やぶられない約束 目の前に走った閃光は、己の意識を暗闇に突き落とした。
「……ここは」
厄災により凶暴化した魔法生物から攻撃を受けた。意識を失い、気がつけば屋敷にいる。おそらく目が覚めておらず、夢の中にいるような状態だろう。
0.1秒で叩き出された結論から、ファウストはゆっくりとため息をはく。早く目覚めなければ。そんなことを思いながらゆっくりと歩みを進める。
ところどころぼんやりとした空間は、ファウストにとっては悪い意味で思い出の詰まった場所だった。階段を登り、突き当たりの部屋に行くと人の気配を感じることができる。
少し開かれた部屋の扉には、若き頃のファウストとフィガロがいた。少しだけ高い自分の声は、なるべく封じたい記憶をぐるぐると掻き回していく。
「好きなこと、ですか?」
「うん、好きなこと。修行も大切だけど、楽しいこともしないとね」
俯いている若きファウストは気がついていないだろう。師のフィガロは、あまりにも優しげな瞳で彼を見つめている。
こんな光景、知りたくなかった。ファウストは扉に手をかける。しかし、己の身体は木の扉をするりと通り抜けていった。
「そうですね、好きなこと……」
真剣に机を見つめるファウストは、思いついたようにガバリと顔を上げる。
「あ、あの。フィガロ様がこの前お話ししていた本を貸していただけませんか?」
「分かった、これだね」
フィガロはそっと片手をあげる。ふわり、どこからか本が飛んできてファウストの膝の上に乗った。
その瞬間、頭が割れるような痛みが走る。喉の下を液体が逆流するような気持ち悪さと、鋭い針でちくちく刺されたような細かい痛みも感じる。
ファウストはこの感覚を知っていた。昔昔、修行の一環で体感させられたことがあったからだ。あまりの気分の悪さは、シュガーの形を大いに変えてしまうほどだった。
気がつくと、ファウストの身体は白いベッドの上にいた。硬くて温かな体温を感じ、慌てて身体を起こす。すぐ隣にはフィガロがいた。
「そんなに驚かなくても。何もしないのに」
膝をポンと叩いなからはにこやかに笑う。
「膝に僕の頭を乗せていた奴に言われたくない。それに、記憶を覗こうとしていただろ。最悪だな」
膝に頭を置いたのは体勢を固定するため。覗くのは治療のため。理解はしているものの、恥と嫌悪が先行してしまう。
「ははっ、ひどい言われようだな。ちょっとは信用してくれてもいいのに」
「あいにく嘘が吐けない性格でね」
服の皺を伸ばすように叩き、ファウストはゆっくりと立ち上がる。夢の中で感じたような嫌な感覚はとっくに消え失せていた。
扉の近くまで歩みを進めると、フィガロもゆっくりとついてくる。彼が口を開く前に、ファウストはゆっくりと顔を上げた。
「助かった。ありがとう」
彼のおかげで目を覚ますことができた。見たくない幻影も比較的早く終わらせることができた。
「……ううん、いいんだ」
寂しそうに、懐かしそうに。そして少しだけ苦しげに、フィガロは笑う。
宙に浮いていた夢幻の本は、いつの間に消えていた。