うちのクラスの降谷は赤井先輩と同棲してるらしい⑨最後の花火「赤井、今夜も何か話して」
僕がそうせがむと、赤井は少し困ったように笑って僕を見下ろした。
「君の寝物語になるような話があったかな」
「なんでもいいですよ。眠たくなるような話でちょうどいいかも。今夜は僕もあまり眠くないから」
嘘だ。夏休み中のテニス部の練習はかなりキツくて、夏休みの宿題も毎日コツコツやらないと終わらない量が出されている。ベッドに横たった途端に寝てしまいそうだったけど、僕は赤井の話が聞きたくて瞼に力を入れてで眠くないフリをした。
僕が旅行から帰ってきたあと、赤井と僕の間にルールが二つ追加された。
一つは、泊りがけで出掛ける場合は行き先と日程をきちんと伝えること。これは僕から赤井に提案した。赤井に心配をかけてしまったことに対する謝罪と誠意を込めた約束だったが、赤井も僕も泊りがけの用事なんて夏休み中にはもうなくて、まだ一度も守られたことはない。
僕たちの生活を大きく変えたのはもう一つのルールの方。毎晩一緒のベッドで寝ることだった。
これに関しては赤井が言い出したことなのだが、なぜ赤井寝つきが悪くなってしまったのか、どうして僕がいると赤井がよく眠れるのかよくわかっていない。わかっていることといえば、翌朝ぐっすり眠っている赤井を見ると、僕が幸せな気持ちになるということだけだった。
僕が聞いたら赤井は教えてくれるのかもしれない。でも、踏み込んではいけない気がして、僕は寝る前に「何か話して」と彼に強請るのが精一杯だった。
赤井と僕は毎日キスをする。毎晩同じベッドで一緒に寝る。それなのに、僕はまだ赤井のことをよく知らない。例えば、家族のこととか、近い未来の進路のこととか。
でもそれに関しては僕も同じで、家族がいないことも、将来なりたい職業のことも赤井に話したことはなかった。
それらを詳らかにする勇気がお互いにないから、僕たちの関係に名前がないままなのかもしれない。
「俺が初めて幽霊を見た日の話をしようか」
「えっ」
これまでの添い寝では赤井が幽霊をやっつける話が多かった。それによると、赤井は日本に来る前から幽霊が見えていたようだった。ということは、もっと小さいころの話になるのだろう。僕の瞼の上にあった眠気はどこかに行ってしまって、隣に横になった赤井の顔をまじまじと見た。
「それって……何歳ぐらいだったんですか?」
「正確にはわからないが、まだ親に絵本を読んでもらっていた頃だったのは確かだ」
「そんな小さいころ……怖かったでしょう」
「いいや」
僕は友人で幼いころに霊感があったという飯島の言葉を思い出していた。彼も小さいころから幽霊が見えたらしい。人間とそれらの区別が付かなくて泣き虫な子どもだったという。それはそうだろう。僕はもう高校生だけど幽霊を見た時はめちゃくちゃ怖かった。見た目とか声とかも怖いけど、もはや本能に近いぐらいに『これは自分の手に負えない』と感じた。
だから僕は、赤井が否定するのを聞いて、カッコつけなくてもいいのにと思った。
「怖くなかったってことはないでしょ」
「うーん……当時はよくわかってなかったんだ。だからこれから話すのは俺がそういうものを初めて理解した時の記憶と言った方が正しいかもしれないな」
「理解した?」
「ああ。あれは弟が生まれてすぐの頃だった」
「えっ、赤井って弟がいるんですか?」
「話したことなかったか?君の……一つ下になるな」
「へえ……」
赤井の弟に生まれるなんていいな、と僕は思った。こんな兄がいたら絶対に心強い。兄弟だったらこんな風に一緒のベッドで寝ることはなかったかもしれないけど。キスだって、いくら海外育ちでも兄弟ではしないだろう。って、何を張り合ってるんだ僕は。
「それで……どんな幽霊を見たんですか?」
「弟の寝ているベビーベッドを髪の長い女が覗き込んでいたんだ」
「うわぁ……」
