【再掲】化かし愛ましょう三井寿の場合
あの日、いざとなれば本気で俺を殺す気でいたはずの男と、俺の生きる全てを取り戻すチャンスを与えてくれた男は同一人物である。
しかもまだ十五歳の子供で、いかにも不良ですと言わんばかりのリーゼントを下ろしてしまえば中学生に見間違えるほどの幼さがある。
親しい友人達と朝からパチンコ屋へ並ぶくらいギャンブルが好きなのかと思えば年齢を誤魔化してまで時給の良い深夜のアルバイトに励み、その若さで一人暮らしをしている。
という話を本人から聞いて、一番に思い浮かんだのはよほど荒んだ家庭環境にあるのだろうということ。
けれど俺の勝手な想像を否定するように両親の仲が良過ぎて困る、と苦笑いをしていたのを覚えている。
転勤族の父親に合わせて引っ越しの度に環境が変わるのが嫌になり、高校への入学を機に一人暮らしを認めてほしいと頭を下げたらしい。
両親としても幼い頃から転校ばかりさせていた負い目があり、これも社会勉強の一つだと了承してくれたとのこと。
高校生一人が生活するには十分な仕送りもあるが、親の目が届かない今だからこそ先々に備えて稼げるだけ稼いでおきたいのだと言う水戸は俺よりもずっと大人で、何事もスマートにこなせるのだと思っていた。
そんな水戸から昼間、校内で遭遇した際にこっそりとノートを小さく正方形に切り取ったメモを渡された。
受け取ると水戸は何も無かったかのように笑いながら去り、メモを強く握りしめたままその場から動けなくなってしまった俺のことなど知りもしないだろう。
教室へ戻り、机の下でクシャクシャにしてしまったメモを破かないよう注意深く開くと放課後、屋上、というたった二つの単語があった。
今日は部活が休みだと知ってのことか、元々機会があれば渡そうとポケットに忍ばせていたのかは分からない。
それでもきっと水戸なりに丁寧に書いたであろう文字を見ているとまるで告白の呼び出しのようだと思ってしまい、羞恥心から再びメモを握りしめて叫びたい気持ちを抑えていた。
「わるい、遅くなった」
「良かった。無視されたかと思ったよ」
放課後、誰よりも一番に教室を出て屋上へと向かったのに、俺よりも先に到着していた水戸がフェンスに背を預けたまま煙草を吸っていた。
ドアを開くなり声をかけるとホッと安心したような表情で笑って、地面へ放った煙草の火を靴底で消した。
続けてドアノブを手にしたまま動かないでいる俺へあえて作ってみせた笑顔のまま手招きをするからそれに従い、背後で閉まるドアの錆びついた音を聞きながらゆっくりと水戸の方へ歩み寄った。
いつから俺を待っていたのか、水戸の足元にはざっと見ただけでも五本もの吸殻が散らばっている。
元々煙草なんて金の無駄と言っていたのに、随分な吸いっぷりだ。
それだけ緊張している証拠だとは十分に伝わって、気付いていないフリをしながら俺も水戸の隣でフェンスに背を預けてみた。
ちらりと覗き見た水戸は俯きがちで、表情は分からない。
お互いに口を開かないので真下の音楽室から聞こえるバラバラな楽器の音が余計に響き、早く用件を言えよ、と急かしたくなった。
こんな状態で待たされるくらいならいっそのこと、用が無いなら帰るぞ、と脅してやるのもアリかも知れない。
「アンタさ、もしも俺が恋人になってよって頼んだら断らないだろうけど…それってどこまでOKなわけ」
「恋人なら恋人として扱えよ」
「…断らねえのかよ」
ようやく水戸が口を開き、俺の様子を窺いながら弱気な瞳を向けた。
そのくせ偉そうな口調で喋るものだからぶっきらぼうに即答してやると呆れたようなトーンで返され、はあ、とわざとらしい溜息までつかれた。
そのままずるずるとしゃがみ込み、両手で顔を覆った指の隙間から俺を見上げると今にも泣き出しそうな声で
「信じられないだろうけど、アンタが好きだよ」
と言って、オレの返事を恐れるように俯いてしまった。
水戸洋平の場合
