愛しきさびしがりやに捧ぐ 茂みの中に潜み周囲を警戒する。その間も、己の気配を意識して消すことは忘れない。六年い組立花仙蔵と六年は組食満留三郎は、身に染みた隠形術を駆使し呼吸をおさえ、身を縮めつつ葉擦れの音一つに神経をとがらせていた。
――いない、いない、気配もない。
「よし、行くぞ仙蔵」
「ああ、すまない留三郎」
「気にするな、同期じゃないか」
いつもは留三郎が同室とするようなやり取りだ。仙蔵は右半身の痛みを耐えながら、微笑を浮かべる。
痛みで血の気が引いているのが、自分でもわかる。留三郎に心配をかけるわけにはいかない。
その留三郎が仙蔵の腕を引いて、己の肩に回した。二人で支え合いながら立ち上がり、もう一度だけ周辺を警戒して素早く場所を移動する。木陰、岩の隙間、草むらの中。
留三郎とてずっと激痛が続いているはずだ。額に滲む脂汗に気づかないふりをして、少しでも早く、身を潜めつつ先へ進む。
――忍術学園へ。
――あるいは、仲間の元へ。
ここは裏々々山だ。自分たちの庭だ。身を潜める場所は隅々まで頭に叩き込まれている。忍びの抜け道だって。
「留三郎」
仙蔵が小さく鋭く、留三郎に声をかけた。音はなにも聞こえない。だがなんらかの琴線が経験に訴える。
迷わず傍の茂みへ二人もろとも飛び込んだ。体勢ができないまま飛び込んだから、もつれ合うような不格好さだ。だが葉と葉の隙間から、ちょうど先ほどまで二人が居た場所を、忍び装束の男が音もなく通り過ぎていくのが見えた。この際、不格好さなど二の次、三の次である。
留三郎と仙蔵は、お互い顔を見合わせ苦笑する。
『やはり、見たこともない忍び装束だな』
『素性を誤魔化しているのか、本当に知らぬ部隊の忍びか』
矢羽音でのやり取り。先ほどの忍びは二人に気づくことなく、梢の向こうへと消えていった。相手はプロだ。こっちは怪我人だ。真正面からやりあえば確実に負けるだろう。
より警戒を強めなくては。音、気配、不自然に動く梢はないか、動物たちの様子は…。
留三郎が再度立ち上がろうとして、態勢を崩す。噛みしめた歯の隙間から微かな呻きが漏れていた。まったく二人揃って散々な様である。
あの忍びの集団、敵の目的は知れないがその狙いはわかる。
――忍術学園の六年生。あるいは五年生も含めて命を狙っている。
つい数刻前、庭であるはずの裏々々山。その崖から自分たちは眼下の森へと落とされたのである。
ことの発端は、最近裏山の辺りで見知らぬ忍びがうろついているらしい、という目撃証言だった。
現れるのは大抵が低学年の前。現れるだけ、何もしない。ただ、見ているだけ。しかもすぐに姿を消してしまう。
目的は知れず、何者かもわからない。不思議なことに上級生や教師たちの前には姿を現さない。
だが、目撃証言そのものは続く。
ならば、と上級生や教師たちが裏山、そこから続く裏裏裏・・・・と敷地内の山々、隅々まで探索に出た。いまのところ被害はないが、低学年になにかあってからでは遅い。可愛い後輩たちを怖がらせるなど、と士気は高かった。
念のためと、学生は学年ごとにわかれて上級生ほど奥の山へ探りに出た。――その判断すべてが、向こうの握中だったのだろう。
六年生の前に姿を現した忍びは、そのまま奥へ、奥へ。この先は崖だ、ならばそこへ追い詰めろ、と作戦立てるのは当然のことで。
実際は自分たちこそがその崖へ誘い込まれていたなどと。
背後からさらに現れた敵複数に囲まれ、退路を断たれたのは間抜け以外のなにものでもなかろう。こうなれば、あがくだけあがいてやると血の気の多い幾人かを魁に戦闘が始まったのだ。
「総員、走れーー‼」
気づいたのは仙蔵だった。
わずかな火薬の匂い。
――閃光
――爆音
――衝撃
つい先ほどまで交戦していた足場が崩れ落ち、体が宙へと投げ出される。崖にあらかじめ、爆発物を設置していたらしい。
(ここまでやるかっ)
交戦中だったのだ、敵味方問わずの有様。仙蔵がとっさに周辺に焙烙火矢を巻いたのは、自分たちと一緒に宙を舞う元足場…、巨大な岩呉を砕くためだ。落下地点で激突すれば即死である。
