双子柱、参る。 大正の御世、鬼殺隊の歴史においても珍しい、日輪刀を持たない柱がいた。
狛治と猗窩座は、二人とも拳で持って成り上がった特異な鬼狩りである。岩の呼吸法から派生した「破の呼吸」を生み出した双子の兄弟は、鬼殺隊では主に「双子柱」の異名を持つ。
弟の狛治は既に妻がおり、兄の猗窩座には公然の秘密ながら、同じ仲間の、男の恋人がいた。
久しぶりに会えた杏寿郎は相変わらず眩しい。せっかく弟嫁の恋雪が用意してくれた酒や肴もそこそこに(たいへん美味いのだが)猗窩座にとって一番のご馳走を頂くことにした。酔ったふりして隣の部屋に引っ張りこんで、何か言いたげな口は同じ口ですぐ塞いでしまう。
とにかく色の白い肌を存分に味わいたいし、唇はいかにも吸い付いてくれと言わんばかりに濡れて見えた。
「まっ、待って、」
「しないとか言うなよ、杏寿郎」
「ちが、痕はつけるな…あっ!」
布擦れの音や、ぴちゃぴちゃ…という情事特有の音が部屋に響いている。猗窩座は暑いからと障子を半分開けているから、きっと声も音も外に丸聞こえだが、どうせ母屋には二人のことをよく知る弟夫婦しかいない。だから猗窩座はあまり気にはしていなかった。
「あと障子は閉めてくれ!恥ずかしい!」
「誰も来ない」
「そう言う問題じゃな、いっ!」
がりっ、と構わず噛み付く勢いで胸元に痕をつける。一か月振りに会って遠慮しろという方が酷だった。少なくとも猗窩座にとっては。
「す、するなって言ったのに…」
人前で脱げないじゃないか、と涙ためて泣きそうな声で言われたら逆効果だ。
杏寿郎はいつまで経ってもそれを覚えなくて、猗窩座を煽る。だいたい人前で脱いで肌をさらすなんて。とても許しがたい。
「さっきから注文が多いぞ杏寿郎。俺の我慢も、」
「え、なん、ああ!」
「限界だ」
着物は全部、引きちぎる勢いで剥いだ。露わになった身体はぜんぶぜんぶ、自分の物。感じやすい耳と首筋だけしつこく愛撫すると、杏寿郎は恥ずかしそうにすぐ果てた。
「早いな」と言ったら殺されそうな視線を食らったが、猗窩座はその、ねっとりした白い液体を触ると、そのまま直接触って扱いてやった。
久しぶりなのに興奮してるは自分だけでないらしい。今度は杏寿郎も声を抑えるような余裕さないようだ。ニ回イカセてからしっかりナカにつっこむと、杏寿郎はいつものようにひいひい泣いた。でも理性を手放すことなく、猗窩座が二度めに貫いた時も何か気にしているようだった。
「杏寿郎」
耳もとで囁くと、びくっとまた身体が魚みたいに跳ねた。目尻に涙をためているのもたまらない。
「最中に考え事はないだろ。俺の方はお前で頭がいっぱいなのに」
腹いせでまた胸元に吸い付くと、嫌がっていた口吸いの後がまた赤くついた。
「明日、あ、朝一で、少年に稽古つけないと」
「おい、まさか泊まらないのか」
「継子がいるんだから仕方ない、だから、あんまり遅くは」
「またあれの話か」
「猗窩座!」
面白くない。グイッと杏寿郎の膝を抱えると、猗窩座は己の逸物が入ってまま立ち上がった。
杏寿郎はいきなりのことに対応できず、落ちないように猗窩座に縋るしかない。
「ひっ!!」
弾みでなかなか入れたことのないようの奥まで突っ込んだせいか、ぎちぎちに入り口が締まった。杏寿郎が声にならない悲鳴をあげたところで、構わずに尻をしっかりつかんで、腕は太い首に掴まらせる。
「昔な、遊女に聞いた。櫓立ち、とか言うそうだ。これなら、いつもよりもっと奥まで入る」
耳元で囁くように告げると、ビクッと震えて締め付けが強くなった。猗窩座はたまらずグイッと腰を押しつける。また声にならない悲鳴が上がった。
「杏寿郎。今夜は帰さないし寝かせないからな」
狛治と恋雪の若夫婦が住む屋敷には離れがある。双子柱の片割れが一人で住んでいるのだが、人付き合いの悪い猗窩座を訪ねてくるのは今のところ、恋仲である美しい金髪の炎柱だけだ。
血を分けた兄が幸せなのは結構だが、しょっちゅう痴話喧嘩をしている彼らに巻き込まれるのは勘弁してほしい、と狛治は思っている。何せ、初対面からケンカ越しだった二人の柱は、揃って頑固が過ぎる。
特に頑固というより小さな子供のような駄々をこねる双子の兄弟にいつもいつも狛治は振り回されていた。
今朝も、どうやらそんな気配がする。
「狛、起きてるか?」
返事も聞かずに双子の兄はパン、と障子を開けた。明け方に近い時間に乱入しても気にしない。起きてはいるが(兄と、その恋仲との怒鳴り声で目が覚めた)腕枕で寝ている恋雪はまだぐっすり夢の中だ。彼女は一度寝入ると眠りが深い。
それでも、人差し指一本で狛治はしっ、と兄に恋雪を起こさないように伝えると、妻に気を使いながらそっと布団から抜け出した。
「お前、もっと静かに入ってこい」
障子を閉めてから小声で注意すると、猗窩座は殊勝な顔で「悪かった」と小さな声で答えた。
そんな兄は、着物をはだけたあまり上品ではない様子だった。いかにも情事後、という気怠げな雰囲気も手伝ってひどく艶かしい。
昨夜はなかなか激しかったようで、離れから杏寿郎の切ない声が本宅にまで漏れ聞こえてくるほどだった。
狛治は黙って猗窩座と二人で離れの広い庭に向かう。そこで言葉も交わさないまま、即座に組手を始めた。阿吽の呼吸よろしく、双子柱の鬼狩り兄弟は言葉要らずだ。苛つきや不満、あとは消化できにくい気持ちは手合わせの組手で解消するのが、狛治と猗窩座の日課だ。
「明け方から何をケンカしてたんだ?やけに杏寿郎が怒っていたな?」
隙だらけの正拳突きを後ろに下がって華麗に避けつつ、狛治はズバリと質問した。
「あいつが自分の継子の話ばかりするから、つい」
「無体を強いたか?」
「悪いのは杏寿郎だ。恋仲の相手から他の男の名前を聞きたいか?お前だって恋雪がよその男の名前口にするのは嫌だろう?」
「そりゃあそうだが」
頬のすぐ側を力強い蹴りがかすめる。狛治は体を反転して逆から回し蹴りしたが、猗窩座はすぐ対応して右腕でそれを防いで見せた。
「鬼の妹を連れたあいつ、竈門炭治郎と言ったか?とにかくあいつが気にくわないだけだろう、お前」
「当たり前だ」
上空に猗窩座が飛ぶと、ビュッ!と、空をきる音が上空から聞こえる。連打された蹴りの乱式爆風を跳ねのくて、狛治も同じ技を下から打ちまくった。
「継子なんか取ったら俺と合う時間が減る!」
「そんなの杏寿郎の自由だ。柱なんだから仕方ない」
「俺はあんなヤツ認めん!」
「ガキかよ!」
「ガキでけっこう!」
全開の闘気に向かって、猗窩座は本気で打ち返してきた。応戦する狛治も熱が入り、あとは無言で戦う。
庭先土埃が舞う中、双子柱は朝日がきっちり登るまで激しく組手を続けた。
猗窩座の気が済んで、狛治もやなうんざりしかけた頃に、ちょうど、朝食と朝湯の準備が出来たと恋雪が呼びにきた。先に二人で朝湯に浸かると、先ほどの組手でくたびれた体に熱い湯が染みて疲労も飛ぶ。
何も言わずに朝っぱらから湯を用意してくれるなんて、なんて気が効く嫁なのか、と狛治は旦那として誇らしかった。
「お前、早く杏寿郎に謝ってこい」
狛治は諭すように言ったが、弟は「嫌だ、俺は悪くない」と言ってそっぽを向いた。