あの日、バスケ部を本気で潰す気でいたはずの男と、バスケこそが自分の全てだと皆の前で涙を流した男は同一人物である。
しかも過去にMVPと讃えられた圧倒的な技術と才能があり、素人の俺でも惹き込まれるプレイを披露した。
花道の話によれば復帰直後の部活では久しぶりに部員として手にしたボールに感極まって密かに涙を浮かべていたらしい。
それだけ愛したバスケを取り戻していく内に本来のあるべき姿に戻ったとでも言うべきか、日に日に別人のように輝いていく姿から目を離せなくなるまでに時間は要さなかった。
けれどバスケ部でもない俺が個人的に親しくなるには難易度が高く、たまに交流出来たとしてもそれは花道を冷やかしに体育館へ足を向けた時に挨拶をするくらい。
何より相手は明らかに俺を警戒し、二人きりとなれば必ず距離を取られた。
謹慎明け、わざわざ一人で謝罪に来たのでバスケで活躍してくれるならお咎め無し、と言ったのが失敗だったのだろう。
何か一つでも確実な罰を与えさえすればここまで警戒されなかったのではないだろうか。
そう後悔しながらも、チャンスがあれば言葉を交わし、距離を縮められるよう俺なりに努力はしたつもりだ。
その一方で花道や部員達はバスケを通じてあっという間に親睦を深め、あの人自ら積極的なスキンシップをとって無邪気に笑う姿に腹が立つこともあった。
そう親しくないであろうクラスメイトがふざけて背中を叩いても笑っているのに、俺が挨拶として片手を上げようとしただけで肩を大きく跳ねさせて怯えている。
恐らく俺が冗談でもやっぱり許せないから一発殴らせて、とでも言えば返事をするより先に身を強張らせながらも与えられる衝撃に耐えようとするのだろう。
根が真面目な性格なのだろうとは部活に打ち込む姿から分かっていたつもりだが、まさかここまで自罰的な性分だとは思いもしなかった。
俺の好意は一つも受け取ってくれないくせに、俺ですら望みもしない罰を欲するなんて厄介な人だ。
「お前、恋人としたいことでもあんの」
「…無いけど、アンタとは恋人同士になりたい」
「へえ…物好きだな」
俺が好きだと打ち明けてから、三井さんまでどっかりと腰を下ろして隣で胡坐をかいた。
急な呼び出しに応じてくれたのも、早速俺と付き合う気で話を進めているのもそれらを罰として受け入れているからだ。
口にこそ出しはしなかったが、この人はずっと罰を与えられるのを待っていた。
そうまでして罰を望む理由はきっとバスケにもっと集中する為に俺への貸しを返して、罪悪感を軽くしたいからだろう。
「でもアンタが俺を恐がってるのも分かってるし、好きになってもらえるとも思ってないし、そもそも期待もしてないし、立場的に恋人となる以外は何も望んでないよ」
「何だ、駄々こねてんのか」
「茶化すなよ。こっちはマジなんだから」
「お前こそ告白までしておいて怖気づくなよ」
正論と共に肩で肩を押され、バランスを崩して倒れそうになった。
雑な扱いを受けて睨んでもいっそ腹が立つほど男前な笑みを浮かべ、意気地なしめ、とまで言われてしまった。
俺に怯えていたくせに、こちらに下心があると知るなり自分が優位だと確信して笑っていやがる。
「なあ、とりあえずこのまま飯行かないか徳男と約束があるからそんなに長居は出来ねえけど…恋人らしくファミレスデートでもしてみようぜ」
「…アンタはそれで本当に良いわけ」
「それ、聞く必要あるのかよ」
せめてもの情けで最後の逃げ道を用意してやっても鼻で笑われ、先に行くぞ、と立ち上がってしまった。
足元に投げていた鞄を拾い、本当に俺を置いて行こうとするのを追いかけて隣に並ぶと散々目にしてきた怯えた表情とは違い、どこか吹っ切れたように笑っている横顔が見えた。
俺の恋人となる罰をこうもあっさりと受け入れて、その上笑っていられるなんてこの人くらいだ。
三井寿の場合
夕方の七時過ぎ。
水戸とのファミレスデートを終え、店の前で別れた俺は街灯に照らされた歩道をゆっくりと歩いていた。
