飲み会「あっ、オクジー! こっちこっち」
俺が手を振ると、通りの向こうにいたオクジーは小走りでこちらにやってきた。
「悪いな、来てもらっちゃって」
「いいよいいよ、どうせ俺もバイト終わりで帰るところだったし。むしろ連絡ありがとう。それで、バデーニさんは?」
「あそこ」
苦笑いで指差した植え込みの近くには、我らがラボのポスドク、バデーニさんがフラッフラの状態でなんとか立っていた。顔は真っ赤で、あからさまな酔っ払いだ。飲み屋の前にたむろしているラボのメンバーは、心配そうにしながらも、やや遠巻きにバデーニさんのことを見つめている。
「うわ、フラフラじゃん。あの人あんまり酒強くないんだから、飲ませすぎないでよ」
「勝手にひとりで飲みまくってたんだよぉ。俺らのせいじゃないって」
目がすわったまま頭をグラグラさせていたバデーニさんは、突然「ヴッ」と嫌な声を発した。出た。これがわかっていたから、みんなバデーニさんのことを遠巻きにしていたのだ。
オクジーは「あーあー」と言いながら、背負っていたバックパックから何か白いものを取り出した。バデーニさんに駆け寄ったオクジーは、バデーニさんの前にその白いものをサッと広げた。よく見ると、それは大きめのビニール袋だった。しかもご丁寧に二重になっているようだ。
「うおえぇっ!」
汚い音を立てて、バデーニさんはオクジーが差し出したビニール袋の中に思い切り吐いた。そう、この人は酔うとすぐ吐くタイプなのだ。おかげで俺たちラボメンは、今までかなりの被害を受けてきた。
「大丈夫ですか? これ、自分で持てます?」
バデーニさんに袋を持たせたオクジーは、バデーニさんの背中を優しくさすった。吐いてる男を見ているのに、なぜか聖母のような慈しみたっぷりの眼差しだった。
オエオエしながらさっき食べたものを吐き切ったバデーニさんは、ぼんやりした表情で頭を上げた。
「はい、水飲んでください」
オクジーはバックパックから水のペットボトルを取り出すと、わざわざキャップを開けてバデーニさんに渡した。ゲロ袋と交換でペットボトルを受け取ったバデーニさんは、大人しくその水をごくごくと飲んだ。
袋をしっかり結んでバックパックに戻しているオクジーを見ながら、俺は酔った頭をひねった。え、もしかしてその袋と水のセット、常備してんの?てかいくらルームシェアしてる相手だからって、吐瀉物そのままカバンにしまうの、嫌じゃない?
「二次会行く」
水を飲んだバデーニさんは、手の甲で口元を拭いながら、俺たちの方を振り返った。
「え、やめましょうよ。今日は帰りましょう」
「行く」
「えーと、そうだ、これから帰って家でスプラトゥーンやりましょうよ。ちょうどイベント期間だし」
「しない」
俺たちはハラハラしながら、二人の挙動を見守った。できればバデーニさんには、今夜はもうこのまま帰ってほしい。ゲロゲロしてるポスドクを介抱したくない。
オクジーは少し体を屈めると、バデーニさんに小声で言った。
「……じゃあ、もっといいことします?」
二人の近くにいた俺にだけは、オクジーが小さくつぶやいたその言葉が聞こえた。それからオクジーはバデーニさんの耳元に口を近づけて、何かをゴニョニョと囁いた。街の喧騒に紛れて、そこから先に何を言ったのかは聞き取れなかった。
「……わかった」
どう言いくるめたのかは知らないが、バデーニさんはコクッとうなずいた。
バデーニさんは懐から財布を取り出すと、二百ズロチ札を二枚取り出した。そしてそれを、いちばん近くにいた俺の手に押しつけた。
「二次会は私の奢りだ。君たちで楽しんでくるように」
ワッとみんなから歓声があがる。俺は「ありがとうございますっ」と言いながらペコペコと頭を下げた。
「じゃあ俺たちは帰ります。皆さん、ご迷惑おかけしました。二次会楽しんできてください」
オクジーはバデーニさんを支えるように肩に手を回しながら、ニコッと笑った。我が友人ながらとても頼もしい。オクジーがバデーニさんのルームシェア相手で本当に良かった。
それにしても、スプラトゥーンより『もっといいこと』ってなんだろう。マリオカートだろうか。それとも……?
「オクジー君、マジでめっちゃ優しい〜。あんな人ほんとにいるんだ」
「あのバデーニさんとずっとルームシェアできてんの、シンプルにヤバすぎだよね」
「もうさ、バデーニさんが飲み会来るときは事前にお迎えお願いしとこうぜ」
「てかいっそオクジー君も呼んじゃう?」
「それな!」
遠ざかって行く二人の後ろ姿を見ながら、ラボメン達はワイワイと盛り上がっている。
俺はバデーニさんからもらった紙幣をポケットに突っ込んで、「二次会行こうぜ!」と声を張り上げた。