【麿さに/水さに/慶さに(胤さに)】結婚当日午前十時 唐突だが、私は今日結婚する。
文字通りの交際ゼロ日婚だ。結婚相手に会ったことすらない。
そう。恋愛結婚じゃない。
歳を重ねて、周りの子が結婚をしていくのを何回も見てきた。相手は人間だったり刀剣男士だったりいろいろだったけれど、みんな幸せそうだった。
そんな姿をみて、いつか自分もと思ったこともある。
けれど、まだまだ先の話だと思っていた。私にとって結婚は夢物語みたいなもので、現実になるなんて考えもしてなかったのだ。
「ねえ、ほんっとーに、いいの?」
婚姻届を提出しに本丸を出ようとしたら、背中に大慶くんのそんな声が突き刺さった。
私は振り向きもせずに荷物の確認をする。
学生のころから使いまくってへたれてきている革の鞄の中には、同じく学生のころから使っている財布とキーケース。音楽を聴くためのイヤフォンと、連絡用のスマホ。角八サイズの封筒に入った婚姻届。
はあ、とため息をつく。正直憂鬱だった。
「主ってばー!聞いてる?」
手を取られてしまえば聞こえないふりもできない。私は仕方なく振り向いた。
意外にもそこにいたのは大慶くんだけではなかった。
「主、今日は先負だから、それは午後に出した方がいいんじゃないかな。」
「政略結婚とはいえ、縁起を担いだほうがいいと思うが。」
大慶くん越しに話しかけてきたのは、清麿くんと水心子くんだった。
どうやら六曜を調べてくれたらしい。
私は縁起とか占いとかスピリチュアル的なものにめっぽう疎くて、そんなもの意識すらしていなかった。
だからこそ、さっさと婚姻届を出してきてしまおうと準備をしていたのだけど。
鞄をちらりと一瞥して、うん、とうなずく。
私が本丸の中に引き返すと、大慶くんたちは安心したような表情で後ろをついてきた。
執務室に戻ると、ソファーに腰かける。二人掛けのそれの上には、結婚相手からの手紙が雑に放り出されていた。
私は大してよく読んでもいなかったそれを拾い上げると、目を通し始めた。
「この度は、私と結婚してくださり、ありがとうございます……か。」
丁寧な字。だけどこの字は結婚相手の字ではないことを私は知っていた。
婚姻届に書かれた字は乱雑で解読に時間を要するものだった。
どう見たって同じ人間が書いた文字とは思えず、政府の担当に聞いてみたところ、手紙の方が代筆とのことだった。
字が汚いことを気にして、近侍にでも頼んだのかもしれない。けれど、彼の手紙の文章はどうも嘘くさくて好きじゃなかった。
内容の薄いそれを見ていると、不意にこんこんと執務室の扉がノックされた。
「主、飲み物をもってきたよ。」
扉を開けると、そこにいたのは清麿くんだった。
その手にはマグカップがふたつ。中身はホットミルクだろうか。
「今日くらいはとびきり甘くてもいいんじゃないかと思って、はちみつも入れてきちゃった。」
清麿くんは私の手に手紙が握られてることに気がついたのか、気まずそうに笑った。
私は焦ったような気持ちになって急いで手紙を机の上に放る。
「ありがとう。」
清麿くんからマグカップを受け取ると、二人でソファーに腰かける。
清麿くんは華奢なのだけど、座った時の距離感が近かったのか少しだけ肩がぶつかる。
でもそれがなんだか心地よくて、離れがたいような気分になった。
「僕はね、主の決断を尊重したいんだ。」
清麿くんが放り出した手紙を見てそう呟いた。
結婚のことを言っているのだろうということはすぐに分かった。
「この結婚は主が望んだものではなかっただろう?
