小さくなった思追育児中「あ~うまかった!さっすが藍湛!俺の好みを熟知してるよな!」
「うん。」
「か~っ藍湛っ!お前可愛すぎだろ!こんの白菜ちゃんめ!」
午前の仕事を終え、静室にて藍忘機手製の昼食をとっていた2人は、
一口食べてはその味について賞賛する魏無羨と、その話に相槌をうつ藍忘機という
いつもの2人きりの愛おしい食事の時間を楽しんでいた。
食事を終えた後には藍忘機の膝に乗り、2人の間に隙間がないほどにくっついて
互いの髪を梳いたり、肌を触れ合わせてその温もりを堪能していた。
そうして2人の視線が絡み合って、そして
「ううぁああああああああああああ!!!!!」
雲深不知処にはありえない、いや、数年前まではありえなかったような大声が本所より離れた静室に響き渡ってきたのだった。
静室の入り口前に顔なじみの弟子がやって来た。
どうやら藍忘機と魏無羨を呼びに来たらしい。
こういう問題が発生した時に2人で呼び出されることはままあるが、いつもなら藍思追や藍景儀が呼びに来る。
しかし今回は夜狩りの引率で何度か世話した事のある弟子の一人だった。
一体、なにがあったのだか。
2人は弟子に案内されて本殿の前に連れてこられた。
「藍忘機、魏無羨、只今参りました。」
戸を開き、拱手していた2人が頭を上げるとそこには藍曦臣と藍啓仁、
そして赤子を腕に抱いた景儀が困り果てた様子でこちらを見ていた。
普段なら身なりを一切乱さない姑蘇藍氏の3人が、まるで乱闘でもあったかのようなボロボロの有様で。
そんな3人の中心に赤子が今にも泣きだしそうな不安げな様子で少年の腕に抱かれていた。
とても、とても見覚えのある赤子が。
「あの、藍先生?その子・・・」
「・・・藍思追だ」
「やっぱり・・・」
「夜狩りで邪崇に呪いをかけられて、こんな姿になったんです」
景儀と思追の自室に案内された藍忘機と魏無羨は景儀と赤子1人、膝を突き合わせて現状の確認を行うこととなった。
「邪崇は?」
「すぐに祓いました。先生の見立てでは明日には戻るだろうと。」
「そうか」
おそらくは思追の羽織だったのだろう、白い校服に包まれた思追は、おそらく2歳くらいにまで幼くなっているようだった。
景儀の腕の中で必死に体を縮こませて、大きな目をさらに大きく広げてじっと景儀と忘機、魏無羨の顔を見比べている。
藍忘機と景儀は話をするのに集中していて、赤子の視線には気が付いていない。
頭上で交わされる大人たちの会話についに幼子がにはらはらと涙を流しだした。
「うわっ思追!?な、なんで泣いた?!」
景儀が必死に抱えなおして揺すったり、背をトントンと叩いたりして必死にあやしだすが、どうしていいか分からないようで狼狽えている。
姑蘇藍氏では弟子として幼子が来ることもあるが、大体が内弟子の若君で物心つくまでは親元で見られるので、多くの子弟たちは物心つく前の子供を相手したことがないのだった。
「阿願」
藍湛がそう呼んで手を伸ばすが、その子は藍湛の手を取ろうとはしない。
校服の裾を掴んでぎゅっと顔を隠して声も出さずに泣くばかりだった。
はらはらと静かに泣く幼子に藍忘機もどうするべきか、分からないようだ。
確かに彼は幼い思追を引き取り育てはしたが、彼が育てだしたのは物心ついた頃からで、この時期は知りえない。赤子ともいえるこの時期に何をしたらよいのかを彼は全く分からなかったのだ。
自分の手を取らず泣き続ける幼子に手を引くことも出来ずに固まる藍忘機を見て、魏無羨は思わず笑みがこぼれた。
滅多に見れない道呂の困り顔が可愛くて仕方なく、今すぐ抱き付いて撫で繰り回してその顔のあちこちに口づけを与えて堪能したいところだが、今はそれどころではない。
いや、本当にそれどころではない。
んんっと咳払いを一つ落として気を引き締めた魏無羨は、わたわたと慌てふためく道呂と後輩の間で身を固くしている幼子に身を寄せた。
「どうした~阿苑?」
体をぐっと近づけて視線を幼児と合わせて話しかけると幼子、阿苑が少し顔を上げてじっと魏無羨の顔を見た。
はらはらと落ちる大粒の涙を魏無羨の黒い袖で吸い取ってやりながら、穏やかに微笑みかけた。
優しく、穏やかに。あの頃を思い出しながら魏無羨は微笑んだ。
「・・・・・・哥哥?」
「あぁ、羨哥哥だぞ~」
そしてぱちぱちと瞬きしてじっと見つめ返していた阿苑が、その笑顔が探していた顔の一つである事に気が付いて泣き止んだ。
阿苑はどこか不安の残る顔で校服を握りしめていた手を緩め、魏無羨の頬に伸ばした。
その手が届くように魏無羨がさらに顔を寄せてやると阿苑はぺちぺちと確かめるようにその頬に触れていく。
きっと知っている顔ではなかったのだろう。
だってこの顔は阿苑の知る魏無羨のものではなかったから。
それでも確かに自分の知る魏無羨と同じ顔で笑いかけてくる。
だから阿苑は、彼が魏無羨であるのだと理解した。
あの痛くて、寒くて、苦しい処ではないところに連れて来てくれた
