世界で一番温かい ある冬の日、俺とベレスさんは二人きりの旅行に赴いていた。宿泊するホテルに向かっている途中に立ち寄った店で、気のいい店主に『星が綺麗に見られる場所がホテルの傍にある』と教えてもらったので、せっかくだし夜に行ってみようという流れになった。
「ベレスさん、足元に気をつけてくださいね。よければ俺に掴まってください」
「ありがとう」
暗い山道をゆっくりとした足取りで突き進む。彼女が転んでしまわないように誘導していると、しばらくして目的地にたどり着いた。
「聞いた通り綺麗な景色ですね」
深い色の夜空にはきらきらとした星々が敷き詰められていて、思わず感嘆の息が零れそうになる。肩を並べて静かに満天の星を眺めていると、ベレスさんが突然、俺の服の裾を引いた。控えめな仕草に視線を下ろすと、白い手が差し出されていた。
「シルヴァン、手を出して」
「急にどうしたんですか?」
言われるがまま腕を動かすと、彼女は特に表情を変えないまま俺の手を掴んで口を開く。
「さっき君と手を繋いだ時、少し冷たかったから」
一見無表情の彼女だが、声色から俺を心配してくれているのだと伝わる。俺は声を弾ませた。
「ベレスさんが温めてくれるなら、寒さなんて今にも吹き飛びそうですよ」
「そうだといいんだけど」
俺の手を包む小さな手のひらは温かくて柔らかくて、強く触りでもしたら壊れてしまいそうだ。丁寧に扱わないと……。
そっと握り返していると、ベレスさんは「遠慮しないで」とぎゅっと強く握ってきた。
……どうしよう、今すぐに抱きしめたくなってきた。でも、せっかく繋いでくれている手を離したくない。
自分の中に葛藤が生まれかなり真剣に悩んでいると、俺の顔を見ていた彼女の視線が空へと向けられた。
「星、本当に綺麗だね」
ベレスさんの双眸には星の光が反射している。暗く落ち着いた色に鮮やかな輝きが散っていて、とても綺麗だと思った。
「いつまでも見ていたくなりますねえ」
「うん。穴場を教えてもらえて良かった――」
頷いた彼女が数秒動きを止める。その姿を見守っていると、ベレスさんはわずかに肩を震わせて、可愛らしいくしゃみをした。
「そろそろホテルに戻りますか?」
「ううん、まだ星を見ていたい気分なんだ。寒いしシルヴァンは先に宿に戻っていてもいいよ」
「俺があなたを置いていくわけがないでしょう」
今すぐにベレスさんを温かい部屋でもてなしたい気分だが、本人の希望があるならばこの場に残る他ない。どうするべきかと考えて、俺はやむを得ず彼女から一度手を離し、ベレスさんの肩に手を添えた。
「俺の前に来て、後ろを向いてもらえますか」
「? うん」
「そのまま俺に寄りかかるような形でお願いします」
ベレスさんの後頭部が目の前に移動してくる。俺は細い両肩にそっと手を置いて、自分の方に引き寄せた。下ろされている彼女の手と指先を絡めつつ、背後から抱きしめる体勢になる。こうすればベレスさんを温められるし、手を絡めたままでもいられる。
我ながら良い作戦だと自画自賛していると、唇を閉ざした彼女の頬が赤らんでいることに気づいた。
「顔が赤くなってますけど、大丈夫ですか」
「……うん」
この頬が赤くなっているのは寒さのせいなのか、それとも別の理由があるのか。その答えは恥ずかしそうに伏せられた睫毛を見てすぐに判明した。
照れてるんですね、可愛いです。なんて言葉を掛けようとした時、ベレスさんは話を逸らすように再び夜空を見上げた。そして星々を見つめながら、思いきり俺に寄りかかってくる。
「君は温かいね。これなら一晩中でも星を見られそうだ」
「ということは、俺は一晩中ベレスさんを抱きしめていられるんですね」
抱きしめる力を強めながら笑うと、愛おしい彼女が腕の中で淡く微笑んだ。
今この場所が世界で一番温かいのかもしれない。