それでもね、主が結婚すると決めたのなら応援したいと思ったんだよ。」
清麿くんはそれだけ言うとゆっくりホットミルクを口に含んだ。
つい私も真似するようにゆっくりホットミルクを口に含む。
とろりと甘い液体が口の中で広がって、ざわついた心が落ち着いていくようだった。
「私が結婚辞めたいって言っても、」
尊重してくれる?と言いかけて、やめた。
もし尊重してくれると言ったら、私はどうする気なんだろう。
湧いてきた変な考えを消すように、私はさらにホットミルクを口に入れた。
「いい飲みっぷり。」
さっきの言葉は聞こえていなかったのか、清麿くんはそんな私をみてくすくすと笑った。
その笑顔がやけに無邪気に見えて、なんだかドキッとした。
「清麿くんはさ、私の結婚相手はどんな人だと思う?」
私はマグカップのなかで波を立てるホットミルクを眺めながら聞いた。
清麿くんはううんと唸る。マグカップを持っていない方の手が顎に添えられた。
「僕は、そうだな。彼のことを好意的に捉えるのが難しくてよくわからないんだ。」
それは意外な言葉だった。
私の結婚を当初から応援してくれている清麿くんのことだから、結婚相手のことを少なからず好意的に捉えていると思っていたのだ。
どうして、と聞き返そうとすると、清麿くんもそれが分かったのか気まずそうに眉を八の字にした。
「籍を入れるっていうのに一度だって会いに来ないだろう。
書類上の結婚で、一緒に暮らすわけでもないのだから、そんな礼儀は必要ないというのは分かっているんだけど。」
清麿くんの目は、静かに床を見つめていた。
今回の結婚は本当に籍を入れる以上のことはなにもない。だからお互いの家庭なり本丸なりに挨拶をしに行くということはなかった。
しかし清麿くんはそれを気にしていたらしい。
「それに、手紙は代筆だったでしょう。婚姻届の字だって、丁寧に書いたようには思えなかったな。」
自分と同じところを気にしていたようで少しだけ面白い気持ちになる。
しかし、清麿くんが結婚相手にこんな不満を抱いているなんて思いもしなかった。
「主を幸せにしてくれるとは到底思えないんだ。」
そこまで言うと、清麿くんはグイっと一気にマグカップを傾けて、ホットミルクを飲み干してしまった。
そうして、ひと呼吸つくと、私の目を見た。
「でも主を幸せにするのは、僕と……それから水心子と、大慶と。
皆でやればいいと思ったんだ。」
清麿くんが一世一代の告白のようなことを言うから、私は足の先まで真っ赤になっていくのを感じた。
刀と主。その関係性の上で言ってくれていることだとわかってはいるけど、それでも照れてしまう。
「僕は主の決断を尊重する。それだけだよ。」
熱くなった頬をごまかすようにホットミルクを一気にあおる。
さっきまで甘ったるく感じていたそれの味は、なぜだか感じなくなっていた。
清麿くんはホットミルクを飲み終わるや否や、さっさとマグカップを回収して執務室を出て行ってしまった。
私は一人ぼっちの部屋で、それをやけにさみしく思った。
胸がそわそわして、泣き出しそうな気分になる。
「マリッジブルーってやつかなあ。」
ソファーの上に足を投げ出してひじ掛けに頭を預ける。
ごろんと寝転がって天井を眺める。そうしていても、泣き出しそうな気分は収まらなかった。
こうしていても仕方ない。まだ少し早いけど、街に向かってしまおう。
鞄を持って全身鏡の前に立つ。変なところがないか確認して、部屋の扉に手をかけた。
「あれ、水心子くん。」
玄関に向かうと、そこには水心子くんが座り込んでいた。
水心子くんは開け放したままの玄関から外を眺めているようだったけど、私の声に反応してこちらを振り向いた。
「行くのは午後にしたんじゃなかったのか。」
なんだか焦っているような声だった。
「じっとしてると落ち着かなくてさ。」
水心子くんは驚いたような顔をした。
普段どちらかというと落ち着いている私がそんなことを言うのが意外だったんだろう。
自分でもらしくないことを言っているなと思った。
「それなら少し、話をしないか。」
