白い世界 魔法使いの戦いは簡単だ。魔力が強いものが勝つ。魔力が弱いものが負ける。知恵や仲間を使いそれらを覆すものいるが、それは雀の涙ほどの極々一部の限られたものだけだ。そんな魔法使いは結局魔力が強いものばかりであり、真理は変わらない。
けれど、人間はそうではないらしい。
「なるほど、左右が川だから」
「そうです。魔法を使うことができれば箒で空を飛んだりできますが……、人間がこの川を渡るには泳ぐか、船のような渡れる道具を用意するしかありません」
人間と共に人間と戦ってきた弟子の話は、千年以上生きたフィガロにとっては興味深いものばかりだった。
基礎的な兵法に加え、その場や状況に合わせて最善の選択を取り、勝利を積み重ねていく。彼らは理想の建国への道を着実に進めていた。
フィガロが本でしか読んだことのないようなまどろっこしいやり方は、実に人間らしい。結局は力でねじ伏せがちである戦いの知識がまるで役に立たず、彼は心の中で苦笑いをした。
そんなフィガロのことなどつゆ知らず、ファウストはどこか熱を帯び早口になりながら、魔法で映し出した地図を指でなぞっていく。
「身体を濡らすのは危険です。風が強ければ、肌寒い夜であれば、そうでなくても体力は一気に奪われてしまいます。重たい火器もあります。よほどのことがない限り、胸元近い水深の川を渡ることはありません。だから、敵も油断していたのでしょう」
魔法の地図をずいと指先で動かせば、左右から敵よりもうんと少ない人々が川を越える。そうして、彼らはこの戦いを制したのだ。
地理、敵の特徴、エトセトラ。それらを知っていたからこそなせる戦い方。情報がいかに大切であるかを考えさせられる。
「フィガロ様に教わったような体温を守るための魔法があれば、また違った結果になっていたのかもしれませんね」
ファウストは笑いながら指先をくるりと回す。パッと空中で光を放ち、地図が消えた。
「人間主体で考えるのなら、そうかもしれないね」
生まれ育った環境からなる考え方は、安易には変えられない。フィガロからすれば、ファウストの考えはあまりに人間らしかった。
けれど、北で暮らすなら必須である初歩的な魔法ですら、人間には奇跡に見えるのだろう。魔法使いであれば当たり前のように使える魔法でさえ、戦況をひっくり返すほどの力を持ち得るのだ。
にこやかに笑うフィガロに、ファウストはキラキラした目を向ける。
純粋無垢な瞳の輝きにはぬるま湯のような心地よさを覚える。けれど、同じぐらい後ろめたさも感じてしまうのだ。
「魔法使いなら、どのような戦い方になるのでしょうか」
ファウストは真面目だった。魔法の修行をするために弟子入りしたこともあり、彼は必死で魔法使いについて学ぼうとしている。
当たり前は、当たり前ではない。常識は、ときに非常識となる。そんな日々が楽しいと思えるほどに、フィガロはとっくにファウストへ絆されていた。
大魔法使いで慈悲深く、心優しい師匠、フィガロ・ガルシア。今日もそんな仮面を進んで被り、彼はにこりと笑う。
「そうだね、強い魔法使いなら」
フィガロは先ほどのファウストと同じように、空中に魔法で地図を作り出した。
「……!」
ファウストが作ったものよりも精密で、鮮やかで、リアリティがあって。川や人がどこか不規則に動くその地図に、ファウストの目は釘付けになる。可愛い反応に、口元が少しだけ緩みそうになってしまう。
フィガロは軽く咳払いをして、指先をくるりと動かした。
「こうすると思うよ」
まがいものたちの上に、フィガロは魔法使いを出現させた。体格から男だろうか、髪の長い彼は手を天高く伸ばす。
その瞬間、魔法使いからまばゆい光線が放たれた。地図が真っ白に輝き、ファウストたちの足元へ濃い影を作り出す。
光が収まると、そこは無だった。
「これは……一体……」
地図上の殺気立つ兵士も、兵器も、馬も、川も。そこにあるはずのものが全て無くなっていた。
土が抉られたような大きな跡が一つだけ、地図に残されているだけだ。
「こんなことが……」
目を大きく見開き、あり得ないものを見るように。ファウストはどこか眉をひそめ、言葉を失っていた。
「これが魔法、これが圧倒的な力さ。人間とは戦いの仕方が根本的に違うんだ」
「はい……」
全てを無に返した戦い方に、ファウストは複雑な顔をしていた。一生懸命に事態を吸収しようにも、どこか納得できないような。真っ直ぐで真面目で、正直者の反応だ。
「これが……正しい魔法使いのあり方なのでしょうか。魔法使いは、力で制するのが正解なのでしょうか」
「正解も不正解もない。けれど、事実として力のある魔法使いならこうするんだ」
甘い幻想ではなく、起こり得る真実を。それがいずれファウストの力になるのだ。
例え、いつか手を離したとしても。彼には強く生きていてほしい。
ファウストなら、きっと受け止めてくれるだろう。そのために、今日もフィガロは教えの剣を振るうのだ。
「力は正義だ。けれど、人間と共存を目指すなら力だけでは足りない。人間のことも、魔法使いのことも分かり合いたいのなら」
フィガロは笑いながら、地図を光の粒に変えた。漂う一つ一つはきらめきながら分解を続け、やがて小さな点となり空気に溶けていく。
「まずは強くならないとね」
「……はい!」
少しだけ高くて大きな少年の返事が、部屋中に響き渡る。決意を固め、やる気を満ちたその表情に、フィガロは言いようのない喜びを感じた。
こんな人生の生き甲斐、初めてかもしれない。
本気でそう思っていた。
*****
弱き人のことを分かっていたつもりだった。神として、魔法使いとして寄り添い、同じ立場で考え、行動をしてきたはずだったから。
けれど、それは上辺だけの理解だったのだ。
「はっ……、っ……」
息を吸うと、冷たい空気が気管に流れ込む。命を繋ぐ行為のはすが、命を削られていく。
指先を掠める小さな雪たちは、体温でじんわりと溶けていった。その度に身体が小刻みに震え、上手く動かせることができない。かじかむ指先はとうに感覚を無くした。
強さを失ったとき、己には何が残るのだろうか。
「《ポッシデオ》」
男は掠れた声を出す。
白い世界は、何も変わらなかった。