カタ、とスピーカー越しに聞こえたのはおそらくカップを置いた音だろう。
オーストラリアと日本は時差がほぼない。さすれば、向こうもこちらと同じ日曜日の昼下がりであろう。
「本当に残念だったね。兄さんも彼との試合を楽しみにしてたのに」
跡部が電話越しに話しているのは、彼のオーストラリアに住む友人、ノアである。彼とは10年前に知り合ってから、時折連絡を取り合ううちにこうして今日まで付き合いが続いていた。
「そうか、アイツも出ていたんだったな」
「うん。けど心配だな。彼、あまり気を落としていないと良いんだけど」
「アーン? 手塚はそんなやわな男じゃねえよ」
話題は今行われている全米オープンのこと。現役のプロとして活動を続けている手塚が、腕の故障が原因で準々決勝を棄権したのだ。実のところ、腕の故障は彼がプロになってからも何度かあった。だが、特に今回は大会を順調に勝ち抜いていた中での出来事だったのだ。ノアが心配をするのも無理はないだろう。
「気を悪くさせたならごめん。君のパートナーをみくびっているわけじゃないんだ。けど、どんなに強い人でも自暴自棄になってしまう時ってあるでしょ?」
そう言われてしまうと、跡部は弱い。ノアと知り合ったきっかけでもある、10年前のU-17W杯。跡部は一度、試合すら投げ出して帰国してしまおうとした経験があるからだ。その直後ノアに会いに行ったとき、跡部はそれについて特に何も話さなかったが、もしかすると聡明な彼は跡部の服装や荷物から何か察していたのかもしれない。
「とにかく、手塚のことなら心配いらねえ。明日には俺も仕事を片付けてニューヨークに向かうつもりだ」
「えっ、ニューヨークに?」
「なんだ、俺様が手塚に会いに行くのがそんなに意外か?」
「いや、そうじゃないんだ」
ノアは言いづらそうにしながらも、訳を話した。
「兄さんの話だと、クニミツは棄権が決まった後、記者の取材も受けないですぐにドイツに帰ってしまったらしいから。まさか君にも言っていなかったなんて」
「なんだと……?」
それまで落ち着きを払っていた跡部が、片眉を引き攣らせる。
跡部がニューヨークに来ることは手塚も承知していたはずだ。それなのに、いくら落ち込んでいるとはいえ、あの生真面目な手塚がそんな大事なことを連絡すらしていない。これは跡部が思っている以上に落ち込んでいるのか、あるいは、
(俺には会いたくないとでもいうのか?)
跡部の脳裏に、中継越しに見た左肩を押さえる手塚の姿が浮かんだ。