無事な足場まで逃げ切ったはずの小平太が、こっちへ飛び込んでくるのが見えた。投げつけたのは薄い布だ。
「――掴まれっ!」
小平太が手遊びで作ったその布は、普段は小さくたたまれ、しかし対角を引けば瞬時に大きく全開になる。閉じる際も同様。
後の世にミウラ折りと呼ばれる、宇宙で広く使用される折り方。その類似物だが、無論この時代の彼らはそんなことは知らない。今はよれも折れ曲がりもせず大きく広がったその布の端を掴み、パラシュート代わりの布にすることが最善である。
四方のうち三方を小平太、留三郎、仙蔵で掴み、一辺折れて三角形に広がった布が、それでも一瞬だけ落下速度を軽減した。
無論、こんなものは騙しの範疇でしかない。羽衣の術は真の高所で使えるものではない。布はすぐに下からの風圧で煽られ、掴んでいられず手は離れる。もっとも、掴んだままだったら腕が脱臼していただろう。
このとき運が良かったのは、昨日まで雨が続いていたことだ。時節は秋。――落葉の季節。
雨により落葉が一気に増え、地面に高々と山を作っていた。しかも土ともども水気を十分に含んでいる。それが結果的に緩衝材となり、留三郎も仙蔵も生きている。
無論、無傷とはいかない。落ちる途中で通過した梢で傷だらけだし、留三郎は背中を、仙蔵は右側面を強打して共に重傷だ。
二人支え合って進むことはできても、どだい戦うことなどできはしない。
小平太に至っては生死不明だ。上空で風にあおられて、一人流されたのを見たのが最後である。
『まあ、俺たちが生きていて小平太が死んでいるってことはないだろう』
『まったく、確認せずとも信頼があるというのは得だな』
この場合、得をしているのは自分たちの方だ。これが伊作あたりなら、留三郎など心配で落ち着いてはいられないだろう。
自分たちの落下地点の近くには、高々と伸びる木のてっぺんにその腹を貫かれた敵の死体があったのだから。
『しかし留三郎、あの連中だが。――周辺の城や傭兵隊の忍びで、我らが知らぬものはないだろう。あれが真に知らぬ部隊ならば…、遠方』
『最近の日ノ本国の情勢を見るに、何処が、というのはどれもありそうで逆に絞り込めないな』
『どこの国も忍びを警戒している。学園はその学びの場だ。忍術学園は中にいれば安穏としたものだが、同時に周辺地域に即戦力を提供する場でもある』
『この地域に侵攻する前に、現状の武力部隊ではなく育成組織を潰す? 仙蔵、それは随分と先を見た作戦じゃないか』
『そうだな。これからは先を見越した戦法が必要になるのやもしれん。よほどに長く、戦が続くのだろうな』
忍術学園最高学年、六年生。いい加減、世の情勢が悪化していることも、そして好転しそうにないことも、さらにこれから先、自分たちが学んできた知識と力量が大いに活用されるであろうことも、すでに理解していた。
『さて、そろそろ行けそうだ。大丈夫か仙蔵』
『誰にものを言っている。急ぐぞ。連中が次に五年生を狙わんとは限らんからな』
怪我をしていながら、先を急ぐのはそのためだ。
本来なら、じっとして救助を待つのが定石である。だが、あの敵は六年生を狙っていた。なんなら一網打尽にしようとしていた。
最初に上級生の前に姿を現さなかったのは、一人一人を狙っては効率が悪いことと、こちらに警戒を与え襲いにくくなるのを防ぐためだろう。
下級生になにもせず、けれども姿を現し続ければ上級生は動く。正体のわからぬ敵の探索に一人で行動することはないから、人数で固まる。
そうして固まった者たちを一気に叩く。それだけの話である。
四年生が探索しているのは学園の周辺だから、さほど危険はない。教師は自分たちほど間抜けではないから心配はない。
問題は五年生だ。自分たちほど奥地には来ていないだろうが、それでも裏々山ぐらいまでは出ているはずである。自分たちを襲ってきた敵が、それだけの人数とは限らない。すでに襲われている可能性だってあるのだ。
