グリムはサンタクロースを知らない。
私がそれに初めて気が付いたのは、学園内にホリデームードが漂い始めた十二月初めの頃だった。
「知らない男が勝手に入ってくるのか? 危ないんだゾ!」
危機感を募らせるグリムに、私は笑いをこらえる。
「大丈夫、サンタクロースはいいおじいさんだから、プレゼントをくれるだけで悪さをしたりしないよ」
「ほんとか……!?」
「そうそう。真面目に授業にも出て、いい子にしてれば、一番欲しいものがもらえるんだよ」
私の言葉を聞くとグリムは驚いたように黙って、それから何かを決意したように言った。
「……オレ様、真面目になるんだゾ!」
その言葉に合わせて、耳のところの青い炎が勢いを増したように見えた。
こうなっては、私がサンタクロースにならないわけにはいかない。炎は出ないけど、私のやる気もこうして火が付いたのだった。
***
トレイン先生の声が午後の教室に響く。
この眠たくなる時間、二百年前の小人たちの反乱について真面目に聞いている生徒は、普段ならほとんどいない。
しかしここ最近は違った。
私は横目で右隣に座るグリムを見る。姿勢を正して一心に講義を聞くその姿は、いかにも優等生然としていた。
「ねえ」
左隣りに並んで座るのは、エーデュース。グリムに見つからないよう、私は彼らにメモをまわした。
『グリムが欲しいものって何だと思う』
こちらも珍しく真面目に授業を受けていたらしい二人は少し迷惑そうな視線をよこしたけれど、それでも短く返事を返してくれた。
『食いもの』『ツナ缶』
やっぱりそうか。誰が考えてもそうなるに決まっているのだ。エースが続けて、質問をよこした。
『なんで?』
『クリスマスプレゼントだよ』
私の返事を見た二人は、怪訝そうに顔を見合わせた。
『プレゼントやんの?』
『そうそう、サンタクロースになるの』
『なんで?』
エースのメモを見て、私は面食らった。こちらにはプレゼントを贈る習慣は無いのだろうか。もしかしたら、知っていてもやらないだけなのかもしれない。
よく考えたらこの学園の生徒といえば、サンタのプレゼントなんて馬鹿にしそうな顔ぶればかりでは、ある。「クリスマスって、ガキのイベントだろ」みたいな感じなのだろうか。何だかエースとデュースの、戸惑うような微妙な表情も、邪悪な嘲笑に見えてきた。
下手にこの会話を続けると、「サンタとかまーだ信じてんの? ププー!」とか言われて面倒な感じになるかもしれない。サンタがいないことくらい、私だって知ってる。でも、グリムは知らないのだ。
私は適当にごまかそうと、彼らが理解できそうにない事を返して煙に巻くことにした。
『日頃の感謝を込めた年末のご挨拶です』
二人はまた顔を見合わせる。
『なんだそれ』
『私の世界のお歳暮っていう習慣』
「そこ、こそこそと何をやっている!」
デュースが何か書こうとしたところで、トレイン先生の小言が飛んだ。
慌てて正面を向いて私たちは黙ったけど、グリムがそれを見てこそっと笑ったのを私は聞き逃さなかった。
「オレ様だけ、いい子なんだゾ」
***
グリムに贈るプレゼントは、ツナ缶。
満場一致でそれは決まったけど、問題はお金だった。資金調達方法として、私が選べる選択肢は一択。つまり、バイトである。
モストロ・ラウンジで短期バイトの契約をして、私はその日から連日シフトを入れた。