ついでに幼子みたいに湯船に顔を埋めてぶくぶくと沈んだりしている。二十歳もとうに、超えたくせに何をやっているのだろう。
「どうせいつもお前が悪い。今朝は具体的に何した?」
ぶは、と湯から顔を出すと、猗窩座はちょっと気まずい顔をした。
「…朝方から話すには内容が」
「わかった、ならもういい」
「実は入れたまま立ち上がって突き上げたら杏寿郎が気を失っ」
「いい!本当にもういい!」
「ちゃんと身体は綺麗にした」
「聞いてねえから!」
「いや、問題はそこじゃないんだ、狛」
「お前…聞けよ人の話」
止まらない兄に一応言って見たが、遠慮の一つもしないで話を続けられた。
「せっかく会えたのに、杏寿郎は夜中に帰ろうとしたんだ。継子に朝から稽古つけたいからとかなんとか。一か月振りに会ったのにひどくないか?だから気を失うくらいしてしまったら帰れないだろうと。で、明け方目が覚めた杏寿郎に怒られた」
「それはお前が悪い。絶対に。とにかくお前が悪い」
「あんな小僧を俺より優先する方が悪い」
ガキの言い分すぎてうんざりする。鬼殺隊最強を誇る柱の言葉とは、とても思えない。その強さと驕らず常に鍛錬を続ける猗窩座は(狛治も同じだが)隊士たちから信頼が厚い。
なのに色事に関してはこのていたらく。普段から慕ってくるやつらに見せつけてやりたいものだ。
「なあ、お前はどうして杏寿郎の前だとそんなに頭が悪くなるんだ?」
「お前が恋雪にいつも鼻の下伸ばしてるのと同じ理由だが?」
真剣な顔して答えるものだから、狛治は更にイライラした。自分はそこまでガキではない。少なくとも兄よりは。
「一緒にするな、俺はお前より理性がある」
「ふん。狛みたいに物分かりのいいフリなんかしてたまるか。鬼狩りなんてお互いにいつ死ぬかもわからないのに、時間がもったいない」
「なんだ、意外と理由まともかよ」
「俺はいつだってまともだ」
それはどうだか。とか思いながら狛治も兄の真似してお湯にぶくぶくと沈んでみた。
とにかく杏寿郎の好きな手土産でも持って機嫌を取って謝ってこい、と言う弟の言い分を聞いた猗窩座は、恋雪に教えてもらった老舗の和菓子屋で芋羊羹を買うと猗窩座は煉獄邸に向かった。
正門に行くと、歓迎してるとは言い難い顔の次男が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、拳柱様。兄は奥の自室におります」
いつもながら、丁寧な言葉に反した仏頂面だ。
でもこんな子供に腹は立たない。杏寿郎とそっくりな顔にむくれた顔をされたところで、猗窩座には可愛いだけだった。
「千寿郎、お前のとこの継子はどうした?」
「炭治郎さんなら、先程鴉から指令が入って任務につかれましたよ。どうぞ、ごゆっくり」
都合が良いことだ。鬼の妹を柱合会議で双子柱に日輪刀で刺されて以来、狛治も猗窩座も、炭治郎に嫌われている。しかも猗窩座と杏寿郎のことを知ってから、とくに猗窩座のことは鬼でも見るような目で睨みつけてくるのだ。
下っ端隊士のくせに。少なくとも杏寿郎と顔が似ている千寿郎と違って、可愛いくもなんともない。
まあ、彼にとっての「憧れの炎柱様」と同衾してるのが気に食わないのだろう、とは思う。
だいたい、水の呼吸一門の出なんだから富岡の継子になればいいのだが、それを富岡に直談判したら「おれは継子はとらん」と抜かした。しかも、誘ったのは杏寿郎の方だった。それは猗窩座にしても面白くなかった。
要するに嫉妬だろ。と狛治は言う。確かに、双子の弟の言うとおりだった。
千寿郎に軽く礼を言い、土産の芋羊羹を渡すと、猗窩座は杏寿郎の部屋に向かった。
「杏寿郎」
部屋の障子を開けると、隊服姿の杏寿郎がいた。羽織りは着てないが、日輪刀を腰に指して身支度しているところだった。
「何かな?拳柱殿?」
「…他人行儀だな」
「他人だからな。こちらの言い分を全く聞かない大変困った他人だ」
死ぬほど冷たい声色と氷のごとき杏寿郎の目線。
これは、相当怒ってるな、と今更ながら猗窩座は後悔した。ケンカなんぞ初対面からしょっちゅうしているが、経験上、杏寿郎が慇懃無礼な態度を伴うのは、怒りの目安はかなり、高い。
「お館様に呼ばれてる。用事があるなら早く済ませてくれないか、拳柱殿」
冷たく言われて、ここは折れておくべきだ、猗窩座は早々と白旗をあげた。
「悪かった、謝りにきた」
素直にそう言ってみたが、杏寿郎は疑わしい顔で「どうせ狛治に諭されてきたんだろ」と吐き捨てた。参った、完全にお見通しだった。
「ああ、図星だ。お前は俺のことはなんでも分かってるな、杏寿郎」
「……君、本当は悪いと思ってないな。何なんだ、その前向き発言」
「お前の腰が痛いんじゃないかと心配はしてる。それは反省した」
「そ、そんなことは、怒ってない」
そこでほのかに赤くなった顔が可愛いらしい。言わないが。でも、ヘソをまげてるのは無理させたことではないようだ。
「明け方まで帰さなかったことを怒ってるか?」
「それでも朝一の稽古までに間に合った。途中で指令が入って、少年の鴉が呼びにきたが」
気を失ってたのも、実はそんなに長い時間ではなかったことを思い出す。いつものこと、と言えばそうだった。
「杏寿郎、教えてくれ。何が一番気に食わないんだ?継子に俺が妬いてることか?」
「それは別に」
「じゃあ」
「言わせたいなんて信じられない。君は俺のことは何にもわかってない」
「それは心外だ」
「知るか!」
突然いつもの大きな声を出したのでも猗窩座は面食らった。じりじりと怒りの感情をもろに受けて、思わず後ずさった。
「昨夜一番嫌だったのはな!君が遊女に教わったことを俺にしたことだ!!ふざけるな!ほんとにイヤだった頭にきた!!」
「きょ、杏寿郎?」
「俺は君しか知らないのに最低だ!会う時間が減ったのは謝る!でもあれはない、ないない!ぜったいに、嫌だっ!」
そこまで一気にまくしたてると、杏寿郎は息を整えるように深呼吸をした。たぶん落ち着く為に。
「…なあ、拳柱の片割れ。君は誰の物だ?」
「お前だ、杏寿郎。お前のものだ」
「よろしい。わかったならいい、俺はもう怒ってない」
「本当に?」
「ああ」
「だから他の者の名は金輪際、最中に口にしないでくれ」
そう言うと、相変わらずどこを見てるかわからない瞳が少しだけ細くなった。
「君が付けた痕が消えた頃、また鴉を飛ばす。待っててくれ」
「わ、分かった」
「お館様をお待たせ出来ないから、もう行く。ああ、それと」
あんまりな剣幕と勢いに押された猗窩座の頭を掴むと、杏寿郎は自分の口元まで持ってきてこう囁いた。
「昨夜の、あれ。またしてくれ。気持ち良かったから」
「…嫌じゃ、なかったのか?」
「それとこれとは別だ。じゃあな、拳柱殿」
そう言った杏寿郎はいつもの顔になった。いろいろと固まっている猗窩座を置いて、羽織を切ると、さっさとお館様の元へと行ってしまった。
ポツン、と主人のいない部屋で、猗窩座はたまらなく、煉獄杏寿郎に愛を感じた。
あんな素晴らしく魅力的な男を抱いてるなんて、なんて幸せなのかと今更ながらに全身が痺れる。
わがままや文句は金輪際やめにしよう。
そうでなくては、例え信心深くなくてもバチがあたるに違いない。
大正の御代。長い鬼殺隊の歴史に、またもや刀を持たない柱が現れた。
