香水 シルヴァンから「一緒に出掛けませんか」という誘いがあったのは、数日前のことだった。彼曰く休みの重なった週末、ベレスと観光したい場所があるらしい。
「どこに向かうの?」
「秘密です」
行き先によっては持ち物や服装を調整する必要があるだろうと昨日までに何度か尋ねたのだが、シルヴァンは口を割ろうとしなかった。いたずらのような悪巧みでもしているのかと探っても、とにかく俺と一緒に来てくれればいいので、と言う。
少しの不安を抱えながらシルヴァンに指定された待ち合わせ場所に向かうと、ベレスを待つ彼の姿を発見した。すらりとした長身はカジュアルな服に包まれていて、モデルのような立ち姿に近くを通りがかった女性達から注目を集めている。
(ちょっと近寄りがたいかも……)
その光景を遠目から眺めていると、シルヴァンがベレスに気づき、組んでいた腕を解いて上げた。
「ベレスさん!」
ぶんぶんと尻尾を振り回して大喜びしている子犬の如く、彼は眩い笑顔でベレスを呼び寄せる。あの人が彼女? と言いたげな女性達の視線をなるべく気にしないようにして、ベレスは彼の元へ歩み寄った。
「おはよう」
「おはようございます。いやあ、良きデート日和ですねえ」
「どこへ行くのかはまだ教えてもらえないのかな」
楽しそうに空を仰ぐ彼に問いかける。シルヴァンは白い歯をこぼし、背を屈めてベレスの顔を覗き込んだ。
「そうですね。今日は俺に全部任せてほしいです。色々と考えているので楽しみにしていてください」
「わかった。……あと、この格好で着てしまったけど大丈夫?」
シルヴァンの隣に並んでも恥ずかしくない服装、かつ多少ヒールの高さがあって歩きやすい靴を選んではみたが、かっちりとしたドレスコードの必要な店に行く予定があるとしたら着替えなければならないだろう。
シルヴァンはベレスの上半身から足先まで視線を滑らせ、大きく頷いた。
「まったく問題ありません。何かあれば、俺がベレスさんに服を一式プレゼントしますよ。むしろそういうのも楽しそうです」
そこまでしなくてもいい、という言葉を遮って、彼が続けて口を開く。
「それにしても、今日は快晴ですが風が冷たいですね。よかったら使ってください」
シルヴァンが巻いていたマフラーを取り外し、ベレスの首元に掛けた。確かに本日の気温は低い方だが、ベレスはコートを着ているし、マフラーを借りたら彼の首が無防備になってしまう。
「私が借りたらシルヴァンが寒くなるでしょう」
「心配ご無用です。雪の多い場所で育ったので寒さには慣れてます。それにせっかくベレスさんが俺とデートをしてくれてるのに、風邪でも引かせた日には後悔してもしきれませんから」
断ろうとしてもやや強引に首の周りに巻かれてしまい、彼にされるがままとなった。
温もりを残したマフラーはベレスの体を心地よい温度で包んでくれる。
(温かい……それに、いい匂いがする。香水かな?)
マフラーの位置を調整する振りをして、顔周りを漂う香りにすんすんと鼻を動かすと、シルヴァンは心配そうに眉を下げた。
「もしかして変な匂いでもしますか……?」
「ううん、凄くいい香りがするなと思って。香水をつけてる?」
「実は少しだけ付けてみたんです」
シルヴァンは顎に指を当ててから得意げに胸を張った。
「俺の色気をベレスさんにアピールしたくて」
「なるほど。強い香りの香水は苦手だけど、シルヴァンの使っているものなら平気そうだ。それにこのマフラーを巻いていると、君に」
抱きしめられているような気分になる――と言いそうになり、ベレスは口を噤んだ。危うく恥ずかしい発言をするところだった。急に黙った真意を察したのか、シルヴァンはニヤリとした笑みを浮かべる。
「ちょっとは俺のことを意識してくれました?」
本音を見透かされた上にからかうように言われ悔しい気分になる。仕返しとばかりに「そうかもね」と答えれば、シルヴァンはベレスが素直に認めるとは思っていなかったようで、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。やがて彼の頬に朱色が差したが、それを誤魔化すように顔を逸らされた。
(シルヴァンでも照れることがあるんだ。まだまだ知らないことがたくさんあるな)
照れた顔を隠そうとしているので、本人としては格好の良い部分だけを見せたいのかもしれない。それでも、付き合ったばかりの彼のことをより深く知りたくなってしまった。
(……もっと、君の色々な表情を見てみたい)
赤くなった横顔を見つめながら、ベレスは密かに唇を緩ませたのだった。