分離 フィガロは忙しい日々が続いていた。
北の他愛もない喧嘩での流血、南の魔法使いへの授業、急病人。ゆっくり椅子に座る間もなく、すぐに部屋の扉がノックされる。
普段から部屋は整理しているものの、忙しいとどうしても荒れがちになる。魔法使いたるもの部屋に髪の毛一本も落とさないが、つい棚の中にしまうべきものを床や机に置いてしまうのだ。
本を持って、立ち上がって、元のスペースへ入れる。それか指先を動かして魔法をつかうだけ。それすら面倒になるほど、多忙な日々を過ごしていた。
その日、ファウストがフィガロの部屋を訪れると、床に大量の植物が盛られていた。グリーンのラグの上に白い布が置かれており、その上に不思議な形の山菜が大量に積まれている。
「珍しいね、きみがくるなんて」
「……」
素顔を隠すサングラスのブリッジを上げ、ファウストは小さく息を吐く。
師弟時代、ファウストは時折フィガロの部屋を訪れていた。
分からないところがあれば聞きにきてね。
そんな言葉をそのまま受け取っていたファウストは、敬愛なる師匠の部屋の前まで行き、コンコンとノックをする。扉が開くか、どうぞと言われるかはその日のフィガロ次第だ。礼儀正しいファウストは、彼への態度を180度変えた今も礼儀は守る男だった。
そんなフィガロの部屋に、こんもりとした植物の山と地面に積み重ねられた本があるのだ。
いつだって綺麗な部屋ばかり見てきたファウストにとって、それはとても異様な光景だった。地面に物が置かれていることなんて、あの頃はほぼ見たことがなかったのだ。
「……取り込み中だったか」
「ああ、これ? 大丈夫だよ」
フィガロは椅子から立ち上がり、積み上げられた山のてっぺんを指差す。そこには、魔法で植物が空中で葉と茎が分けられていた。
「魔法って便利だよね、まるで手作業みたいに自動化できるなんてさ。魔法科学が発展する理由も少しだけ分かる気がするよ」
昼ごろだっただろうか。ファウストは窓から南の国の魔法使いたちが仲良く歩いている姿を見かけていた。やけに大きな袋をレノックスが運んでいて、少しだけ気になったのを思い出す。
まさか中身が植物だったとは。少しだけ魔力を帯びた植物を見ながら、ファウストはフィガロをじっと見た。
「おまえなら一気にやれるだろう」
「俺は南のか弱くて優しいお医者さんだよ? 怪しまれちゃうじゃないか」
ニコニコと笑うフィガロに、ファウストは呆れたようにため息を吐く。彼はフィガロの部屋へ上がり込むと、白い布の近くに腰を落とした。
「……東の国にも、似たようなものがある」
手袋のまま植物を手に取り、茎と葉を真逆に引っ張る。魔法よりも早く、そして綺麗に分けられたその技に、フィガロはひゅうと口笛を吹いた。
「すごいね、やったことあったの?」
「まあな。この量はないが」
「うーん、やっぱり多いかな? ミチルにもちょっとびっくりされちゃったよ。あ、魔法で増やしたからね」
こっそりとだけど。肩を揺らしながらフィガロは楽しそうに笑う。
本来なら生態系をうっかり壊しかねない量の植物に、ファウストは深いため息を吐く。限度というものをもっと知った方がいい。南の国で多少丸くなって魔法以外を覚えたかと思っていたが、やはりまだまだである。
「もう一回やってよ」
「今やっているが」
「ゆっくり、ゆっくりやって。俺にも見せて」
地面に座るファウストの隣に腰を下ろし、フィガロはにこりと笑う。
フィガロが床に座る姿なんて、ファウストは初めて見たかもしれない。加えて、注がれた熱い視線にファウストの心拍数はぐんと上がっていく。
「コツとかある?」
魔法でほとんどのことを済ませ面倒なことを嫌うフィガロが、妙に感心を持っている。どこか違和感を感じるのは、ファウストが見てきた魔法で全てを行っていたあの日の面影が強く残っているからだろうか。
