じりじりじりと蝉が鳴いている。日照りによって肌が焼かれるのを感じるのと同時に、暑さで働かなくなった頭の中に蝉の声がじりじりじりと反響する。
夏だ。夏がこの身を頭から食い尽くそうとしている。そう感じるくらいには強烈な暑さだった。
盆休みの間、白石は母に付き添い泊まりがけで京都の親戚の元に訪れていた。2日ほど前に母の叔父、すなわち白石の大叔父が亡くなったそうで、彼に以前とても世話になったらしい母はその葬式に参列した後、盆もそこで過ごすことになっている。白石はその付き添いだ。
滞在するのは大叔父とその息子夫婦(白石の従兄弟叔父にあたる)が住んでいた平屋で、京都の山間部に位置している。母の話によると白石は8歳の夏休みに一度だけそこに遊びに行ったことがあるそうだが、なぜだかちっとも記憶になかった。
「クーちゃん、もう少し歩くけど大丈夫?」
「うん、これくらいなら全然」
前を歩く母が一度立ち止まって白石の方を振り返った。この暑さは堪らないが、体力的にはまだ問題ない。
(中略)
「ノスケ……?」
青年はその黒曜石のような瞳をこちらに向けて、白石の顔を覗き込んだ。青年は背が高く、中学生でありながら大人とそう変わらないくらいの背の白石でも、近くで目を合わせると少し見上げる形になった。
「自分、蔵ノ介やろ? うわ〜、大きなったなぁ。最初誰だかわからんかったわ」
「あ、あの」
青年の瞳にじっと見つめられたまま、白石は縮こまる。その口ぶりからして、どうやら青年は白石のことを知っているらしい。
「ああ、すまん。俺、種ヶ島修二。昔ノスケがここ来た時、一緒に遊んどったんやけど……まあ、覚えてへんよな」
「すみません。ここに来た時のこと、なんでか全く覚えとらんくて……」
「ええねんええねん。ノスケ、あの頃まだ小さかったし」
白石は改めて種ヶ島と名乗ったその男の顔をじっと見つめる。太陽を背にした小麦色の肌は、真夏の空とよく馴染んでいた。しかし、その姿を見ても彼についての記憶が思い浮かぶことはない。
「それでええねん」
種ヶ島は白石の様子に特に気を悪くすることもなく笑って、もう一度そう言った。そこでようやく白石の肩の力が抜けた。
(中略)
そこまで話し終えて、白石は隣にいる種ヶ島の顔を盗み見る。種ヶ島はずっと黙り込んだまま、珍しく眉間に皺を寄せていた。
「すみません、変な話して」
「ん? いや、全然そんなことないで。ごめんなぁ、黙り込んでもうて」
先ほどまでの難しい顔が見間違いであるかと思うほど、種ヶ島の切り替えは早かった。
「ノスケはそれ聞いて、気になったんやろ?」
「はい。けど、気のせいかもしれん」
「気のせいかもしれんけど、不安やったのは本当のことやん。せやから、相談してもらえてよかったわ」
種ヶ島はそう言って一度白石に笑顔を向けた後、再び真剣な顔に戻った。
「足音が聞こえるようになったの、迎え盆の後の夜からって言うてたよな」
「はい」
「なら、今夜には聞こえなくなっとると思うけど……」
白石はその言葉に思わず目を丸くした。種ヶ島は、先ほどの話を疑わずに受け入れている。それが意外ではあったが、よくよく考えれば下手に悪霊だの、お化けだのと言われるよりは御先祖様の霊のしわざという方がいくらかマシかもしれない。
「思うけど……?」
自分から言い出した話ながらも、半信半疑で白石は続きを促す。種ヶ島は顎に手を当てて、じっと白石の顔を眺めた。
「んー、お前はきれーな顔しとるし、好かれてまうかもしれへんからなぁ」
(中略)
次々と通り過ぎていく足音の中で、ひとつだけ白石の前で立ち止まったものがあった。
相変わらず姿は見えない。けれど、確かに立ち止まったのがわかる。立ち止まって、こちらを見ている。
——怖い。
逃げなくてはと思うのに、金縛りにあったかのように手足が動かない。そうしている間にも、一人、また一人と階段を下りてくる足音は続く。
立ち止まった足音の主が、みし、と音を立てて一歩踏み出して来たのがわかった。
見えない手が、こちらに伸ばされる。
バチッ
火花が弾けるような熱を右手首に感じた。
思わず左手でそこを押さえて、後から体が動くようになっていることに気がついた。一瞬だけ感じた熱はとうに引いていて、いつのまにか足音も止み、廊下は不気味なほどに静まりかえっている。
2階への階段も、いつの間にか跡形もなく消えてしまった。
惚けているうちに左手に触れた柔らかい感触。それは、昼間に種ヶ島から渡されたミサンガだった。結び目のところの糸が切れて、手首から落ちてしまったのだ。
「あ……」
白石はようやく我に返った。
とにかくここを離れたい。散々迷った後だが、もう迷わず広間に戻れるのではないかと思えた。そして実際に思った通り、驚くほどあっさりと広間に戻ることが出来た。
「クーちゃん、どこ行ってたん? 片付け手伝って」
白石が戻ってきたのに気がついた母に声を掛けられる。ほっとしたあまり体の力が抜け、その場にへたり込みたいぐらいだったが変に心配をかけるわけにもいかない。白石は何事もなかったフリをして母に返事をした。
盆飾りの片付けを手伝った後、白石は電話がしたいからと母に告げて庭へと出た。
『もしもし、ノスケ?』
「修二さん、こんばんは」
電話の相手は種ヶ島だ。先ほど話がしたいとメッセージを送ったところ、快く承諾してくれたのだ。
『それで、話って?』
「あっ、えっと……」
自分から持ち出しておきながら、白石は言い淀んでしまう。ただ声が聞きたかった。彼の声を聞けば、安心できるような気がしたのだ。
「ミサンガ……」
『ん?』
「修二さんからもらったミサンガ、切れてもうて」
平屋の廊下で起きたことを話しても良かったのかもしれない。けれどそれが躊躇われて、無理やり絞り出した話がこれだった。
『……ノスケは、怪我しとらん?』
「は、はい。俺はなんとも」
『そっか』
何かを察したのだろうか。白石を気遣うような声にむず痒い心地になる。心配してくれているのに、不謹慎だろうか。
『ミサンガのことは気にせんでええで。元々俺が押し付けたようなもんやし』
少しの沈黙の後、種ヶ島は明るい声でそう言った。
「……ありがとうございます」
『えー? 俺、なぁんもしとらんで』