リビドーロゼ 露店で薬草を買ったファウストに渡されたおまけは、リビドーロゼだった。
「はぁ……」
ポケットに入った白い瓶をファウストは恐る恐る触る。正直すぐに捨ててしまいたいが、彼は真面目だった。生態系を壊しかねない物体を街中に捨てることはできなかったのだ。
リビドーロゼ、人間たちの中では主に女性が好きな男性を惹きつけるために使う香水らしい。鍛えられた肉体の店主はどうして自分に渡してきたのだろうか。ファウストはさっぱり分からない。
「というわけだ。お前にやる」
「えぇ……」
やんわりと拒否の意を込めて手を腰に回すが、ぎゅうとファウストから腹に瓶を押し付けられる。久しぶりに部屋に訪れた彼からの特異なプレゼントにフィガロは眉を下げた。いらない、と分かりやすく態度と表情で示したが、彼は何処吹く風である。
「これ、効果あるの?」
手の中に収まる小瓶を持ち上げながら、フィガロは不思議そうに呟く。
「知らないよ。使ったことないから」
「まあ、そうだよね」
プシュ、プシュ、プシュ。
軽い銀の蓋を開けたフィガロは、黒のインナー、白のシャツ、そして腰あたりに軽くふりかける。爽やかで甘さのある香りが部屋いっぱいに広がっていく。噂の如くお色気濃いめキツめの香りを想像していた二人は、存外どこにでもありそうな匂いに顔を見合わせた。
「割と普通っぽいね。本当に効くの?」
「さあな。かけすぎだ」
「ははっ、確かに」
フィガロは指を軽く動かし、魔法で匂いを弱めていく。鼻にツンとくる香水独特の香りは、今はふんわりと部屋に漂う程度になった。
消えゆく香りを追いかけるように部屋を見回すファウストに、フィガロは両腕を軽く開く。かつての師匠のにこやかな笑みに、ファウストは言いようのない嫌な予感を感じ取った。
「ほら、ファウスト」
「は?」
「効果あるか確かめないと」
言い終わらぬうちに、フィガロはガバリとファウストを包み込むように抱きしめる。白シャツにメガネごと押し付けられ、レンズが顔にぐいぐいとめり込んでいく。
ハリのある白シャツには、フィガロの香りと空気に溶けた甘さと爽やかさが混ざり合っていた。人肌の温かさに加え、フィガロ自身のどこか懐かしいぞわりのする匂いが直接体内に入ってくる。
抗議の意を込め彼の背中や脇腹を思いっきり叩くが、フィガロはびくともしない。体格差というのはときにときに残酷である。
加えて、ファウストは混乱していた。
普段、人の温かさや香りをここまで近くで感じることなどない。布ごしであるのに、肌がぞわりとし、表面だけがちりりと熱を帯びる。覆われていない顔や首元に気配があるだけで甘い電流が走ったような感覚に陥った。五感から意識を遠ざけなければ、今すぐヘロヘロと身体の力が抜けてしまいそうである。
「どう?」
おまけに、息を大いに含んだ声でフィガロはファウストに問いかける。ふう、と耳に息を吹きかけられ、もう限界だった。
「……耳元で、話すな!!!」
魔法舎中に聞こえるような大声で、ファウストはフィガロの身体を力一杯の押し退ける。
「わあ、元気……。ファウスト?」
明らかに面倒臭そうな顔をしたフィガロは、目の前で震えるファウストを見やる。拳をぶるぶると振るわせた彼は、イラつきをそのまま彼の机にぶつけた。
ダン、と部屋が震えるような音が鳴る。顔を上げた彼は白い肌が火照ったように赤くなっていた。
「……」
ファウストはフィガロをギロリと睨みつける。色のついたレンズの奥には、不機嫌そうに見つめる潤んだ目があった。呼び止める声を無視し、彼は無言で扉から出ていく。
一人残されたフィガロは楽しげに口角を上げていた。