自分たちを襲ってきた敵は、味方もろともに足場を爆破した。まっとうな敵ではない。
『ここまでくると、俺としては下級生に怪我人がでなくてなによりだ』
『戦力を削ぐなら、上級生を狙った方が手っ取り早い。所詮は生徒だしな。
そのための些事には興味がなかっただけだろう。目的意識が強く、効率主義。忍びだな』
上級生を潰せば、年単位で周辺の戦力に穴があく。戦場の一年は長い。
『高く買われているな、我々は』
『あるいは、学園長先生の名によるところかもしれないけどなぁ』
未だ、あの学園長の底は知れぬ。現役時代の伝説はいくつか耳に入るが、さてどれほど信じていいものか。ひとつ確かなことは、その現役時代を知る者が学園を訪ねたとき、大川平次渦正を前に平身低頭に徹する様は、畏怖を越えた何かがある、ということだけだ。
ふだんおとぼけ爺さんのくせに、ほんとうにどこまで本気でどこから本気でどうすれば本気が見られるのかわからん爺さんである。全部本気か。
ざり、ざっ。
足を引きずっているから、音がたってしまうのは仕方がない。落下時緩衝材となってくれた落ち葉も、先を進むうえでは邪魔である。足がとられやすく、音もたちやすい。
まだ傷の浅い留三郎が仙蔵を背負えればいいのだが、留三郎の方も立つのがやっとの有様だ。
「最悪、置いて行けよ?」
囁くように、仙蔵は留三郎に言った。
「馬鹿を言うな」
留三郎の声には、怒りが凝っていた。
「お前になにかあれば、文次郎に申し訳がたたん」
「ふむ」
仙蔵は、右見て、左見て、そうして大きく体をよじった。突然支えられているはずの彼にそんなことをされれば、二人諸共地面に倒れ伏す。
「お、まっ!」
『大声を出すな、馬鹿者』
「……」
「一応、周辺に気配がないことは確認したがな。――留三郎、もしお前が私を生かす理由がソレならば、私を置いていけ。
お前が置いていかずとも、私はこの場に残る」
「仙蔵?」
「怪我をしているのはお前も同じだ。より確実なのはまだ無事な方が重傷の者を囮とし、その間に教師や学園に助けを求めることだ。
――お前が私を救うという行為は、非効率だ」
いつもなら、留三郎の怒声が返っただろう。だが、今怒っているのは仙蔵の方だった。
倒れた体制のまま、仙蔵は留三郎に馬乗りになっている。努めて声を抑えたが、目が怒りで熱いほどだった。
「ここまで連れて来てやったヤツに、そんなこと言うか?」
「無論、私とて死にたいわけじゃない。お前の傷の程度は此処までで知れた。
道々に考えていたのだ。敵は確実に我々を殺しにきている、どうすればより生存率を上げられるか。
――留三郎、六年生にもなってお前がこの可能性を思いつかなかったとは言わせんぞ?」
「……」
「私を安く見るなよ、留三郎。他人のためにお前が生きる可能性を削ぐというのならば、私はいっそここで自害して果てる。
私になにかあったとき、文次郎に申し訳がたたぬだと?
――それはこちらも同じこと。
お前になにかあるくらいなら、私こそあやつのために犠牲になってやろう」
「お前、そんな激情家だったか? 自己犠牲的だったっけ」
「――…とにかく。だから馬鹿なことを言うな、留三郎。私は、他人のために私を助けようなどと生っちょろいことを言う者のために、生きてはやらん。考えられる効率を削いでまで、非効率に加担しようとは思わん。
お前が“そう”であるように、私も“そう”であるのなら、私は私の意見を優先する」
留三郎は、両腕を挙げて降参のポーズ。
「すまん。俺が、他ならぬ俺自身が、お前に生きて欲しい。俺たちと一緒に生きて、俺たちと一緒に卒業まで。だから一緒にこの場を切り抜けよう」
「ふん。最初からそう言えばいいのだ」
仙蔵は留三郎の上から降りると、「ほれ」と腕を差し出す。ふてぶてしいことこの上なく見えただろうが、留三郎は恭しくその腕をとってくれた。仙蔵ともども立ち上がる。
「ああは言ったが、私も私自身の意思で、お前に生きて欲しいと思っているからな」
