シャボン玉飛んだ今回の調査対象は、廃墟で発生した蛾のような浮遊体だった。発見後分裂して逃亡した為、僕と後輩くんは、二手に分かれてその怪異を追いかけた。数分して追いつき触れると、その蛾のようなモノは塵になって崩れ、消失した。
「!?しまった…ダミーだ」
ということは本体は後輩くんが追いかけて行った個体…不味い。
今回の調査は情報が少ない上に、殺すよりも捕まえるという事が目的だった。
きっと後輩くんは危険な目にあっても、上層部の命令を律儀に遂行しようとするだろう。
「やっぱり片方ずつ一緒に追いかけるべきだった…!」
急いで来た道を引き返し、後輩くんが進んで行った方向を探し始める。気づくのが遅れた今、捕まえたと言う連絡もない、SOSの連絡もない状況が僕の鼓動を速める。
廃墟を数時間探した。
別れたのは、たった数分だった。
見つからない………
携帯が鳴る。
後輩くんからの連絡かも知れないと思い、慌てて携帯のメッセージを開く。しかし、そんな期待を嘲笑うかのように届いたのは上層部からの報告を求めるメッセージだった。
これ以上探す訳にも行かず、後輩くんの行方不明、同時に怪異の消息もわからなくなったことを報告する他なかった。
怪異調査をしていて行方不明になる、命を落とす、なんてそんな珍しいことではなかった。でも、大事に思っていた後輩くんの行方がわからなくなって、まるで心に穴が空いたみたいだ。
それでも、この場から離れる他なかった。怪異の行方が分からなくなった今、闇雲に探すことも出来ない、調査は中断…
廃墟に戻りたい気持ちをグッとこらえ、事務所へ足を進める。
口頭での報告を終え、いなくなった後輩くんの事で頭がパンクしそうになりながらも、事務作業をしていたら気づけば夜8時。
廃墟は立ち入りを禁止され、もう後輩くんを探すことは完全にできなくなってしまった。上層部はあの怪異をどう対処すべきか検討しているらしい。
調査に参加することになって、初めて出来た僕のバディ…後輩くんは調査に適性があるとみなされ、入社してすぐ調査に向かわされたようだった。それなりに大事に思って、大切にしていた…悔しくて、けどどうすることも出来なくて、自分の無力さを痛感する。
結局なんの進展もないまま、今僕は帰路にいる。この道、後輩くんと通ったことあったな…後輩くんが飲み会で酔ってしまって、肩を貸したんだっけ。いつもより少し体温が高くて、ぽやぽやしていて、なんだか子供みたいだったな。
酔いが覚めたかと思えば、公園に行きたいって言い出して……そう言えばシャボン玉を何故か持ってて、スモークシャボンをやって欲しいって頼まれたっけ。
最近のはずなのにどこか遠い昔のように感じる記憶を思い出し、丁度近くにある公園を覗こうと思った。
キーキー
ブランコを漕ぐ音が聞こえる。こんな時間に子供でもいるのだろうかと疑問に思いながら、公園の中に足を踏み入れる。
「────え?」
そこにいたのは子供じゃなくて、後輩くんのような"ナニカ"だった。
俯きながら、ブランコを揺らしている。
後輩くんの姿にそっくりだけど、頭からは触覚が背中からは羽が生えていた。まるで今日調査していた蛾の怪異みたいな…
あまりの衝撃から立ち尽くしていると、僕の気配に気づいたのかそれはこちらを見た。顔が公園の街頭に照らされ、ハッキリと見えた。後輩くんの顔だ…
「こ、後輩くん…だよね、その姿…どうしたの?どこへ行っていたの?」
後輩くんはさっきまで虚ろな目でぼーっとしていたのに、僕が声をかけると目に涙を浮かべて少し震え出した。
「せ、先輩…あの、私、私……」
そう言いながら後輩くんは泣き出してしまった。
危険は無さそうだし、後輩くんの意識もハッキリしているようなので、隣のブランコに腰掛ける。後輩くんの話によると、調査中僕と別れた後、怪異に追いついて触れた途端、蛾が突然大量発生し、全身を覆われて意識を失ったらしい。
「気がついたらもう夜で、何故かこの公園にいて…見た目が怪異と混ざったみたいになってて…どうしたらいいのか、わからなくて……」
