「プレゼントはその先に」「なあ、オーエン。今、腹減ってない? ちょっと甘いもの作りすぎてさ、これ食べてくれると助かるんだけど……それと、ついでに今日ってなんの日か知……って、おい!」
「お、やっと見つけたぜオーエン。俺様が今から言うことを耳かっぽじってよく聞けよ。今日はな……あ! てめえ! こら、逃げんなよ!」
久しぶりに学園に一歩足を踏み入れたというのに朝からこれだ。何故だか次から次へと元不良校の生徒たちがこぞって追いかけてくると思えば、「今日は何の日か知ってるか」と連呼する。さすがに意味が分からずその奇妙さにその場から逃げればしつこく追いかけてくるのでまた逃げるの繰り返し。大将の首は我が討ち取ったり。そんな勢いで追いかけてくる元不良校の生徒たちを振り切り、オーエンは隙をついて急いで空き教室に入った。
扉を閉め、壁にもたれて座りこむとやっと一息つく。下っ端の生徒など群がってきたところで相手にもならないが、さすがにこの地域でも名を上げたブラッドリーとネロは中々に手強かった。平和・共生・思いやり。これらが一番苦手な元不良校の生徒たちをいつの間にか束ねあげたブラッドリーとネロのチームプレイにはさすがのオーエンでも苦戦を強いられた。けれどもそれも所詮、下級生の悪知恵だ。数々の死線をくぐって来た上級生のオーエンが負けるはずはない。
やっと訪れた安堵にほっとしたのも束の間、ゾッとするような強烈な気配を感じてオーエンは顔を上げた。窓から注ぐ太陽の光を背に、小さな二つの影がこちらを見下ろしている。最悪だ。オーエンは自分の運の無さにぐっと唇を噛み締めた。
「ほっほっほ」
「安心するのはまだ早かったようじゃのう、オーエンちゃん」
「くそ……スノウとホワイトまで……!」
同じ高校生のはずなのにどこか隙がなくそこ知れぬほどの力を感じるが、同時に周囲の気を和ませる様な幼さも見せるこの双子は変幻自在で厄介な相手だ。オーエンは用心して踵を上げ膝をつくが、表情はなるべく平穏さを崩さないように努めた。教室の出口は二箇所。二人は教室の奥にいる分、出口に近いオーエンの方が状況は有利だろう。けれどもオーエンはまだその場に残った。朝から続くこの奇妙なゲームの謎をこの二人なら知っているはずだ。
「ねえ、今日は一体何が起こってるの? 朝からみんな変なんだよね。みんなで僕のこと潰そうとしてるのかと思ったら、何だか違うみたいだし……それに急にスノウとホワイトまで目の色変えてさ……ねえ、いったい何を企んでるわけ?」
「オーエンちゃん、今日は何の日か知ってるう?」
「ねえ、僕が聞いてるんだよ。またそれ? 本当しつこいなあ。朝からずっとそればっかりで聞き飽きたんだけど。今日は何でもない、ただの平日だろ」
そう答えるとスノウとホワイトは顔を見合わせた。にやりと口元を歪め、オーエンへ向き直る。
「ほっほっほ、やはり我らの勝利は間違いないようじゃな。のうホワイトや」
「そうじゃなスノウ。我らの予言に間違いはないからのう。これで褒美は我らのものじゃ……」
「褒美? どういうこと……?」
「覚悟するのじゃ、オーエンよ」
スノウとホワイトが、じわりじわりとオーエンへ近づいてくる。にやりと笑みを浮かべながら、後ろ手に何かを隠し持っている様だった。まさか何かの武器だろうか。対してオーエンは対抗できるものは何も持っていない。ゆっくりと、一歩ずつ。見せつけるように歩く二人の妖しく光る瞳が、焦るオーエンを捕らえる。何か策はないかと考えるが、もう時間はない。
「今日が何の日か、それはの……」
二人はきゃっきゃっと飛び上がると同時にパンッパンッと一際大きな破裂音が連続で鳴り響く。まさか高校生が――と驚き床に伏せるが、何も痛くない。
「じゃじゃーん! なんと! 我らが生徒会長、ミスラちゃんのお誕生日でーす!」
燃え滓の様な燻った臭いが周囲を漂う。「何……?」と思わず頭を抱えた腕を下すと、そこにはカラフルな紙吹雪や細長い糸屑が絡まっていた。手に隠し持っていたのはどうやらクラッカーだったらしい。
「何これ」
「ミスラちゃんの誕生日のお祝いに決まっとるじゃろ」
「誕生日? ミスラの?」
髪の毛や制服にくっつくゴミをつまみ床に放り投げながら双子を睨みつける。
「ねえ、意味わかんないんだけど。どうしてそれを元不良校の生徒たちがこぞって僕に言いに来るのさ」
「それはのう、オーエンちゃんにこのことをいち早く伝えた元不良校の生徒にはもれなく、留年を見逃す券が与えられるからじゃ!」