それから暫くして、水戸の後ろ姿が見えなくなったのを確認してから全力で地面を蹴って走り、部活終わりで横一列となって歩く学生や、帰宅途中のサラリーマンとぶつかりそうになりながらも徳男との待ち合わせであるカラオケまで我武者羅に走り続けた。
ファミレスからの距離は走って十分くらいで、そう遠くはない。
水戸から呼び出しを受けた時点で今夜は無理にでも時間を作って欲しいと頼んだ時、徳男は笑顔で了承してくれた。
そして事前の約束通り、徳男が先に部屋を確保していてくれたお陰でフロントに名前を伝えるだけでスムーズに入室することが出来た。
「水戸が好きだと叫びてえええええ」
「おめでとう三っちゃん」
駆け込むように入室し、勝利の雄叫びを上げる俺を徳男は笑顔で出迎えて祝福のとクラッカーを鳴らした。
ついに、ついにあの水戸に告白された。
そろそろだろうと予想はしていたが、ついにあの水戸と恋人同士になれたのだ。
しかも水戸の方から俺を好きだと告白し、ファミレス前で別れる際には手放さないから、と釘を刺された。
馬鹿め。手放さないのは俺の方だ。
水戸は俺が過去に起こした事件の罰として今後の関係を受け入れていると思っているだろうがそれは違う。
態度にこそ出しはしなかったものの、俺はもう随分と前から水戸に惚れ込んでいた。
何せあの水戸だ。そりゃあ惚れるに決まっている。ベタ惚れだ。
俺の罪を被り、更にはバスケを認めて声援を送ってくれるアイツへ向けた俺の恋心は崇拝とも言える。
だから俺はアイツの気を引くようにあえて距離を取り、怯える演技を続けてみせた。
水戸を見つけては名を呼び、思わず駆け寄りたくなる気持ちを堪えてずっとだ。
すると狙い通りに優しい水戸は俺を気にかけ、自ら距離を縮めようと挨拶や些細な日常会話までしてくれるようになった。
そんな水戸の神対応に俺は込み上げる喜びを押し殺し、誰が見ても水戸に怯えている自分を演じ続けた。
それと同時に水戸を挑発するように他の連中とは過剰なほど親しく接し、積極的にスキンシップまで見せつけてきた。
水戸を試すような真似ばかりして申し訳ない気持ちになりはしたが、こうして得られた成果はでかい。
今日から俺は水戸の恋人であり、水戸は俺の恋人である。それも一生だ。
正直なところ、すぐにでも俺だって水戸が好きだと打ち明けたい。
けれどそうすると今までの苦労が全て無駄となり、水戸も騙された、と俺に愛想を尽かしてしまう。
だから今後は徐々に水戸の優しさに気付き、その魅力に惚れていく己を演じる必要がある。
まあ、そこに関しては元々がフルパワーで惚れているので加減さえ間違えなければ問題無い。
仮に距離感を間違えたところで罰として恋人となっている、だから従順に恋人らしく接している、というのが建前にあるのだから水戸も気付きはしないだろう。
記念すべき初デートとなった今日だって別れ際につい頬へ口付けてしまったのに、恋人なんだからこれくらいするだろ、と言えば水戸もそれもそうか、と背伸びをして俺の頬に口付けを返してくれた。
死ぬかと思った。
しかも早速今週の日曜日には水族館へデートに行って、そのあとは水戸の家で映画のビデオでも見て過ごそうと約束した。
マセガキめ。早速この俺をお持ち帰りする気でいるだなんて流石は十五歳だ。
しかし相手が悪かったな。
きっと初めてで緊張が隠せないであろう水戸を俺が優しく年上の恋人として余裕を持ってリードしてやろう。
とは思うものの、俺だって初めてとなるので右も左も分からない状態だ。
それでも既成事実を作るべくあくまでも自然に、アイツが好みそうな無防備かつ無自覚に誘惑出来るような演技力が必要だ。
「悪いけど、可愛いの演技も見てくれるか」
「複雑な気持ちだけど…どんとこいよ三っちゃん」
来たる決戦日に備え、俺はレッスンに励むのであった。
水戸洋平の場合
夕方の七時過ぎ。