二つの鉄扇を使うこの鬼殺隊士は、水の呼吸から派生した「氷の呼吸」の使い手だ。経験が浅いにも関わらず、短期間で柱になった実力は柱の中でも一目を置かれている。
眉目秀麗でニコニコと常から笑う顔とは裏腹に、その戦闘力の高さから、鬼はおろか仲間からも恐れられる存在だった。そして童磨という、この柱。なかなかやっかいな癖がある。
一つは気性の荒い者をいじくって遊ぶこと。
もう一つ、他人のモノをやたら欲しがる性癖が大変強いことだった。
鬼殺隊の本部に任務の報告に行った狛治は、仲間である柱から呼び止められた。
ただし、間違えた呼び名で。
「やあ、猗窩座殿」
振り返ると隊服についた鬼の返り血もそのまま、同じく任務後らしい鉄扇使いの柱、童磨がいた。
猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石を原料に作られた特別製の鉄扇も、血まみれで鉄臭さを漂わせている。相変わらずうさんくさい笑みを浮かべた姿と、対象的だった。狛治と同じく鬼狩りの後らしい。
「いや。俺は猗窩座じゃない」
「おやおや、これは失礼した。弟殿だったか」
丁寧な言葉の裏に、残念がっているのが伝わってきた。双子の兄に間違えられることはよくある。髪色は違うが同じ顔だし、仕方ない。
ただ、こんなあからさまに残念そうな顔をされる、なんてことはなかなか無いと思う。別に傷付くとかではないが、違う意味で狛治は不快だった。
「どおりで珍しいと思った。君の兄殿は滅多にここに来ないから」
確かに猗窩座は柱合会議以外で本部に来ることは少ない。兄が面倒がるので、任務報告はだいたい狛治の仕事だった。
「あいつはそういう事は俺まかせだ、それに」
「うん?」
「ここには、会いたくないヤツでもいるんだろう」
嫌味ったらしく言ってみたが、通じてるとは思えなかった。やっぱりニコニコと笑うだけで、表情は変わらなかった。童磨は、何が気に入ったのか知らないが、よく猗窩座にちょっかいをかけては冷たくあしらわれている。
うっかり会うたびに「あいつ、うっとうしいな」と猗窩座の方は嫌っていた。
冷静な狛治に対して兄は感情的で、からかわれると相手に突っかかることがあった。あの反応を面白がっているのかもしれない。
「そうかい。俺は猗窩座殿に会いたくて仕方ないからたまには本部に来たらいい。そう伝えてくれ狛治殿」
「善処する」
何が会いたくて仕方ない、だ。なるべくしかめっ面で返したが、この男は気にする様子もなく、親しい友人かのごとく狛治の肩をポンポンと叩くと「猗窩座殿によろしく」と言って去って行った。
その仕草が馴れ馴れしくて、狛治は思わず肩に手をやった。男からそんなことをされると気味が悪い。仲が良いわけでもないのに。
鬼殺隊の中では別に悪い評判を聞かないが、狛治は童磨のことは好きになれなかった。
何より嫌なのが、狛治の大事な双子の兄にご執心らしいことだ。杏寿郎一筋の猗窩座は気にもしていないだろうが、あれは兄のことを語る時、気に入りの玩具を前にした幼子と同じ目をしている。
体も大きく力も強い、厄介な子ども。
狛治には童磨はそんな風に見えた。
狛治が任務報告を終えて屋敷に戻ると、拳柱の片割れである兄の猗窩座は先に屋敷に帰っていた。
普段は同じ敷地の離れに住んでいるが、兄は弟夫婦の暮らす母屋にもしょっちゅう来る。特に恋雪が一人きりだったりすると心配なのか、狛治の代わりに番犬よろしく屋敷の留守を守っていた。
「おかえりなさい、狛治さん」
「おかえり、狛」
「ただいま」
双子の兄は、母屋の縁側で恋雪と見慣れない菓子を食べていた。それは何やら茶色くて大きくてぶ厚い煎餅のようなもので、ベタベタした液体がかかっている。
「…なんだそれ」
「恋柱からもらった。なかなか柔らかくて美味いぞ。名前はなんだったかな?ハイカラすぎて忘れた」
「ぱんけーき、ですって。狛治さんも頂きますか?」
「うーん。俺はいい」
「もったいない、食わないのか?」
「煎餅か饅頭の方がいい」
「相変わらず挑戦しようという気がないな、狛は」
「そんなベタベタした得体の知れないもの、食いたいヤツの気がしれん」
「ベタベタしてるのはただの蜂蜜だぞ」
「それでもいらん」
「つまらん男だ」
「つまらなくて結構だ」
甘いものは別に嫌いじゃないが、狛治は慣れない物には警戒心がある。
恋雪は、恋柱の甘露寺蜜璃や蟲柱の胡蝶しのぶと仲が良い。彼女たちからたまにこうして、見たことのないハイカラな菓子や料理をもらったり作ったりしていた。
猗窩座はそれをよく恋雪と楽しんでいるが、同じ双子でも好奇心旺盛な兄と違って狛治はいつも引き気味だ。口に入れるのは口に慣れた物がいい、という慎重派なのだ。
そのあたりの好みは、双子の兄弟でもかなり違っていた。
ならお煎餅とお茶でも用意しますね、と狛治の分の茶と菓子を用意しに行った恋雪が席を外す間、狛治は一緒に縁側に座ると、先程会った氷柱の話を猗窩座に振ってみた。
「猗窩座、最近氷柱に会ったか?」
「氷柱って、童磨?ああ、数日前にたまたま屋敷の近くで会ったな。しつこくここの屋敷に行きたいとかなんとか、うるさかった」
「おい、そんなこと聞いてないぞ」
リスみたいにハイカラな洋菓子を頬にたくわえながら、猗窩座はもごもごと「忘れてた」と答えた。狛治は面食らったが、兄はそれくらいあの男には興味がないらしい。
「さっき本部でその童磨に会った。お前と間違えられてな、あいつ本当に馴れ馴れしいな。気をつけろよ」
「何を?」
何を。と言われると返答に困る。なんと言えばいいか、狛治も迷う。
「俺だって分かってあいつはガッカリしていた。お前に会いたかったらしい」
「意味がわからん、どうせ同じ顔なのに」
「そういうことじゃ、ないと思うんだが」
狛治の不安は募ったが、あいつの玩具にされるなよ、なんて言うわけにもいかない。言った所で通じないだろう。猗窩座は杏寿郎と自分たち家族のこと以外、本当に無頓着だ。そしてちょうど良く猗窩座の鴉が手紙を届けに来た。
「杏寿郎だ!」
ぱあっと嘘みたいな明るい表情になって、猗窩座は恋人である炎柱からの手紙を読み耽った。彼は今、遠くまで鬼狩りに出ていてしばらく二人は会っていなかった。
「今夜帰ってくるそうだ!」
「良かったな」
兄は恋人の杏寿郎のことで頭がいっぱいのようだ。もはや今さっき話した童磨のことなんて、きれいに忘れているだろう。
ちょうどお茶を入れて煎餅を持って戻ってきた恋雪に「夜はさつまいもの味噌汁にしてくれ、杏寿郎が来るんだ」と嬉しそうに頼んでいる。恋雪も笑顔で「はい、分かりました」と答えていた。
猗窩座は自分の感情にはたいへん素直だが、他人がどう思うかなんて気にしない。杏寿郎と自分たち家族のこと以外、本当にどうでも良いと思っている。いま狛治が忠告したことなんて、既に覚えてすらいないだろう。
そりゃあ、別に何事もなければそれでいいのだ。別に猗窩座も子どもじゃない。
だが、なかなかうまく行かないのが、世の中の常だったりする。
「杏寿郎、お前はいつも綺麗だな」
「君、いつも恥ずかしくないか?」
「何がだ」
「褒め言葉。正直男らしくは、ないなあ」
「知らん。好いた相手に正直で何が悪い?」
「君のそういう所が好きだな」.