「は?」
「というゲームをミスラちゃんが突然言い出してのう。まあ、我ら別に留年の心配なんて別にないのじゃが、ただ単に面白そうじゃから参加した次第じゃ。ほっほっほ、留年を見逃す券なんて、元不良校の生徒なら喉がから手が出るほど欲しいじゃろうからのう」
「ミスラちゃんも考えたものじゃ。血眼になってオーエンちゃんを探す生徒たちの姿が実に見ものであった。さすが、不良校という最も危険な場所で自身の力で危機を捻じ伏せてきただけある。我らも久しぶりに現役時代を思い出してしまったぐらいじゃ。あやつは制御不能で危ういところもあるが、さすが元不良校のトップ。エースとしてのセンスを感じるのう」
うんうん、と感心する双子は「じゃ、そういうことで」とオーエンを素通りして教室の扉に手をかけた。オーエンは即座に「ちょっと」と二人を止めた。
「何じゃ?」と答える二人は不思議な顔をするが、オーエンだってまだ意図が掴めていないのだ。ミスラの誕生日だということはわかったが、肝心なことを聞けていない。
「ねえ、どうしてミスラは僕に誕生日だって伝えたがったの?」
「それは」
「もちろん」
「オーエンちゃんからお祝いしてほしいからに決まってるじゃろう?」
オーエンの問いに二人は何を言ってるのだという顔で即答した二人は「じゃあねー」と手をふり気づけばすっと消えてしまった。オーエンの疑問だけが教室に残る。
――ミスラは誕生日を祝って欲しい? こんなことまでして、自分に?
「どうして……?」と考えるうちにそういえば朝からおかしなことが立て続けに起こっていたことを思い出した。
早朝からやたらとインターホンが鳴り止まず叩き起こされ(画面を見たが誰も映っていなかった)、それから家の周りをやたらと派手なバイクが騒音を振り撒いて走りまわっていた。これでは落ち着いて家にいてられない。そんなわけで仕方がなく家を出てきたのだ。
けれどもそんなことでは奇妙な出来事は終わらない。道の行く先々で不良たちの小競り合いが起こりに起こり、街一帯に流れる荒れた雰囲気はオーエンの興味をそそるが、その一方でこんな小さな争いに巻き込まれるのはごめんだ。仕方なく小競り合いを避けては別の道を進んでいくと、不思議と見慣れた道を歩いていた。そうしてオーエンは登校する気もなかったはずなのに、気がつけば学園の門をくぐっていたのだ。
オーエンは確信した。これは偶然でもなく、意図的なものだ。今思えばすれ違うやつは見たことのある顔が多かった。あれも全て元不良校の生徒たちだろう。
「もしかして……あいつ、そこまでして僕に嫌がらせを……? いや、違う……わざわざ自分の誕生日にそんなことするなんて、いくら何でも馬鹿すぎる。だって、ミスラにとっても高校最後の誕生日だもの、特別な日にしたいはずだよね……へえ、なるほど。僕はわかったよ。僕に祝って欲しいっていうのは、つまり……僕と最後の決着をするつもりなんだ」
気がつけばぐっと拳に力が入る。今日でどちらが強いか決まるのだ。卒業を前にして最後の仕上げとミスラはオーエンに勝って、それを餞に自分の誕生日を飾りたいのだろう。ならば望み通りやってやろうじゃないかとミスラの携帯へ連絡をとった。
「今どこ」
「オーエン! 随分と遅いじゃないですか。待ちくたびれましたよ。やっぱりあの人たち、使えないですね」
「ねえ、今どこかって聞いてるんだけど」
「ああ、屋上です。今日は寒いですけど、太陽が出てていい天気ですよ」
ミスラはその隠しているはずの思惑とは反対に、のんびりとした緊張感のない声で答えた。こんな大胆で大掛かりな計画を仕掛けておいて、そんなに自分は軽くみられているのだろうかと思うと、苛立ちがそのまま低い声になって喉から吐き出された。
「知らない。いいからそこ、動くなよ。お前の望み通り、祝いにいってあげるから」
「はい。ちゃんと待ってま――」
返事をするミスラの声を無視して電話を切った。やけに嬉しそうな声が耳に残る。今から決着をつけるというのに随分と呑気なものだが、そんなに楽しみにしていたのだろうか。「やっぱり馬鹿なやつ」と呟くとミスラの元へ足早に向かっていった。
◆
重い扉を押し開くと屋上にはミスラ以外誰もいなかった。くすんだ冬の空にしては明るく、日差しの温かさを感じるほど屋上はのんびりとした空気に包まれている。
まだオーエンが来たことにミスラは気がついていないようだった。ぼんやりと空を眺めるスラをオーエンは遠くからじっと眺める。顔がいいからか、それとも背が少し高いからか、黙っていれば何をしても様になる上、力も強い。