「俺は幼いながらに弟が危ないと思った。両親を呼んでから弟の元へと走った」
「それで……?」
「そこからはいつもの話と同じだ。俺が弟を庇おうと手を伸ばしたら女は消えた」
「えっ、そんな小さい頃から祓えたんですか?」
「どうかな……ただ単に消えただけかもしれない。でもその女が消える前、俺に向かって微笑んでいたんだ。消えてなくなる時を待っていたかのようだった」
赤井は自分の手を見つめてそう呟いた。その横顔は迷子になった子どものように見えて……。
僕は赤井の、僕より大きい手に自分の手を添えた。
「怖くなった?」
赤井はそう言って僕を揶揄った。
「怖くないっ!……赤井が隣にいるから」
「それは良かった。こうやって君に触れていると、君を守るために俺の手はあるような気がしてくるよ」
なんだよ、そんな甘ったるいことを言って。僕が一番欲しい言葉はくれないくせに。
「さあ、もう寝ようか。明日から忙しくなる」
「うん……」
赤井がベッドサイドのライトを消すと、本来は書庫として使われていた部屋は暗闇で埋め尽くされた。この部屋で寝るようになって二週間。高い天井に窓のない壁(というか本棚)がまるでプラネタリウムで寝ているような気分になる。
「おやすみ」
赤井は僕の額に唇を寄せた。彼のこういう行動にはやや慣れつつある僕は黙って瞼を閉じた。真っ暗な視界を緑色の流れ星が過ぎるイメージが浮かんで、すぐに心地の良い眠りに落ちた。
「飯島!ガムテ、買ってきたぞ!」
「おお!ありがとう!」
昇降口の前、矢印マークが書かれているコピー用紙を持った飯島が僕の声に振り返った。その腕に通されているガムテはすでに紙の芯しかない。
「ギリギリだったみたいだな」
「そうなんだよ。去年の残りもあったから足りるつもりだったんだけど」
飯島は頭にタオルを巻いて苦笑した。
彼は今、所属するオカルト研究会の夏の集大成、怪談大会の準備の真っ最中だ。人手が足らないと連絡があったので、俺とヒロは手伝いを買って出た。一緒につるむことが多い田中も参加したがっていたんだけど、彼は他校にいる彼女との先約があったので今日は来ていない。明日の本番もこの辺で開催される花火大会に一緒に行くそうで来られないと言っていた。
「マジで助かった。悪かったな、練習後で疲れてるのに」
「いいって。飯島の自転車借りたからすぐだったし。はい、これ、自転車の鍵」
僕はポケットから出した鍵を飯島に渡した。なんとかという名前のUMAのキーホルダーが付いている。オカルト大好きな飯島らしいチョイスだ。
「あとは何を手伝えばいい?」
「そうだな……諸伏には俺と同じように肝試しのルートを示すための矢印を張ってもらってるからそっちをチェックしてもらおうかな」
「それ本当にやるんだ……」
「ああ、部長の肝いりの企画だからな……よく先生の承認が下りたもんだよ」
飯島は呆れているかのような口ぶりだったけど、その表情からは明日の夜が楽しみで仕方ないというのがばっちり伝わってきた。
例年は、夏休みの夜に体育館で怪談を話すだけの会だったのが、今年の三年生の部長がどうしても校内で肝試しをやりたいと言い張った。先生たちとの粘り強い交渉が実を結び、怪談大会の後で校内肝試しというフルコースが実現したのだそうだ。
飯島はその肝試しのほうの準備を担当していて、生徒が迷わないようにルートに張り紙を張っている真っ最中なのだ。
「降谷くん」
「あ、赤井、先輩」
学校の中から現れた赤井は、ホチキスで止められた紙の束を持っていた。
「練習は終わったのか?」
「え、ええ、今買い出しから帰ってきたところです」
僕は飯島からの視線を避けるようにわずかに俯いた。それなのに飯島はニタニタしながら僕の顔を下から覗いてきた。
「や、やめろって」
「ふうん、降谷って赤井先輩の前だとそういう顔するんだ」
飯島が小さな声で僕の耳にそう囁いた。
