スカラビア寮の宝物庫には、無いものはない。
そんなわけはないとわかっていても、私は時々、そう感じてしまう。実際、今もカリム先輩が思い付きで言った「みんなで演奏しようぜ」という言葉により、何種類もの楽器が宝物庫から談話室に運び込まれていた。
寮生みんなと、それから招待された他寮生が集まる宴は、真夏の夜が更けるにつれて盛り上がりを見せている。
そこにあるのはほとんどが――おそらく熱砂の国の――見たこともない楽器だ。太鼓のような打楽器もあれば、笛のような筒状の楽器もあった。それでもスカラビア寮生にはかの国の出身者が多いらしく、彼らは楽しげにそれを奏でている。私が触れるのはウードくらいだけど、その壊滅的な演奏技術がバレているのは今のところジャミル先輩だけなので、近づかないに越したことはないだろう。
私は音楽に集まる人垣から、少し離れたところの床に腰を落ち着かせる。
「監督生、おつかれ」
「お疲れ様」
食べ物と飲み物を持ったスカラビア寮一年生のグループが、私を囲んだ。彼らはみんな顔見知りでありクラスメイトも混じっていたので、私は気安く返事をする。
「このアイス食べた?」
「あ、これすごい美味いよな」
「私三個も食べた」
「食いすぎだろ」
空調が効いているはずだけど、スカラビア寮の夏は私にはやっぱり暑くて、冷たいものが欲しくなるのだ。彼らは笑って、グラスを傾けた。最近はすっかりここの寮にも馴染めた気がして、嬉しくなってしまう。
彼らはそれからしばらく私をまじえて、出された課題の話とか苦手な先生の愚痴とか、たわいのない会話を交わした。向こうで、踊っている生徒が見える。音楽が盛り上がり、合唱する声も聞こえた。久しぶりの宴と美味しい料理で、みんなテンションが上がってしまったのだろう。集まった陽気な生徒たちの熱気とスパイスの香りで、室内はむせ返るようだった。
四個目のアイスをスプーンですくいながら、私は額に浮かぶ汗を拭う。暑かったけど、そこまでは良かった。
問題は、その後だった。
「なあ監督生」
隣にいた寮生が、口を開いた。なんだか、ちょっと意味ありげな笑みを浮かべているような気がする。
「なに?」
「寮長って、凄くいい人だろ」
突然カリム先輩の話を振られて、私は面食らう。当のカリム先輩はといえば、談話室の反対側に腰を下ろして別の寮生たちと談笑しているのが見えた。今日はまだ、彼とはちゃんと話せていない。
「そうだね」
いい人には違いないので、私は素直にそう答えた。
「俺たちといる時もさ、すごい熱血っていうか」
「お人よしっていうかな」
会話に、逆隣りの子も入ってきた。
「あー、うん、そうかもね」
「そんな寮長を俺たちは尊敬してるわけだけど……」
「実際さあ、どうなの?」
急にそう聞かれて、私は言葉につまる。
「どう、って?」
いつの間にか、そこにいたグループ全員が身を乗り出して私の方を見ているのに気づいて、私はさらに戸惑った。
「二人でいる時の寮長って、どんな感じ?」
「え」
「ずっとあんな感じなの?」
「えーと……いや、どうだろ」
これは、なんだか変な空気になっている。確かに即席の楽団は、いつの間にか甘い調べを奏でていた。みんな、故郷の音楽にあてられてしまったのだろうか。彼らの表情から察するに「下世話なことを聞くなよ」等と忠告をしてくれそうな者はいなかった。明らかに全員が、興味津々だ。
「何でそんなこと気になるの」
「恋バナが聞きたい」
「いや、やだよ」
「お前のじゃなくて、寮長の恋バナが聞きたい」
それって、どっちも一緒じゃないだろうか。だけど一同は「うんうん」と頷いて見せる。これは数の暴力だ。どうしたって、私の分が悪い。
「ふ、普通だよ」
平静を装ってそう言ったけど、もはや私の言葉も聞いていないようだ。盛り上がった彼らは、勝手に話を進めた。
「やっぱりあのテンションで『キスしようぜ!』とか言うのかな」
「それもいいけどなぁ」
「いや、違う気がする」
「俺が思うに、恋愛映画みたいな歯の浮くようなセリフを平気で言ってる」