忘れようも思ったこともある。けれど、己が身につけた魔法の一番の根源は変わることはない。
一生、一生、ファウストからフィガロの面影は消えることはないだろう。
「……一回だけだからな」
ファウストは植物を一房持ち上げると、説明しやすいよう手のひらの大きさまで軽く千切っていく。フィガロに見えるように手のひらの上に乗せ、指先で葉をツンと触った。
「……ある程度、強く引っ張っても大丈夫だ。中途半端な力では茎に葉が残ってしまうから」
植物を手に取り、葉を右手で鷲掴み、茎を左手で握りしめる。そのままお互いを逆向きに引っ張れば、ビリリと音が鳴り植物は二つに裂けた。
「なるほど」
近くにあった植物を手に取ったフィガロは、ファウストが見せてくれた通り葉と茎を左右の手で持つ。そして、フィガロは躊躇なく逆向きに力いっぱい引っ張った。
ビリビリと破れ、植物は二つに分かれていく。フィガロはどこか楽しげに笑った。
「見て、できたよ」
「……よかったな」
「あー、まあ、うん」
ファウストが素直に褒めると、フィガロはどこか照れ臭そうに目を逸らす。ニコニコと見つめてやれば、フィガロはふいと顔をそっぽへ向けてしまう。
「俺、子供じゃないんだけど……」
こんな姿はどうも珍しい。もっとからかっておけばよかったなんて、少しだけ意地悪なことを考えてしまう。
二人は次々に植物を手に取り、もくもくと葉と茎を分けていく。
「そういえば、俺に用事があったんじゃないの?」
腕を大きく動かし続けるフィガロの言葉に、ファウストはくいと帽子のつばを下げる。
「ミチルたちにおまえの様子を見てこいと頼まれた。あと、借りていた本を返しにきた」
ファウストが魔法を唱えれば、胸元から小さな本が飛び出てくる。空中でくるくると回った本たちは、積み重ねられた本の上に乗せられた。
「ファウストをお使いにお願いするなんて、ミチルも分かっているなぁ」
ニコニコと笑うフィガロは葉を剥く作業が早々に飽きてしまったらしい。いつの間にか彼は魔法に任せていたらしく、どこか気だるげに大きなあくびを一つした。
「おい、サボるな」
「うーん、もういいかなって」
フィガロはぐっと腕を伸ばし、ファウストをじっと見つめている。そんな優しげなその表情に、ファウストはどこか居心地の悪さを感じてしまうのだ。
「魔法に頼りすぎるのも良くないのかな」
フィガロらしからぬ問いかけに、ファウストは首を傾げる。
「少なくともおまえが魔法で困ることはないだろう」
「うーん、そうだけどさ」
煮え切らない反応をしながら、フィガロはぼんやりと天井を見上げる。壁と同じクリーム色を見ながら、彼はポツリと呟いた。
「いつ、魔法が使えなくなるか分からないから」
軽い世間話のつもりだった。決して軽く考えている訳ではないけれど、いずれ訪れる運命から目を逸らし続けることもしない。
場の空気が一気に凍りつく。
ああ、言わない方がよかったらしい。ぼんやりと、フィガロはそう思った。
「……魔法ばかり使ってきたからだ。自業自得だな」
ファウストは立ち上がり、フィガロへ背を向ける。そのままズカズカと扉まで歩いていき、くるりと顔だけ振り向いた。
怒りと悲しみを携えた瞳が、ガラスの奥でゆらゆらと揺れる。
「……おまえがサボっていたことを伝えてくる」
勢いよく閉められた扉の風で、植物が小さく宙へ浮いた。
ファウストが手作業で剥いでいった葉と茎はどれも丁寧で、彼の性格を表しているようだ。
しかし、最後に剥いだ一つはどうやらうまくいかなかったらしい。中途半端に葉が茎に残っている。
「珍しい」
フィガロは細い繊維を握りしめ、力いっぱい下に引っ張る。
プチプチと音を立てて、葉と茎は分離した。