今年の夏、彼と僕を含めた四人で温泉に行った時のこと。僕は大浴場で赤井に付けられたキスマークを彼らに見られてしまい、赤井とのあれこれを話さざるを得なかった。だからこうして僕が赤井と話しているのを面白がっているのだ。
「おおい、赤井氏~~~~!」
そう言って大きなお腹を揺らしながら現れたのは見知らぬ生徒だった。
「あれは……?」
僕がこっそり尋ねると飯島は「あれ、うちの会長」と教えてくれた。
「そうなんだ……」
黒縁眼鏡を掛けたその先輩は腰からぶら下げたタオルで汗を拭った。
「おや、君は?」
「一年の降谷です。飯島と同じクラスで……」
「フルヤ……おお!君が赤井氏のお気に入りくんですか!!いやあ、噂には聞いてたが本当に美人さんですなあ」
「え、えっと……?」
「おっと自己紹介がまだでしたな!拙者は……」
「行こう、降谷くん。コイツのことは気にしなくていい」
赤井が僕の手を引いて歩き出した。
「またまた~~さては拙者が彼に熱を上げないか心配してるでござるか?そういうところは普通の男子高校生ですな。ははははは」
「うるさい。降谷くんを見るな、話しかけるな」
散々な言われ様なのに会長先輩は楽しそうに「ホホホホホ」と笑った。
赤井に引かれて、僕はスニーカーのまま校内に入った。今回の怪談大会をやるにあたって、安全上の理由から外靴のままで入っていいことになったのだそうだ。そこまで学校と交渉したのだからあの会長先輩は本当はすごいやり手なのかもしれない。
「あ、赤井?」
「肝試しの順路を確認するから付き合ってくれ」
「うん……」
僕のこと、先輩になんて話したの?そう聞きたかったけど、自意識過剰な聞けなかった。それに赤井がどんどん先を行ってしまうので、僕は慌てて追いかけなければならなかった。
スニーカーのまま廊下を歩くのはやっぱり変な感じだ。職員室の前を通るときは特に。でも、お盆初日の職員室は静かで、誰もいないようだった。
赤井はそんなことまったく気にしていないようだ。海外では靴を履いたままなのが普通みたいだから違和感がないのだろう。
「まずは化学室だ」
「はい。あの、一応確認なんですけど、うちの学校にはいませんよね?」
「ん?」
「いや……赤井がこういうイベントに参加するなんて意外だったから。もしかしてと思って」
僕がそういうと赤井は不敵な笑みを浮かべた。え、もしかして……。
「逆に聞くが、幽霊が出ないのに、なぜ俺がわざわざ準備に参加していると思うんだ?この暑いさなか、しかも主催者はあんな変態」
「えっ、じゃ、じゃあ」
僕は思わず赤井の腕を掴んだ。化学室の窓の外は夕暮れ時とはいえ、まだかなり明るい。それなのに、赤井について中に入るとひんやりした空気が僕の肌を撫でた。
「今日も明日の夜も、俺の傍から離れるなよ」
「絶対離れません!」
「ふっ、いい子だ」
化学室を見て回る間、僕は赤井のピッタリ隣を歩いた。移動教室なんて怪談話のメッカだ。一年生の僕はまだこの学校の怪談を聞いたことはないけれど、これまで遭遇した怪異はすべて聞いたことがなかった。知らないのと、いないのは違うのだということを僕は身をもって知っている。
「学校の中をデートしてるみたいだな」
「えっ……あ、すみません、もう少し離れますね」
「なぜ?」
「なぜって……さっきみたいに揶揄われたら、あなただって嫌でしょう?」
昇降口で会った会長先輩のことを暗に匂わせて言うと、赤井は眉間に皺を寄せた。
「アイツは本当に余計なことを……」
「はは……でもすごいひとなんでしょう?ほぼ一人で学校側に許可を取ったって、飯島から聞きましたよ」
「まあ……頭は悪くないな」
「仲良さそうでしたね?」
「やめてくれ。君は……飯島くんと仲がいいんだな?」
「ま、まあ……同じクラスですから……」
「彼が友人A?」
「えっ、ち、違いますよ」
「ふっ……君は嘘を吐くのが下手だな」
「……」
