やむにやまれぬ事情で祟り屋の印使いと2人仕事にあたる事になった。待ち合わせ場所に指定された雑居ビルの一室、扉を開くと部屋は夜逃げでもしたのか、デスクやラックなどがそのまま放置され埃が積もっている。その奥で印使いが給湯スペースに取られた小ぢんまりした区画の壁にハマった、顔より少し大きい位の割れた鏡に向かっている。見れば慣れた手つきで片手に貝殻を持ち、小指でその玉虫色に輝く内側から紅を掬って唇に塗っており、横顔をこちらに向ける事なく独り言のように話しかけてくる。
『紅は古来では魔性が口から入らぬようにする為のものだったらしい』
別段気さくに挨拶を交わすような関係でもなし、いつも顔を覆った面布が取り払われているから多少の新鮮味はあれどその職業も本人の気質も好ましいとも、関わりたいとすらも思えない相手だがしかしどう見ても男でしかない横顔に引かれた真っ赤な色から目が離せない。
「ツラ見せても良いのかよ、顔割れちゃまずいんじゃねぇか」
見惚れているなどと認めたくなくて憎まれ口を叩いてみるが、紅がつくだろうと当たり前のように言われ口を閉じる。
『今回はあれと相性が悪い。だからこれでいく』
そこであぁそうだとようやくこちらに顔を向け、紅い唇をにやりと歪めた。
『これから不浄の巣に行くのだ、お前もせねばなるまい』
さぁ来いと言われ渋々近寄る。馬鹿にするのではなくただ楽しそうにどこからか筆を取り出した男に不満がない訳ではないが、女でもないのに等と今更言うつもりはない。面布では相性が悪いから口に紅を引く、つまり異装ではなく魔除けなのだ。意味がある事ならば甘んじて受け入れるしかない。アジトの奴ら…特に暁人や絵梨佳達には死んでも見られたくないけれど今回は不在で、指で塗られでもしたら噛みちぎってやっても良かったが筆も用意されている。不慣れどころかやった事すら無いのだから任せた方が懸命だろう。
日焼けを知らぬ指に顎を取られ近づいてくる顔の、赤い唇から目を逸らそうと視線を上にずらして目が合った。あぁ、ちくしょう。目が合ってしまった。
じっと目を覗き込んでくる、暗いが澱みのない瞳が俺の眼球の奥、脳か或いはもっと別の器官に隠されたお前への名付けたくもない感情の芽を暴かれるようで思わずぎゅっと目を閉じると、奴がふっと息を漏らす。それはやはり馬鹿にする様なものでなくて、だからこそ酷く悔しくて不快だった。
出来たぞと筆が離れていったので、ゆっくりと目を開く。紅く染まっただろう唇を確認したいが印使いの横にある鏡に近づくため奴に接近するのが嫌で、数歩先の硝子窓の方に移動しようとすれば手を引かれた。
『魔性を退ける紅だが、これに惹き寄せられる私は何なのだろうな』
奴が俺の唇を、目が離せないとばかりにじっと見ている。俺がそうしたように、俺が奴のそこに見惚れたのと同じように。
印使いが一歩こちらに踏み出そうとしたのに気づいて慌てて距離をとった。逃げなければ塗り直す羽目になると分かったから。そんな行動を取られても、今は拒絶できる自信がなかった。
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