水心子くん自分の横をぽんぽんと数回叩いた。
私はうなずくと、水心子くんの隣に腰かけた。
水心子くんと横並びになると、玄関で四角く縁どられた庭が見える。
太陽で照らされたそこは温かそうで、手を伸ばしたくなるようだった。
「晴れているな。」
「そうだね。」
晴れの景趣にしているから当然のことなのだけど、口にしてしまいたくなるほどいい天気だった。
小春日和というのはこうゆうことを言うのだろう。
電気のついてない玄関は昼間だとは言え薄暗くて、余計に外の明るさを引き立てているようだった。
「なに、考えてたの。」
水心子くんの方は見ないままで聞いた。
しかし正直なところ、大方予想はついていた。
「私の結婚のこと?」
図星だったのか、はっと短く息を飲む音が聞こえた。
それから数秒経って、今度は細く長く息を吐く。
「そうだ。」
水心子くんは私の結婚に反対とまではいかなかったけれど、できればしてほしくないという立場だった。
その理由も知っている。何度も話したから。
「やはり、主が結婚をする必要はないんじゃないか。」
もう何回も同じセリフを聞いた。
今回の政略結婚は私の親が決めたことではなかった。
宴会の席で親戚同士が勝手に決めたことで、こちらには何の利益もない結婚だ。
正直、私が嫌だと言えば今からでもお断りができるような条件だと思う。
それでも私が結婚をすると言ったのは、政府から「早く結婚しろ」とせっつかれるのが面倒になったからだった。
そんな経緯を知っている水心子くんは、「好きでもない相手とそんな理由で結婚するのか。」と思ったらしいのだ。
水心子くんの言っていることは普通のことだ。
それでも、もう一時間も二時間も「結婚のよさ」を語られる日々からはおさらばしたいのだ。
「誰でもいいというなら……いや。」
水心子くんなにかを言いかけてやめた。
優しい水心子くんのことだ。そのあとに続く言葉は決まっているようなものだった。
私はなんとな玄関の引き戸のサッシを見つめた。
あ、砂利がたまってる。あとで掃除しなきゃな。なんて関係ないことばかりを考えるようにした。
やはり本当にマリッジブルーというやつなのだろう。
水心子くんの言葉に甘えてしまって、もう結婚なんてとりやめてしまおうかなんて思ってしまう。
「主。これは聞かなかったことにしてほしいんだが。」
ひと呼吸おいて、水心子くんが言った。
私の目は自然と水心子くんのほうに向く。
真面目そうな黒髪と、見えない口元。その間で新緑みたいに鮮やかな瞳がのぞいて、射止められたように何も言えなくなった。
「結婚、してほしくない。」
ふい、と目が逸らされる。水心子くんの目は、私の靴を見ていた。
そっか、としか言えなかった。
そのまま気まずい空気を吸っていると、柱時計が十二回鐘を鳴らすのが聞こえた。
「そろそろ、行くね。」
立ち上がってそう言ったけど、水心子くんは「ああ」と返事なのかため息なのかよくわからない音を発するだけだった。
水心子くんが恨めし気に見ていた靴を履くと、私は明るい光の中に歩み出た。
そこは確かに温かいはずなのに、悲しそうにそらされた水心子くんの目が忘れられなくて妙に寒いような気がした。
本丸の門を出ようとして、立ち止まる。
忘れ物はしていないだろうかと鞄の中をまさぐった。
当然のように、財布も、キーケースも、イヤフォンも、スマホも……婚姻届も、全部あるべきところに納まっていた。
ああやっぱり保湿のリップも持って行こうか、なんて振り返ろうとして、やめた。
「なに、してるんだろう。」
ここまできて、本丸に戻る理由を探しているのだ。
本当は結婚なんてしたくない。分かっていたことじゃないか。
確かに、政府からの催促に嫌気がさしていて、結婚すれば楽になれると思っていた。それは嘘じゃない。
でも。本当は。
「主―!ちょっとまって。」
考え込んでいると、後ろから声がした。
振り返ると、そこにいたのは大慶くんだった。
「俺、今日近侍だから!護衛!」
大慶くんはちゃんと帯刀していて、戦闘衣装を着こんでいた。
私はぽかんとした。
