8月七灰原稿③人の手で遊び始めた灰原をぎゅうっと腕の中へ閉じ込めた。「もぉ」と小さく不満の声があがったが、本気でないことは分かり切っている。そのまま黒髪へ鼻を埋めて静かに呼吸を繰り返していると、じわじわ眠気が広がってきた。
朝起きても、灰原はここにいる。だが、夕方にはまた灰原を見送らなければならない。こんな状況でも、そんな寂しさを感じてしまう自分に少し嫌気がさした。
それぞれのやるべきことがあるのだから、あの頃のようにずっと一緒にいることはできないとわかっている。けれど、もし同じ帰る場所が同じだとしたら、どうなるのだろう。
朝は早起きの灰原に起こされてばかりかもしれない。慌ただしく支度をして、朝食はなるべく一緒にとって。それから、玄関先でいってきますと言葉を交わす。任務を終えて自宅の玄関を開けた時、灰原におかえりなさいと出迎えられたら疲労は軽くなるだろう。反対に灰原が疲れ果てて帰ってきたら思いきり労わってあげたいし、お互いヘトヘトだったら家事は適当に済ませて二人でさっさと寝てしまったらいい。
休みの日はゆっくり朝寝坊をして、のんびりとご飯を食べて。分担して家の中を整えたら、スーパーへ出掛けて食材をまとめ買いして。散歩がてら美味しいお店を開拓してみたり、少し手の込んだ料理を作るのもきっと面白い。たまには二人でお風呂に入って、ふかふかのベッドでこんなふうに抱き合って、眠くなるまで話をして。夢の世界へ旅立つ直前におやすみと囁き、また目が覚めたらおはようと寝ぼけた声で伝える。
そんな日々を、過ごせたのなら。
心地よい眠気に包まれて、頭がおぼつかなくなっていく。現実にいるのか夢の中にいるのか、わからなくなるくらいに。
「ゆう」
「なーに、けんと」
眠気をまとった灰原の声が優しく鼓膜を揺らす。回している腕に手のひらがそえられて、ぎゅっと抱き締められた。
このぬくもりを、灰原からの愛情を、この先もずっと享受できたのなら。
どんなに幸せだろう。