ゆく年くる年、そばにいて。 師が走るくらい忙しい月だから『師走』とはよく言ったものだと思う。
幼い頃は12月なんて冬休みだクリスマスだ大晦日だと楽しいことだらけで、ひどく忙しい時期だと実感したことなんてなかった気がするけれど、こういう仕事をするようになって本気の『師走』を知った。
アイドルには冬休みもクリスマスも大晦日も、なんなら正月も無い。学生アイドルだった時はまだスケジュールも色々優しかったけど、卒業してからは有難いことに人気もそれなりに出て忙しさは段々と増していった。現に今年はクリスマスはRa*bitsのライブ、あらゆる年末特番への出演、年末合わせで撮っていたスペシャルドラマの番宣、年明けに放送する番組の撮影、さらに大晦日はESカウントダウンライブの出演と連勤も連勤。師が走るを通り越してフルマラソンしてるような状態だ。まだ師にもなれていない俺ですらこうなのだ。
「友也くぅ〜ん、お蕎麦何玉食べますか〜?」
「んー、1.5くらい?」
「じゃあ3玉茹でますからね〜」
「はぁい」
湯気がモクモクと出ているキッチンからひょいと顔を出して、大きな身体に似合わないうさぎ柄のエプロンを覗かせながら彼は言う。俺もソファから立ち上がってキッチンに向かう。いつもちょっと寒いキッチンは熱湯のせいかじんわり暑くて、彼の結わえた髪から落ちた一本が首に張り付いてしまっていた。その一本を首筋から剥がして彼を呼ぶ。
「渉」
「はい?」
「天ぷら、あっためる?」
「そうですねぇ、少ししなっとしてしまってもいいなら、あっためてください」
「あー、そっか。じゃああっためない」
「本当は揚げたかったんですけどねぇ」
「また今度な」
日々樹渉。今でこそ呑気に蕎麦を茹でて天ぷらについて話してるけれど、実際年末フルマラソンどころかウルトラマラソンをしてる人だ。師より走ってると俺は思う。
そんなふうに忙しい人だから今夜の蕎麦作りも俺がやるって言ったのに、彼はその役目を頑として譲ってくれなかった。やりたいと言うならやらせるしかない。天ぷらはさすがに諦めてもらったけど。何もやらせなかったらむしろうるさくなるのはもう長年の付き合いでわかってしまった。
「友也くん、もう出来ますから座ってていいですよ」
「んー」
蕎麦が茹であがるまであとほんの少し。箸を並べてお茶を汲んで、天ぷらをテーブルの真ん中に置く。それでも座っているにはまだ何となく早い気がして、何もすることは無いのにキッチンに向かう。ちょうど茹で上がった蕎麦を器に盛っていた彼の隣に立った。
「おや、どうしましたか?」
「ん、俺もなんかしたくて」
「ふふ、じゃあこの葱を散らしてください」
「わかった」
ただ俺がパラパラと緑色を散らす様子を彼は柔らかく微笑みながら見ていた。その視線がこそばゆくてちょっと鬱陶しくて、ジトッと視線を返せばコロコロと笑いながら蕎麦を持ってリビングに行ってしまった。俺も自分の分の蕎麦を持って後を追う。
「さ、食べましょう」
「いただきまーす」
ズッと2人して蕎麦を啜る音が部屋に響く。乗っけた天ぷらがじわりと汁を吸って形を崩していく。何となく世間もシンと静まっているように思うのは夜も遅いからか、年末だからか。そのどちらもだろう。
「年越し蕎麦ですねぇ」
「まだ30日だけどな」
「明日からはしばらく忙しいですから」
「そうだなぁ」
明日からはたぶんすれ違う日々が少し続く。俺はまだしも、彼はとんでもなく忙しいし。明日のカウントダウンライブは一緒のステージだけど、仕事だし。今夜一緒に食卓に着けているのも最早奇跡みたいなものだ。
汁を吸った天ぷらの衣がぷかぷか浮かぶ。きツンっと一度つついて、すぐ汁と一緒に飲み込んだ。はぁ、と器から顔を上げて息を吐いた俺を彼は微笑ましげに見ていた。
「友也くんは、どうして年越しに蕎麦を食べるか知っていますか?」
「そりゃあ、知ってるけど」
「どうしてです?」
彼は変わらない柔らかな顔で俺を見るから、俺も柔らかな声で答えた。
「来年も、あなたのそばに居れますようにって、願いを込めて食べるんだよ」
ちゅるんっと最後に啜った麺の勢いで汁が少し飛んだ。あ、と思って見た先にまん丸の瞳の彼がいる。
「……友也くんも願って食べているんですか?」
「……まぁ、それは、うん」
「──ッAmazing」
「うわ!うるさ!食事中!!」
バサッと鳩が飛ぶ。賢い子達だから食卓の上はちゃんと避けて飛ぶのは褒めていいのかどうなのか。ついでに“HappyNewYear”と書かれた旗も飛んだ。まだ大晦日にもなってないのに。
「ねぇ友也くん」
「ん?」
「来年も、その先も、ゆく年くる年をそばで迎えていきましょうね」
「うん、来年もよろしくな」
師走。師も走るくらい忙しい月はアイドルだってフルマラソンだ。
「そういえば友也くん、年越しにそばを食べる理由は長寿を祈願したり、年の瀬に厄災や苦労を断ち切れるようにするためだそうですよ」
「うるさいなぁ、いいだろ。そばに居る で」
「ふふふ、そうですね」
俺は使ったお皿を洗う。渉が淹れてくれる食後の紅茶を飲んだら、今夜は早く寝ないと。明日は俺も渉も、朝から忙しい。
もし、来年が今よりもずっとずっと忙しくなっても、いつかまだ先の未来で落ち着いた年越しを迎えるようになっても。いつまでもどうか変わらずに、そばに居られますように。