「なら、そんなことを言うお前も男らしくはないな杏寿郎」
「それも君のせいだな。全部」
そういうと、金髪の恋人は楽しそうに笑った。言葉遊びも、二人の楽しみの内だった。久しぶりの逢瀬は楽しくてたまらない。
杏寿郎はいつだって美しい。お互い会うのも肌を合わせるのも十日振りくらいだが、飽きるどころか二人合わせて飢餓状態も良いところだ。
酒も食事も早々に切り上げえ布団に入り込むと、二人とも揃ってろくに着物も全部脱がず、はだけたまま繋がってしまっていた。
寝そべった猗窩座の上に乗っかった杏寿郎は、破壊的に艶めかしい。足を広げると特に結合部が丸見えだ。なんていい眺めだ、と猗窩座が舌舐めずりしたとき、何か不穏な空気を察知した。
杏寿郎も同じだったようで、快楽に溶けていた顔に一気に緊張が走る。
誰かいる。こんなときにまさか鬼か?と思った矢先に声がした。
「やあ、ご在宅かな?猗窩座殿?」
障子の奥から知った声が聞こえて猗窩座はぎょっとした。鬼より嫌なモノの声である。しかも返事する間もなくその人物はいきなり障子を開けてしまった。
「ちょ、お、お前なにしにきた!」
「おやおや。お邪魔したね?近くまで来たら寄ったんだけど」
お邪魔どころの話ではない。しっかり最中にこんな所に入ってくるなんて、この男は気でも狂ってるのだろうか。
あたふたしている猗窩座に対して、杏寿郎は奇妙なくらい冷静だった。杏寿郎は、黙って布団の横に放ってあった自分の羽織を手にとって片手で広げると、猗窩座と自分のあられもない姿をしっかり侵入者の視線から隠した。そのせいで、寝そべっている猗窩座からは童磨が見えなくなった。
「きょ、」
名前を呼ぼうとした猗窩座の唇に、杏寿郎は人差し指を置いてしっ、と黙らせる。杏寿郎の射抜くような視線はそのまま、無粋な侵入者である童磨に向けられた。
「邪魔だと思うならさっさと帰ってくれ。野暮が過ぎるぞ、氷柱。いきなり夜中に他人の寝所に押しかけるとは、よほど親の教育が悪かったと見える」
なかなか痛烈な嫌味を杏寿郎がぶつけたが、大して効いた様子もなく童磨は明るい口調で答えた。
「親の教育については残念ながら君の言うとおりだよ。ろくでもなくて面目ない、両親に代わって謝るよ。猗窩座殿と仲良くなりたい一心だったからねえ」
「誰が仲良くなんかするか!早く消えろ!」
羽織越しに精一杯の声で猗窩座がどなり散らすと、もう一つ人の気配がした。こちらはすぐに分かった。狛治だ。
「さっさと障子を閉めろ、童磨」
「おや、弟君までいたのか」
いつの間にか狛治が後ろから近づいて、童磨の首に日輪刀を当てていた。双子の拳柱が滅多に使うことがない、脇差くらいな長さの特別な刀で、いざと言う時のために作られた狛治と猗窩座の専用日輪刀だった。
「この屋敷の主人は俺だ。本来は俺の許しが無ければ入れない」
「へえ。拳柱殿も日輪刀持ってたんだね、知らなかったよ」
呑気な声に反して、拳柱の片割れ、狛治は恐ろしい殺気を放っている。弱い鬼なら裸足で逃げ出す勢いだ。だが強気な侵入者は臆した様子もなく、黙ってぱしん、と障子をしめた。
「勝手に屋敷に侵入したら鬼と間違えて殺すかもしれん。以後、気を付けろ」
「承知した。残念だけど今夜は帰るよ」
「二度と来るなよ。気づくのが遅くて悪かったな、杏寿郎。兄とゆっくりしていってくれ」
「ありがとう狛治。礼を言う」
障子越しに童磨も狛治も居なくなった気配がして、杏寿郎はようやく猗窩座を隠していた羽織を下げた。
「なんなんだあいつは!」
「落ち着け猗窩座。もう居ないから」
「落ち着けん!」
「あんなヤツは忘れろ。それに」
杏寿郎は先程の騒ぎでも、繋がったままだった部分を、つつ、となぞった。ついでに猗窩座の乳首はいきなり片方だけ摘んで押しつぶされてしまう。
「いっ!?」
「萎えてる場合か?さっさと回復してくれ」
「杏寿郎!杏寿郎!わかったから離してくれ」
「うむ。ああ、持ち直した、また大きくなった。よろしい。仕切り直すか」
あんまりな男振りに猗窩座はたまらなかった。くらくらする。こんないい男が自分の恋人だなんて、やっぱり猗窩座は信じられない。
「ああ!杏寿郎、俺はお前に何回惚れ直したらいいんだ?」
男らしい上に美しくてみだらな恋人のおかげで、猗窩座は持ち直しどころか十回でも二十回でも出来そうだった。
猗窩座はガバッと起き上がると、体勢を変えてそのまま杏寿郎を押し倒した。
「それはこちらの台詞だ。君は、存外に可愛いらしいからな」
それを聞いてたまらなくなった猗窩座が好きだ好きだ、杏寿郎、愛してる、と幾度となく囁きながら、二人の営みは一晩中続いた。
それから数日後、童磨は鬼殺隊本部で煉獄杏寿郎と鉢合わせた。普通なら気まずい再会も良いところだが、二人ともそんな一般的神経は持ち合わせていない。
「やあ炎柱殿!元気かい」
「ああとても。ところで、話がある」
「何かな」
「猗窩座のことだ。俺は回りくどい言い方が出来ない、だからハッキリ言っておく。いい加減にしてくれないか、氷柱。猗窩座にちょっかいかけるのは止めろ。彼は君の遊び道具じゃない」
「失敬な、そんなつもりじゃないけどねえ」
「そんなつもりに見えてならない。こないだのことも、アレはわざとだろう?」
「いいやー、他人の房事わざわざのぞく趣味はないよ?いくら親のしつけ悪くても」
おどけて言った童磨に、煉獄は鉄面皮の無表情になった。鬼狩りの時に煉獄がよくそんな表情になることを、童磨は知らないだろう。
「猗窩座は俺の物だ。貴様なんぞにやらん。あれに何かしてみろ、その首を斬り落として鬼に食わせてやるからな」
「冗談下手だね、炎柱?」
「君のそういうところが嫌いだ。冗談などではない。俺が本気だといい加減分かってくれないか?君を殺す前に」
「…そうかい」
炎の名そのもの、なかなか苛烈な宣言をした煉獄は「失礼する」と何事も無かったかのように羽織を翻して去っていった。一人残された童磨は、その背中を見つめながら鉄扇の先を顎に当てて思案している。
「そーんなこと言われると、余計に燃えちゃうなあ」
煉獄は知りようが無かったが、童磨にはなかなか困った癖がある。それは他人のモノを大変強く欲しがるという、よくない性癖だっな。その性癖は障害があればあるほど、強くなることも、煉獄は知らない。
「余計に欲しくなっちゃった。うっかり首斬りされちゃうのはどっちかねえ?炎柱殿?」