「おぉ~、仙様かっこいい。惚れるぅ」
「やめろ。お前に惚れられたら、あいつが黙って身を引く想像しかない」
「あ~~~~」
あいつ。仙蔵の同室。
自信家というわけではないが、常より己に一本芯をもって揺るぎない男が、背を丸めて静かに去る姿まで想像がつく。二人揃って天を仰いだ。想像するところはお互い一緒だろう。
「早く、行こう」
「うむ、戻ってやらねば」
崖の崩落の際に仙蔵の言葉で駆け抜け、安全な陸地に間に合ったのは二人だけだ。小平太と文次郎。そのうち小平太は自分たちを助けるために、こちらに向けて飛び込んだ。
長次は伊作を抱え、崖途中から生えた木に縄鏢をかけてぶら下がっているのを見た。
あの崖の上に、文次郎一人が残されたのだ。
「文次郎のやつ、さびしんぼだから」
ぶぼっ、と。
完璧たる自分にあるまじき吹き出し音。よりにもよって“さびしんぼ”ときたか。つい上体が崩れてしまい、今度はなんだと留三郎に睨まれる。
「なんだよ」
「いや、なんというか、うむ。――凄いな、お前」
あれを、そのように称せるなどと。仙蔵でも、今日まで思い浮かばなかった呼称である。
「さびしんぼだろ、文次郎」
「あ~~、うん。いや、否定はしない、否定はしないんだが」
「別に、一人で生きていけないやつって意味じゃないぞ? アレは孤独にも強い」
「もちろんだとも」
「おぉ、一息つかずに肯定した」
仙蔵は胸をはった。
面と向かっては絶対に言わないが、文次郎のひととなりを好ましく思う。無論、色恋沙汰の話ではない。敢えて言うなら、『誇らしい』。なので、文次郎が褒められると素直に嬉しい。
つい先ほどまで物騒な話をしていたはずが、こんどは随分とコミカルだ。悪い空気ではない。適度な緊張感は必要だが、沈痛さは違う。
留三郎が少し崩れてしまった体勢を整え直す。改めて一歩、一歩。周りの警戒は怠らずに。
「アレはな、留三郎。人の上に立つ男だと思っている。
無論下に在れば、上を立てられる男だ。的確な立ち位置、進言、補佐を行うだろう。
だが上に在ってこそ、アレの本領は発揮される。
公平な実行力、本質を見誤らぬ目、的確な判断、利己を排した思考、知識と知恵に対する貪欲さ、鍛錬も欠かさない。面倒見もよく、実は身内には甘い。
なるほど、…上に立つ以上はそれについていく者、支える者は必要か。そういう意味では、“さびしんぼ”か?」
最後はちょっと言いづらい。なにせ、相手は“お兄ちゃん”だ。
「仙蔵、お前と文次郎を見ていると常々思うんだけどな。――アイツには、指針が要るんだと思う。…人の上に立てるヤツ、それは否定しない。
ただ上に立って、なにを、どうやって進んでいくか。生きていくか。その判断基準は、やっぱりあいつを支えてくれる誰かだろう。今なら、お前のことだな」
「……むぅ」
「もちろん、無くても問題はないだろう。さっきも言ったな、アイツは孤独にも強い。本当に、いろいろと強い奴だから。
ただ、情の深いやつでもあるから。向けられた期待には絶対に応える。
アイツは本当に優秀だから。卒業後だって与えられた忍務は確実に、正確に、無駄なく私情なくこなすんだろう。
でも誰かが傍にいてくれたなら、アイツは情を忘れない。傍にいてくれる誰かを、裏切れないから」
「それがつまり、指針とやらか」
「そうだな。あいつを忍びなだけでなく、人のままでいさせてやれる指針。
ひとりぼっちにしたら、ただ優秀なだけの忍びが残るだけだろ」
むぅ。と二度目、仙蔵は唸った。
こんなこと、本人を前に言えた話ではない。話の大半はべた褒めである、留三郎のみならず仙蔵でも無理だ。留三郎が相手であるからこそ、仙蔵も留三郎の言葉を否定しない。
ただ仙蔵と文次郎のそれは疑似家族の愛情だが、留三郎と文次郎のそれは色恋沙汰ドンピシャだ。兄弟と恋人どっちが上? などという問いは不毛である。
ただ留三郎は留三郎で、文次郎にベタ惚れなのだ。
「留三郎、お前はそれになる気がないのか?」
「俺はあいつの下にはつかねぇよ。仙蔵、お前はそれができるだろう」