オクタヴィネルの面々は、プレゼントのために働く私に全く理解を示さなかったけど、別にいいのだ。それにしても「そんな事をする必要が?」「監督生さんは変わっていますね」「意味わかんね~」とまで普通言うだろうか。この学園の生徒はみんなドライすぎると思う。その分、私がグリムにクリスマスの楽しさを教えてあげるしかない。
とにかく私の頭の中は、ツナ缶でいっぱいだった。たくさんツナ缶を買ってあげたら、グリムは喜ぶだろうか。ちょっと高価だけどカラフルなツナ缶を詰め合わせたら、クリスマスらしくて可愛いかもしれない。そう考えると、猛烈な連勤も苦にならなかった。
当日のグリムの笑顔を想像すると、楽しみで仕方ない。誰かのために働くというのは、意外と楽しいものなのだ。
だけどその一方、グリムは不満そうだった。彼は彼なりに、いい子になるのに忙しいようだったけど、ある日私はついに問い詰められてしまった。
「なんでそんなにバイトしてるんだ? せっかく雪が降ったんだから遊びたいんだゾ」
「ごめんね、グリム。二十四日で最後だから」
面白くなさそうなグリムは、腕を組んで私を睨んだ。
「なんで二十四日なんだ?」
「ええと、それは、特に理由なんてないけど……」
そんなに怪しいものを見るような目で見ないで欲しい。今年知ったばかりのサンタ初心者のくせに、もう存在を疑いだしたのだろうか。
「とにかく、もう少しだから! ね?」
うまくごまかせているのかわからないけど、途中で投げ出すわけにいかない。その後も何度か疑いの眼差しを向けられたり、遊びに誘われたりしたけど、私は適当にやり過ごした。
「……オレ様、雪合戦したいんだゾ」
「ごめんね、クリスマスになったらしよう」
ホリデーに入ると校内は閑散としたけど、ラウンジは変わらず外部のお客さんでにぎわっていた。店内のきらきらと光る飾り付けが、イベントムードを盛り上げる。クリスマスの特別コースは、毎日すぐに完売するほどの大人気だ。連日目の回るような忙しさだったけど、私の気持ちは軽やかなまま、ついにバイト最終日の夜を終えた。
「お疲れ様でした、監督生さん。こちら報酬になります」
「ありがとうございます!」
「まあ、喜んでもらえるといいですね」
メリークリスマス、と微笑んだアズール先輩からマドルを受け取るやいなや、私は購買部に走り、買えるだけのツナ缶を購入した。
「ホリデー用の買い溜めかい?」
「いえ、クリスマスプレゼントです! ラッピングしてください」
山ほどのツナ缶はサムさんによって大きな箱に詰められ、かわいいリボンがかけられた。それを見るだけで、つい笑みがこぼれてしまう。私、とっても頑張ったと思う。これで準備は万端だ。あとは眠るグリムの枕元にプレゼントを置くだけ。
意気揚々とオンボロ寮に戻ると灯りは消えており、起きているゴーストも、モンスターも、既にいないようだった。
「わ、チャンス」
まさに、おあつらえ向きの状況だ。はやる気持ちを抑え、私は眠る準備をしてからベッドに向かった。グリムを起こさないように、足音を忍ばせる。
「子分……一緒に遊ぶんだゾ……」
どうも、何か夢を見ているらしい。私はグリムの枕元に、うやうやしくプレゼントを置いた。
「ふなあ……」
いつも通りの寝言に笑いをかみ殺しながら、私はそっとグリムの隣に並んで寝転ぶ。やり遂げた満足感で、すごく満たされた気持ちだ。グリムは喜んでくれるだろうか。明日の朝が、楽しみだ。
今夜は、雪が降っている。だいぶ積もるだろうから、そしたらグリムと雪合戦をしよう。
私は、そっと目を閉じた。