パチン、と自慢の鉄扇を仕舞った童磨は、珍しく自分が笑っていないことに自分で気づいた。
大正の御代、長い鬼殺隊の歴史に置いても珍しく、日輪刀を使わない柱たちがいた。己の拳を武器に体術で戦う双子の拳柱、猗窩座と狛治。二つの鉄扇を使う氷柱の童磨。
三人は犬猿の仲ではあるものの、鬼殺隊の最高戦力として日夜、鬼と戦っていた。
鬼狩りの合間、空いた時間に自分の屋敷で一人鍛錬中だった狛治は、猗窩座の鴉から緊急の呼び出しを受けた。
「カア!カア!拳柱、猗窩座と氷柱、童磨が交戦中!拳柱、乱心中!止められたし!」
不安しかない鴉の言葉に狛治は指定された場所に向かった。隊士同士の私闘は隊律違反だ。だがそれ以上に兄の猗窩座が童磨と一緒の任務なんてハナから無理がある。何かあるんじゃないかとハラハラしていたが、案の定!というしかない。童磨が何をしたか知らないが、とにかく早く着かねば、と狛治は恐ろしい速さで鴉について行きながら走った。
現場に着くと、乱心中、という言葉通り、猗窩座は完全に正気を失っていた。目つきがおかしく、闘気を剥き出しにして童磨に襲いかかっている。得意の鉄扇を器用に使い分けながらも、童磨は防戦一方でいつもの余裕も無さそうだ。
「おお!?よく来てくれた弟君!」
「猗窩座!」
双子の弟の呼びかけにも反応せず、猗窩座は一方的に童磨へ激しい攻撃を繰り返していた。あきらかに様子がおかしい。
「なんとかして欲しい!助けてくれ」
「うるさい!ころす、ころす、ころしてやる!」
これはまずい。猗窩座が本気で隊律違反をやりかねないので狛治は焦った。
「おい!落ち着け兄弟!俺だ、狛治だ!」
フーフーと荒い息を吐いた兄に大声で問いかけると、いったん動きが止まる。そこを逃すまいと狛治は童磨と猗窩座の間に割って入った。
「猗窩座、猗窩座!」
全力で兄の両腕を捕らえると、まっすぐ目を見て狛治は叫んだ。かなり強い力で抵抗されたが、狛治も負けずに抑え込む。
「わかるか?俺だ、もう終わりだ!やめるんだ!猗窩座!」
「…狛?」
「そうだ、兄弟。俺だ、わかるか?」
問いかけると、狂って充血した目の兄が、やっとこちらを見た。いまさっきよりはまともな様子に、狛治は安堵した。
「息を吸って。吐け、そうだ、ゆっくり。繰り返すんだ」
言われたとおりに何度か深呼吸した猗窩座は、いったん全集中の常中を自ら止めたようだった。そのまま倒れこむようにガクッと地面に膝を着いて、動かなくなった。
「さすが弟君、大したものだ」
「貴様、兄に何をした!?」
「してないよ、したのは鬼。俺はどっちかって言うと止めてあげたんだぜ」
「…血鬼術か?」
「そうみたい。精神に働きかけてくると厄介だねー、殺されるかと思った」
言葉のわりにまったく焦りは無さそうだが、別に童磨のせいでは無さそうだった。倒れこんだ猗窩座は、まだゼイゼイと荒い息を吐いている。見るからに辛そうだ。
「ちなみにね、もうその鬼は首跳ねたから定かじゃないんだけど。たぶん性的興奮高める術だと思うよ」
「はあ!?」
「まあ、猗窩座殿の場合、闘争本能の方に火がついたみたいだけどね。性欲なんてそういうのと紙一重だし。それでご乱心して俺に襲い掛かってきってたわけ」
「…お前は敵と見なされたわけか?」
「ひどいよねー、そんなに嫌われると泣いちゃうな」
言いながら、童磨はまるで言葉がするような嘘泣きで傷ついたフリをしていたが、そんな白々しい芝居に構っている場合ではない。
「猗窩座、平気か?」
暴れるのをやめて落ち着きはしたものの、肩を上下させてまだ呼吸は荒い。それに。
「平気では無さ気だなあ、猗窩座殿?」
意地の笑みの童磨の視線の意味は、狛治もなんとなく察した。まだそんななか目立たないが、あきらかに猗窩座は前屈みで苦しそうにしている。さっきの童磨の話が本当なら、闘争心を落ち着かせても、足らないのかもしれない。
「近くに、藤の家紋の家があるから、俺が連れてく」
「なら一緒に」
「来なくて結構!」
狛治は勢いよく否定しながら、猗窩座を肩に担いだ。こんなヤツの側に兄を置くわけにはいかない。だいたい、そんな都合の良い血鬼術の鬼と二人が一緒に戦う羽目になった理由も怪しいものだ。この男に下心が無かった証拠はない。仮に猗窩座が乱心しなくて最初からこんな状態だったら、と思うと狛治は背筋が寒くなった。
「弟君、手伝いがいる時はいつでも言ってくれ」
後ろから聞こえてきた薄寒い台詞を無視して、狛治はさっさと兄を連れてその場から離れた。
目当ての藤の家紋の家に着くと、とりあえず井戸の冷水を浴びせて、猗窩座を落ち着かせてから、奥の座敷を用意してもらった。
座敷に座り込んだ猗窩座の様子は、さっきはよりマシだが、呼吸の荒さは変わらない。なるべく見ないようにしていたが、完全に男根が立ち上がっていて大変苦しそうに見えた。
「やはり冷水程度じゃ、落ち着かないか?」
「む、むりだ…」
杏寿郎が居れば話は早いが、あいにく飛ばした鴉はまだ戻ってこない。すぐには来れない場所にいるのだろう。
「もうアレだ。猗窩座、出してしまえ。人払いは頼んでるし、俺はしばらく外すから」
「い、いやだ。狛、一人にするな!身体がうまく動かない。手も震えが止まらない」
確かにいつもの馬鹿力はどこに行ったのか、狛治の腕を掴む手は震えていた。兄がこんなになるくらい、強力な血鬼術らしい。
「まさか手伝えって言わないよな?」
「昔やったじゃないか、二人で」
「ガキの頃の話だろ!」
精通したばかりの十二、三歳の頃。確かに二人でわけが分からないままお互いに扱きあったことがあった。だが知識も経験もない頃の、遊びと好奇心が延長した昔の話だ。
それは二人揃って黒歴史と言っていい、双子の秘密だった。
「後生だ、頼む。恋雪には俺が土下座して謝るから」
「俺は!杏寿郎に殺されたくないんだよ!」
「そっちにも土下座しよう。大丈夫だ、分かってくれる。なあ、狛、狛治。俺たち一蓮托生だ。そうだろ兄弟?」
そこまで猗窩座に言われると、狛治も腹を決めるしかない。どの道、今すぐ頼れるのはお互いしか居なかった。
「分かったよ、兄弟」
事前に用意してもらっていたタライには、水が張ってあったので、それで手を洗って手拭いで拭くと、狛治は覚悟を決めた。
とりあえずそのまま猗窩座に足を開かせて「目を閉じろ」と言って狛治は正面からガンガンに張り詰めた兄の男根を握った。その張り詰めた様子から、すぐにイクんじゃないかとゆるく扱いてみたが、なかなかうまくいかない。
