ゆらぐかみ 四百年前の一年間。あのころの教え教わる関係になり早数日。
真面目で気遣いのできるファウストはフィガロの言いつけをきちんと守っている。普段は今まで通りの態度を取り、修行になると昔のように敬意を持った言葉を紡ぐ。初めの数日はそれらが混ざり合う日々も続いたが、今ではしっかりと使い分けができるようになったらしい。
なんだが面白いねと言えば、スイッチが切り替わって気が引き締まると大層真面目な答えが返ってきた。まるで村の子供達がしていたごっこ遊びみたいだ。そう口に出そうとして、こほんと咳払いをする程度に留めておいた。
フィガロが教えるのは実践だけではない。そう、ファウストが東の国の魔法使いたちに座学を行うように。フィガロも知識と経験を診療用の丸椅子に座るファウストへ伝えていく。夜でもサングラスをかけた彼はいつだって大真面目な顔で耳を傾けている。そして、少しでも引っかかりを感じればじっとフィガロの瞳を見つめ続せるのだ。目は口ほどにものを言う。本人は無意識らしいが、その言葉通りであるとしみじみ感じられる。
そんなファウストは最近フィガロの机の隣、薬や本が入った棚をよく見つめていた。気になるものがあるかと思いつつ、フィガロが声をかければすぐに彼は次の修行を乞う。それならばとみっちり指導をすれば、ついつい夜が明けて、聞こうと思ったことを忘れてしまうのだ。
それならば昼のうちに聞いてしまえばいい。けれど、昼間にファウストが人目を憚らず訪れるときは大抵急ぎの用事があるときだけなのだ。
もっと気軽に来てくれればいいのに。いつだって言っているのに、こればかりは間に受けてくれない。今までのツケと言われればその通りである。
小さな小さな気になること。このままなあなあにしていてもいい。
けれど、フィガロは今回は行動してみることにした。いつだって言葉が足りずすれ違い続けてきたのだ。こういう引っ掛かりは先に取り除いた方がいい。
その日、ファウストは寝巻き姿でフィガロの元にやってきた。周りをキョロキョロと見渡し、目元をゆるりと下げ、彼はフィガロ様と呼ぶ。修行のお願いだとすぐに分かった。
机の上には薬草がいくつか。少し待っててと伝えれば、ファウストは静かに頷いた。そして、彼は今日もじっと棚を見つめる。
「ねえ」
「どうかされましたか?」
ピッと背筋を伸ばし、ファウストはフィガロの方へ向く。大袈裟すぎるほどのその行動ににこりと笑いながら、フィガロは彼が見ていた棚を指差した。
「そこ、気になっているものとかあった?」
「気になっているもの、ですか?」
「ほら、最近よく見ているからさ」
その瞬間、ファウストの頬がポッと赤くなった。すみませんと謝る彼に、フィガロはゆるゆると首を振る。決して怒っているわけではない。
ファウストはチラリと棚を見て、フィガロを見て。そして小さな声を出した。
「その……、何と言ったらいいのか」
「うん」
「その……」
ものすごく言いづらそう。あまり良いことではないのかも。
けれど、聞いておいた方がいいに違いない。
「大丈夫だよ、きみの口から聞きたいな」
「はい……」
ファウストは力無く笑い、一歩棚に歩み寄る。そして、手前に並んだ瓶を持ち、その後ろに入っていた骨と薬草が入った瓶を指差した。
「フィガロ様。その、こちらは」
「ああ、最近出してみたんだ」
「その奥のも」
「それも最近」
めざといものだ。思いの外、ファウストが自分を見てくれている。それが嬉しくて、つい笑ってしまいそうになってしまう。
けれど、ファウストは対照的に顔を曇らせた。
「その、他の子供たちから見たフィガロ様、その、『南の優しい魔法使い』の部屋にこれらを置いておくには、少々……」
「……ああ、なるほど」
前に似たようなことを言われたことを思い出す。ファウストに話した通り、実際あのときは彼ぐらいしか気づかなかった。
けれど、確かにそうだ。
強い媒介、呪いの道具、魔法。無駄なことをするのはあまり好きではない。効率重視。隠したいと願う彼らがいなければ、フィガロが持っていて当たり前のものたち。
パッと見えるようにはしていないものの、前まではここまで堂々と棚に並べてはいなかった。ファウストが不審に思うのも無理はない。
フィガロは立ち上がり、ゆっくりと棚に近づいた。
「悩んでいるんだ」
「悩み、ですか?」
「そう。このままでいいのかなって」
ファウストの目が大きく見開く。ああ、なんて反応が分かりやすい。面白いものだ。
ここ最近、いろいろあった。
ミチルが強い魔力の石を食べた。チレッタの呪文を使い始めた。少しだけ、最近は避けられている気もしている。彼のためだ。けれど、今まで自分がしてきたことが、きっと彼をこうさせた。それとも、抗えない運命だったのだろうか。
未来は予想通りに進むことなど少ないものだ。うまく舵を切りながら生きてきたものの、いつだってどこか間違っている気がする。最近は特にそうだ。
サングラス越しに揺れる瞳がこちらを見つめている。そんなファウストの髪を優しく撫でれば、ぶるりと彼は身を固まらせた。
「フィガロ様……?」
フィガロはゆるゆると首を振る。
「ううん、なんでもないよ」
僕にできることがあれば。
そう言いかけて、ファウストは口をつぐむ。どうせ、何もないのだ。
けれど、このまま何もしないのは癪だから。ゆらゆらと髪に触れるその手に身を委ねる。
「ふふっ……ふわふわだ」
頬を通り抜ける指先にどこか恥ずかしくなりなる。
けれど、これで。
あなたの気が紛れるのなら。
フィガロがクスリと笑うまで。ファウストは俯いたまま、静かに揺れる白衣の裾を見つめていた。