大好きな羨哥哥なんだと。
ぐずぐずと鼻を啜りながらも泣き止んだ阿苑の様子に、魏無羨はほっと肩の力を抜いた。
周囲の様子を見ながら誰かを探して泣いている様子が、あの頃の阿苑と重なって魏無羨の胸にずきりと痛みをもたらしていた。
あの頃から十数年経っているしが魏無羨にはいまだ新しい記憶であった。
死んでいた13年は闇の中で微睡んでいたのでその間の記憶がほぼない。
ゆえに献舎の術で蘇るまでの記憶がまるで昨日の事の様に思い出された。
まだ乳飲み子だった阿苑が、温婆さん達に守られながらも金氏に捕らえられていつ死ぬかもわからないような日々を送っていた。もう少し早く助けに行けたなら。
魏無羨が雲夢で自暴自棄になっていたあの時に助けられたであろう命の数を数えないようにしていた。それでも阿苑のような子供がいたのではないか。そう考えない時はなかった。だからこそ魏無羨は阿苑を大切に育てようと思っていたのだ。
危なげなくその幼児を景儀の腕から抱きあげて自分の肩口に顔がくるようにした。そうしてふたたび藍忘機の隣に腰を下ろすと手慣れた様子で阿苑を抱えなおす。
市井の親がそうするようにトントンと一定の速度で背を叩くと阿苑はその揺れに安心したようで、それ以上泣き出すことはなかった。
「おかおちがよぁ、なぁでぇ」
「顔は違うけど羨哥哥だろ~ほ~ら陳情もあるぞぉ~」
「ちーじょ」
「ちんじょう、な」
腰に挿していた陳情を見せると当たり前のようにそれに手を伸ばそうとする阿苑。
それを慣れた手つきで遠ざけたり、くるくると回して阿苑をあやしている。
くるくる、ひょいひょいと。他の人が見たらまさかこの笛があの鬼笛陳情だなんて思わないだろう。完全にあの一品霊器は幼児をあやすための玩具になってしまっている。
しかも時々阿苑にわざと捕まえさせたりもしており、陳情もそれを許容しているのだから見ている景儀の心臓はバクバクと震えるばかりだ。
「な、慣れてますね、魏先輩」
「そりゃちょっと前まで俺が阿苑を育ててたんだからな~」
「へ?」
「呪いの具合からして明日には戻ってるだろうし、今日は俺達が面倒見とくよ。いいよな?藍湛」
「わかった。」
衝撃の事実に固まっている景儀を置いて藍忘機は阿苑を抱いたままの魏無羨を抱き上げて三人で静室へ向かっていった。道中で兄に静室で面倒を見ること、呪いの程度についてを伝えておいたが、その後ろで啓仁が血を吐いて倒れていたのは様式美といえよう。
♪~♩~ ♫~
夕暮れが室内に差し込み、影が伸びていく。
静室の白と黒の世界を朱い色で染まっていく頃。
寝台に阿苑と魏無羨が横になり、彼が哥苑の腹を優しく叩きながら小さく歌を紡いでいた。それは藍忘機には聞き覚えがない子守歌だった。
お眠りなさい良い子よ、怖い鬼はいないから
優しい鬼が見てるからお眠りなさい良い子よ
「すぅ すぅ」
「よし、寝たな~」
「魏嬰」
「お、茶の用意までしてくれてたのか。さっすが藍湛!」
「うん。」
昼過ぎに阿苑を静室に連れて来てから魏無羨と藍忘機は3人で遊んでいた。
勿論2歳の幼児に出来る遊びなので、一緒に楽器の音を鳴らしたり、絵をかいたり、庭にでて草花を観察したり。2歳児の有り余る体力を発散させるためにたくさん遊んだのだった。
最初は楽し気に遊ぶのだが、すぐにここが夷陵でないこと、知った顔が誰もいないことに泣きだしてしまうのでそれをあやすのに2人は苦労したものだ。
特に藍忘機からすると、お互いに初めましての状態。ましてこんな小さな子の面倒を見たことがなかった。最初に阿苑と出会ったのも夷陵で魏嬰と居た時であったし、その時にはもう3つになっていたはずだ。話す単語も多く、分かりづらくても意思表示が出来ていたので対応が出来ていた。まして雲深不知処に引き取ってから面倒を見だしたのは彼が7つ8つくらいの頃からで、このように泣くこともなかったのである。
「君はすごいな」
「当時は温情たちが主に面倒見てたけどな。俺は合間合間に阿苑の遊び相手してただけだし。今日だって温寧がいてくれた方が阿苑も落ち着いたとおもうぞ?」
「それでも。私は何もできなかった」
「ん~、人見知りしてただけだと思うけどな。あとは、」
この年頃の阿苑は夷陵に来たばかりの頃だったはずだから。
温婆さんに抱かれて必死に声を殺して泣いていた。
震えながら静かに。
温婆さんから離されるのを極端に怖がっていて、俺が抱き上げられるようになるのにもひと月はかかった。それも温情たちと一緒にいて、だ。
「愛してるよ、藍湛」
「うん」
「あ、あと湯あみの用意と衣を用意してくれないか?」
「もう?」
「あぁ。今。厠連れてくの忘れてた。」
「え?」
翌朝、卯の刻前に目が覚めた思追は混乱した。
見覚えのない天井、そしてなぜか含光君と魏先輩に挟まれて眠っていたからだ。
「えっ!!!!!????」
「雲深不知処では大声禁止」
「ええええええええええっ!」