人も、動物も、草木も、みんな眠った。暖炉のはぜる音も、今は無い。
この静かなクリスマスイブの夜に起きているのは、私のようなサンタクロースだけだ。
心地いい疲労感に身を任せると、意識が沈んでいくのを感じる。
何だか遠くに鈴の音が聞こえた気がして、私は嬉しくなった。こんなロマンチックな空耳が聞こえるくらいには、私もクリスマスが楽しみだったのだ。
***
「子分! 子分! 起きるんだゾ!」
あまりの騒々しさに目を開ける。
だけど朝の光が窓から差し込んで、すごくまぶしい。薄目を開けて窓の方に視線をやると、カーテンの隙間から真っ白いものが見えた。
「あ……雪、つもってる……」
「それどころじゃないんだゾ! 見ろ! サンタが来たんだゾ!」
知ってる。サンタは私なのだから。
「おい! 早く目あけるんだゾ!」
グリムに踏まれて、ようやく目が覚めてきた。
「オレ様はすごくいい子だったから、プレゼントが二個もあるんだゾ!」
よかったね、グリム。喜んでくれて私も嬉しい。
「お前のは何だ? 一番欲しいものが入ってるんだゾ!」
私のプレゼントとは何だろうか。そういえば、せっかくだから自分にも何か買えばよかった。
「いい加減起きるんだゾ!」
ボウッという音とともに急に顔面が熱くなる。それで、私はようやくはっきりと覚醒した。前髪が焦げないくらいのギリギリのところに、火を噴きかけられたのだ。
「……熱い」
「起きたか?」
「起きたよ。メリークリスマス、グリム」
ついに、念願のグリムの喜ぶ顔が見れた。寝ぼけながらも、私は心の中でガッツポーズをした。だけど、よく見れば解せないことがある。
なぜか、そこにはプレゼントの箱が三つもあった。
「これは、お前のなんだゾ。名前が書いてあるんだゾ」
「あ、ありがと」
これは、いったいどういうことだろう。誰かが私の他にもサンタ役をやってくれたのだろうか。となると、怪しいのは――。
「メリークリスマス!」
部屋の扉が突然開き、ゴースト達が騒々しくなだれ込んできた。
「メリークリスマス! 見るんだゾ! これサンタがくれたんだゾ!」
「よかったな、グリ坊」
プレゼントを自慢するグリムに気づかれないよう、私は別のゴーストにこっそりとお礼を言う。
「プレゼント、くれたの? ありがとう、嬉しい」
「うん? なんでわしにお礼を言うんじゃ」
「え、だってこんな風にこっそりプレゼントを置けるのって……」
ゴーストはきょとんとした顔で、私を見た。
「クリスマスにプレゼントなんぞする奴がおるか? サンタ以外に」
「え……?」
「大人なら話は別じゃが」
ちょっと、よくわからない。クリスマスにプレゼントをするのは、普通のことではないのだろうか。
「もしかしてお前さん……」
ゴーストは、閃いたように目を見開いた。
「サンタを知らんのか?」
「いや、知ってるよ。だからグリムにプレゼントを……」
「プレゼントをやったのか? 何でじゃ。サンタがくれるじゃろ」
寝起きだからだろうか、頭が回らない。サンタがプレゼントをくれる? それはおとぎ話だ。
だけどこの世界には――妖精も、獣人も、魔法も、存在する。
「サンタって……」
まさか、そんなことがあるだろうか。
「いるの……?」
半信半疑な私の質問に、ゴーストは即答する。
「何を言っとるんじゃ。いるに決まっとるじゃろ」
私は数秒、何も言うことができなかった。それから、胸の奥から何かくすぐったいものが湧いてくるのを感じた。
サンタがいる。サンタが――いる?