「あー確かに。寮長って、いかにも王子っぽいこと言いそうじゃないか?」
「王子ってどんなだよ」
その言葉に、一人が演技過剰のジェスチャーつきで私に向かって台詞を吐いた。
「どんな星でも、お前より輝いているものはないぜ!」
私は、つい吹き出してしまう。違う、似てない、とブーイングが出たけど、彼は笑いながら力説する。
「いや絶対こんな感じだって」
それが皮切りになり、一同は口々にカリム先輩が言いそうな口説き文句を披露した。私に向かって片膝を立てた彼らが披露する小芝居は、すべて全くと言っていいほど似ていない。
「お前は砂漠に咲く一輪の花だ!」
「全然ダメ寮長はもっとかっこいい。紳士っぽさと情熱が足りない」
「こんなのどうだ? お前に出会ったとき、オレの人生はやっと始まったんだ!」
「違うな……君はどんな舞姫よりも私を虜にする!」
「いやそんなキャラじゃないだろ」
「俺の目を見ろ……」
「それは副寮長」
彼らの下手くそな物真似が面白くて私は、ついおなかを抱えて笑ってしまう。涙の滲んだ目じりを拭ったその時にふと、気がついた。カリム先輩が私をじっと見ている。彼は右手を持ち上げると、手招きするように動かした。
「監督生、寮長が呼んでるんじゃないか」
私の隣にいた寮生が言うと、一同は首を向けてカリム先輩を確認し、それから一様にニヤけ顔を浮かべた。
「はーん、やきもちじゃないか」
「何言われたか後で教えて」
「い・や・です」
完全に遠慮を失くした彼らを置いて、私はカリム先輩の方へと向かう。途中はしゃいで転びかけた寮生を避けてたどり着いたそこに膝をつくと、さっきまで先輩と話をしていた人は既にいなくなっていた。
「カリム先輩、こんばんは。いい宴ですね」
ちょっと、盛り上がりすぎなのは否めないけど。彼は片膝を立てて座り、少しだけ眉をひそめていた。
「監督生、何か着てくれ」
挨拶もそこそこに急に服装のことを言われ、私は驚く。今はぴったりしたTシャツに、ショートパンツというゆるい格好だけど、そんなにおかしくもないんじゃないだろうか。
「今日、暑くて……だらしなかったですか」
そう聞くと、カリム先輩は困ったように答えた。
「そうじゃないけど――薄着すぎるだろ」
思わず、目を見開いてしまう。私はさっきの寮生の言葉を思い出した。これは、ひょっとすると。
「カリム先輩……もしかして」
つい、口角があがってしまう。
「やきもちですか?」
ふふふ、と嬉しさを隠し切れずに笑う私を見て――予想とは裏腹に、カリム先輩も笑みを浮かべた。あれ、と私は目をしばたかせる。どうも、思っていた反応と違うようだ。
持っていたゴブレットを床に置いて、彼は言う。
「それならいいけどな。とにかく何か着てくれ。でないと――」
カリム先輩は私の二の腕をつかんでぐっと引き寄せると、耳元に唇を寄せてささやいた。
「見境なくやっちまいたくなる」
多分、私は耳まで真っ赤になったことだろう。はじかれるように勢いよく後ずさりした私は、すぐに誰かの足にぶつかる。見上げると、それはジャミル先輩だった。
「着替えならある。行くぞ」
「は、はい……」
私は借りてきた猫のように従順になり、ジャミル先輩の後をついて歩く。談話室を出ようとすると、先ほどまで私を囲んでいた一年生のグループが、たいそう興奮した様子でこっちを見ているのが見えた。多分、カリム先輩がまた花とか星とかに絡めた王子様的な愛の言葉をささやいたと思っているんだろう。残念だけど全然違うし、彼が何を言うのかなんて、私にもまったく見当がつかないのだ。
「これに懲りたらもうそんな恰好でうろつくのはやめるんだな」
廊下を歩きながら、ジャミル先輩が不機嫌そうに言う。私は心の底から、彼の言う通りだと思った。
「……そうします……絶対に……肝に銘じます」
それから全く肌を見せないような完全防備で談話室に戻ったけれど、もうあまり意味はなかったのかもしれない。
私が本当に懲りることになったのは、宴の後、カリム先輩の部屋でだった。