こんなにも生徒に恐れられているオーエンのことだって気軽にお茶にも誘うし、考えてみればオーエンの好きな甘いものなんてこのところ自分で買ったことがないくらいだ。甘いものがただで手に入るのはいいが、もちろんそれだけでは終わらなかった。何なら家にまで招かれ、挙句の果てに帰ることも許されず泊まっていく羽目になる。オーエンはミスラにとっては数少ない好敵手のはずだ。それなのにこんなにも簡単に自分の懐に入れてしまうなど、舐められているに違いないのが腹立たしい――はずなのに、少しそれを期待していることもある。それだって腹立たしい限りだ。
しかもまだ続きがある。このことはオーエンにとっても由々しき事態だった。二人きりになれば勝手知ったるようにオーエンの体を触り、あろうことかオーエンの唇を、ミスラは自分の唇で塞ぐのだ。それも何回も何分も飽きもせず、だらだらと時間をかけて離してくれなくなる。それが何と言う行為かなんて知っている。けれどもそんな関係ではないのにその言葉を使うのは間違っている。それでも、まるでペットを優しく撫で付けるようなそんな仕草に、何故だか腰がじんと甘く痺れる。そんな風に可愛がられるなんて屈辱でしかないはずなのに、一度それが始まるとオーエンは途端に反抗できなくなるのだ。
それに、唇は案外と刺激に弱いらしく、すぐにオーエンの体をぐずぐずに溶けたチョコレートのようにおかしくさせるからとても耐え難い。あの時の鼓動の速さと言ったら死んでもおかしくないほどだし、息も絶え絶えで体温も異常なほど高まりクラクラと熱に浮かされたオーエンは瞬く間にミスラに降伏するしかなくなってしまい、どうしようもなくなる。
人には言えないようなことを、そんなところを、隅々まで。手で、唇で愛撫され、ミスラの好きなように弄ばれて、そして最後にはミスラにしがみつくしかないほどまで追い込まれる。思い出しただけではらわたが煮えくりかえるほど苛立ちが募るかと思えば、生々しい感触が蘇り、いつの間にか顔までが熱くなっていた。
「ムカつくやつ……」
憎らしい視線に気がついたのかミスラが「あ」とこちらを見た。その顔はいつになく機嫌がよさそうだった。隙だらけで、ふんわりとしていて、いつでも気まぐれに噛みついてくるような暴虐無人さなどどこにもない。まるで甘いものが熱にあてられ柔らかくとろとろに溶けてしまったようなあの感じ。ミスラの部屋で肌を合わせている時のそれと同じだ。ここは学園なのに、それが珍しくオーエンへ向けられているのだから、体がむずむずして逃げてしまいたくなる。こういうミスラは苦手だ。ここは学園なのだから、いつもの様にケダモノみたいに好戦的に振る舞ってくれた方がやりやすいのに。オーエンは無意識に軍帽のつばを持つと、くいと下ろした。
「やっと来ましたね」
「ねえ、全部おまえの差し金だって言うのはわかってるんだから」
「今日、俺の誕生日なんですよ」
「はあ、それはもう何回も聞いたってば。その記念にってことなんだろ。ねえ、僕を誕生日プレゼント扱いするなよな」
「なんだ、わかってるじゃないですか」
ミスラが段々とこちらへ近づいてくる。いつになく軽い足取りで、あの目立つスニーカーがかわいらしくキュっと音を鳴らした。周りを見渡しながら、オーエンのそばにやって来る。
「俺もこの学園、なんだかんだ気に入ってたんですよね。生徒会長も中々楽しかったし。でも、もうこうしていれるのもあと少しだと思ったら、なんだか嫌だなって思って……あなたもそうでしょう?」
ミスラは屋上の外壁のふちをなぞると少し切なげな顔をした。オーエンは返事をしなかったものの、もちろんこの学園のことは嫌いではないからその気持ちは分からなくはない。あと数か月。そのあと、永遠に想えた自分たちのこの日常がそうではなくなるまで、わずかな時間。その残された時間は少しずつ減っていっているのは確かだ。
「あなたとも、こうしてここで会えるのもあと何回なんだろうってこの前数えてみたんです。そしたら、思ったよりも少なくて驚きましたよ。それに、待ってるだけじゃ、あなたは全然ここには来ないでしょう。じゃあもっと会えなくなるのかなって思って、なら俺があなたをここに来させたらいいんじゃないかって思ったんです。名案でしょう」
ふっと笑みを浮かべてミスラはオーエンを真っすぐに見た。ぼんやりといつも眠そうな目元までが、今日は少し違って見える。迷いがない、その瞳に目を奪われる。