今まで見たことがないくらい涙を流しながら震える声で話す姿を見て、なんだか守りたくなって、気づけば口を開いていた。
「行くあてがないなら、家来ない?」
自分でも驚いた。こんなの、先輩らしくない。
後輩くんを見ると僕の発言に驚いているのか、目を見開いて何も言えずにいるようだった。
「い、いや、違うんだ!ほら、君のお家2駅先だからさ、そんな姿じゃ電車もタクシーも乗れないし…」
焦って早口気味で話している自分に心底嫌気がさす。ああ、かっこいい頼れる先輩でありたかったのにな。
「いいんですか?」
さっきまで流れていた涙が止まっていて、少し安心する。
「勿論。じゃあ行こうか」
ブランコから降りて何気なく手を差し出すと、後輩くんはおずおずと手を伸ばした。握った手は震えていて、後輩くんがどれだけ不安だったかよくわかる。
人通りの少ない道を選びながら、いつもは1人の帰り道を手を繋いで2人歩いて行く。動く度に、後輩くんの触覚がふわふわと揺れて、怪異と混ざってしまった現実を突きつけられる。服を突破って生えている大きな羽は、もし飛ぼうと思えば、飛べるのかもしれない。もし、飛んでいってしまったら。そう思うと勝手に後輩の手を握る手に力が入る。
ガチャと音が鳴って家の扉が開く。
「着いたよ、あんまり綺麗じゃないけど…」
「お、お邪魔します」
繋いでいた手が離れていく。やっぱり後輩くんの体温は僕より少し高くて、繋いでいた手が少し暖かくなっていた。
部屋を見渡す。
誰もいない。
大丈夫。
安心して後輩くんといれる。
「まだ夕食食べてないよね?作り置きしかないけど」
冷蔵庫の作り置きをテーブルに並べて、後輩くんと向かい合って席に着く。
「口に合えば良いんだけど…」
「すみません、食事まで…ありがとうございます」
「いいんだよ、家に来ることを提案したのは僕なんだし。それじゃあ」
「「いただきます」」
料理を口に運ぶ後輩くんを見つつ、自分も同じように料理を口に運ぶ。
咀嚼している後輩くんを見ると、顔色が少し悪くなっていた。
「大丈夫?」
「あ、その…独特な味付けだなーと……すみません」
「気にしなくていいよ、実は昔、同期が僕のお弁当を食べてみたいって言うから、あげたことがあったんだけど…味付けが酷いって言われてね。少しは上手くなったと思ったんだけど……ごめんね」
「い、いえ、先輩のご飯食べられて私嬉しいです!すみません私こそ…失礼ですよね」
少し気まずい空気が流れる。でも後輩くんの顔を見ると、凄く複雑な表情をしていて、思わず笑ってしまった。
「な、なんで笑うんですか!?」
「だって、後輩くん、凄い難しい顔をしてるからさ。ははっ」
お互い目が合って、僕の笑いにつられたのか後輩くんも少し笑っていた。
「ごめんね、料理は好きだからよくするんだけど、味が壊滅的だーってよく言われる。無理して食べなくていいよ。いやーもっと練習しないとだね」
「いえ、せっかくの先輩の料理を食べられる貴重な機会なので食べます!」
「なんだそれ、やっぱり君って変わってるよね」
「それ先輩が言います?」
そんな無駄口を叩きながら、2人でご飯を食べた。家で人と食卓を囲んだのなんていつぶりだろう。いつも1人の光景に誰かがいると、こんなにも暖かいと感じるのは不思議だと思う。
その後、お風呂にどっちが先に入るかなどの攻防を経て、なんとか就寝するまで持って来れた。勿論どっちがベットで寝るかも争ったが、結局2人で寝ることになった。
「家に泊めてもらって、ベットまで貸してもらうのも申し訳ないですし、ほら、私どこでも寝れるので!全然床で大丈夫です!」と言う後輩くんは中々に面白かった。
さっきまで緊張していたのか、硬直していた後輩くんは今では寝息を立てて、完全に眠っているようだった。
背中の羽が邪魔なようで、うつ伏せで寝ている。
服も今日着ていたワイシャツを着るしか無かった。
その姿を見ていると、なんとも言えない気持ちになる。
そっと背に手を伸ばす。
このままでは、後輩くんは────後輩くんではなくなってしまう。その前に、せめて、何か……