「猗窩座。力抜け、いつまでたってもイケないぞ」
「…うう。だってお前のは杏寿郎の指と違ってゴツくてかたい、全然集中できない」
「アホか!恋雪にだってこんな物騒なモノついてねえからな!死ぬ気で集中しろ!」
「ううー、狛、狛。後ろはいじるなよ、お願いだから。それは杏寿郎にとってあるんだ」
「知らねえよ!!お前いいかげんに口も閉じろ!頼まれてもいじるか!」
「ツラい、いたい、イケない!身体が熱い!」
勘弁してくれ、と泣きそうな声で訴えられたが、こんな状況で泣きたいのは狛治も同じだ。昔の記憶よりデカい男根は(自分とほぼ同じ大きさだが)触って気持ち良いものではない。
「もうお前寝ろ!早く終わらせるぞ」
どん、と仰向けに猗窩座を寝かせると、狛治は黙らせるために手拭いを兄の口にかませた。
「杏寿郎のことでも考えてろ」
そう言って意を決した狛治は、口に兄の男根を含んだ。性感帯が自分と同じだと仮定して、手も使って無心で愛撫する。
「ん、んー!」
手拭いをかませた猗窩座は、悶えながら想像した通り、すぐ果てた。だが一回では足りないようだ。張り詰めたまま、なお固い。全く厄介な血鬼術にかかったものだ。
狛治は内心げんなりしながら、無心で舌と手を使った。二回目の射精もわりとすぐ訪れてくれて、兄は腰をビクビクと震わせていた。
その後、勢いついた所で手だけで何回か欲を解消してやると、猗窩座の身体はなんとか平常に戻っていた。
タライの水で手を洗い流した狛治は、濡らした手拭いで大人しくなった兄をある程度拭いてやった。いやらしさのカケラもない。赤子の世話でもしている気分だ。
「全く、五回も六回も出しやがって」
「……悪かったよ」
「落ち着いたか?」
「とりあえず」
「屋敷に帰るぞ。恋雪に風呂沸かしてもらってから、俺は土下座して謝る。もちろんお前もな」
「………ありがとう、狛」
「ちなみに杏寿郎にも土下座して謝らないと」
恋雪はともかく、存外に嫉妬深い猗窩座の恋人のことを思うと憂鬱だった。事の内容からして狛治に八つ当たりはしないだろうが、それでも伝えるのは気が重い。
狛治の憂鬱とはまた別に、兄はまだ寝っ転がりながら落ち込んでいた。
「猗窩座、帰るぞ。立てるだろ、流石に」
「ああ。狛、まさかお前に先越されるとは」
「なんだいったい」
「口でするなんて。杏寿郎にもしてもらったことないのに」
「は?されたことないのか?」
「ない」
なんだかまたモメ事に巻き込まれそうな気配がして、狛治は深くため息をついた。
きっと、今日は厄日に違いない。
炎柱の煉獄杏寿郎は鬼殺隊の中でもたいへん評判が良い。隊士として剣の才に恵まれ柱としても統率力があり、その性格の良さから上からも下からも慕われている。
らそんな彼だが、あまり周囲に知られていないちょっとした欠点があった。
それは、彼の恋人である双子の拳柱の片割れに対して、とてもとても嫉妬深くて独占欲が強いことだった。
猗窩座と狛治は、自分達の屋敷の離れ(正確には猗窩座が主に住んでいる)に二人揃って正座して、おそるおそる客を迎えていた。
いつもこの離れに来る男で、知らない仲ではない。むしろ、特に猗窩座にはとても親しい仲である。だからこそ、二人は余計に緊張していた。その緊張たるや、十二鬼月とでも戦った時の方がマシなほどで。煉獄杏寿郎という男は明朗快活で裏表のない性格をしていて、なおかつ怒らせるとたいへん怖いことを双子は揃って知っていた。
だからこそ、つい昨日ろくでもない血鬼術にかかった一件について、狛治と猗窩座は洗いざらい白状することにしたのだ。
「それで?君ら二人で解決してしまったわけか?知らなかったんだが男兄弟とだからと言って下の処理まで手伝う習慣があったとは。よもや、我が家では無かったことだから信じがたい」
「………杏寿郎、あのな。何回も言うが親の無かった俺たちはなにも知らなかっただけだ。断じて俺と猗窩座はおかしな関係ではない、兄弟以上ではない、決して」
「そうだ、狛の言う通りだ!緊急だっただけだ!俺はあの時おかしかった、だから兄弟が助けてくれたんだ、ただの家族愛だ!」
必死こいて双子の拳柱が弁明しているのを、杏寿郎は首をかしげつつ、無表情で見つめている。その感情がさっぱり読めないので、双子の緊張は治らない。むしろ心拍数が上がりっぱなしだった。
「なあ狛治」
「な、何かな?」
いきなり話しかけられて狛治は上擦った声が出た。隣の兄からは何とも言えない同情的な視線を感じる。
「猗窩座は何回、君の手で出したのかな?」
「六回」
「そ、そんなに出してない!」
「お前のを咥えた本人が間違えるか、バカ!」
意識が朦朧としていた猗窩座と違い、狛治はがっちり正気だった。どっちが正しいかなんて自明の理だ。
「バカっていうな!」
「いや。狛治の言う通りだな、君は油断と隙だらけで、存外バカだ」
「杏寿郎!ひどくないか?俺は被害者だぞ」
恋人の言葉に傷ついた猗窩座だったが、杏寿郎の方は眉の一つも動かさずに淡々と反論を返した。
「鬼の血鬼術なんぞにひっかかって兄弟に迷惑をかけた『バカ』な被害者だ。しかも氷柱にはくれぐれも注意しろと君は俺に忠告されたのではなかったか?一緒の任務なのは命令だから仕方ないが、本気で警戒してなくて油断と隙があったからそんな目に遭うんだ。仮にも柱なんだからしっかりして欲しいものだな。だいたい、狛治が来なかったらどうなってたかな?ああ、嫌な想像しかできない!うっかり君がヤツに手籠にでもされたら、俺は感情のままに氷柱の首を切ってお館様に私闘で処罰されたかもなあ。色恋沙汰の醜聞で柱の同士討ちなんて鬼殺隊と煉獄家、双方の恥だ。そうならなくて良かった。さてどうしてくれようかな?これでは俺の腹の虫がなかなか治らない」
長々と説教されて、猗窩座は縮み上がった。普段の大きくて快活な声ではなく、冷たい声色と饒舌さは本気で怒っている証だからだ。
「ご、ごめんなさい…」
自分から謝るなんて恥、と思っている兄が反射的に頭を垂れて謝罪したことに、狛治は心底驚いた。傲岸不遜な兄でも杏寿郎の怒りはよっぽど応えたらしい。
「そうだな、じゃあ頼みがある。猗窩座」
そう言うと何故か杏寿郎は、狛治の前で兄に近付いて耳元に手を当てた。こそこそっと何か耳打ちしたようだが、狛治には聞こえなかった。ただ兄が絶望的な表情になったので、良いことではないのは分かった。
