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    minato18_

    一時的な格納庫

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    甲一/無印前
    風邪を引いた甲洋の話

    ##一騎と甲洋

    夢幻抱陽 目を覚まして最初に認識したのは全身を包むあつさだった。夏もそろそろ終わるというのに、どうしてこんなにあついのだろう。不思議に思いながら身体を起こして、瞬間、世界が回る。
    「あ、れ……」
     数秒と経たずに舞い戻った布団が冷たく感じて、ようやくあつさの正体が室温ではなく自身の体温だと気付いた。脳裏に風邪の二文字が浮かぶ。昨日、日が沈んでから海野球の後片付けを手伝って結構身体を冷やしてしまったから、それが原因だろうか。額に手のひらを当て、熱い息を吐き出す。中学生にもなって自己管理が出来ないなんて情けない話だ。
     頭を動かして時計を見れば、普段の起床時間まであと一時間程あった。寝苦しさで目が覚めてしまったらしい。動き出すまでにまだ猶予があることに安堵して瞼を下ろす。
     昨日の今日で学校を休めば海野球に参加していたみんなに心配を掛けてしまうかもしれない。それに、体調不良で学校を休むなんてとてもじゃないが両親に言いたくなかった。
     きっと次に目を覚ましたときには良くなってる。大丈夫。そう言い聞かせながら、甲洋は意識を手放した。



    「おはよう、春日井くん」
    「おはよう」
     にこりと笑って挨拶を返すと、同級生の女子は嬉しそうにゆるめた頬を赤くして足早に甲洋を追い抜いていった。その背中が見えなくなってからそっと息を吐く。
     一時間眠ったくらいで劇的に体調が良くなるなんて事があるはずも無く、甲洋は気怠い身体を引き摺りながら学校を目指していた。朝食は半分も食べられなかったし、声だっていつものようには出せなかったけれど、幸いなことに両親には気付かれなかった。家を出てからは少し気合いを入れたので、先程の子も含めてこれまで四人の同級生と顔を合わせたが、みんないつも通りの反応だった。我ながらうまいことやってるなあと感心してしまう。
     誤魔化すのは、わりと得意だ。こう見てほしい、そう見えたらいいなという振る舞いをするのは決して苦ではない。たまに寂しく思うこともあるが、そんなのただの我が儘だ。
     学校まであと少し。クラスには人をよく見ている幼馴染みもいるし、更に頑張らなくては。そう、気合いを入れ直そうとしたときだった。
    「甲洋」
     穏やかな声に名前を呼ばれる。え、と思って顔を上げると、塀に寄り掛かっている一騎が視界に入った。こんなところでどうしたんだろう。
    「おはよ、一騎。何してるんだ?」
    「おはよ。……お前がいないから、待ってた」
     少し口ごもった一騎がぼそぼそと零した言葉に、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。毎朝一緒に登校しているがそれはただの成り行きで、約束をした訳でもなんでもない。家を出るときに見た時計の針が普段より進んでいたから、今日はいないと思っていたのに。
    「……ありがとな」
    「? 礼なんか……」
     甲洋が追いついたのを確認して歩き出そうとした一騎が、ふとその足を止めた。不思議に思って首を傾げると、じっとこちらを見つめてくる。
    「どうした?」
    「いや……」
     一騎は何か言おうとして、しかし音にすることなく口を閉じた。代わりに中途半端に踏み出していた足に力を入れて歩き出したので、甲洋もそれに倣う。いつもならここで何かしらの話題を振るのだが、あいにくそんな元気は残っていなかった。不自然に思われるかもしれないと一瞬不安になったが、一騎との間に沈黙が生まれるのは珍しいことではないかとすぐに思い直した。
     口数が多くなく、自発的に話題を持ち出すこともそうそう無い。そんな相手と二人きりになると気まずくてつい何か喋らなくてはと思ってしまうのだが、一騎といるときはそんな焦燥感に駆られることはない。気心の知れた仲だからだろうか。兎にも角にも、今の甲洋にとってこの上なく心が休まる相手だった。