随分と冷めた考え方だと思う。だが好きだからといって、常に傍にいたい支えたいと望むかは、それぞれなのだろう。
戦り合いたい、対等でありたい、向き合う者でありたい、そういうのが留三郎の愛し方なのだ。
「無条件に従うつもりはないぞ? 私とて進みたい道はある」
「求められれば断らないくせに」
「……お前にそんなふうに言われると、別の関係性を指摘されているように感じるな」
はははっ。と留三郎は陽気に笑った。そうして口元を押える。ちょっと声をあげすぎだ。右見て、左見て。――良し。
「お前と文次郎がそういう関係になったら、俺に勝ち目はないなぁ」
「……怪我をしていなければ殴っているところだが?」
「わかってる…、俺は無条件に引くつもりはない。そこは文次郎とは違う。足掻いて、叫んで、慟哭して。そう考えると、俺の愛し方って得だよな。別に、傍に居る必要なんてないんだからさ」
仙蔵が唸るのは三度目だ。仙蔵は文次郎と留三郎を天秤にかけたなら、文次郎を取るけれども。それでも留三郎のこの足掻き、その性根に関しては爪の垢を煎じて文次郎に飲ませてやりたいぐらいだ。
あの馬鹿は、こと留三郎のこととなると奥手だ。留三郎の愛し方を許容し、許諾できる理由の一つだろう。
「文次郎は、お前と一緒にいたいと思うのだがなぁ」
「指針のひとつにぐらいはなってやるよ。でもそこまでだ。俺はあいつを甘やかせる気はねぇの」
「……」
「俺は、さ。今の文次郎が好きだから。
アイツ、ついつい身内に甘くなるだろ? 私情ぬきの判断ができるやつだけれども、やっぱり優しいんだよ。
俺はアイツが好きだよ。あのストイックさも、槍向けてくるギラギラした目も、男が憧れずにいられない立派な体躯も、ちょっとお茶目で可愛いところもさ。
あとアイツは、傍にいるやつを裏切らない。俺は割と自分勝手なやつだから、俺が好き勝手やるってことは、あいつの先に添えないんだ。
――好きだよ、大好きだ。
常に前を向いて、上を睨んで、突き進んでいくさまも。
アイツは上に立つ男だ。上に立つ以上、色恋の情は傍には置けない。それで判断を誤るようなやつじゃないだろうけれども。――俺が嫌だ。
――好きだ、めちゃくちゃ愛している。
アイツの存在、アイツの未来、そのすべてに瑕疵なんぞ作らせねぇ。
まっとうな、まっすぐなまま。アイツの人生すべからく、ただアイツのまま。
あいつの傍にいて、アイツの情になるぐらいなら、俺は向き合う者がいい」
ちょっと反応を返しづらい。
一言で言えば、「重い」。これに尽きる。
「先ほどお前自身でも言っていたが、文次郎はお前ひとり抱え込んだところで、判断を誤るような男ではないぞ?」
「それでも俺は、俺の思慕であいつの情に成ろうとする自分を、絶対に許せない。
――俺自身を、殺してやりたくなる」
重い。二度目、仙蔵は思った。重すぎる。
重さだけを比べれば、留三郎と文次郎は似た者同士だ。ただ留三郎は一つ勘違いしている。
留三郎のそれは正しく“情”であろう。だが文次郎のそれは“情”ではなく“欲”だ。文次郎がそれを抑え留三郎の“情”を優先させることができる最大の理由は、三禁を制御する術の延長線だからだ。
そして欲は蓄積し、いずれ溢れるものである。
言ってやるべきか、やめてやるべきか。言っても通じまい。留三郎自身が己の答えを出してしまっている以上、多分理解できない。コイツの中の文次郎、ちょっと美化が進み過ぎていないか? 背中の冷や汗を感じながら、仙蔵は思う。
「こじれなければいいのだが、なぁ」
なまじ、文次郎が我慢強いだけに。たぶん、この問題は長引く。そしてそれに付き合う羽目になるだろう、未来の己まで仙蔵には想像がついた。
「よし、急ごう留三郎。一秒でも早く文次郎の元に戻るぞ」
「? ――おう」
「さびしんぼの文次郎を、一人にしてなるものか」
「おうっ」
やれ行かん。いざ行かん。
運は悪い方ではない。あの高い崖から落ちて命が助かった。ここまでなんとか凌いで来られた。