といっても。僕はヒロ伝手に彼が僕を好きだとは聞いただけで、彼から直接何らかのアクションを受けたわけではない。彼が僕をどう思っているのか、友人以上のものは感じたことがなかった。
その一方で先日の大浴場事件で彼は赤井が僕に何をしているかは知っている。
「……そういえば言ってなかったですけど、僕があなたと、その、そういうことしてるのを彼は知ってます」
「なに?」
「あなたが悪いんですよ!僕に黙って背中にキスマークなんか付けるから……大浴場で見られちゃって、僕すごい恥ずかしかった……」
当時を思い出すと今でも目尻が熱くなる。それと共に、硫黄交じりの湯気を鼻の奥で思い出した。
赤井は「そうか」と言うと黙って渡り廊下を歩き始めた。ここから先は赤井たち三年生が使っている教室がある棟になる。
肝試しのゴールは赤井の教室だった。
赤井がきちんと学校に来ているかを確認するために何度か来たことはあったが、教室のかなまで入ったのはこれが初めてだ。僕たちの教室からとは違う景色見える。僕がこの景色の横で勉強をするころには、赤井はこの学校にはいない。当たり前のことなのに不思議なくらい実感が湧かなかった。
そんなことを考えながら窓の外を見ていると、突然赤井がカーテンを引いた。驚いて振り返ると、僕は赤井の腕の中にいた。
「……悪かった」
僕を抱き寄せた赤井がそう呟いた。
「えっ」
「勝手に痕を残してしまって……」
僕の耳に囁く赤井は本当に申し訳なさそうだった。それなのに僕ときたら、このままキスされるのかと思い違いをして、心臓はもう早鐘を打っていた。
僕が学校ではしないでと言ってから赤井は学校で僕にキスしたことはない。ただの後輩にキスするくらい緩いのに、そういう約束はきちんと守ってくれるのだ。
「しかし、旅行に行くと俺に言わなかった君も悪い。だからフィフティ・フィフティだな」
「はあ!?」
僕が反論しようとしたとき、教室のドアが開いた。そこには「まずい」という顔をしたヒロが立っていた。
「あ……」
「ひ、ヒロ、お疲れ!」
僕は慌てて赤井の腕の中を飛び出すと、「手伝うよ!」と言ってヒロを廊下に押し出した。そんな僕をヒロは怪訝そうな顔で振り返った。
「あのさあ……学校ではどうかと思うよ?」
「えっ、な、何が!?何もしてないけど!?」
「いや、絶対キスしてただろ……」
「してないっ!!」
「無理があるって……」
「してないったら!!」
僕たちは結局、作業が終わるまで「してた」「してない」と小学生のように言い合って、気が付く頃にはすっかり外は暗くなっていた。
翌日。
僕らは夜の七時に学校の体育館に集合した。
集まった生徒は約四十人。思っていたよりも多いなというのが僕の正直な感想だった。
もし、赤井や飯島と知り合っていなかったら僕はこのイベントに参加していたかどうか……。純粋に怪談に興味があるのか、ただ単に学生時代の思い出を増やしたくて参加したのか。僕にとってはどちらでもいいんだけだ、人数が多いことにちょっとホッとしていた。
受付で名前を記入すると、オカルト研究会のメンバーらしい生徒から、輪になって座って待つように言われた。
体育館の中にはすでに輪になっている生徒たちがいて、楽しそうに、そして少し落ち着かない様子でお喋りに花を咲かせている。
僕は家から一緒に来た赤井と、そして途中で合流したヒロとともに、その円に加わった。
円の真ん中にはたくさんのライトが用意されていた。
「あのライトってもしかして蝋燭の代わりですか」
「ああ。一つ怪談を話すごとにライトを消して行くそうだ」
「ええ……」
僕と赤井の会話を聞いて悲痛な声を上げたのは怪談が苦手なヒロだ。
「ヒロ、大丈夫か?無理して参加しなくても……」
「うん……正直参加しようかどうか結構悩んだんだけど、克服したいって気持ちもあってさ。いつまでも怖がってるのってカッコ悪いし」
ヒロはそう言って苦笑した。
