学生時代・五七/つきあうきっかけ七海と灰原の一年生ふたりで任務を任された日。
呪霊自体は低級のものを始末する簡単な内容であるが、いかんせん現場は泥だらけであり。存分に泥と汗とにまみれた任務後のふたりは、補助監の勧めで現場近くの銭湯に寄っていく。
帰路の車中で灰原は、泥の足元を駆けずり回った疲れと、湯で得た癒しに加え、隣からの暖かさに、くったりおねむ状態。ぐらぐら前後左右に揺れているのを見た七海は、彼に負けぬ眠たさの滲む声で「寄りかかって構いませんよ」と言えば。
「どうもね」
と礼を言って、肩を貸すつもりが灰原は、七海の肉付きの悪い膝枕に落ち着く。
まったく…と思いながら、より一層の暖かさが身体に伝わることで七海も、くってりと身体の芯から力が抜け、いつのまにか寝てしまう。
「あと三十分で着きま……すよ……と。寝ていましたか」
補助監も口を噤むほどの穏やかな、わんことにゃんこの昼寝姿に似た光景。なるべく振動が少なく済むよう、ことさら安全運転となる車だった。
おかげさまでふたりの眠りは更に深まり、高専の駐車場へ車が入っても、七海も灰原もぐうぐう深い眠りの内。朝から頑張った若い子らを起こすのは、なんとも忍びなく。されども成長期の真っ只中で上背のあるふたりを運ぶのは、かなりの無理難題であると補助監が困っているところに、偶然にも硝子が通りがかる。
これこれこういう訳で、頑張ってくれたふたりを起こすのは可哀想で困っていて。との補助監の説明に、親指を立てたグーサインで、誰かに電話をかけ始める硝子。
「最高のタクシー呼ぶから、ちょっとこのままで待ってて」
はてなマークを浮かべる補助監と、くうくうすよすよと静かに寝息をたてる後輩君たちを眺める硝子の元へ。ほどなくして夏油と、五条がやってくる。硝子からの説明もあり、それまで教室で駄弁って暇をしていた夏油と五条は、はいはい、と。一人は柔和な笑みでやれやれと、後輩を労わりながら。もう一人は頭を掻いて、面倒くさそうに。それぞれが、寝入る彼らの頑張りを心の底で嬉しく思いながら抱き上げようとする。
「悟は七海を抱きたいでしょう? それとも、童貞くんに、そんな接触は刺激が強いかな」
「傑。灰原だっこするまえに、そこに立て。一発ぶん殴る」
五条が一目見て七海に心惹かれ、つっけんどんな態度にも同様に惹かれ。いつしか恋しちゃっているのを夏油はかなり初めから知っており。最近では七海本人を除いた場で、その思いを隠さなくなった五条の態度をいいことに、都度、冷やかしては苛めている。
その流れに普段であれば嬉々としてのる硝子だが、今日は、疲れてる子らが最優先である。へらへら、にこにこしている駄目な先輩連中を、硝子は、良いからはやく運んであげろ、と蹴り。結局、五条は今まで感じたことのない心音の激しさを耳にしながら、腕に七海の高い上背をむかえる。夏油の腕におさまった灰原も、五条の肩口に顔を傾ける七海も、よほど疲れているらしくまったく起きる気配がない。
「かわいいね」
「かわいいもんかよ。重いし、でかいし、」
お姫様抱っこしてみて改めて、上背があってなかなか重たいのを。本心では、可愛いと率直に思う重症具合。常ならば眉間に皺を寄せ、悪態つく七海が、すよすよと長い睫毛を見せびらかすよう寝ている様はとてつもなく珍しい。睫毛なんて、自分のほうが長いもんね。と謎のマウントで心中を宥めつつ、七海のきらきらした金の髪が、己の服の黒に引っ掛かり散らばる光景は世界で一番綺麗だと確信する。
透き通った睫毛も同じく金。上からまじまじ見下ろせる役得に、ご満悦。灰原が七海の太腿に乗り上げ、膝枕してもらっていたことは少し悔しく、かなり羨ましいけれど。
なんつったって俺、こういう高飛車な奴は、でろでろに甘やかしたい派なんだよね~。俺なしじゃ駄目にしちゃいたい。