     毎日通っているはずの道のりが、今日は数倍になったんじゃないかと思う程に長かった。ようやく校門が見えた頃には気怠さに加えて頭痛までしてきたから、さすがにまずいかもしれないと思い始める。でもここまで来たし、家に帰ったとして両親になんて言えばいいのかわからない。覚悟を決めて校門を超えようとしたところで、くん、と腕を引かれた。
    「一騎……?」
     甲洋の腕を掴んだ一騎は、その顔を歩いてきた方へと向けている。一体どうしたのか、早く行かなければ遅刻してしまう。そう言いたいのに、口は重しでも付けられたかのように動かなかった。
    「あ」
     隣から小さく声が上がる。何、と疑問が浮かぶ前に車輪の回る音と元気な声が聞こえてきた。
    「一騎くーん! 春日井くーん!」
     甲高い音を立てて二人の前に一台の自転車が止まる。運転していた幼馴染みは額に滲む汗を拭いながらにこりと笑った。
    「二人ともおはよう。今日はゆっくりだねぇ」
    「おはよう、遠見。家出るのが遅くなってさ」
     事前に用意していた言葉を喋り始めたところでまた腕を引かれる。どうしたのかと聞くために言葉を切った甲洋と入れ替わるように一騎が口を開いた。
    「遠見。俺たち帰るから、先生に伝えてくれないか」
    「えっ?」
     予想外のことに声を上げたのは甲洋だ。いきなり何を言い出すんだろう。まさか気付かれた?
     突然の申し出に驚いたのは真矢も同じで、目を瞬かせながら一騎と甲洋を交互に見比べる。彼女にバレないわけがない。どうしよう、早くフォローしなくては。何か言わなければと逸る心とは裏腹に、焦れば焦るほど思考回路は鈍っていく。鼓動が早くなり、背中を冷や汗が伝う。どうしよう、どうしよう―――
    「……朝から、腹痛くて。一応来てみたけど、やっぱしんどいから」
     ぽつぽつと紡がれた言葉に辛うじて動いていた思考が完全に止まった。隣を見れば、一騎がしどろもどろになりながら懸命に口を動かそうとしている。
    「だから……その……」
     何を、言ってるんだろう。そんな素振り全然見せていなかった。お前はいつも通りじゃないか。しんどいのは、俺の―――そこまで考えて、はたとひとつの可能性に思い至る。いやでも、そんな、都合の良いことがあるのだろうか。混乱する甲洋を横目に、一騎は尚も「えっと」「あの」と言い募っている。
     しばらく一騎を見ていた真矢が、ふっと眉を下げた。まるで、弟のおねだりを聞き入れる姉のような表情だった。
    「わかった。一騎くんの具合が悪いから、春日井くんに家まで送ってもらって、そのまま看病してもらうことになりました、って言っておくね」
    「え」
    「ありがとう、遠見」
     ほっとしたように笑った一騎に手を引かれる。頭も身体も追いついてないせいでぐらりと体勢が崩れたけれど、すぐに一騎に抱き留められた。あったかい。気を抜いたら今すぐにここで座り込んでしまいそうだ。
    「どうしても辛かったらお母さんに診てもらってね」
    「ん、ちゃんと連れてく」
    「一騎くんが、でしょ?」
    「あっ……そう、だな」
     まるで水の中に沈んでいくように、二人の声が段々と遠くなっていく。だめだと思うと同時に、このまま委ねてしまっても大丈夫だろうという気持ちにもなった。その根拠のない確信がどこから来るのかわからないまま、甲洋の意識は深海へと沈んでいった。



     カラン、という涼やかな音が聞こえた。ゆっくりと重い瞼を持ち上げると、焦点が定まる前の薄っすらとした視界に見慣れない天井が映り込む。
    「ここ……は……?」
     零れた声は酷く掠れていて、自分の声なのか一瞬疑ってしまった。
     記憶がつながらない。まだ日が高いのに、どうして布団に横になっているのだろう。うまく回らない思考をそれでもどうにか動かそうとしていると、控えめ足音が近づいてきた。目だけを動かして音が聞こえる方を見るのと、足音の主が部屋に入って来るのはほぼ同時だ。
    「あ、おはよ、甲洋」
    「……かずき……?」
     上体を起こそうと腕に力を込めたが、全然身体が持ち上がらない。傍に座った一騎にぐいっと肩を押され、大人しく布団に沈む。肩から額へと移った手はひんやりとしていてとても気持ちがいい。
    「……さっきよりはましかな。お前、すごい熱だったぞ。なんで学校行こうとしてたんだよ」
    「ねつ……」
     ようやく記憶がつながってきた。鈍っていた思考が追い付いてくる。
    「……ごめんな、めいわくかけて」
     学校を、休ませてしまった。しかも嘘まで吐いて。俺のせいだ。
     罪悪感と自己嫌悪がぐるぐると渦巻き、呼吸が苦しくなる。悪い方へと昂った感情が行き場を求めて目から溢れる。こんなの、余計に迷惑をかけるだけなのに。止めなければ。しかし、甲洋の意に反して涙は絶え間なく零れ続ける。
    「迷惑じゃない」
     額から頬へと手を滑らせながら一騎がぽつりと呟いた。たどたどしく頬を撫でる指が、涙を拭い去っていく。
    「風邪なんて誰だって引くだろ。だから、謝んなくていい」
    「でも……っ」
    「いいから、もう少し寝てろ」
     珍しく少し強めの語気で諭されたのでそれ以上言葉を継ぐのは躊躇われた。けれど、これだけはと沈みかける意識を叱咤して口を動かす。
    「……そばに……いて……かずき……」
    「……ん」
     ひとりになりたくない。その一心で伸ばそうとした手が、布団から出るより前に掴まれた。短い了承の言葉とつないだ手から伝わってくる温度に安堵して、甲洋は目を閉じる。
    「ここにいるよ、ずっと」
     ゆめうつつの海を揺蕩う意識が優しい声を拾った。都合のいい幻聴だろうか。たとえそうでも構わない。だって今、とても幸せなんだ。



    「お前もいろよ、甲洋」
     眠りについた甲洋の頬をそっと撫でながら、一騎は囁く。
    「ちゃんと、ここに」
     それは夢や幻などではなく、確かにそこにあるぬくもりだった。
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