「そうか?怖いと感じることは別に悪いことじゃないと思うけど……」
僕はこの夏までに何度か怖い体験をしたけれど、怖くないなくなったわけじゃない。むしろちょっとした暗がりにヒヤッとする回数は増えたようにさえ感じる。赤井ぐらいの経験を積めば確かに怖くなくなるかもしれないが、普通の人生では心霊現象に遭遇するほうがレアなんだから無理な話だ。
「そうかなあ」
「赤井はどう思う?」
「そうだな……諸伏くんの場合は馴らしておいた方がいいかもしれないな」
「「えっ?」」
声が重なり、僕らは顔を見合わせた。
「君たちは二人とも好かれやすいからな。さすが幼馴染だ」
赤井がにやりと笑う。好かれやすいって、まさか幽霊に……?僕はこれまでも赤井にそう言われたことがあったけど、ヒロも同じ性質ということなのだろうか。もしかして赤井には、ヒロの後ろにも何か見えているのだろうか。僕はヒロの後ろに目を向けた。
「や、やめろよおっ、何を見てるの!?ねえ!?」
「あはは、ごめんごめん……」
「おっと、そろそろ始まるようだぞ」
体育館の照明が徐々に消えて、最後は円の中央にある小さなライトだけになった。その前に立っていたのは会長先輩だった。
「オカルト研究会の怪談大会にご参加ありがとうございます……早速ではありますが今宵の会のルールをご説明しましょう……」
そう話す先輩は昨日の陽気さはなく、まるでお化け屋敷の案内係のように冷静だった。
怪談大会で参加者全員は一つずつ怖い話を話すのだそうだ。それでも百話には満たないので、オカル湖研究会の十数名はそれぞれ複数の怖い話のネタを用意してきてくれたという。メンバー以外でも怖い話をもっと披露したいという人がいたら、挙手をしてくれとのことだった。
最後のところで会長先輩が赤井を見たような気がした。
「赤井はいくつ話すの?」
僕が小さい声で尋ねると赤井は「さあ」と言った。
「怪談が足りなかった時は頼むと言われているからな」
赤井は余裕な口ぶりだ。一体、その頭にはどれだけの怪談が詰まっているのだろう。そう考えると怖かったけど、やっぱり赤井の傍にいるのが一番安全だとも思った。
怪談大会が終わった後で肝試しがあることを知った生徒たちが小さく騒めいたけれど、百物語が始まると広い体育館の中は静寂で満たされた。
最初に怪談を話したのは飯島を含むオカルト研究会のメンバーだった。そして一般参加者へとバトンが渡される。
「これは俺が中学のときに聞いた話なんだけど……」
「姉ちゃんが通っていた学校では……」
「おばあちゃんが子どもの頃、この辺は……」
生徒たちの口から飛び出す怪談は伝聞調のものが多かった。
その中で僕が、つい数か月前に体験した口裂け女の話をすると、彼らはぎょっとして僕を見ていた。それを見て、僕も人から聞いた話風に演出すればよかったと後悔した。
赤井が話したのはイギリスにいた頃に老人から聞いたという墓場にあるベルの怪談だった。その横でヒロはぎゅっと膝を抱き絞めていたけど、前に飯島の家で怪談大会をしたときのように手で耳をふさぐことはしなかった。ヒロなりに恐怖心を克服しようとしているのが伝わってくる。もしかしたら、将来警察官になったときのことを考えて恐怖に打ち勝とうとしているのかもしれない。
そう思っていたのだが……。
「えっと、一年の諸伏です……これは俺が長野にいた時に体験した話なんですが……」
そう言って話し始めたヒロの実体験に基づく怪談は、幼馴染の贔屓目なしに、その夜一番怖い話だった。僕は怖がりなヒロがそんな話をするなんて思わなかったので思わず彼の顔を凝視していた。
だから、赤井が僕の手を握ってきた時は思わず肩が跳ねてしまった。
「ちょ、ちょっと、なんですか」
怖がらせようとしたなら意地が悪い。訝しむ僕に対して赤井は真剣な表情でヒロの方を指で示した。
「えっ……!?」
