に手を振ってその場を後にした。
「なーにニヤついてんだよ傑」
「なんかおもしろいことでもあった?」
どうやら、自分で思っていたよりも顔に出ていたらしい。文献を持って二年教室へ戻ると、夏油は怪訝そうな顔をした五条と家入から口々に質問された。
「うーん……」
信頼されている後輩からのお願いを破るわけにはいかない。それに灰原もあそこまで七海に対して過保護なら、遠くないうちみんなの前でもあんな姿を見せるだろう。
「お互い様だったなぁ、って」
迷った末に夏油がそう口にすると、五条と家入は「はあ?」と声を合わせて首を捻るだけだった。