変身(どうぶつフォーゼのすがた)ある朝、土井半助が夢から目ざめたとき、自分が布団の上で一匹の二足歩行の犬のような生き物に変ってしまっているのに気づいた。彼はもふもふとした茶色の毛が生えた背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、同じくもふもふと毛の生えた白い腹が見えた。腹の上には掛け布団がずっしりとかかり、いつもより重いように感じた。ふだんの大きさに比べると随分と背丈が縮んでしまったと嘆く犬のような黒い鼻はしっとりと湿って日を受けて光っていた。
「というわけで、この姿になってしまったのですが」
「今度はあんたの番か。おつかれさん」
最初に乱太郎の姿が変わってしまった時は騒ぎになったのだが、今ではすっかりみんな慣れきってしまった。ある日突然、二足歩行の犬のような姿になり、数日後に何事もなかったように戻るのだ。ページを破ると目的の場所に繋がる事ができる現象に比べると便利さはないが、どうやらさほど害もないらしい。背丈が縮むので多少の不便はあれど、何故か道具を扱うこともできれば、発声にも問題はなく、食べ物も人間と変わらない。きり丸が犬の姿になった時は食券代を惜しんでいつもの量を食べ、腹がぽんぽこりんになっていた。
「教科担当で良かったな。さすがにその姿でランニングの伴走は難しかろうからなぁ。いや、しんべヱあたりなら、もしかしたらちょうどいいのかもしれんが」
「この手で出席簿のページがめくれるの、不思議なんですよね」
てちてち、と短い足で文机に辿り着くと、出席簿を手に取ってぺらぺらとめくってみる。チョークの扱いにも不便はなく、投げ方もしっかりと思い出せる。
「まあ不便かもしれんが、数日の辛抱だ。頑張れよ、土井先生」
「普段通りに過ごせるのは嬉しいのですが」
「まあ、なにか困ったことがあれば言いなさい。わしじゃなくても、みんな助けてくれるだろう」
「そうですね、頑張ってよい子たちに授業内容を覚えてもらいます」
ふん、と気合を入れたポーズを取ると、山田先生は半分苦笑の笑い方をした。あの子たちは実戦ではそれなりに優秀なのだが、術の名前はなかなか覚えてくれないのだった。
「あれ、もしかして土井先生?」
「今度は土井先生が犬になっちゃったんですか?」
「あっ、もしかして黒板に届かないんじゃないですか?失礼でなければ私、先生を抱っこします!」
うん、乱太郎は優しくて本当にいい子だ。まだ手裏剣はへろへろで、教科書の内容は頭に入らないようだが、本当にいい子なんだ。ひょいと抱え上げ黒板に寄せられて、どうですか?と聞かれると、は組のよい子達から声が上がる。いいなー、僕も先生、抱っこしたい!わちゃわちゃ。まあこの姿で何事もなく授業に入れるとは思っていなかったが、私を抱っこする役の順番決めジャンケンが始まった。あああ。子どもたちは何かに熱中すると、大人の言うことが聞こえなくなるのだ。
昼の食堂。焼魚定食の食券を食堂のおばちゃんに渡すと、おばちゃんは目を丸くする。
「あら、土井先生。今度は土井先生が犬になっちゃったんですか」
「そうなんです。数日で戻るとは思いますが」
「犬だったら魚の練り物は好物かしらねぇ。ちょうど手頃にちくわの仕入れができたところなんですよ」
「い、いえ、他の子たちも味覚は変わらないって言ってましたから……」
「まあそう言わずにちょっとだけ食べてみましょうよ。ダメでも怒りませんから。歯の形が違うんですから、食感も変わるかも」
「う、うう……それではほんのカケラだけ」
むぎゅむぎゅ、ごくん。ああ、食堂のおばちゃん、漁師さん、加工や流通に関わる全ての人よ、ごめんなさい。私はやはり、練り物が苦手です。
「とまあ、色々あって、疲れました〜!」
「おお、そりゃおつかれさん」
「安藤先生なんて、『子どもばかりがなる病気かと思いきや、土井先生もですか。やはり半人前だとそ子どもに近いんですかね』なんて嫌味を言うんですよ!」
「モノマネちょっと似てるの面白いな」
「もう山田先生に癒してもらわないと、胃に穴が開いちゃいます」
よじよじ。小さくなった体で、ここぞとばかりに山田先生の膝の上によじ登り、足の中に収まる。山田先生は苦笑して、ぽんと私の頭を撫でてくれた。犬の尻尾が喜びでワシワシと揺れる。普段も別段山田先生への好意を隠そうとしたことはないが、こうも丸出しになるのは少しだけ気恥ずかしい。
「山田先生は私のこと、抱っこしたくなったりはしないんですか?犬より猫の方がお好きですかね?今の私、自分で言うのもなんですが、ちっちゃくなって結構可愛いと思うんですが」
「はは、いつもとそう変わらんよ」
背丈くらいのもんですかね。言って、犬の私の頭を撫でる。私の尻尾はぶんぶん揺れる。
「まあでも、あんたが嫌なんでなければ、せっかくだから抱っこしておきますかね。元の大きさだと、抱えるって感じになりますから」
両手でひょいと持ち上げられ、胸元に抱き上げられる。片手で尻を支えられて片手で背中を撫でられると、やはり犬の尻尾はぶんぶん揺れた。
「食堂はともかく、授業は二人制にしておきますかね。数日程度なら調整がつくと思いますから」
「えっ、ご迷惑では」
「他の先生にも頼んでみますよ」
尻尾の揺れがぱたり、と止まる。あんたはほんとにわしが好きだねぇ、と山田先生が面白そうに笑った。