三井さんとのファミレスデートを終え、店の前で別れた俺はなるべくいつも通りの歩幅で歩き、三井さんの後ろ姿が見えなくなったのを確認してから人通りが少なく、暗い路地裏に入った。
幸運にも都合の良い輩があちこちでたむろしてしていたものだから声をかけられては一人ずつ丁寧に相手をして、存分に拳を振るって再び街灯に照らされた歩道に出た頃にはすっかり昂っていた感情も落ち着いていた。
そのまま花道のアパートへ向かう途中、いつも以上に気合を入れてセットしたはずの髪は崩れ、返り血を浴びた状態でもニコニコと笑顔で歩む俺を誰もが関わってはならないと警戒して距離をとった。
それすら可笑しくていよいよ声を上げて笑いそうになりながらも、ようやく花道のアパート前へ到着すると全員で馬鹿騒ぎをしている声が外の方まで響いていた。
「俺の勝ちだ。花道以外全員有り金全部出しな」
乱暴に玄関を開き、第一声に俺は己の勝利を報告した。
すると俺が三井さんにフラれる、に賭けていた三人がげえ、と呻き、花道だけがおお、と喜びの声を上げてくれた。
今日こそ俺は三井さんに告白する。
そして、脅してでもあの人と恋人同士となる。
そう宣言したのは今朝のことで、花道だけが俺の勝利を信じてくれていた。
結果はこの通り。見事俺はあの人と恋人同士になれた。
めでたい両思いではないにしろ、恋人というポジションを確保出来ただけでも有難い。
普段の俺らしからぬ弱気な姿を見せ、更には緊張していますと言わんばかりに好きでもない煙草を吸ってまであの人の情に訴えかけるのは正解だった。
俺が自分に惚れていると分かれば怯えもせず、どちらかと言えば機嫌が良さそうにも見えた。
それがあくまでも恋人として接しているからなのかは分からないが、こんなにも態度が変わるならもっと早くに行動しておけば良かったと思う。
ここだけの話、あの怯えた様子もそれはそれでグッとくるものがあったので名残惜しくはあるのだが。
怯えて警戒しているだけでも十分可愛いのに、恋人モードへ切り替わったあの人の可愛さったらなかった。
自分からファミレスへ誘っておいて緊張しているからあまり食べられないだの、恥ずかしいからこっちを見るなだの言って散々俺を煽りに煽ってくれた。
かと思えばまるでこの関係に乗り気なように日曜日には水族館でデートをしようと自ら提案し、そのあとは俺の家で映画でも見ようと誘ってみるとその言葉の意味を察したように頬を赤らめて小さく頷いた。
何だあの人。可愛すぎて逆に違法だろ。
元々罰として何でも受け入れてくれるだろうと分かってはいたものの、ここまで都合が良いと明日には結婚式も夢じゃない気もする。
当然あの人の罪悪感に付け込むような真似をして悪いとは思うが、そもそも付け込めるだけの隙を見せたあの人が悪い。
なにも危害を加えようってつもりじゃないんだし、最終的に俺へ惚れてくれさえすれば問題は無い。
絆されやすいあの人のことだ。両思いとなるのもそう難しくはないだろう。
学生アルバイトの身でありながらもそれなりに稼ぎ、家庭環境にも問題が無く、この年で一人暮らしが出来るほどの生活力があるとのアピールは完璧だ。
とにかく、これからは頼れる恋人としてこのもどかしい距離を詰めに詰めて既成事実を作ってでも俺から逃げられないようにしてやる。
という俺の意気込みも知らず、三井さんは別れ際に恋人ならばと頬へ口付けてくれた上に、俺からの口付けも照れ臭そうに受け取ってくれた。
その危機感の無さを心配しつつも、同時にそれを利用してやろうと日曜日に向けて気合が入る。
水族館と言えば照明も暗く、人の目を気にせず手を繋ぐくらいのことは出来るかも知れない。
仕上げに俺の家で映画のビデオを見る際に雰囲気作りとして電気を消せば流されやすいあの人を確実に抱ける気もする。
でもその前に、俺にはしなくてはならないことが一つあった。
「お前ら、お祝いとして俺の部屋片づけるの手伝えよな」
重要ミッションを放てば、四人が同時にげえ、と唸った。