とホクホクした心地、顔で、七海をゆっくり抱き直し。成長途中の男が持つ、これから太く逞しくなるだろう腕や足に五条は思いを馳せる。柔らかい女の子の身体の方が好きであったはずなのに、いつのまにやらぞっこんだ。
「行くよ、悟」
「へいへい。言われずとも」
前を行く夏油と硝子に促され、ぞろぞろと連れ立ち灰原と七海の部屋に向かう。だが五条は途中でその足を止める。自分自身の部屋の前で。
「悟……それは、いくらなんでもダメだよ。七海は君のことを、面倒くさい先輩としか思ってないよ」
「そうだぞ~。食うならちゃんと事前に許可をとれ。それか、抵抗できる状態を押し倒せ」
据え膳を食う気だろ。と、これでも付き合いの長くなったふたりから、あまりにも男として誠意のない、情けないぞと文句を言い募られ。五条は耳をすこし赤くさせ、口をもにょもにょさせながら呟く。
「一緒に、寝る、だけ、だから。ほんと。だってそうでもしないと、七海は、それこそ俺のこと、面倒くさい先輩ってだけで……避け続けるだろう、し」
話をするきっかけが欲しい。できればその上、普段は絶対にない近さを堪能したい。
小学生がもじもじを手足を擦り合わせてする告白のような初心さで、夏油は目を見開き、硝子は咥えていた煙草を落としかける。
世の女はすべて俺の手の上、とは顔と態度が悠に語る。天上天下唯我独尊、我こそ天地なり。とでも語りだしそうな男が。これまでになくちっちゃくなって、大切にしたい人を腕の中にぎゅうと抱く姿は本気だ。夏油と硝子は、互いに深い深いため息をつく。
「私は、婚前交渉は認めない派だよ。特に七海のね。悟はどうでもいい」
「傑は七海の親父だったんだね? 初耳だ」
「最悪、おまえのチンコは、明日の七海の態度いかんによって亡くなると思え」
「硝子は凄いな。こんな状態の俺のチンコが、役に立つと思ってくれてるんだ」
冗談を交わし。
純粋に、七海との未だかつてない近さを大事にしたい、絶好の機会にすがろうとする五条を。夏油と硝子は「七海が起きたら、ちゃんと自分で説明すること」と念を押し、五条の部屋の扉は硝子が開けてくれた。
いざ、己のベッドに腕の中の彼を寝かせようとするが。七海はいつの間にか、節の目立ち始めた指で五条の服をきゅっと握っていて。七海にされると、めちゃくちゃに可愛い仕草に心臓がバクバクと煩く鳴る。先にベッドへ寝転がし、自分も風呂に入りたいところだったが。服を掴まれたままで寝転がすのは、流石の俺でも出来ねぇし。と誰にでもなく言い訳し、ベッドにはふたりで寝転がる。
ベッドが縦にぎゅうぎゅうになることってあるんだ……。
と謎の感動を覚える五条。七海も高けりゃ、自分の背も高く、ベッドの上下はパンパンだ。なぜだか頬が緩む。自分がどれだけ思いを募らせても潰れないだろう強さや、冷たい雰囲気が好きで。いつもだと意地悪することが常であるのに、寝ている七海には素直になれる
「お疲れ様、七海」
そう何度も囁いては、七海の金の髪を梳いていく。
自分の枕に金の髪が散るのが新鮮で。
「寝てるだけで、俺のこと、こんなにドキドキさせて。おまえ、俺のことどうするつもりなの」
とまで言い放ってしまう自分の女々しさに、くらくら眩暈がする。
こういうときは寝るに限る、と。近さを堪能したかったはずが、心音の激しさに屈して電気を消し、数分。ぎゅっとくっついた状態だと、七海の匂いや、安らかな寝息だけに集中することとなって逆に目が冴える。どうせなら、好きなだけ堪能してやれ、と。髪や頭を撫でたり、疲れているはずの腕を揉んであげてみたりとして。
「ご、じょ……さ」
「ッ!!!??」
寝言だが、確実に自分の名前が呼ばれて飛び跳ねそうになる。
月明かりだけの部屋でもきっと、真っ赤になっているのが分かるんだろうな。てか、なんで俺の名前??!!