本来、虫の羽なんて脆いものだ。でも、怪異となれば話は違う。
「ごめんね、後輩くん、」
深く息を吸ってから、意を決して手に力を込める。
「ん……」
寝息が歪み、後輩くんの眉がかすかに寄った。
痛むのだろう。後天的に生えたものとはいえ、身体の一部であることに変わりはない。
それでも、根元から────完全に切り離すように、さらに力を込める。
「……っ!? がっ、だい、痛いっ……!」
「……っ、ごめん、後輩くん」
「ん、れ……せんぱい……せんぱいっ……だいよぉ……!」
泣き出した後輩くんを宥めながら、それでも羽を、捥いだ。
その声は、確かに後輩くんのものだった。
僕は今、後輩くんの身体の一部を破壊している。そう思った瞬間、吐き気がこみ上げた。
けれど────────
それとは別の、背徳的な何かが、背中を撫でていく。
まるで、どこにでも飛んで行ける鳥の羽を折るような。
誰かを救うための天使の羽を捥ぐような。
────もう、どこにも行けないように。
────僕だけの救いであってほしいと願うように。
自由を、奪っている。そんな感覚が、僕の心を侵食していく…
捥ぎ取られた羽は塵となって、シーツの上に落ちた。
後輩くんを見ると、意識を失っているようだった。
……怪異はこんなことで死なない。よくわかっている、それでも、“気を失っているだけ”で、少し安心した。
頭から生えた触覚には、手を出さないことにした。
頭から直接生えているのなら、脳に影響があるかもしれない。
「……ごめんね、後輩くん。痛かったね」
そっと、額に触れる。指先に感じる体温は、人間と変わらない。
その顔が、ほんの少しだけ穏やかになった気がした。
さっきまで泣き叫んでいたことが嘘のように、部屋は静かだった。
今日、両親は帰ってこなかった。夜中どこへ行っているのかなんて、知りたくもないと思考の外へ放り投げた。
「大丈夫。僕なら────きっと後輩くんを守れるから。だから……どこにも行かないで欲しいな」
そんなの、ただの独り言だ。届かない。
でも、それでも。
これ以上、後輩くんではない”ナニカ”にならないように。
それだけを願って、シーツに落ちた羽の塵を気にも留めず、僕は後輩くんの隣で目を閉じた。
なんだか寒くて、シーツを手探りで引き寄せる。なんの抵抗も無く手繰り寄せられるシーツに違和感を覚え、目が覚める。
「!?」
後輩くんがいない。
塵となった羽の残骸だけがベッドの上に積もっていた。時計は4時を指していた。
確かにそこにいたはずの存在がいなくなり、急に鼓動が速くなる。どこに行ったのだろう、まさか塵になった?いや、そんなはずは無い。羽を捥いだとはいえ死んではいなかった。おかしい。部屋のどこかにいるのかもしれないと思い、起き上がって後輩くんを探す。
「いない」
こんな朝早くに、あの姿で1人で外へ出たとは思えない…
でも外へ出ていたら?怪異に意志まで乗っ取られていたら?可能性はいくらでもある。
まただ、これじゃあ昨日と同じじゃないか…
探しに行く?でもどこへ?考えがまとまらない。
いや、とにかく今は────
ピリリ…ピリリ…
電話が鳴った。画面に映し出される上層部の電話番号。まだ、朝の4時なのに。嫌な予感がして、心臓が破裂しそうになる。
手が震える。
恐る恐る電話に出る。
「バディの死亡が確認されました。先日立ち入りを禁止した廃墟からの転落死と思われます。付近を巡回していた調査員が発見。発見時既に死亡しており、調査中の怪異が混ざっていると思われる容姿になっており、同時に怪異の死亡も確認。」
言葉は理解できるのに、意味がわからなくて。何かの物語を朗読されているような、そんな気持ちだった。
全身の力が抜け、床に崩れ落ちた。
「守れるなんて…嘘じゃないか。」
<記録>
生存者:1名
死者・行方不明者:不明
怪異名:未定(番号未割当)
情報が限られた中、現地調査を行った結果、調査員1名が死亡。午前4時半頃、周辺を巡回していた他の調査員が遺体を発見。
