ログスト(編み物)ネタのフィガファウ「……それは、昨今の流行なのか?」
カモミールとミントでスッキリさせたオリジナルのハーブティーと、差し入れだとカナリアから貰った手作りクッキーを囲んで東の国の四人で授業後のひとときを過ごしていた。
今日の授業は朝からひたすら座学とテストだったため、シノはくったりと疲れた様子でずるずるハーブティーを啜っている。行儀が悪いからやめろとヒースクリフが指摘する事でようやく丸まった背筋がいくらか伸びた。肩肘をついてチョコチップがまぶされたクッキーを摘まんだネロは「これ美味いな、先生も早く食わないと無くなるぞ」と笑った。
その彼らを見渡しながら朝からずっと疑問だった事をファウストは口にしたのだが、後の三人は困ったような顔になって顔を見合わせた。
「聞いてはいけない事だっただろうか。だとしたら忘れてくれ」
「いやいやいや……そういう訳じゃないけど……なぁ?」
「ええと……何と言えば良いのか」
ネロとヒースはお互いに言葉を探しているようで、人の気持ちを慮る事に長けた彼らに気をつかわせている事実にファウストは申し訳なくなってしまった。
ただ、いつもと少しだけ彼らが違う格好をしていたから気になっただけなのだ。
ヒースクリフは淡い花のような色合いの細長いマフラーを垂れ下げ、シノは彼の瞳の色に似ているアームウォーマーを着けていた。そしてネロは縞模様のスヌードを被っている。それぞれ別のアイテムではあるのだが、どれも毛糸で出来ていた。最近気温は下降気味であるのは確かだが、魔法使いは体温調節もお手の物だ。去年の今頃だって彼らは特別防寒なんてしていなかった記憶がある。
「何を二人して口ごもってるんだ。別に隠すような事じゃないだろう、ただの貰い物だ」
「編み物を……?」
こういった事をしそうなのはクロエが真っ先に浮かぶが、クロエなら手作りとは思えぬデザインの作品を作り上げるだろう。しかし三人が身に着けている物は出来映えは良いが編み物を始めたばかりの初心者が選びそうなラインナップであり、凝った作りでも無い。だとしたらルチルか、ラスティカ……ミチルやリケの可能性もある。
「そうか、僕だけ貰っていないから気遣ってくれていたんだな。ふふ、そんな小さなこと気にしないよ。可愛いプレゼントだ、良かったな」
「可愛いか?」
「シノ、その辺りで……」
勝手に完結させようとした時、ヒースクリフが止めるのを無視してシノが言葉を続けた。
「ふぅん、そう言ってやったらフィガロはきっと喜ぶぜ」
その名詞を聞いた時、ファウストの思考は数秒間間違い無く止まった。他の誰かであれば意外に思いこそすれ、硬直する事なんて無かっただろうに。彼のよく知るフィガロという人物は間違い無く編み物なんてする人物では無かった。一つミスが見付かればそこからやり直し。根気のいる作業であり、多大な時間を必要とするだろう。彼の事だから人間のように手編みをしているとは限らないが、魔法を使ったとしても編み物というシンプルな物は知識が無いと形にならない筈だ。
何がどうしてフィガロに編み物をさせるに至ったのかが気になって、表情が真顔になってしまっていた。
「実は……先日の賢者さまからの依頼で対談をした時に、俺が提案したんです。そしたら本当に作ってきてくれたから無碍にも出来なくて……」
「気に入らないなら着けなくても良いんじゃないか?」
「……いえ、気に入らない訳じゃ無いんですけど、人の手作りって落ち着かないっていうか」
「俺は気に入った」
ネロは視線を逸らして何も口にしなかったが、恐らく「身に着けないと何が起きるか分からない」とでも思っているのだろうとファウストは予想する。
好意的な人間と迷惑に感じる人間が半々といった所か。編み物からはフィガロの魔力が微かに感じられるが、呪いなどは一切かけられて無いことを確認してヒースクリフのマフラーの端から手を放す。
「酔狂でやってるんだろう、好きにしたら良いと思うよ」
ハーブティーを音を立てずに口に運ぶと、それを合図に会話は別の話題へと転がった。昨日捕まえた虫の話だとか、今日の夕飯のメニューは何が良いかだとか。とりとめなく平和な時間が流れる。
改めて食堂で周りを見渡してみると、面白いくらいに毛糸で出来た何かが目に飛び込んできた。コースターや鍋敷きをはじめ、椅子の脚に着けるカバーや膝掛け。オズの頭には毛糸で出来た髪留めが使われており、双子の胸元にはお揃いのリボンが結ばれている。流石にブラッドリーやオーエンは普段通りだったが、ミスラは首に毛糸のアイマスクを提げていた。
はっきり言って異様な光景だ。どうして今日まで気付かなかったのかと、それまで引きこもっていた自分にびっくりする。恐らく表情に出ていたのだろう、食事を運んできたネロに何とも言えない顔を向けられた。この状況なら東の国の彼らが身に着けているのも道理だろう。
これ全部フィガロが作ったのか……?
