アヒルの違い、わかりますか?地獄のとあるホテル。その一室は、外の荒れ具合とは打って変わって、穏やかな午後の空気に包まれていた。
重厚なソファに身を沈める者、ふかふかの絨毯に頬をつけて寝転ぶ者。魔法で温度を調整された部屋は静かで、どこか時間が止まっているような錯覚さえあった。
そんなまどろみを、優しくも高らかな声が破った。
「そういえば、レクちゃんはお父様とアヒルを作ってるのよね?」
ラヴェンダーだった。長い脚を優雅に組み、隣に座るレクシスへと微笑みかけている。彼女の扇子が軽く動くたび、甘い香水の香りがふわりと漂った。
「うん。色んなアヒルがあるよ」
レクシスは膝の上で両手を揃え、少し恥ずかしそうに頷いた。
「へぇ、是非見てみたいわ!」
声の調子を上げながら、ラヴェンダーは“お願いポーズ”を決める。アヒルに興味を示す人は初めてが故にレクシスは思わず目を丸くしたが、すぐに微笑みを返した。
「もちろん!」
小さく息を吸い、指先を鳴らす。
パチンという澄んだ音とともに、リビングに微細な魔力の波紋が広がった。
ポンッ――
テーブルの上に、鮮やかな魔法の閃光とともに何かが現れる。光が収まると、そこに並んでいたのは――
色とりどりのアヒルの置物たちだった。
陶器製のものはつるりとした光沢を放ち、木彫りのものは一羽一羽に手彫りの味が宿る。金属製のそれはやや重厚感があり、魔法仕掛けのアヒルたちはピョコピョコと動いたり、羽をばさばさと広げたりと、まるで命を宿しているかのようだった。
「まぁ! 可愛いわね!」
ラヴェンダーは瞳を輝かせる。太ももの上に乗ってきたアヒルをこれでもかというくらい撫で回している。
しかしその横で、ひとり冷めた目をしていたのがスクラッチだ。
ソファにだらしなく座り、片膝を抱えていた彼は、深く溜息を吐いたあと、腕を組んで言い放
つ。
「どれも同じアヒルだな」
ガタンッ!!
突然の音に、一同が驚いて振り向く。椅子を勢いよく引いたのはレッドフォード。
立ち上がった彼は笑みを浮かべつつ、いつになく真剣な面持ちで瞳をギラリと光らせていた。
「な、なんだよ急に」
スクラッチが目を細めて言うと、レッドフォードは椅子の背に手をかけたまま言い放った。
「これだから素人は……! 全然違うでしょう!!」
その言葉とともに、テーブルの上からひとつのアヒルを取り上げる。
「まずはこちら、ノエルディアちゃん!名前の意味は“静謐なる夜の贈り物”。全身が濃紺と銀で彩られ、羽の縁にきらきらと星屑の金属箔が施されている!王様曰く、“眠れぬ夜、代わりに夢を見てくれる子”らしいですよ……ああ、浪漫!芸術!」
彼の声には、感嘆と愛情が満ちていた。
その熱量に気圧されたスクラッチが「うわ……」とドン引きの声を出すと、レッドフォードはそれすら無視して解説を続けた。
「続いて!見た目がとても派手なフロランティーヌちゃん!
フランボワーズのようなピンク色、羽はレース、そして何より胸元にお花の絵柄が!
レクシスが“絵本の花畑”を参考にしたものでしたよね?」
「う、うん…そう!でも、お兄様はどうして詳しいの?」
レクシスはきょとんとした表情で問い返す。まさかの回答が返ってくるとも知らずに。
「以前、君のお父様に誘拐された事があってね」
「僕のお家に来たの?初耳だけど…えっ誘拐!?」
「その時に教えてもらったんだ、いやぁそれにしても実に素晴らしい!」
「受け流していいのか今の」
戸惑う兄弟達をよそに、レッドフォードはまさに狂気のような情熱で次々とアヒルについて語り始めた。
レクシスは最初こそ困惑しつつも嬉しそうに微笑んでいたが、誰にも伝えてない情報が暴露され次第に頬が熱を帯び、視線を伏せていく。
「__と、言うわけです。そうでしょうレクシス!」
「えへへ…うん。でも、そこまで考えて作ってるわけじゃ…」
「いやいや! 君のアヒルには計算された芸術性が宿っているんですよ!!
例えば、この白いアヒル! 細かい筆のタッチを見てください! ほら、ここ! 羽根の流れが違うでしょう! これはね__」
「もういいだろ」
スクラッチが深く息を吐き、顔を手で覆った。
「いいや、よくない!」
返すレッドフォードは、どこまでも眩しい瞳で次なるアヒルを手に取る。
「これはヴィヴァルカ!意味は“生きる小さな火”!
黄とオレンジのグラデーションで、尾っぽがふわっと立ってて、まるで焚き火の火花!
いつでも元気をくれるアヒル、だそうです。こんな完璧なアヒル、見たことがないでしょう!?」
「〜〜!見た事無いね!」
アヒルを鼻先に突きつけられたスクラッチが苛立ちを隠せず、立ち上がる。
「まだ終わってませんよ?」
「はっ!聞き飽きたね」
「お兄ちゃんに向かってなんですかその口の利き方は!」
「知るか!」
そう吐き捨て、走り去るスクラッチ。
その後ろ姿を追うように、レッドフォードも廊下へ出た。
「待ちなさーい!」
「バーカ!待たねぇよ!」
バタバタと駆ける音が響く。
「……ねぇ、レクちゃん。次はネオン色に光るアヒルも作ってくれない?ヴェクトにプレゼントしたいの」
ラヴェンダーは、まるで何もなかったように優雅な微笑みを浮かべる。
レクシスはその頼みに一瞬きょとんとし、少し照れたように頷いた。
「……うん。作るよ。」
***
廊下を駆け抜けるスクラッチ。
猫である彼の跳躍力は圧倒的で、障害物をひょいひょいと飛び越えていく。
まともに追いかけるのは流石にレッドフォードの体力が持たない。
あまり気は進まないが、奥の手を使うしかないと判断した彼は思いっきり叫んだ。
「パパ!どうせ聞いてるんでしょう!スクラッチを捕まえてください!!」
「パッ!?…テメェ!!」
「_仕方ありませんね」
レッドフォードの声が響いた次の瞬間、床から影の触手が生え、玄関から出るもう少しのところでスクラッチの足をがっちりと掴んだ。
触手は彼をぐるぐる巻きにして宙に持ち上げる。
「くそ…反則だろうが」
「レフィの趣味話は中々終わりませんからねぇ。お気の毒に!」
「ありがとうございますパパ」
「えぇ、貴方が私に頼るのは珍しいですからねぇ!それにコイツの焦った顔は実に愉快!ではごゆっくり〜」
影とともにスッと消えたアラスターに、レッドフォードは嬉々として手を振る。
一方、ぶら下げられたスクラッチの顔は、終始不快そのものだった。
レッドフォードは蝶ネクタイを正し、咳払いをひとつ。
「さぁて、人の話は最後まで聞こうね?」
「………」
この状況は詰みである。
スクラッチは考えるのをやめた。
こうして、レッドフォードのアヒル鑑賞会は、誰にも止められぬまま続いていったのであった。