私は思わず飛び跳ねて、グリムに駆け寄る。
「グリム! グリム! 大変! サンタが来た!」
「だからさっきからそう言ってるんだゾ!」
そうだけど、そうじゃないのだ。
サンタを知らないのは、私だったのだ。
「プレゼント! 何だろう!」
「俺サマは山盛りのツナ缶なんだゾ!」
知ってる。だってそれは私が買ったのだ。それじゃ、もう一つのサンタからの方も、ツナ缶なんじゃないだろうか。
「一番欲しいものがもらえるんじゃよ」
ゴーストの言葉に、グリムは箱をあけて見せた。
「こっちは手袋なんだゾ! 小さいのと、大きいの。オレ様と子分のなんだゾ」
「え? ツナ缶じゃないの?」
サンタには、私がツナ缶をすでに用意していたこともお見通しだったのだろうか。グリムは、したり顔で頷いた。
「オレ様、最初はツナ缶が欲しかったんだゾ。けど最近は……子分ともっと遊びたいって思ってたらサンタの奴がこれくれたんだゾ」
嬉しそうに、グリムは笑った。
「この手袋で、雪合戦するんだゾ!」
「グリム」
私は、近頃の自分の態度を思い出して、急に恥ずかしくなった。
グリムのために、ずっと頑張っていたつもりだったけど、思ったよりも寂しい思いをさせてしまっていたようだ。
何てバカだったんだろう。誰かのためにといっても、結局は自己満足なのだ。現にグリムは、大好きなツナ缶以上に私との時間を欲してくれていた。
「グリム、ごめんね」
少しだけ、涙腺が緩むのを感じた。抱きしめると、グリムは怪訝そうに言う。
「何がだ? オレ様のプレゼントで子分のものをもらったからか? そんなに気にしなくていいんだゾ」
「違う」
全然わかっていないグリムに、泣きたいような、笑いたいようなおかしな気持ちになる。
このホリデーは、グリムとたくさん過ごそう。山盛りのツナ缶を食べて。
「それで、子分のプレゼントは何だったんだ?」
「そうだった」
私はこっそりと滲んだ涙をぬぐうと、いそいそと、ラッピングを解いて箱を開けた。本物の、サンタからのプレゼント。何だろう。私が一番欲しいもの。ここ最近、欲しかったもの。でも、それってもしかして――。
「ツナ缶なんだゾ!」
「え」
グリムの言う通り、中から出てきたのは、山盛りのツナ缶だった。確かにここ最近、ツナ缶を手に入れることばかり考えていた。考えていたけど……私が欲しかったわけではない。
「なんだ? いつもオレ様のせいでツナ缶を買わされるみたいに言うくせに、ほんとは自分が食べたかったんじゃねえか」
「や、ちが」
断じて、違う。私は別にツナ缶はいらないのだ。だけど、グリムに説明のしようがない。
「ちが………………わない」
「ヒャッホー! ツナ缶パーティなんだゾ!」
サンタの欲しいもの判定システムが、適当すぎないだろうか。こんなにたくさんのツナ缶をどうしよう。
私が嬉しいような、納得できないような微妙な気持ちになっていたその時、誰かがオンボロ寮のドアを叩いた。
「なんじゃ? 見てくるかの」
何となく全員でぞろぞろと玄関まで出迎えると、そこにいたのは見知らぬ男性だった。
「お届け物ですよ」
「あ、ありがとうございます」
珍しい。オンボロ寮に荷物が届くなんて、私が知る限り初めてのことだ。運送屋の男性はすぐに帰って行ったので、みんなで届いた二つの箱をまじまじと眺める。
「エースとデュースからなんだゾ」
確かに、差出人はそれぞれ、エースとデュースからになっている。
「手紙がついとるの」
私は、その封を開けて中を確認した。
お歳暮
なんかオマエの地元、こういう習慣あるらしいじゃん。
日頃の感謝を込めた年末のご挨拶ってことで。
サンタから美味いもんもらえたら、オレの分とっといてね。
メリークリスマス
エース
お歳募
監督生、元気か?
僕はマジホイ白書全巻セットをサンタさんにもらう予定だ。
ちゃんとツナ缶を買えたか心配になったので、少しだが力になればと思う。
よい年を
デュース・スペード
デュースがお歳暮の字を間違っているとか、マジホイ白書って何だろうとか、色々気になることはある。だけど、一番引っかかるのはメッセージの内容だ。
「ねえグリム、この箱の中身もしかして――」
「全部ツナ缶なんだゾ!」
こうして私たちはホリデーの間中、ずっとツナ缶を食べ続けるはめになった。