僕は自分の目を疑った。ヒロに女性がしな垂れかかっていたのだ。ここは男子校だから女性がいるだけで異常事態だけど、彼女の怪しい美しさはこの世の者ではないとすぐにわかった。女性は着物の袖を体育館の床に垂らしながらヒロを愛おしそうに見つめている。
「あ、赤井っ」
「わかってる」
赤井はそう言うと、僕から手を離した。その瞬間、僕の目から彼女の姿は消えたが、赤井が彼女が見えていた方に向かって手招きをすると、布が床を擦る音が聞こえた。
「あの時、兄が助けてくれなかったらどうなっていたか……それを考えると今でも怖いです。以上です」
ヒロが話し終わると体育館は、百物語が始まった時よりもシンと静まり返っていた。
「はあ、緊張した」
怪談を話し終えたヒロは苦笑しながら僕を見て小さな声でそう言った。
「僕もドキドキしたよ……」
「あ、本当に?よかったあ……」
ヒロは自分が話した怪談がちゃんと怖かったことに安堵していた。僕は、さっきの話は本当かと聞きたかったけど、知らないほうがいい気がしてやめた。
百の怪談が語られると、またゆっくりと体育館の中は明るくなっていった。ここからはペアになって学校の中を肝試しすることになっている。ペアが出来たところから肝試しの地図を受け取りに来るようにと会長先輩からアナウンスが入った。
「あ、赤井先輩!」
そう言って体育館の中を駆けてきたのは飯島だった。てっきりヒロとペアになるためにやってきたのかと思ったのだが……。
「先輩!肝試し俺と回りましょうよ!」
「えっ」
「いいでしょう!?俺、先輩ともっと話したいって思ってたんですよお」
「……ああ、構わないが」
「やったー!」
「飯島、ちょっと!」
僕は飯島の腕を引っ張って、体育館の端に向かった。
「なに、ヤキモチ?」
「ちがうって!……その、赤井に変なこと言うなよ?」
「安心しろ!俺には作戦がある!」
飯島はやけに自信満々にそう言った。
「作戦?」
「温泉旅行のあとで考えてみたんだけどさ。赤井先輩が降谷にはっきりしたことを言わないのって、校則のせいなんじゃないか?ほら、恋愛禁止だろ?うちの学校」
僕はオリエンテーションで聞いた校則の話を思い出した。そういえば確かに、恋愛禁止だと生徒指導を担当する先生が言っていたのを覚えている。今時珍しいなと思ったけど、自分には関係ないだろうと今の今まで思い出したことはなかった。
赤井が校則を確認している姿は想像できないけど、赤井は優しいから僕のことを考えて踏みとどまっているのかもしれない。そんな甘い妄想が浮かんだ。
「俺が肝試しの間に聞いてやるよ!」
「……わ、わかった。頼んだ!」
「おう!」
そんなわけで僕は、ヒロと肝試しを回ることになった。順番は赤井と飯島のペアの後。オカルト研究会の決めたルールにのっとって、彼らが出発して八分後に僕たちも体育館を出た。
「うわあ……夜の学校ってなんでこんなに怖い感じがするんだろうなあ」
ヒロはあたりをキョロキョロ見回した。それを見て僕は、いやいやヒロが話した怪談のほうがよっぽど怖かったよ、と思わず言いそうになった。
「あっ、二階で何か光った!?」
「先に出発したペアの懐中電灯だよ」
「そ、そうだよな」
ヒロは恥ずかしそうに笑う。
「手つなぐ?ほら、林間学校の時みたいに」
「い、いらないよ!」
「ふうん」
「そう言うゼロこそ……よかったのか?赤井先輩と回らなくて」
「べ、別に。赤井のことなんか全然気にならないけど?」
「またまた~~」
「ほ、ほら!赤井が先に回ってくれれば俺たちの時には何もないだろうしっ」
「そういう言い方されると余計に怖いんですけど……」
「じゃあ、僕がスタンプ押してくるよ」
「うん……」
僕は地図に書かれていた最初のポイントの教室に入った。昨日の昼間に赤井と一緒に確認した場所だ。頭ではそうわかっていても夜だと全く別の場所のように感じるから不思議だ。
「スタンプ押せたよ」
「ありがとう、ゼロ」