「おい、なんなんだ」
おそるおそる狛治が二人に問いかけると、杏寿郎はいつもの快活な笑顔とは違う、意地悪な笑顔で答えた。
「煉獄家ではな、小さい頃に悪いことをしたら母から尻叩きを食らったものだ」
「え?」
「狛治。悪いが見ててくれないか、終わるまで」
杏寿郎は猗窩座を立たせると、壁に手を着かせていきなり隊服のベルトに手を掛けた。そのままズボンを脱がせると、当たり前だが猗窩座の尻が丸出しになる。
「六回だったな」
杏寿郎はそう呟くと猗窩座の丸出しにされた尻を目掛けて右手を振り下ろした。
「いっ!てぇー!」
バチーン!と素晴らしくいい音がして猗窩座の悲鳴が離れに響いた。
杏寿郎は一見女性のように綺麗な細い指をしているが、実態は鬼殺隊の柱だけあって常人の何倍も力がある。無防備にさらされた猗窩座の尻は見る間に赤くなった。
それにも構わず「君は鍛えてるから平気だろ」と言って杏寿郎は連続して、バチーン、とまた恐ろしい勢いで二回目を叩いた。兄は再び悲鳴を上げたが、狛治は見守るしかできない。
その間、兄は杏寿郎に立て続けにバチンバチン、と六回尻を叩かれた。
「よしよし。もう終わりだ」
「本気で叩くことないだろ!痛い!物凄く!」
「痛くないと仕置きじゃない」
「お前の力いっぱいは仕置きじゃなくて拷問だ!」
「君の尻が固くて俺の手もだいぶ痛いがな」
涙目になっている兄とその恋人を前にして、いったい俺は何に立ち会っているんだ、と狛治はうっかり気が遠くなった。
「俺は戻る。いいかな?」
「うむ。世話になったな、狛治」
「まあゆっくりしていってくれ。仲良くな、二人とも」
でかいため息をつきながら、狛治は猗窩座の離れを後にした。なんだか無性に妻に会いたい。恋雪に甘えて頭でも撫でて欲しい気分だった。
杏寿郎に力いっぱい叩かれた猗窩座の尻は、座るのも痛いほどだった。それを本人に訴えると「じゃあ立っていろ」と杏寿郎は言う。
「俺は何をされるのか不安なんだが」
「心配するな、もう叩かないから。ただ別のことでまだ悔しくてなあ」
するすると猗窩座の下を脱がせると、杏寿郎は恋人の目の前に膝をついた格好になった。
「杏寿郎?」
「恥ずかしいから、少し黙っていてくれ」
俯きながらそう言うと、杏寿郎は丸出しになった猗窩座の分身の根本を大事そうに掴む。すると小さな口を目一杯あけて、ぱっくりと咥え始めた。
「い、いきなり、あっ!」
黙っていろ、とは言われたが無理な話だった。杏寿郎の、暖かな舌の感触が一番弱いところを這い回っている。体が一瞬で熱くなって、地獄のような尻の痛みも忘れるくらいだった。狛治がしてくれた時のように、記憶も曖昧なほど混乱していたあの時とは全然違う。
今までいくら頼んだってしてくれなかった。そのたびにはぐらかされてきたから嫌なんだろうな、とずっと思ってきた。なのに、今たいへん積極的なのはいったいどういうわけだろう?力いっぱい尻をたたかれたあとに、この甘い仕打ち。猗窩座はわけがわからなくなってきた。尻はやっぱり痛いが前は気持ち良いし、恋人が普段してくれないことをしてくれてる。
恥ずかしそうに自分のを口いっぱいにくわえて、いやらしい音まで立てて。
「杏寿郎、杏寿郎、ああ、むりだもう、」
言うのも間に合わない。猗窩座はすぐに達してしまった。
「君は可愛いな」
そんなことをいいながら、杏寿郎は猗窩座が吐き出して受け止めきれなかった白い液体を顔につけたまま、見上げて来た。そのいやらしい顔を見たら、達したばかりなのに腰の奥底から欲が疼く。たまらない。
「杏寿郎」
「あと最低五回はイッてくれ。付き合うから」
「そんなに少なくていいのか?」
「ほう、頼もしいじゃないか」
「なあ、なんで今まで口でしてくれなかったんだ杏寿郎」
「下手だと思われるのが嫌だった。したことないから。練習するにもやり方がわからないし。なのに先に狛治にされたかと思うと悔しくて」
「全く問題ない。お前は上手だし、とてもいやらしいぞ」
「嬉しくない」
「嘘つき」
可愛いのはどっちだろう。今まで高圧的だった癖に、いきなりそんなしおらしくなって。猗窩座は愛しい恋人の顎についた、白いものをきれいに指で拭き取った。
多分、自分は一生尻に敷かれてこの男に平伏する幸せな人生を送るのだろうな、と猗窩座は思った。それを思うと、うかつに鬼にやられてる場合ではない。
叩かれた尻の激しい痛みも忘れて、猗窩座は愛しい恋人を押し倒して思う存分、楽しむことにした。
翌朝、拳柱邸の離れの前に、黄色の果物が置かれていた。大正の御代に芭蕉と呼ばれていた細長い黄色の果物は、甘くて栄養価が高く、台湾から主に船便で運ばれていた高級品である。拳柱邸の主人である狛治の妻、恋雪から二人の大切な家族への贈り物であった。
一房の芭蕉には彼女の二人宛の短い手紙が添えてあり。
「杏寿郎様。これで鍛錬なさって、いつまで義兄と仲良くして下さいね」
と、一筆添えられていた。
狛治と猗窩座は、幼い頃に両親を失った。故に、幼い二人は互いに互いを頼って二人で生きてきた。
素流の達人である慶蔵に引き取られ、両親の仇である「鬼」の存在を知り、二人で厳しい鍛錬をするようになっても、それは同じだった。
そしつ分からないことや、問題があればいつも二人で解決してきたのだ。両親が死んだあとの身の振り方や、手強い鬼に出会った時や、または他の隊士とモメた時。
あとは、あまり他人には言えないような、秘密のことも。
数えで二人が十二になるころだった。師範の家にあてがわれた部屋で、双子の猗窩座と狛治は布団を並べて寝ていた。当時、鬼殺隊の育手でもある慶蔵からは、鬼でさえも裸足で逃げ出しそうな厳しい鍛錬を強いられていた。だが覚えもよく才能もやる気もあった双子は、毎日それなりに楽しさと充実感を感じる日々だった。
普段なら疲れ切った二人は、朝まで目覚めることもなく爆睡しているのだが、ある夜狛治は隣でゴソゴソと動く猗窩座のせいで、目を覚ました。ふと障子の方に目をやると、やや空が明るくなりかけている。もうすぐ明け方になろうかとという時間帯だった。
「…あかざ、何してんだ?」
「…うっ、ん…」
猗窩座はうつ伏せのまま、腰を屈めて丸まっていた。そのまま、ちょこんと頭だけ出すと、猗窩座は完全に目が冴えた顔で狛治を見た。
「は、狛…」
「どうしたんだよ?」