目の前の茂みをかきわけたならば、その向こうに立つ敵の忍びとばっちり目が合った。
運は尽きていた。
「仙蔵っ‼」
「――っ、この馬鹿!」
留三郎が、とっさに仙蔵の体を突き飛ばす。その留三郎の喉に、敵の苦無が――。
苦無が喉に突き立てられる前に、敵の耳から逆の耳まで一本の槍が貫いていた。
投槍に使われる筋肉は、ほぼ全身のそれである。助走、フォーム、蹴り、そして投げ。下半身から上半身への力のリレー。
とはいえ、ソレは無理だろう普通。などという突っ込みは驚きすぎて声にならない。全身どれだけの筋力があれば可能な技なのか。
留三郎も同様に呆けた顔で、目の前で槍をぶっさしたまま後方へ倒れ行く敵を見つめている。
「無事かっ⁉」
駆けてきたのは想像通りの人物。潮江文次郎。装束のあちこちは裂け、剥き出しの部分には血を流している場所もある。
なかなか凄惨な様だが、文次郎はまず目の前の留三郎にがばりと抱き着くと、ぎうぎう、その腕力にあかせて抱きしめた。
「あだだだだだっ‼‼⁉」
「待て文次郎、留三郎は怪我をしているのだぞっ! お前、自分の馬鹿力でそいつを殺す気かっ‼」
「仙蔵」
「私も駄目だからな‼ 留三郎以上に重傷だ‼ 来るなよ、来ないでくれ、本当に死ぬから‼‼」
「むう」
「おい馬鹿文次。いい加減はな…、――ぃぎぃっ~~~~~~~っ‼‼」
文次郎は仙蔵を諦め、留三郎をさらに強く抱きしめた。
こういうところが“情”と“欲”の違いなのだ。仙蔵には気をつかうが、留三郎にはすべからく“欲”のままに突き進んでいる。
南無三、仙蔵は手を合わせた。留三郎が泡を吹いている。尊い犠牲だ。
がさ、がさ、がさ。
ついでにそんな大声があがれば、敵にみつけてくださいと言っているようなものだ。
さすがに最初の落盤で数は減らしているようだが、それでも四人。こちらは三人。うち二人は重傷だ。
文次郎が留三郎を腕に抱えたまま、もう片方の腕で槍の柄を掴むと、地に伏せている忍びの頭部を踏みしめて刃を抜く。なんか色々、見ちゃいけないものが付着していた気がするけれども、全力で視野の外へ追い出した。
『仙蔵』
『三つ』
『十分だ。――アイツらが気を反らしてくれる』
矢羽音は素早く。忍び達も気づいたのか、二人が背後を振り返った。
「いけいけどんどーんっ!」
攪乱用に飛来した手裏剣。それを弾く間に飛び込んでくるのは苦無を構えた小平太である。すぐに迎撃態勢をとるが、一人、眼孔を穿たれ蹴り飛ばされた。
残り三人。敵は仲間の援護に回ろうとするが、今度は長次の縄鏢が翻弄する。
包囲が崩れた隙間を駆けこんできたのは伊作である。彼は素早く仙蔵の体を抱え上げた。
仙蔵は懐から、火をつけた鳥の子三つ、一気に投げつける。
やりすぎなほど濃い煙幕が一面に広がった。自分たちの視界も塞ぐが、裏々々山は自分たちの庭である。目を瞑っていたって、方向はわかる。
まとまって逃げる必要もない。忍びの抜け道を目指し、一気に散開。
元より自分たちは戦うものではない。
『逃げろっ!』
ただひたすら、逃げろや逃げろ!
いい加減そろそろ、戻らぬ六年生や崖の爆発音による不穏さも学園に伝わっているだろう。――教師たちがやってくる。
自分たちでは決して叶わぬ力。元プロ忍の集団。かの人たちが来るまで、逃げ切って見せる。
「ねえ仙蔵。留三郎が白目剥いているように見えたのだけど、大丈夫なの?」
「あぁ、あれは自爆だ」
「?」
仙蔵を抱えた伊作が首を傾げた。
仙蔵は文次郎贔屓である。仲間にやられたから、というのは黙っておいてやろう。
留三郎が、文次郎を間に挟んで仙蔵にかなわぬと言ったように、文次郎が留三郎を間に挟んで絶対にかなわぬのがこの伊作だ。
仙蔵と、留三郎と、文次郎と。伊作はさて、この先どうやって関わってくるものか。
あるいは卒業後もあまり、自分たちの関係は変わらぬのかもしれない。
いやこれは、楽観が過ぎるかと仙蔵は苦笑した。
まずは今を生き残り、まだ見ぬ未来を掴むのが先決である。