などと思考はぐるぐると同じところを回ってパンクする。大人しく寝ててくれ、と七海の胸をとんとん叩き、あやしているうちに、極度の緊張が功を奏し。五条自身もいつのまにやら寝てしまった。
深夜。もぞもぞ腕のなかで己以外のものが動くことで、五条は目を覚ます。なんだ、なんだ。動物でも迷い込んだか。寝ぼけ眼を開けると、月明かりだけでも分かる真っ赤な顔が近くにあった。
あれ、なんだっけ。赤い顔は月明かりでも分かるっては、既視感だな。
ぼにゃり思ううちに眼が冴え、七海が自分のベッド、しいては己の腕のなかにいることに改めて驚くのと。七海だとて、帰りの車中で意識を手放したと思えば、目を覚ましたら目前に、面倒くさい先輩のドアップあって吃驚しただろう、とまで思考が瞬時に巡り。
「ちがう、ちがうんだよ。七海、落ち着け。あのさ、今日、帰りの車で寝ちゃったの覚えてる?」
なんて、あの最強俺様、五条様が、酷く焦りながら説明するものだから。逆に七海は落ち着きを取り戻し、事の成り行きを知る。
「それは……その、ご迷惑をおかけしました」
ベッドに寝転んだ状態のまま丁重に謝る七海と、未だあわあわと焦りに苛まれる五条。なにせ、ちゃんと説明しろよ、とは友人ふたりからの命令であり。それを実行できたかどうか、そしてなにより、こんな唐突なことをして、大好きな、恋しちゃった後輩くんに嫌われないかどうかが心配で。
「迷惑とか、んなわけないじゃん。俺がっ、七海のッ、傍にいられるのが嬉しくてっ、わざわざ……ここに寝かせたんだし」
早口でまくし立てると金の髪がゆらりと揺れて。
「最強が、焦ってる」
年相応の愛らしい、目を瞑って口をふにゃんと緩めた表情で笑われた。
あぁ七海は、そんなふうに笑ってくれるんだ。
しみじみと彼の美しく柔らかな顔に魅入り。いつもまとってある怜悧な空気が、安らぐほど柔らかく。なんなら、同期の灰原にむけるほど打ち解けた雰囲気であるのが直に伝わり。
なんか、言いたいかも。
脳から直接降りてきた言葉が、五条の喉を震わせる。
「俺さ、七海のこと、チューとかできる意味で、好き、なんだよね」
金糸と言える睫毛に彩られた七海の目を見て、ぽそりと紡がれた言葉。それがまさか、五条自身の口から出たものだとは、考えていない本人だ。
そうそう、俺は、七海のことがそういう意味で好き。大好き。いつか伝えてみたい。
などと同意していると、七海の顔から笑みが消える。それからみるみるうちに、首から額まで真っ赤に染まっていくのが分かって。見開かれる目の色に、五条は情けなく、へ、と一言発した。
「あれ? いまの、俺の声だった? 俺、言っちゃっ……てた?」
七海の顔の赤さが伝染し、五条の顔も真っ赤に染まる。普段は冗談ばかりの五条がそんな表情をするものだから、今の言葉が真実であったことが明確化されてしまう。
やっちゃった、やっちゃった。婚前交渉なんてしてないのに、傑にぶん殴られるかも。硝子にチンコ使い物にならなくされるかも。
いやいやそれより、七海に引かれたね。嫌われたね。もっと格好良いところみせて、確実に惚れさすつもりだったのに!!!!
綿密、――とは五条だけが思っている――計画が、ガラガラと音をたてて破綻するのに絶望していると。胸のあたりが、ぽっと暖かくなる。焦る五条の胸に、七海が額を擦りつけるように、ぐりぐりと頭を捻じ込んで来ていたのだ。
「な、なみ?」
てっきり、部屋から出て行かれると思っていたから。もう一度、ちゃんと気持ちを伝えるための算段に、頭の九割を割いていた五条は。七海の突然の行動に理解が追い付かず、寄った彼の背中を、とんとんとあやすしか出来ない。
「なな…」
「わたしっ、も……」
ふるふる震える大きい子供みたいな彼を、呼びかけて遮られる。
私も、って、なにが?
五条は急に、日本語の音は理解できて、その意味が不理解となる。首を傾げ、言葉の真意を探ろうとする五条は、おずおずと胸元から顔をあげた七海と目があった。
「わたしも、好き、です……あなたの、こと……」
「……は?」
「いまは一緒に寝ている、都合のいい夢なのかと思っていたのに。それ以上のことがあって、正直、動揺しています」
「……は?」
やっぱり意味を理解するまで、数秒かかった。いや、分かるようになったのを喜ぶべきか。
「七海が、俺のことを、好き?」
「はい」
「七海が、俺のことを好き?」
「なんです? そうだ、と言っているじゃありませんか」
ぽかんと口を開けっぱなしにしていると、七海はぐっと唇を噛む。
「もしかして、私の気持ちを知っていて、からかうためのじょうきょうなんでしょうか」
「そんなわけないだろ!傑と硝子に訊いてみろよ!そもそも、お……俺のほうが、先にお前のこと好きだったもんね!俺の勝ち!俺の圧倒的勝利!それを夢だとかからかうだとか、おまえプライド高すぎ~。だっさ~」
「……はぁ?私の方が先に好きでしたよ。なんです? 灰原も呼んで、この際、どちらが先に好きになったか、はっきりさせましょう!」
真っ赤になったふたりが、ぜえはあ息を荒げて言い合いしながら。駆け込んできたものだから、夏油の部屋で遊んでいた夏油と硝子は、ゲラゲラと大声で笑ってふたりを迎える。よく寝て目の冴えた灰原も呼ばれて、めでたくふたりは、七海の入学初日に出会った時点で惹かれ合っていたことが判明し。
末永く祝福されましたとさ。