「さあ、次に行こうか」
僕はヒロと共に歩き出した。後ろから来たペアの話し声が聞こえると、ヒロの足がわずかに早くなった。
僕も僕で、飯島の様子が気になってしまって、まるでぎりぎりの時間で移動教室に向かっているような速さになっていた。
そんな僕たちが飯島赤井ぺアに追いついてしまったのは、当然と言えば当然だった。
「先輩は降谷のこと、どう思ってるんですか?」
飯島の声が三年生の教室から聞こえて、僕とヒロは顔を見合わせた。
「どう、と言われてもな……ただの後輩。一緒の家に暮らしているからって勘繰らないでくれ」
赤井の冷たい声に、僕はサッと頭が冷えていくのを感じた。
「それにしては気に掛けてるように見えますけど?」
飯島にとっても予想外の回答だったのだろう。声が揺れているように聞こえた。
「そうか?同じ家に住んでいる以上、問題を持ち込まれたらこちらも面倒なことになるからな。多少気には掛けるさ」
赤井の言っていることは、腹が立つほどにもっともだった。
「ゼ、ゼロ……?」
「なんだよ……あいつ……!」
教室に殴りこみそうになる僕の手をヒロが掴んだ。ヒロは僕に向かって首を横に振った。
「本心じゃないよ」
「どうしてそんなことわかるんだよっ」
「わかるよ……ゼロだってわかるだろう?」
そう言われて僕は何も言い返せなかった。赤井のキスも、一緒に寝る時に優しい声も、僕は知っている。あれが全て嘘だとは思いたくなかった。でも、わからない。だって、こんな風にひとを好きになったのは赤井が初めてだから……。
「そうですか……じゃあ、俺、降谷のこと、好きでいてもいいですか?」
教室の中から飯島の声が聞こえて、僕は息を呑んだ。ヒロも驚いたようで、僕から手を離して、その手で口元を覆っていた。
「……だめだ」
赤井の答えを聞いた僕はもう我慢することがらできなかった。
「勝手なこと言うなよ!!」
「降谷!?」
「もう知らない、赤井なんか、赤井なんか……!」
教室から走り出すと、自分の気持ちをうまく言葉にできなかった恥ずかしさが後から追いかけてくる。それを振り払うように僕は走った。
とにかく今は、誰もいないところに行きたい。冷静になれるまでそこに隠れていよう。さっきまで感じていた夜の学校に対する恐怖心はもうどこかに消えていた。
そんな僕を赤井は走って追いかけてきた。
三階から屋上に向かう階段を駆け上がる。そちらに行ったら逃げ場はないとわかっていたけど足が止まらなかった。
屋上のドアのカギはいつも通り開いていた。そのドアを開けて赤井が来る前に閉めようとした。
その瞬間、夜空に光が舞って、あとからドンという大きな音がした。
「花火……?」
驚いてドアを閉める手を緩めた僕を、赤井が抱きしめた。
「これを君に見せたかったんだ……」
「えっ……?」
「今回の怪談大会に参加して欲しいとオカルト研究会の会長に言われたとき、最初は断ったんだ。でもこの花火を君と見るチャンスだと言われて……」
「それで引き受けたの……?」
「ああ……」
赤井は僕の肩に額を押し付けた。その息は荒くて、本気で僕を追いかけてくれたのが伝わってくる。
「それって僕を好きってこと?」
「……」
赤井は黙ったまま、首を振ることもしなかった。
「本当にずるいやつ」
また花火が打ち上げられて、校舎に残っていた学生たちから歓声が上がる。それを聞きながら、僕は赤井の唇に自分のを押し付けていた。好きになって、赤井。誰にも秘密でいいから。僕にだけ教えて。
赤井は僕に向かって何かを言ったけど、その声は花火の音に重なって僕の耳に届くことはなかった。
一番最後に打ち上げられたのは赤い大きな花火だった。
この時の僕は何も知らなかった。
屋上の金網越しに見たこの花火が、十年以上もの間僕にとって最後の花火になることを。
そして、別れがすぐそこまでやってきていることも。
僕は知らなかったんだ。