だって大慶くんは最後まで結婚に反対していて。今朝だって、婚姻届を出しに行く私を引き止めようとしていたくらいなのに。
どうゆう風の吹き回しなのかわからなかったけれど、私は大慶くんの勢いに押されるまま門を出て街へと歩みを進めることになった。
「ねー主、そろそろ休憩しない?」
街につくなり、大慶くんはしゃがみ込んだ。
本丸から街までそう距離があるものでもない。
人間の私が余裕なんだから、大慶くんも疲れてしまったわけではないだろう。
「どうしたの?」
役所まではもう少しだ。休憩するにしても役所についてからにしてほしかった。
大慶くんはここから動かないと言わんばかりに顔を膝に埋めてしまっていた。
「あのさあ、いまからでもやめない?」
顔を覗き込むと、大慶くんはぼそりと言った。
「え?」
「結婚、やめよ―よ。」
大慶くんが婚姻届の提出についてきた理由が分かった気がした。
この刀は、最後の最後までごねてやろうと思ってたんだ。
立ち上がらせようと手を引いても、大慶くんはびくともしない。
通行人が邪魔そうに私たちのことを見ていた。
「分かったから端っこ寄ろう。」
大慶くんは私の言葉にうなずくと、立ち上がって道の端に移動した。
行き交う人を眺めながら、私たちはただ並んで立っていた。
なんて話し掛けていいのかわからずに黙っていると、大慶くんが私の鞄に触れた。
「主ってさ、好きな人いないの?」
いじいじと鞄の持ち手を触りながら尋ねられる。
ここにきて突然の恋バナが始まるとは思っていなかったので大いに動揺してしまう。
真意を測りかねていると、「いいから」と答えをせかされた。
「わからない。なんで?」
私の答えを聞いて、大慶くんは鞄から手を離した。
そのまましばらく固まっていて、そのあと急に鞄を開けたかと思うと婚姻届の入った封筒を取り出す。
「ちょっと大慶くん。」
咎めるように名前を呼ぶと、びくりと体を震わせた。
その衝撃でぐしゃりと封筒が握りつぶされてしまった。
「あ……ごめん。」
さすがに悪いと思ったのか、くしゃりと歪んだ封筒をきれいに伸ばす。
その指先をじっと見つめていた。
「好きな人、か。」
本丸の門の前で立ち止まった時。私の頭には、一振の刀剣男士が浮かんでいた。
本当は、好きな刀がいるのだ。
「大慶くんはさ。結婚止めて、どうしたいの。」
皺だらけの封筒をなおも撫で続けていた大慶くんは、ふっと動きを止めて私を見た。
その視線が封筒に移り、最後になにもない地面を見た。
「わかんないよ、そんなの。」
うみゅ、と鳴き声のようなものを発して、大慶くんはまたしゃがみ込んでしまった。
大慶くんに合わせて私もしゃがみ込む。
「でも、主が結婚するって聞いて、それが好きな人と幸せになることじゃないってわかって、すっごく嫌だった。」
いつも元気な大慶くんとは思えないほど、小さな声だった。
私は何も言えなかった。
それは大慶くんの言い分に呆れているからでもなんでもなく、その言葉に喜んでいる自分に気が付いたからだった。
私は自分勝手だ。本当に身勝手な人間だ。
けど、もう自分の本心を抑えることはできなさそうだった。
会ったこともない人間と結婚なんてしたくない。私は、私の好きな刀と……。
「帰ろっか。」
私は大慶くんの背中を叩いた。
そうして、大慶くんの手に握られたままの封筒を奪い取ると、その場でびりびりに破いてしまう。
大慶くんは突然の出来事にびっくりしているのか、言葉もでないようだった。
けど、その顔は、確実に喜んでいた。
「うん。」
大慶くんは立ち上がると、びりびりの封筒を鞄にしまおうとしている私の手首をつかんだ。
江戸三作の三振りに割り当てられた部屋で、珍しく三振りは酒を飲んでいた。
「こんなにうまくいくとは思わなかったな~。」
大慶直胤がそう言うと、水心子正秀と源清麿が深くうなずいた。
審神者が結婚してしまうと決まった時から、結婚を阻止する計画は始まっていたのである。
「主のことは僕たちが幸せにする。当然のことだよね。」
「その通りだな。」
三振りが囲むちゃぶ台には、視線の合わない審神者の写真が何枚も飾られていた。