猗窩座は目が潤んでいた。泣いてるのか、なんで?と心配になって、狛治は布団から出て猗窩座のとなりに行った。
「あかざ、どっか痛いのか?」
「い、いたいって言うか、その、」
「どうしたんだよ」
畳み掛けるようにそう聞くと、猗窩座は言いにくそうにじっと狛治を見つめた。
「はち切れそうなんだ。変だ、おれ…」
猗窩座はそう言って、狛治の手をぐっと掴んで、布団の中に持っていった。
「え?…お、おい、」
「狛、ここ…なんでこんなになるんだ?」
ちょうど股の間に持っていかれた手は、固いような柔らかいような、あたたかな物を掴まされた。ようするに、大事なアレだ。でも猗窩座のそれは、いつもより熱を持っている。話には聞いたことがあるが、完全に固くなって上を向いていた。
「猗窩座、お前知らないのか?」
「何をだよ?」
と言われても、狛治だってよく知ってるわけではない。ただ鬼殺隊は圧倒的に男が多くて、最近顔見知りになった他の隊士や隠たちから、まあ、いろいろなことを聞くのだ。
「朝、朝とかに、そうなるんだよ皆。病気じゃない、別に」
「こんなに痛いのに?」
そう聞き返されると狛治も困った。実は自分はまだ、経験したことが無いからだ。
そういえば、あのメガネをかけた縫製係の若い隠が何か対処法を言っていたのは思い出した。『手でするしかないんだが、やっぱり人にしてもらった方がいい』とかなんとか。
猗窩座は、見るからに辛そうだった。目が潤んでいて、慣れない事態にオロオロしている。この双子の兄は、どうにも拳で解決できないことがあると、途端にこんな感じになるのだ。
「なあ、じゃあ痛くなくしてやるから、ちょっと見せろ」
「う…」
そう言って狛治が猗窩座の着物をはだけると、やはり褌越しにしっかりと「あれ」が上に向いていた。狛治は一度深く息を吐いてから、そっと褌をずらしてやり、自分のとそっくりな「あれ」を引き摺り出した。
「…狛、恥ずかしい」
「でもこのままじゃ痛いだろ?いいから任せておけ」
確か、握って上下に擦るんだ、て言っていた気がした。狛治はそれを思い出しながら、そっと猗窩座のを手のひらで握った。やっぱりそれは熱を持っていてとても温かい。
「猗窩座、じっとしてろよ?」
「…うん」
兄が大人しいうちに、狛治は手をゆっくり動かした。最初は恐る恐るだったが、猗窩座は気持ち良さそうに息を吐いたので、少し強めに握って動きを早くしてみた。そうしてるうちに、狛治は自分もなんだかおかしな気分になっていた。
「あ、あ、狛!なんか変だ、おれ、おれ…ああ!」
そう言って震えた猗窩座が腰を揺らすと、突然どぴゅ、と言う音がした。何か白い、粘ついた液体が狛治の手や、顔にまて飛んできた。
「ご、ごめん。ああなんだよこれ、白い小便でた!やっぱり俺病気だ、狛どうしよう!」
またオロオロして半泣きになった猗窩座を見ながら、この白いのやけに青臭いな、と狛治はどこか他人事のように思っていた。
「…違う、病気じゃ無いって、だってほら」
狛治は着物の前をはだけて、猗窩座に見せた。同じようにむくむくと大きくなったそれは、確かに痛い。
「俺もおんなじだ、なあ、猗窩座、おれのもさっきみたいにしてくれ」
「…わ、分かった」
泣き顔のまま恐る恐る手を伸ばす猗窩座に、狛治は期待を寄せた。だってあんなに気持ちよさそうだった。だから絶対、この白いのが出るのは良いことに違いない。
あの頃の二人は、本気でそう思っていたのだ。
「ほう。で、そのあと何回も似たようなことをしたと?」
「…………………」
自分から聞いておいて機嫌を悪くされてもな、と狛治は心の中でだけ悪態をついた。
煉獄杏寿郎というこの男は、普段は立派で非の打ち所がない人格者である。だがしかし、所詮は人間だ。
こと、恋人である猗窩座のことになるとこの通り。すぐに悋気を発動し、ビキビキと血管が鳴る。
「仕方ないだろ、それがおかしいってことは、その時は誰も教えてはくれなかったからな…」
そう言うと、狛治は、ぐいっ、とヤケクソ気味に酒をあおった。
珍しく、杏寿郎は素山家の離れではなく本宅に来ていた。猗窩座が緊急で鴉から呼ばれた為である。恋雪も調子が悪く早めに寝たため、今夜の食事は狛治と杏寿郎という珍しい組み合わせだった。
先日、素山兄弟が昔よくやっていたことについて杏寿郎にバレてしまい、猗窩座がいない隙にそのことについて詰問されている最中だった。
「あれだ、生まれた瞬間から身内だし、お互いになんとも思わなかった…下の世話と一緒だ」
「ふうん。で、いつまでしてたんだ?」
「最終選別に行く直前だったから、十四くらいまでかな。結局やってることが師範にバレてな、正しいやり方を教えてもらったんだ」
あの時は何も考えなかったが、慶蔵も本音ではぶったまげたに違いない。今考えれば、よくあんなに冷静に教えてくれたものだ。
「と、いうわけで。俺も猗窩座もお互いにやましいことはない。理解していただけたかな、炎柱?」
「まあな」
言葉とは裏腹に、残念ながら杏寿郎があまり納得した様子はない。やはり不機嫌そうなままだった。まだ空気が重い。困ったものだ。
「なあ、杏寿郎」
仕方ないから、猗窩座が多分言ってないだろうことを、狛治は杏寿郎にバラすことにした。兄はあとから文句を言うかもしれないが、狛治はこの気まずい雰囲気の方が耐えがたい。
「だからな、猗窩座は閨でのことは、杏寿郎と出会うまで俺としか経験がない」
「何?だって昔は遊郭に行っていたと言い張ってたぞ?」
確かに行っていたのは事実だったし、猗窩座はそう言い触らしている。だから杏寿郎という相手ができるまで、鬼殺隊内では「拳柱の片割れは女好き」という噂が立っていた。だが事実は違う。
「確かに通ってた。だが、遊女は買ってもあいつは一切手出しをしてないはずだ。時間だけを買って、教わってたのさ」
「…何を」
「そこは、はっきり言わなくても分かるだろ」
要するに、高い金を出して猗窩座は勉強に行っていたわけである。柱になってからは特に金には余裕があった。
そして、ちなみに、それを始めたのは杏寿郎と出会ってからのことだ。
「あいつは、お前の前で恥をかきたくなかったのさ。だから遊び慣れた振りをしてたんだ」
「…よもや」
「俺がバラしたということは内緒だぞ」
「承知した。せっかくだから黙っておこう」
そう言って盃を傾ける杏寿郎の顔から、悋気な表情はいっさい消え。代わりに満足気な微笑を浮かべていた。