「でも今日みたいなのは迷惑なんだけど。会いたいなら、会いたいって呼び出せばいいのに」
「祝って欲しいって言ったら祝ってくれるんですか?」
「きみから強請られたら絶対してやらない」
「ほら、そうでしょう。あなたは約束なんて守ってくれないじゃないですか。だからここに来るように仕向けたんですよ」
「そんなに最後に僕と決着をつけたかったの?」
「決着? 何言ってるんですか? まあ……あなたがそうしたいなら俺は構いませんけど。それよりも、あなたには今日一日かけて俺を祝ってもらいます」
「どういうこと?」
「生徒会長命令ですから。今日は俺の誕生日ですからね、何をしてもいい権利ぐらいあるでしょう。ほら、早く行きますよ。車を待たせてあるんです」
「は? どうして僕が……!」
屋上の扉に手をかけるミスラの後ろへオーエンは着いていく。
「ねえ、決着はどこでつけるの?」
「はあ……そんなに言うなら、まあ最後、俺の部屋でいいんじゃないですか?」
「狭くない?」
「は? 俺の部屋が狭いって言うんですか? 十分でしょう」
タクシーに乗せられて、着いた先は繁華街だった。ミスラの言うまま店を周り、どちらがいいかなんて無駄な質問に答えてやったあと、食事をした。そのあと、ミスラの言っていた通り部屋に連れられケーキを食べ、ついに決着が行われることになった。
ミスラが隣に座ると、オーエンはベッドの上で身構える。今から決着をつけないといけないのに、この部屋の空気があのひどく溶けるような夜を思い出させてくるからオーエンは緊張を隠せないでいた。
「そうそう、決着とやらをつけましょう。あなたからもプレゼント貰わないといけませんし」
「ねえ、どうやってつける? 何も用意してないけど。ふふ、この部屋、滅茶苦茶になってもいいの?」
「へえ、あなたそんなやる気だったんですか? まあ、プレゼントは、俺があったらいいなって思ったものが貰えたらそれでいいので」
ミスラは服を一枚ずつ脱いでいく。下着姿になったあと、オーエンの服へと手にかけた。
「は? 脱いでするの?」
「着たままがいいなら、別にいいですけど……」
ミスラがじゃあとオーエンの頬を掴んだ。硬く大きな手の平がやわらかく触れる。けっして、傷つけることを目的としない触れ方。消えないように、ずっとそこにあることを確かめるように。あるいは、ずっと、離したくないように。
口づけられ、軽く吸われる。頬が擦れて、髪の毛が絡まって、何度も何度も、唇を重ねて、背中を引き寄せられる。
おかしい。これは決着なんかじゃなくて、いつもの戯れの延長だ。ミスラは最初から決着などつける気はなかったのだ。オーエンはやっと気が付いたが、弱いところを舌で刺激されれば忽ち喉を震わすだけで抗議の声は上げられない。
ベッドに倒されてすぐさま啄むように唇を塞がれて、何とかその隙をついてやっと声を出す。
「ん、うむっ、ち、ちょっと……!」
顔を押しやるが、ミスラは平然と見下ろしている。
「ねえ、オーエン」
「な、何……」
「プレゼント、俺にくださいよ」
頬を指でなぞって、紙をくるりと回して、まるでおねだりするように可愛げな仕草をする。
「もう祝ってやったじゃん。ケーキも食べたよ。それに……今からするんでしょ」
「まだ、欲しいものがあるんですよ」
何だろうとミスラを見ると、ふわりとした空気が流れてきた。ケーキはさっき食べてしまったのに、服にでもついてしまったのだろうか、甘い匂いが漂っている。大好きな甘いものの香り。それなのに、やけに心臓が反応してうるさいほどにどくどくと鳴っている。
「あなたの一日を、これからもずっと」
欲しいと願われたのは、この学園を卒業してからの、もっと先の、未来のことだった。
「会えなくなるのは、嫌だって言ったじゃないですか。だから……」
そんな当てにならない先のことまではオーエンだって分からない。でも、ミスラはそれが欲しいと言う。ならば、一日ずつぐらいなら、少しぐらい。オーエンはそれも面白いのかもしれないと嫌ではない自分に驚いた。
「僕が飽きたらもうあげないよ」
「それでいいですよ。だってあなたが飽きることなんてないでしょう」
「ねえ、その自信はどこからくるんだよ」
ふふ、とお互い笑い合って、顔を近づけた。
「ちゃんと僕のプレゼント、大事にしないと承知しないからな」
オーエンから唇を寄せると、笑っているのがわかるほどミスラの唇が弧を描いている。唇が溶けあうぐらいに触れ合って、自分から制服を脱ぎ捨てた。