死因は高所からの転落による全身打撲および外傷性ショックと推定。現場周辺に争った形跡は確認されず、自死の可能性が高いと判断されました。
遺体には蛾の触覚と歪な形成途中と思われる羽が生えており、これらは当該調査対象の特徴と一致する為、怪異も死亡したものと判断されました。
しかし、現場検証及び遺体の回収を行ったものの、数時間で回収した遺体が塵に変化、消失した為、現在、調査員と怪異が完全に死亡したかどうかの審議が行われています。
また、調査に同行していたバディは精神的負荷により事情聴取が困難な状況にあるため、カウンセリングを行った後に再度、事情聴取を行う予定です。
現段階で同じ怪異の発生は報告されていない為、現場周辺の調査及び警戒を強めることで対応する方針を───────
ごめん。
後輩くん。
本当は知ってたんだ。君が僕のことを好きなことも、髪型を真似てウルフカットにしていたことも。
知ってたんだ…わかってたんだ…
でも僕は逃げた。
僕は先輩で君は後輩だから、歳の差も少なからずあるし、僕より良い人なんていくらでもいる。
でもそれ以上に、僕にとって大事な人を作りたくなかった…
嫌われたくない。
失うのが怖い。
だからこそ、人との関わりを深く持とうとしなかった。後輩くんに対してもそうするつもりだった…だけど君にはどこか言葉では表せない魅力があって…
気づけば僕はそれに惹かれていた。
他の人よりも仲良くなっていた。
どこか危なかっかしい君から目が離せなくて、知らない内に夢中になっていた。
君の幸せを願っていた。
最早それも言い訳かもしれない…
結果的に僕のせいで君はこの世からいなくなってしまった。
あの時目を離さなければ。
痛みで気を失った君を抱きしめることができていたなら。
君の気持ちに向き合っていれば…
後悔ばかりが押し寄せてくる。
なんで君ばっかり。
なんで僕ばっかり。
そんなやるせない気持ちに押しつぶされそうだ。
もう、どうすることもできない。
とうの昔に枯れたはずの涙が、心の奥底で溢れて止まらない。
ねえ、後輩くん覚えてる?
前に君と公園でシャボン玉を吹いた時、
君はこう言ったんだよ。
「人ってシャボン玉みたいですよね。空気を入れすぎたら破裂しちゃって、お空に飛ばせても強い風が吹いたら壊れちゃう。シャボン玉の脆さと言うか、儚さ?みたいなものが私たちの弱さに似てるなって」
って。あの時僕は「君って時々不思議なこと言うよね」って返したけどさ…
今ならわかる。痛いくらい…
君は空に飛んでいって、消えて無くなって。
まるでシャボン玉みたいだ。
……僕は君の好きな花も知らなかった。知ろうとしなかった。
あんなに惹かれていたのに、夢中になっていたのに。逃げていたから。
自己嫌悪に陥りそうになりながら、そっと白百合の花束を献花する。
遺体は塵となって消失したと報告された。今、後輩くんはどこにいるのだろうか。死んだのは嘘だったんじゃないか、そう思いたくなる自分に嫌気がさす。
耳の奥で、後輩くんの歌声がこびり付いて離れない。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで────
あとがき(?)
まず、こんな読みにくい文章を読んでくださってありがとうございます。
今回のお話は「もし、後輩くんが怪異になってしまったら」をテーマにして書こうと思ったのですが、途中自分でも何を書いているのかわからなくなって、結局いつもの読みにくい物語になってしまいました……
今回登場した蛾の怪異は、対象の身体を乗っ取って、他者を魅了して道連れにする…そんな感じです。本当は、先輩の様子に違和感を覚えた後輩くんが怪異の能力的なものに気づいて、自死するシーンも書くつもりだったんですけど、上手く組み込めなくて没になりました。
もっと言うと先輩の後輩くんとの思い出回想シーンでシャボン玉をやった事とかも詳しく書きたかった…
タイトル回収が最後の最後すぎて後付け感が……
難しいですね、物語を書くって。練習あるのみ。