白が彩り風に謡う それはある朝のことだった。
たまたま俺が少し寝坊をして、たまたま前の晩からフィガロの部屋に泊まっていて。
たまたま朝からフィガロが魔法舎を離れる予定だった。
そんな、たまたまがいくつも重なった朝。
「んん……」
あたたかな陽光と、軽やかに囀る小鳥の声。優しい朝の空気。
それらに手を引かれるようにゆっくりと意識が浮上する。
……昨晩はカーテンを閉め忘れたのだろうか。なんだか少し眩しい。
「……えっ?」
ぱちり、と目を開いた。
良く知る壁紙と良く知る天井。けれど、そのどちらもが自分の部屋のものではない。
「ここ、フィガロの部屋だ……」
そう、ここは彼の部屋だ。いつの間にかすっかり馴染んでしまった寝心地の良いベッドにカーテンの無い窓。
差し込む朝日によって自然と目が覚める、そんなフィガロの部屋。
目の前に部屋の主人は見当たらないけれど、確かに彼の香りがする。
慌てて体を起こせば、やはりフィガロの姿は部屋のどこにも無い。
そして握りしめた指先には、彼の代わりのような白い布があった。
「あれ、これって」
力いっぱい握っていたらしいそれを両手で広げて見せる。見慣れた淡い色味と、シンプルだけれどしっかりした縫製の衣類。掛け布団でもシーツでも無いそれは、フィガロのトレードマークとも言える白衣だった。
「はぁ……申し訳ないことしちゃったなぁ……」
俺はなんとか誰にも見られずにフィガロの白衣を洗濯して、日当たりの良い中庭へと干していた。別に誰かに咎められることをしているわけではないのだけれど、何となく事情を聞かれるのは気恥ずかしかった。
今日は天気も良く、そよそよと気持ちの良い風が吹いていて、この調子ならあっという間に乾きそうだと安心する。
今日は特に任務も無い。本当に予定の無い久しぶりの休日だ。
本来はフィガロを始め南の魔法使いたちもそうであったはずなのだけれど、今朝、彼の元に急ぎの知らせが入ったのだと言う。
雲の街の医者を待つには時間の猶予が無いと言うことなのだろう。フィガロに追随するように、ルチル、ミチル、レノックスの三人も患者の元に向かっていったと聞いた。
「俺も行けたら良かったな……」
きっと、フィガロが気を使ってくれたのだろう。昨夜はいつ眠ったのかも分からないくらいに疲れていたから。眠気をなんとか宥めながら彼の部屋に向かったというのに、気づけば記憶は途切れていて、朝になっていたのだった。
心地よい風を感じながら、ぐっと伸びをする。凝り固まった筋肉がゆっくりと解れる感覚に意図せず声が漏れた。
昨日に比べて随分と身体が軽く感じるのは、きっとフィガロが何かしてくれたのだろうなと思った。
※中略※
「ねえ、じゃあこの白衣に魔法をかけてみようよ!」
「えっ?!」
ムルの突然の提案に、大きな声が出てしまう。
「俺の得意な魔法さ! きっとフィガロのことをもっと色々と知ることが出来るよ」
「いろいろ……」
フィガロのことを知りたい。
「でも」
勝手に彼の過去を見ることには、どうしても罪悪感や抵抗感がある。出来ることなら、彼に直接聞きたい、そんな思いも。
迷う俺を見て、ムルは面白そうに眼を輝かせた。大きなターコイズブルーの瞳が猫のように細められて、その鋭さにどきりと心臓が跳ねた。
「賢者様は、何が怖い?」
「え……」
「フィガロに怒られて軽蔑されるかも知れないこと? それとも……フィガロの過去を受け止められないかも知れない自分自身?」
その言葉に俺は目を見開いた。
俺は、何が怖いのか。ムルが言うことは、どちらも合っている気がした。
フィガロに失望されることが怖い。そしてもう変えることは出来ない彼の過去を受け止められないかも知れない自分も、怖かった。
「俺は……俺が怖いことは」
思わず俯いた俺に構うことなく、ムルは楽しそうに話を続ける。
「じゃあ、彼に聞こう!」
「え?」
「彼さ! 今も俺たちの目の前にいる。さあ、応えて」
俺には見えない誰かに話しかけているのか、驚いていると、俺の手にあった白衣がひとりでに指の間をすり抜けた。
ふわり、ひらりと、まるでダンスを踊るように、袖を大きく振って、それから大きく裾を広げてターンする。
優雅に腕を伸ばして、軽やかに。最後に指先だけを残す美しい動作に目を奪われた。いつかのように。
『これは小さくてかわいい女の子の話だよ』
「女の子?」
『そう、どこにでもいる普通の子」
ふと、誰かの声が聞こえた。誰かを呼ぶ声だ。
「せんせい!」
勢いよく誰かが駆け出していく。健康そうな肌に、青空色のワンピースがひらりとはためいた。俺の腰ほどしかない、少女だ。
丁寧に編まれた亜麻色の三つ編みが、生き物のように跳ねる。
少し先まで駆けた少女が、くるりと振り向いた。
「フィガロせんせい!」
嬉しそうに、ワンピースと同じ青い瞳を細める。きらきらした笑顔が眩しかった。
「大好き!」