ちょっとした呪いにかかって幻覚を見ているような気分になる。そのファンシーな色合いにくらくらするが、殆どの者が好意的に受け入れているためやめろと言うのもおかしな話だ。そもそもファウストにそのような事を言う権利は無……あった。
「最近編み物にはまってるんだって?」
その晩訪れた恋人の部屋で、二杯目のワインを飲み干したのを切っ掛けに訊ねた。ファウストにとっては今日の本題なのだが、相手は何でも無い事のように「バレちゃった?」と笑う。
「何と言うか……意外だった。理由はヒースに聞いたけれど、あなたの事だから一つ作ってこんなものかと放りそうだと思ったから」
「酷いな、これでも凝り性だよ。料理は鍋料理を何日も煮詰めるタイプだと思うけど?」
「それは流石に嘘だと分かるぞ」
からからと上機嫌に笑う男に、いい加減に編み物をやめろと言うのは気が引けてきた。それにフィガロは何の他意も無く、趣味として編み物をしているらしい。それに口出しをする権利は恋人といえど本当にあるのかファウストには疑問だった。自分が知らない所で何を始めようと問題は無い。趣味が増えることは寧ろ良い事だろう。手広く知識は持っているが、趣味といえば読書くらいしかない男だ。唸りながら三杯目を求めると、とくとくと注がれる赤紫を見た。
「……趣味も程ほどにな。そのうち魔法舎が毛玉になってしまいそうだ」
「毛玉? きみ好きでしょ」
「嫌いでは無いが!」
間違い無く生き物を思い浮かべたであろう男に噛み付くと、
「別にお前の趣味をどうこう言うつもりは無いけど、ネロなんかは明らかに困っていたし、見境無くプレゼントするのも如何なものだろう」
「そうなの? 無理強いはしてないつもりなんだけどな。シャイロックになんてにべも無く断られたよ。この場所には合わないのでって言いながらムルの描いた落書きを飾り出すんだからつれないよね」
想像したら笑えてくるが、恐らくその断られたストールは今自分が膝にかけているこれなのだろうと察すると目を細めた。贈った相手に受け取ってもらえなかったストールがなんだか可哀想に見えて、膝からずり落ちないように引き上げる。
「僕が言いたいのはだな……」
自分自身も言いたい事がまとまっていないみたいに、言葉は流暢だが頭の中はしどろもどろになりながらいかに編み物のプレゼント攻撃をやめるべきかをとうとうと説明した。それなのにフィガロはにこにこと頷きながら聞いているから益々眉尻が下がっていく。
「……全然伝わってなさそうだが、聞いているのか?」
「聞いてるし、ファウストが言いたい事は伝わってるよ。正直気にしてくれると思ってなかったから驚いたけれど」
「気にする……?」
フィガロは左手の手の平を上に向けると、魔法で引き出しから箱を呼んだ。丁度フィガロの片手の全長くらいの大きさがある箱で、レースのリボンが巻かれている些か可愛らしいものだった。それが何か分からずに小首を傾げると、フィガロはその箱を目の前に置いた。
「きみに」
グラスを置くと、ぽかんとしたままその淡いリボンを解いた。するすると剥かれた箱の蓋を開けると、ブルーグレーの色をした毛糸が目に入る。
「これって……あなたが作ったのか?」
五本の指が収まる作りの手袋で、持ち上げて見ていると思わず手に嵌めてしまった。指の先や股の間の糸もしっかり編まれており、ほつれや穴などどこにも無い。市販品と言われても信じる出来映えだ。
「うん。完成するまで時間かかちゃったけど、それなりになったと思わない?」
「……上手いよ。ヒースのマフラーやシノやネロのも綺麗だと思ったが」
不思議なくらいファウストの指にぴったりのサイズである事に、いつ計られたんだろうとクスリと笑った。何度か握ったり開いたりをしてふわふわの感触を楽しんでいる内に、心にかかっていた靄が晴れていくのが分かる。
もうこの口から文句など一つも出てきそうに無い。
「……そうか、僕は妬いていたのか」
「素直な子は好きだよ」
腰を椅子から浮かせたフィガロは、テーブル越しのファウストの顎を掬って口付ける。頬を包み込みながら深くしていくにつれ吐息が熱くなっていった。
「……困ったな、手袋を外したく無いんだが」
「着けたままでも良いよ?」
「汚したくない」
そっか、と応えたフィガロは、それでも構わずにファウストを寝台に押し倒した。「え」と声を漏らすが、やたらと綺麗な笑顔を向けられる。
「今夜のファウストは手を使っちゃ駄目だからね、汚さないように万歳してようか」
そう言いながら、まるで子どもに促すようにヘッドボードの縦格子を握らされて戸惑う。こんなつもりでは無かったのに、と頭を混乱させながら既に乗り気になってしまっている恋人を見上げた。